真夏の決闘 破 その一
「…………うーん、厳しいな」
ベッドの上で起き上がった僕は、思わず呟いてしまった。
かれこれ十一回目の巻き戻しである。
まず初っ端の三日月・霞であるが、ニニさんはほぼ回避できるようになった。
しかしキッシェとリンは他覚があっても避け切れずに、どちらかが必ず消えてしまう。
そこら辺は天性の差かレベルの差か、それとも両方か。
次に十日夜・華であるが、これはもうどうしようもない。
天眼で確認したところ、多い時は百本を超えていた。
どう足掻いても、ニニさんとリンで対処出来る限界を超えている。
それと当たり前だが、まともに受けると滅茶苦茶痛かったりもする。
一応、闘技場なので安全人形というダメージを肩代わりしてくれるブツがあるにはある。
なので死んだりはしないが、矢が刺さった瞬間の激痛まではすぐに軽減してくれない。
一応、光の矢は水の底までは貫通できないので、小船から飛び降りれば逃げることは出来る。
無論、花飾りは散ってしまうが、そのための水着だったりもするし。
それなのに女性陣は毎回、律儀に僕と一緒に降り注ぐ矢を受けてくれるので、余計に心も痛かったりするのだ。
まぁミミ子だけは気がつくと、ちゃっかり水に潜っているが。
そしてこちらからの反撃だが、新月・蝕がある限り数のゴリ押しはほぼ通用しないと断言していいだろう。
正直、アレは光の矢よりも反則だとしか思えない……。
あの吸い込まれた矢って、一体どこに消えるんだ……?
ただ救いはあって、どうやら連続では発動できないらしい。
それならばと思いついて、メイハさんとイリージュさんを入れて回生と活生の高速体力回復からの連続一斉射撃を実現してみたが、新月・蝕から即座に十日夜・華で対応されて終わった。
流石は師匠、弱点はとっくに克服済みか。
仕方なく合間を狙って四連射を撃ち込んでも、あっさり三日月・霞で撃ち落とされるので隙はないに等しい。
今は唯一、自力で動いて迎撃を躱せるシャーちゃんだけが希望の星である。
そのシャーちゃんだが、恐ろしいほどに成長してくれていた。
光弾六発中、半数までは確実に避けれるようになったのだ。
さらに先ほどの十回目、他覚の加護を授けてもらって、なんと一つ目の浮袋を仕留める快挙まで成し遂げたのだ。
そこで負けた後、様子を窺いに師匠の控室に面会に行ってみたのだが、露骨に舌打ちされてしまった。
「お前なぁ、せめて三個は仕留めろよ」
「いや無理でしょう。頑張って一個は潰せたんだし評価して下さいよ」
「要塞相手に松ぼっくり一個撃ち落としたから、横通らせてくれって言えるか?」
ぐぬぬ。
そもそも敵わないのは端から明らかだ。
弓の腕前は数段上だし、それに加えて反則級の光学兵器まである。
なのにこの物言いということは、実は期待されていたのだろうか?
いや、それはないな。
僕の実力は師匠も把握している。
となると、見せるべき部分が他にあったということか。
「どうすれば、認めてくれたんですか?」
巻き戻しの良いところは、恥のかき捨てし放題という点だ。
無駄に時間をかけて悟るより、聞いたほうが早い場合もあるしね。
重苦しい顔をした師匠は僕の顔を見上げたあと、唇の端をひん曲げながらヒントらしきものを漏らしてくれた。
「……一対一の勝負にしなかった点で、察しろってのは無理があったか」
余談だが控室を出た後、通りかかったカリナ司教にでっかい溜め息を吐かれたりもした。
一方的に負けてしまったせいか、客席にもガッカリした空気が漂っていたしな。
思い出すと、なんだか情けなくなってきたぞ……。
とはいえ、本当に一矢しか報えてないのも事実な訳で。
「…………うーん、やっぱり厳しいな」
「周りのことなんか気にしてちゃダメですよ、隊長殿」
ベッドの上であぐらを組んでいた僕の背中に、ゴムまりのような感触と重みが不意にのしかかる。
そのままリンは僕の脇の下に手を通して、ギュッと体を押し付けてきた。
女の子特有の甘い汗の香りと一緒に、寝起きとは思えない高い熱が伝わってくる。
そうか。
考えてみれば、僕らの中で一番闘技場に通っていたのはリンだったな。
悔しくないわけないか。
「珍しくリンの言う通りですね。私もそう思います」
「そだよ~。最後に勝てば良いんだよ~」
シーツの上をコロコロと転がってきた狐娘が、僕の太ももにヒョイっと頭をのせて枕にする。
同時にキッシェが、右腕に優しく抱きついてきた。
それとシャーちゃんも、股の間に入り込んでゴロゴロと喉を鳴らし始める。
「ほらほら、ニニ姉、隊長殿の左手空いてますよ」
「そうか。では失礼して」
左腕が絶妙に押し返してくる弾力に包まれ、僕の中に渦巻いていた感情がまたたく間に煩悩に上書きされていく。
うん、余計な考えを消すには、このおっぱいセラピーが一番だな。
「………………そのままで良いんで、ちょっと聞いて欲しい」
目を閉じて言葉を整理しながら、皆に話しかける。
「勝負してみて改めて感じたんだけど、師匠は強すぎると思う。うん」
「……そうだな」
「ですね。ワクワクします!」
「でも、負けたくはないんですよね? 旦那様」
キッシェの問い掛けに、僕は深々と頷いた。
「そりゃそうだよ。いや、最初は負けても良いと思っていたかな。そこそこの勝負をして、あとは頭を下げたら八層を抜けるくらいには神遺物を貸してくれるんじゃないかなって。でも、それはないってのはよく分かったよ。あの弓矢は凄すぎる……。凄すぎて、おいそれと貸し借りをお願いして良いもんじゃないな。本気の本気で取りに行かないとダメなヤツだ」
目の前に対峙してハッキリ分かったが、師匠の技はどれもあの盈月と月光を使いこなす過程で生まれたモノだろう。
それほどまでに結び付いた相棒だ。
ちょっと必要なので貸して下さいで、済ませて良いような品じゃない。
「だからこそ、欲しい。うん、改めて口に出すと実感するな。そのためにも、師匠に是が非でも勝つ必要がある。だけど正直、打ち破るには高すぎる壁だとも思う…………」
師匠の場合、これまでの弱点を見つけるまで粘るとか、動きのパターンを頭に叩き込むような作戦はほぼ通用しない。
虚実が巧すぎてパターンは無限に近いし、自分の弱点を熟知してるからつけ入る隙もない。
まぁ潜ってきた修羅場の数が違いすぎるということか。
「なので、僕としてはお手上げ状態です。だけど、諦めたくない。だから――」
皆の顔を見ながら言葉を続ける。
「みんなを頼りにしたい。どんなことでも良い。思いついたことや気付いたこと、どんどん話して欲しい。一人じゃ厳しいけど、全員の力を合わせればきっと勝機は見えてくるはずだ」
単独同士の勝負じゃ話にならないが、僕らは互いに補ったり協力したり出来る。
と、師匠もそう言いたかったに違いない、……多分。
「それでしたら一つ気になっていたんですが、ミミ子さんの幻影、簡単に消えすぎてません?」
「ああ、そう言われたら……」
ミミ子の陽炎は、空気を歪めて幻を作るので実像ではない。
ちょっとくらい攻撃されても、ぼやける程度だったはずだ。
「あの矢は光そのものだからねぇ。性質が同じだから、相性が悪いんだよ~」
「なるほど、そうなんですね。じゃあ、ミミ子さん」
「なに~?」
「ミミ子さんが幻影を出しにくい状態とかありません?」
「うん、あるよ。あ、それ使えるかも。ほら、前にやったアレだよ~」
「アレ……ですか?」
寝っ転がったままポンと手を打つミミ子に、キッシェは理解が及ばず首を傾げている。
ゴニョゴニョと相談を始めた二人に負けじと、リンが大きく手を挙げてきた。
「なら私も奥の手、使っちゃいますか。どうせならカッコよく締めに使いたかったんですが、そこまで行けてないのに勿体ぶってても仕方ないですからね」
十二回目の挑戦。
遙か向こうに佇む師匠は、相変わらず人を食ったような顔をしている。
気を引き締めながら、僕は水の精霊使いに声をかけた。
「やってくれ、キッシェ」
「はい、始めますね」
開始の角笛と同時に、キッシェが水滴を集めにかかる。
水壁の厚みであれば、三日月・霞の光弾なら食い止められるかもしれない。
もっとも船を覆うほどのサイズは無理だし、持続時間も十秒と持たないので、あらかじめ張っておいても簡単に避けられてしまう。
なので今回は、全く違う使い方に挑戦とのことだ。
作られた水の壁たちが、盾を構えるリンの前に次々と浮かび上がった。
観客が静かにどよめき、師匠もわずかに動きを止めてこちらを窺ってくる。
「良いわよ、リン」
「まっかせて! お願い、イーさん」
リンの言葉に、盾に浮かび上がる赤龍の首がギロリと目玉を動かす。
同時に太い牙が並ぶ口元から、真っ赤な炎がいきなり吹き出した。
当然ながらその猛火は、眼前の水の壁に派手にぶち当たる。
高温に晒された大量の水は、瞬く間にその形を変化させた――水蒸気へと。
もうもうと湯気が上がり、僕らの視界を覆っていく。
そう、これは前に新奉祭でキッシェたちがやった霧隠れ作戦の応用である。
今回は高火力が居るので、時間も以前より短縮できている。
「よし、良い感じだな」
開始早々、姿を隠す僕らのやり方に客席からブーイングらしきものが飛んでくるが、これは逆に都合がいい。
僕らへヤジは、裏を返せば師匠への期待に他ならないからだ。
このまま時間が経てばイグナイが息切れして水蒸気の煙幕は途切れてしまうが、観客はそんなつまらない撃ち破り方は求めていないだろう。
と、考えていたら、立ち込める蒸気の向こうで、何かが光ったのが見えた。
だが飛んできた光の矢は蒸気の壁を貫けず、途中で細切れに散らばってしまう。
おお、上手くいったか。
さてお次は、空を飛び跳ねる光の矢の雨だ。
蒸気の煙幕が晴れ、無傷で現れた僕たちに少しだけ感嘆の声が漏れる。
対面の師匠は憮然とした顔付きを隠そうともせず、ゆっくりと弓を絞り始めていた。
半円を通り過ぎ少し膨らみかけた月が、静かに鳴動した。
――十日夜・華。
空中でぶつかり合い、次々と大輪を咲かせようとする光矢の群れ。
確かに師匠の射法は、活殺自在すぎて僕には読み取れない。
が、コイツラは違う。
分裂するパターンなら、すでに十一回も見せられた。
――天眼必中五月雨矢。
僕の放った矢の雨が、起点となる光の矢を射抜き打ち砕いていく。
破片となった矢は、軌道を変えて水面へと降り注いだ。
それを防ぐために師匠の弓が震え、音もなく光弾が飛び交う。
闘技場の空が、行き交う矢で埋め尽くされた。
凄まじい光景を繰り広げる矢の応酬に、轟くように観客席から叫びが上がる。
「あとは頼んだ! リン」
撃ち落とせたのは精々、半分。
残りは彼女たちに任せるしかない。
力を出し切ってふらつく僕を、キッシェとミミ子が素早く支えてくれた。
そして盾を精一杯掲げたリンと、それに寄り添うニニさん。
赤毛の少女は、喉が裂けんばかりに怒声を上げた。
「イーさん、伸ばせ!!」
掛け声と同時に、盾が姿を変えた。
縁の部分が盛り上がったと思えたら、そこからグイッと何かが飛び出した。
それは見る見る間に広がり、僕らの眼前を覆い尽くす。
隠し鱗というらしい。
有魂武器である炎龍の盾は、年老いたとはいえその成長は未だ止まっていない。
少しずつであるが伸びていく鱗を、盾の外縁部に溜め込んでいるのだそうだ。
それを一気に放出したのが、この形態である。
一時的に鱗を引き出すことで、その表面積は三倍近くまで広がる。
もっとも硬度も半分以下になってしまうが。
そこでニニさんの出番である。
先ほどからずっと唱えていた真言が、ギリギリのタイミングで間に合った。
"堅固"と"均衡"の加護を受けた赤い盾が、天に向かって咆哮した。
降り注ぐ光の束が赤龍と激突し、花火のように眩しく舞い散る。
と言っても、僕らは傘の下にいるようなものなので、全部想像でしかないが。
数秒の刻が過ぎ、土砂降りのような雨音が不意に失せた。
そして限界を迎えたのか、龍の鱗がボロボロと崩れ足元や水へ落ちていく。
開けた視界の向こうでは、師匠が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
併せて地鳴りじみた歓声と足踏みが、闘技場全体を一気に包み込んだ。
口々に驚きを叫ぶ声が、僕らの耳に飛び込んでくる。
どうやらこの結果は、かなり予想外だったようだ。
「ううう、イーさん。うん、頑張ったよ。うんうん、ありがとう」
そんな周囲の賛美など全く眼中にない様子で、リンはひざまついたまま抱きしめた盾に懸命に囁いていた。
元のサイズに戻ったようだが、明らかに龍の顔色が悪くなっている。
声を掛けようとしたその時、ニニさんがスッと腕を差し出してリンの肩に触れた。
涙目のリンに、力強く頷いてみせる。
「よく頑張ったな。お前の覚悟、しかと見せてもらったぞ」
そのまま大鬼の女性は、顔を上げ真っ直ぐ前を睨みつけた。
視線の先には、最後の技に取り掛かる師匠の姿があった。
ギリギリと音を立てそうなほど、盈月の弦が引かれていく。
僕が師匠から学んだ四つ目の技であり、最後の技でもある貫穿。
それが今、眩い銀光とともに放たれようとしていた。