真夏の決闘 序 その二
赤い花びらが空中に舞い上がり、その一枚一枚がゆっくりと飛び散っていく。
リンは辛うじて反応できたのか、振り向こうとして首を半ば回そうとした状態だ。
その横顔には、驚きの表情がくっきりと浮かんでいる。
キッシェの方は両手を突き出して水の壁を呼び出そうとしているが、まだ水滴が集まろうとしている段階に過ぎない。
自分の花飾りがすでに失われてしまったことに、全く気付いてないようだ。
対してニニさんは、首を捻って最初の一矢を見事に避けていた。
さらに腕を持ち上げ、頭部の花飾りのガードまで試みている。
もっともすでに花飾りは、避けた先に飛来していた矢で射抜かれてしまっていたが。
矢。
という言い方は、適切じゃないな。
それは光の棒だった。
長さは手首から肘ほどで、直径は小指の爪にも満たないだろう。
そして肝心の速さだが、極眼の最大倍率――あらゆる物が完全に静止するはずの世界の中で、それらは当たり前のように動いていた。
大気の壁を穿ちながら、六本の光線は至極当たり前に僕らの周囲を通り過ぎていく。
光の矢に貫かれた分身たちは次々とよじれ消失し、同時に矢の方も破片となって空気に混じりながら溶けてしまう。
コマ送りの視界が終わりを告げる寸前、ふとミミ子に目を向けると器用に片目だけ僕に向けてつむっていた。
なんか余裕あるな、おい。
世界が元の速さを取り戻すと同時に、僕の耳にも音が戻ってきた。
「あああ!」
「えっ?」
「くっ!」
目を丸くするリンと、呆気にとられて口を小さく開くキッシュ。
ニニさんは少しだけ悔しそうに美貌を歪めながら、膝をついてその場に身を屈めた。
一呼吸置いて、観客席がドッと沸き立った。
「話には聞いてたけど、実際に見ると予想以上に凄いな」
「今のホントーに矢ですか? 速すぎてサッパリ分からなかったです」
「あ、私の花飾り! ……申し訳ありません、旦那様」
「普通の目じゃ無理だよ~アレ」
師匠の構える弓は、天を指すかの如く真っ直ぐで反りが全く見当たらない。
白い無機質な輝きを放つ未知の材質で出来ており、いかなることがあってもその弦が切れることはないと言われている。
そしてその指にも、同じく冷たい輝きを宿す飾り気のない指輪がはまっている。
弦を持ったまま、その指輪を弓柄に近付けて引くと、不思議なことに光る線が生み出される。
それが先ほど飛んできた矢の正体だ。
広げると月のような丸みを帯びる弓と、合わさることで月の光に似た矢を放つ指輪の性能から、その神遺物は"盈月"と"月光"と呼ばれていた。
正直、反則だとしか思えない弓と指輪のコンビである。
一瞬で分身を失って丸裸にされた上、小隊メンバーを早々に二名も失ってしまった僕に向けて、師匠はこれみよがしに顎を持ち上げてみせた。
視線を戻すと、僕の反応を窺うキッシェと無言で首肯するニニさんの姿が映る。
「うん、まずは慣れていこう。それしかないしね」
「ですね!」
「はい!」
「そうだな。次の一手は是非、見ておきたい」
そう言いながらニニさんは、伏せたまま前を向いた。
花飾りを失ったキッシェも、すぐさまその姿勢を真似る。
うん、あらかじめ聞かされていたおかげで、動揺が少なくて助かったな。
「では、こちらも反撃と行きますか」
息を大きく吸い込んだ僕は、渾身の力を込めて弓弦を引き絞った。
要は彼女たちがいくら倒されようとも、こちらが五つの浮袋をさっさと撃ち抜けば良いだけだ。
防ぐことは難しくとも、攻めならばそれなりに自負はある。
――天眼必中五月雨矢!
浮袋を一つ一つを狙うよりも、この場合の正解は数の暴力だろう。
緻密な狙いを伴った四十八本の矢がいっせいに放たれ、驟雨のごとく小船に降り注ぐ。
風を切って押し寄せる矢弾に対し、師匠は平然としたままクルリと弓を返した。
弓の先端をこちらへ向けて、軽く円を描く。
途端、師匠の眼前の空間が、すっぽりと切り取られたように消え失せた。
代わりに現れたのは、拳大ほどの真円状の黒い穴である。
次の瞬間、小舟の周囲の空間がグニャリと歪んだ。
空中の穴を中心に、渦を巻くように景色が急速に捻じれていく。
当然ながら僕の放った矢の嵐も、全部まとめてそれに巻き込まれた。
そのまま渾身の力を込めたはずの矢どもは、急激に軌道を変えて黒い穴へと次々に飛び込んでいく。
またたく間に数十本の矢が、謎の穴の中へと引き込まれてしまった。
全ての矢を強引に吸い込んだ穴は不意に縮み出したかと思うと、ゴマ粒ほど大きさになりスッと消えてしまう。
そして後に残ったのは、何事もなかったかのような静けさだった。
無音の空気が闘技場を包み、またも一拍子遅れて見物席から歓声が――。
そのわずかな緩みの一刻を狙い、真上から紫の蛇が飛来した。
うむ、師匠の最初の射撃に合わせて、密かに上空に放っておいたのだ。
完璧なタイミングで、浮袋へ落下していくシャーちゃん。
「良いぞ、シャーちゃん! 一つ目いただ――」
スイっと持ち上げられた盈月の弓幹が、わずかに弧を描いてぶれた。
六対の光弾が空に向かって、音もなく撃ち出される。
身を捩る間もないシャーちゃんに、光の矢は容赦なく襲いかかった。
弾かれ押し出された蛇矢は、進路を違え何もない水面へと落下する。
小さな水飛沫が上がり、僕の虎の子のシャーちゃんも水底へ消え去ってしまった。
あそこからここまで戻ってくるのは、しばらく時間がかかりそうだな……。
「隙がなさすぎだっての。というか、弟子にも少しくらい花持たそうよ、師匠……」
「流石ですね、お師匠様は」
「あ、ヤバそうな気配です!」
「ふむ、どうやら花を送って頂けるようだぞ。良かったな、主殿」
珍しく軽い口振りのニニさんの言葉に、僕は重々しく頷き返した。
視線の先には弓を引く師匠の姿が映っている。
これまで僕が師匠から学んだ技は四つ。
最初は無拍子。気がついたら矢が刺さってるほどの速射の技だ。
これを盈月で行う場合、少しだけ引かれた弓は美しい円弧を描く。
そこから付けられた技の名は――三日月・霞。
まさに三日月の形に張られた弦が霞むほどの六連射である。
次は弓搦め。
弓の末弭のところで、飛んでくる矢を引っ掛ける防御技だ。
これも盈月になると、何でも吸い込んでしまう恐ろしい穴へと変わる。
光さえも引き込んでしまうその威力が先ほどの技――新月・蝕だ。
三番目は弾み矢。
壁や地面、もしくは矢同士をぶつけ合って軌道を変える射法だ。
特に師匠のはパッと飛び散る様から、弾け火花の名がついていたな。
ゆっくり見せつけるように、師匠が盈月を引き絞る。
それは三日月を過ぎ、半月をやや通り越したところで止まった。
月光の放つ矢は弓に触れている時間が長いほど、濃く、太くなっていく。
十分につがえられた光の矢は、先ほどの光弾よりも一回り大きくなっていた。
「――来るぞ」
僕の漏らした声に、リンがさらに腰を落とし盾を持ち上げた。
赤い龍の眼差しが雄々しく天を睨みつけるが、その守れる範囲は今ははなはだ心もとない。
息を呑む群衆が見守る中、盈月が凛とした弓音を奏でた。
――十日夜・華。
解き放たれた光の矢に、続けざまに新たな矢がぶつけられる。
光線は互いを弾き合いながら方向を違え、その先でまたもぶつかっては分裂を繰り返す。
それはさながら無数に枝分かれしていく樹木のように思えた。
うん、言われてみれば確かに花に見えないこともないな。
「でもこれ、プレゼントなら最悪の部類に入るヤツだよな……」
美しく宙に咲き誇った光の華々がこちらへ降り注いでくる様を見上げながら、僕は思わず呟いてしまっていた。




