二層サーベルキャット狩り
三発までなら誤射でござると言い張ったら、パーティからキックされたでござる
薄暗い迷宮に響き渡るのは、甲高い獣の咆哮だ。
剣歯猫は体躯を大きく持ちあげ、剥きだした両手の爪を少女に叩き付ける。
盾に加えられた圧倒的な力に、リンは思わず片膝をついた。
だが少女の気持ちは全く負けていないようだ。
膝をついた姿勢から腰を捻り、握りしめた片手斧を盾の向こうのモンスターへ鋭く叩き付ける。
その一撃は、盾を突き飛ばす様に後ずさった獣にはわずかに届かない。
片手斧を振り回した反動で立ち上がったリンは、『威嚇』を発動しながら追撃に移行する。一瞬の踏み込みで獣の眼前へ詰め寄り、牙を剥き出しにして身構える剣歯猫へ攻撃を仕掛ける。
その背後を容赦なく石つぶてが襲った。
「痛っ?!」
「ごめん、リン!」
キッシェが牽制に放った石弩の弾の軌道が、速すぎるリンの動きと重なってしまったのだ。
背中の痛みに気を取られた少女の隙を、剣歯猫は見逃さなかった。
床を蹴り真横の壁へ跳び付く。
さらにその壁を蹴って、少女の無防備な脇腹へ襲い掛かる。
わずか二動作で盾を回り込まれたリンは、咄嗟にその護りを手放し空いた左手を突き出す。
鈍い音が響き、少女は宙に浮いた。
伸ばした掌が剣歯猫の牙を弾いたせいで、その直撃は免れたが勢いまではどうしようもない。
獣の突進を半身で受けたリンは、通路の壁へ激しく叩き付けられる。
受け身を取る間もなかったせいで、強く背中を打ったリンの肺が押され大量の空気が吐き出された。
そこに獣の追撃が続く。
大きく口を開き息を吸い込もうと焦る少女に、剣歯猫が床を蹴って飛び掛かる。
それに黒髪の少女が飛び付いた。
短剣を腰だめに構えたキッシェが、思い切り横からぶつかる。
そのまま床にもつれ込む獣とキッシェ。
短剣は剣歯猫の横腹を貫いてはいたが、心臓には届かなかったようだ。
怒りの声をあげた猫は、その爪をキッシェに向ける。
間一髪で短剣から手を離し飛びのいた少女の眼の前を、尖った爪先が通過していく。
そこに呼吸を取り戻したリンが駆けつける。
床に横たわる剣歯猫目掛けて、両手に握りなおした片手斧が振り下ろされた。
豪快な音とともに、くぐもった鳴声と血しぶきが上がる。
そのままリンは何度も斧を叩き付ける。その度に猫の四肢が大きく跳ねる。
だが少女は全く容赦しない。
剣歯猫が消え去って宝箱が現れるまで、斧を振り上げる手は止まらなかった。
▲▽▲▽▲
「二人ともお疲れ様」
僕が古タオルで顔に飛び散った猫の血を拭ってあげると、リンは嬉しそうに顎を上げた。
ハラハラしながら見ていたが、二人とも剣歯猫にはそれなりに慣れたようだ。
「ごめんね、リン」
リンを綺麗にしていると、しゅんと眉が垂れたキッシェが頭を下げる。
途端に謝罪を受けたリンの表情は硬くなった。
流石に戦闘中に、味方に攻撃を当てるミスは致命的になり兼ねない。
気にしないでと簡単に許すわけにもいかず、少女は言葉を詰まらせる。
「キッシェも最後の攻撃は良かったよ」
フォローする僕の言葉に、キッシェは救われたように顔を上げた。
そしてリンが少しだけ頬を膨らませる。
活躍したのは自分なのに、という気持ちがあるのだろう。
「リンは凄いな。もう僕が言えることは何もないよ」
「照れるです。隊長殿」
褒め上げるとリンはあっさりと機嫌を直した。
引きずらない単純さが、この子の一番の長所かもしれない。
それに盾持に関して、僕は全然詳しくないので本当にいうことがないのだ。
だが飛び道具なら多少は教えることも出来る。
「キッシェは今の不味かった部分は判る?」
「はい、リンの動きを読みきれてませんでした。その……毎回、同じ動きになるんじゃないんですね」
「そりゃそうだよ。二人とも凄い速さで成長してるしね」
「自分では上手くなっている実感が乏しいので難しいです。何かコツを掴む方法があればいいんですが」
「うーん、味方の動きを見極めるのはひたすら経験を積むしか思いつかないな。あとはどんどん撃って、その感覚に慣れるくらいかな」
「慣れですか。頑張ってみます」
僕のアドバイスに神妙に頷くキッシェだが、また色々考え込んで失敗する姿が目に浮かぶ。だが僕としても、この辺りは本当に慣れろとしかいいようがない。
狭い空間で乱戦状態になりやすい迷宮での戦闘で、射手が一番に覚えなければならないことは『行動予測』だ。
これを会得しないと動き回る前衛に、うっかり矢が突き刺さることになり大惨事を招きかねない。
正直なところ論理的なキッシェには、感覚的なものが重視される射手は向いてないかなとも思える。むしろ甲鱗種の状態異常やダメージに強い特性を活かすなら、盾持こそがぴったりなのだが。
残念ながら今のキッシェの体格と筋力で務まるほど、迷宮の盾は甘くはない。
レベル2になれば話は変わってくるとは思うが、現状は遠隔と近接をこなせる遊撃手をやって貰うしかない。
まあ盾持でも、『行動予測』が身につけば敵味方の動きに対して、かなり有利に動けるので無駄ではないはず。
実際、慣れるとこんな風に先読みできるからね。
僕は背後から飛びついてきた少女をスルリと躱し、逆にその脇腹を捕まえてくすぐってやる。
「ひはっ! ひははっ! やめてっ! ごめんっなさい」
へしゃげたカエルのような笑い声をあげるモルムを解放し、そのモジャモジャ頭をゴシゴシしてやる。
嬉しそうに笑う少女は、改めて僕にギュッと抱きついてきた。
「開けるの随分速くなったな。偉いぞ、モルム」
「…………うん、だいぶわかってきた…………コツ?」
「そっかそっか。で、今回は何だった?」
「…………うっ…………へんな人形」
モルムが差し出した魔法具は、妙に柔らかな素材で作られた人形だった。
人形といっても何もない丸い頭部に、デフォルメされた胴体がくっついたデッサン人形のような代物だ。
「うーん、何だろう。初めて見るな、これ」
「…………高そう?」
「判んないや」
「…………ふーん」
少女は少し不満そうだ。
あ、褒め方がちょっと足りなかったか。
「モルムは凄いね。もう茶箱なら完璧に開けられるんじゃない?」
「…………えっへん」
「凄い、凄い」
「…………えっへんへん」
本当に凄い。
今日最初に宝箱にとりかかった時は五分以上かかっていたのに、19回目の今は一分足らずで解錠できている。
実地訓練の効率の良さもあるが、『罠解除』の技能講習の初級試験を一回であっさり合格したモルムは絶対に天才だと思う。
実は僕も以前、罠解除講習を受けてみたが実技試験はボロボロの結果で終わった。
テストのくせに本物の罠が仕掛けてあって、酷い目にあったのは苦い思い出だ。
罠外しってのは神経がすり減る細かい精密作業で、大雑把な性格には向いてないと判っただけが唯一の収穫だった。
ちなみにこれまでの宝箱は、蓋にロープを括りつけて遠くから引っ張って開けてた。
二層までの宝箱罠だと、石つぶて、麻痺針、脱力ガスと即死性じゃないのでそれで何とかなってたし。
でも三層からはこれに警報と爆弾、麻痺ガスと発動すれば洒落にならないのが混じってくる。
罠解除持ちの加入は必須だったので、モルムがパーティに入ってくれて本当にありがたい。
「それじゃあ上に戻りますか」
「了解です、隊長殿。今度こそ当りだといいですね」
「変な人形だし期待薄いよ。今まで一番高いのなんだったっけ?」
「7回目の時に出た『風搦めのケープ』ですね。査定金額が銀貨10枚でした」
確か弱めの『風陣』が刻印されてて、遠隔攻撃のダメージ緩和性能だったはず。
迷宮じゃ飛び道具使ってくるモンスターが少ないし、今ひとつ安かったんだった。
しかしキッシェはよく覚えてるものだ。
多分、全部の査定結果を暗記してるんだろうな。
「よし。この人形の査定額がそこそこなら、今日は上りにしようか」
僕の宣言にリンとキッシェは、少しホッとした表情を見せる。
二人は午前中にギルドの技能講習を受けて貰っているんだが、同じ内容を19回も聞かされて好いかげん聞き飽きたか。
「モルム、ミミ子を起こしてくれるかい」
「…………はーい。ミミちゃん帰るよ」
安全地帯でぐだっとなってた狐っ子の頬を、モルムは容赦なくぺちぺちっと叩いて起こす。
目を覚ましたミミ子だが、へろへろとなって床に寝そべってしまう。
「もう、無理。もう今日はお休み~。だから放っといて~」
「ミミっち、大丈夫? ほら捕まって。抱っこしたげるよ」
「ミミ子さん、今日はずっとしんどそうですね」
「あーちょっと、無理させたかな」
リンに米俵のように担がれたミミ子には、いつものひょうひょうとした余裕が見えない。
それも仕方がないか。
三人が職業訓練所に行ってる午前中、僕と一緒に四層まで行って特訓してたからな。
四層の単独湧きする一角猪というサイか猪かよく判らないモンスターは、動きが素早くその巨体の突進をまともに食らうと銀板級の盾持でも即死するといわれる強敵だ。
だが視覚感知な上に突進以外に目立った攻撃手段もないので、僕とミミ子のコンビの前には絶好の練習台であった。
もっとも一歩間違えば二人まとめてプチっと潰されてしまうので、プレッシャーは半端ないが。倒すのも一撃という訳にはいかず、要所要所に矢を撃ちこんで時間をかけて倒すしかない。
そのせいで延々と躱し続けなければいけない盾役のミミ子は、かなりの集中力がいるらしく気疲れが凄いらしい。
まあ普段ダラダラしてる分、たまには頑張らせないとね。
それに一角猪の角はかなりの高値だし、相場が安定するまではしばらくこれで稼ぐ予定だ。
というよりも相場を下げるのが狙いなので、当分はミミ子に頑張ってもらわないと。
幸いにも今日の人形は『殉教者の偶人』という、献身の祝福がかかった逸品だったため金貨1枚の査定がついた。
悩んだ末、この人形は売らずに持っておくことにした。
午前中僕とミミ子は三層か四層の狩りで、少しでも格上に対する戦闘に慣れておく。
三人はその間、訓練所でいろいろ習得してもらう。
昼からはキッシェたちの訓練の成果を、実戦で確かめながら経験値を稼ぐ。
運よく宝箱が出た場合は、モルムの罠外し練習を兼ねつつ当たりが出るまで粘る。
固定パーティを組んで一ヶ月。
だいたいこんな感じで、僕たちの日々は過ぎて行った。
大きなトラブルもなく、致命的な出来事も今のところは起きていない。
順調な生活であったが、僕の気持ちは少しばかり重かった。
それはある一つの約束のせいであった。
『威嚇』―盾持と戦士の初級技能。闘気を当てて敵対心を稼ぐ
『風陣』―精霊使いの風精使役術。飛び道具の勢いを和らげてくれる。移動速度にも補整あり
『献身』―治癒士の第三位叙階秘跡。破損した部位を正常な自分のと入れ替える




