真夏の決闘 序 その一
初夏の強い日差しの下、僕らは日除けも持たずに佇んでいた。
足元のゆらゆらと揺れる水面からも、容赦ない照り返しが肌を炙ってくる。
遙か前方に見えるのはさざ波に浮かぶ小舟と、その上に悠然と立つ老人の姿だ。
なぜかその手には、白い大きな弓しか握られていない。
緊張の欠片もない師匠の姿に小さくため息を漏らしながら、僕は辺りを見回した。
闘技場のフィールドは、透き通る水で満たされてしまっていた。
ところどころに石柱の頭がニョっと水面から飛び出しているが、それ以外は全て水に覆われてしまっている。
深さは僕の身長ほどなので、落ちても溺れる心配はさほどなさそうだ。
視線をチラリと横に向けると、そこには席を埋め尽くす人の群れが見えた。
ギッシリと詰め掛けた観客たちは、始まりを今か今かと待ち構えている。
むせ返るほどの期待が熱気となって押し寄せてくるせいで、余計暑苦しい気分になってくる。
もっとも見物客が興奮しているのは、それだけはなさそうだ。
その理由が分かるせいで、僕の内心もあまり穏やかでなかったりもするが。
まだ勝負は始まっていないというのに、観客の視線を釘付けにしていたのは僕の傍らに立つ女性陣であった。
「なんだかちょっと恥ずかしいですね、ニニ姉」
「気にすることはないぞ、リン。堂々としていれば良い」
照れくさそうに盾で身を隠すリンに比べ、ニニさんは言葉通り腕組み状態で仁王立ちである。
やはりこれまでの闘技場経験が、僕らとは桁違いなだけはあるな。
ただその姿勢のせいで一部分が余計に強調されて、注目が集まっていたりもするんだが。
「旦那様、まだ始まらないのでしょうか……?」
「うーん、そろそろカリナさんの挨拶が来ると思うんだけどね」
いつもは平静なキッシェも、今の状況は流石におさまりが悪いようだ。
しなだれかかる狐娘を支えながら、頬をわずかに染めて僕を見つめてくる。
そしてミミ子の方だが、こっちはニニさんとご同類だった。
どこ吹く風とばかりに、間抜けなアクビ面を隠そうともしていない。
おかげで凹凸の少ない体のラインもバッチリ、衆目にさらしてしまっている。
「いまさらだけど、ミミ子の尻尾って縦に増えてるんだな」
「そだよ~。背骨が基本だからね~」
裸の突き合いまでしてる仲ではあるが、尻尾の付け根辺りは嫌がるからあまりちゃんと見たことがなかったのだ。
なぜ今ここでそれに気付いたかというと、理由は至極簡単。
…………彼女たちが、あられもない水着姿であるからだ。
いや、確かに去年は水着だけ買って結局、使わなかったとサラサさんに言ってしまったけど!
こっちの姿のほうが、ずっと前評判が高まるってのも分かるけどさ!
師匠の神遺物を賭けた重大な一戦のはずが、なぜか水着美女の水泳大会な様相になるとは……。
ちなみにニニさんは黒がベースに赤線が入った競泳用水着で、腰元のラインの引き締まり具合は素晴らしいの一言しかない。
リンは去年着ていた赤のチューブトップのビキニはサイズが合わなくなったのと、派手に動くとずれてしまうという理由から、今日は緑白ボーダーのタンクトップとビキニパンツの組み合わせだ。
緩い分よく揺れてしまうので、いつもは無頓着なリンも意識せずにはいられないようだ。
キッシェは水色のワンピースで、腰の部分にスカート状のフリルがついている可愛らしい格好だ。
首筋の鱗が眩しく光を跳ねて、スパンコールのように見えなくもない。
あと背中が大きく空いているのも、かなりの注目点だ。
そして肝心のミミ子は大胆な金地の極小ビキニである。
おかげで真っ白なお腹とか背中、尻尾の付け根まで丸見えであるというわけだ。
これらは全て"ギルマム&モーナの手袋専門店"のお二方の特製である。
手袋専門のはずなのだが、お得意様のリリさんのお願いで二つ返事で引き受けてくれたらしい。
素晴らしい仕事ぶりではあるのだが、女性陣が注目されると複雑な気持ちになってしまう。
モヤモヤとした気持ちのまま観客席に目を向けると、ちょうど誰かが観客席の壇上に立つ姿が飛び込んできた。
白い日傘を優雅に畳みながら、カリナ司教は軽く頭を下げてみせた。
「今日はお暑い中、お越しいただき誠にありがとうございます。さて本日の催しでございますが、今年の遊泳場開きに際して特大のカードをご用意させていただきました。まずはご存じない方は居られぬでしょう。かつての英雄、八層先駆け到達者、引き絞る矢の鋭さに並ぶ者なしとまで謳われた弓聖ロウン様の久々の登場でございます」
カリナ司教の紹介に、観客席からドッと歓声が上がる。
引退してもこの人気ぶり、伊達に覚醒者ではないということか。
「対するはその愛弟子、誰もその名を知らぬ無名の身でありながら、その弓の腕だけは知れ渡る巧者、"名無しの弓使い"です。さらに師弟対決に華を添えるは四人の乙女。中でも注目は昨年、名無しの弓使いと死闘を繰り広げた"孤高の闘姫"の参戦でしょう。好敵手たちが手を取り合い、立ち塞がる最強の壁に挑むこの一戦。わたくしの胸もこれ以上ないほど高鳴っております」
そう言いながらカリナ司教は、クルリと振り向くと僕らに向かって艶やかに微笑んでみせた。
この満員具合だと、そりゃ売上も弾むだろうな。
「扇情的な美女たちの艶やかな戦場に、女神の祝福があらんことを!」
おいおい、なんか上手いこと言った風な顔してるぞ。
まぁ今回は真剣勝負ではなく公開演武的な位置づけだから、前口上が柔らかくなるのも仕方ないか。
一応、ルールの方だがこんな感じになっていた。
師匠の船には重石が積んであり、五つの浮袋がそれを支えている。
こちらはその浮袋を全て割って船を沈めれば勝ちである。
そして立ち向かう僕らの船には、浮袋はついていない。
代わりとなるのがニニさんたちだ。
正確にはニニさんたちが髪につけている花飾りである。
この四つの花飾りが全て落とされれば僕の負けとなる。
カリナ司教が女性陣を華と称したのは、別に卑下したわけではなくそのまんまの意味でもあった。
高らかに角笛が鳴らされ、戦いの始まりを告げる。
同時にニニさんが素早く真言を唱え始めた。
リンに"均衡"、僕に"摧破"、キッシェに"他覚"。
それぞれダメージ分散、潜在能力解放、感知能力の向上といった感じである。
不安定な足場対策の"安定"は、首に下げた太陽虫の護符に授与済みだ。
もっとも魔を寄せ付けない"明来"の効果もあるせいで、モルムは今回出番なしとなってしまったが。
そして師匠の狙いは頭部の花飾りのため、ダメージ対策の治癒術士も必要ないと。
というか、師匠の神遺物の前には通常の装備は意味をなさない。
でなければ水着で対戦なんてふざけたことは、元より許可しないしね。
それと僕らの中で最強の攻撃能力を誇るサリーちゃんであるが、大量の水が苦手なせいで今日は自主リタイヤである。
もっとも骸骨をいくら喚んでも水の中を進むのだと、向こうにつく頃には全て終わってしまっている。
報復系の禁命術は距離がありすぎると発動しないので、こっちも期待できない。
そういった理由から、本日のメンバーはこの四人になったという訳だ。
小舟の先頭に立つリンが身を屈め、炎龍の盾を持ち上げながら両脚に力を込めた。
その横に並ぶニニさんが、金剛の詠唱に入る。
ニニさんの後方には、キッシェが水壁をいつでも展開できるよう備える。
そして僕は矢を握りながら、師匠の初動を見逃さないよう肩の力を抜いた。
ミミ子が可愛くアクビをしながら小さく尻尾を揺らす。
途端に女性たちの姿が二倍に増え、観客席からはどよめきが響いた。
万全の態勢で迎え討つ僕らを前に、ミミ子に釣られたように師匠は静かにアクビを返す。
余裕を見せつけているのか、未だその手に矢を握られていない。
次の瞬間、四体の幻影とキッシェとニニさんの花飾りが音もなく弾け飛んでいた。




