羽根追う日々
耳障りな鳴き声を発した真っ白な大鳥は、断末魔の喘ぎとともに身悶えしながら空中で消え失せる。
その後に残されたのは、ふわふわと宙に舞う特大の白い尾羽根。
その落ちる先を心に描きながら、僕は弓弦を引き絞った。
谷底から舞い上がる暖風のせいで、羽根は気まぐれに左右へ向きを変える。
右方向へズレていくのを見越して、軽く掠めるように矢を放った。
行き過ぎぬように今度は左。
当ててしまうと羽が散ってしまうので、ギリギリで風を起こして誘導していく。
ちょうど程良い位置に調整出来たなと思った瞬間、上空から凄まじい速さで一条の黒い影が飛び込んできた。
細く伸びた影は尾羽根の羽柄を鮮やかに捕らえ、そのまま僕の元へと落ちてくる。
ぶつかるかと思えたその時、影は軽やかに減速してするりと僕の手首に巻き付いてみせた。
白い尾羽根を咥えた紫の蛇は、ゴロゴロと小気味よく喉を鳴らしてくる。
「よーし、良い子だ、シャーちゃん。今のは凄く良かったぞ」
羽根を受け取りながら頭を掻いてやると、小蛇は翠玉のような目を細めた。
うん、お世辞抜きで、申し分ない鋭い一矢だった。
この調子なら、あと少しでモノに出来そうだ。
もっともモノになっても、通用するかどうかはまた別の話だけど……。
ローザさんとダプタさんが攻略組に加わって早三週間。
僕らは相変わらず、七層の密林を駆けずり回っていた。
理由は七層最終関門の奥に控える樹人の上位種、"古樹要塞"を突破できる見通しが立たないため、まずは各自のレベルをあげようという話になったせいだ。
それともう一つ。
師匠との腕試し戦が一週間後に迫っており、そのための修行でもあった。
大鳥の尾羽根を眺めながら、僕はサラサさんとの会話を思い返していた。
「水上矢合戦?」
「うん、遊泳場開きの最大の目玉やし、しっかり良いとこ見せてや」
「遊泳場ってアレでしたっけ。闘技場に川の水を流し込むとか何とか」
「そそ、毎年、夏の盛りはお客さんが減るんで、涼しい水遊びに切り替えてるんよ」
「ほー、面白そうですね。今度、みんなで一緒に行きますか。去年は水着だけ買って結局、使わなかったし」
「うんうん、それは楽しみやね。でも、その前に一勝負、頑張らんとね」
「…………本気なんですね?」
僕の問い掛けに、サラサさんはニッコリと微笑み返してきた。
これは本気らしい。
どうやら闘技場プール開きの開催イベントを探していたカリナ司教と、サラサさんの思惑が見事に重なってしまったようだ。
今度の試合会場は全面が水に覆われた場所で、互いに矢を撃ち合うことになるとのことだ。
簡単に近付くことが出来ないので、狙いは両者が乗る浮袋付きの小船となる。
穴を開ければ空気が抜けて沈んでしまい、勝敗がつくという訳だ。
「勝負になると思いますか?」
勝てる絵図がこれっぽっちも浮かんでこない相手である。
しかも今回はそれに、強烈な神遺物までついてくるそうだ。
僕の見極めごときで、そこまでやる気を出さなくてもと思うが。
「難しいとは思うけど、何ともならんとも思ってないよ。それにオマケしてくれたしね」
ロウン師匠一人に対し、こっちは五人フルで参加してもいいらしい。
それに重要なハンデがもう一つ。
師匠は三度までしか攻撃しないと言い切ったそうだ。
その三回をしのげば僕らの勝ちであり、潔く盈月と月光を譲ってくれるとも。
「ちゃんと言質とったし、安心してくれていいよ」
「さっぱり出来ませんよ」
言い切った以上、十二分に勝算があるに違いない。
悔しい気持ちもあるが、実力の差は歴然としているしなぁ。
こちらとしては精一杯、巻き戻しを活用しつつ、出来る限り足掻いてみるしかないようだ。
ちょっとばかり成長したところを見せれば、最悪、レンタルくらい許可してくれるかもだし。
そんな感じで、せっせと密林黄蝿や白羽岩鳥退治に通いつめている現状である。
ちなみに黄蝿だが、ようやく避けられずに射落とす事が出来るようになった。
と言っても、無拍子が完成したという話じゃない。
繰り返し倒し続けたせいで、蝿の呼吸や動くタイミングを覚えてしまっただけである。
この経験を重ねて慣れていくやり方は僕の強みではあるが、残念だから師匠には通用しない。
虚実の駆け引きが巧すぎて、動きの起こりが全く読み取れないからだ。
ただ早撃ちを無意識の領域まで持ってこれたのは大きい。
この無心状態の先に新しい世界が待っている気がするが、まだあと少し至れていないようだ。
それと大鳥の羽根取りだが、こっちは先読みの練習だ。
空気のわずかな揺らぎを読み取って、羽根の行き先を読み取ろうという特訓である。
こっちはこれまでも似たようなことをやってきたおかげで、意外と早くモノになりそうではある。
もっとも読み取れても、それに対処できるかはまた別問題であるが。
最後に先ほど空の上から落ちてきたヤツだが、これはシャーちゃんと新たに練習中の技だ。
ここ数週間、七層の迷宮生物をみっちり倒したせいで、永劫なる蛇はまたもレベル上がってしまっていた。
そしてレベル5になったシャーちゃんは、新しい特技を使えるようになった。
分かりやすく言葉にすると、『空中浮遊』である。
いや、実際には浮遊というか滑空に近い状態だが、それでも滞空時間を大幅に伸ばすことに成功している。
以前からの技、蛇行する一矢は尾びれを使っていたが、これはどうやら肋骨を器用に広げて体を平べったくすることで、揚力を生み出しているようだ。
動きに緩急を付けれるようになったシャーちゃんを見て真っ先に思い出したのは、命止の一矢・弧という技である。
これは弧を描く曲線で狙い撃つ高威力の一射だが、タイミングが絞られるため難しい技でもあった。
でもシャーちゃんであれば、自分で調整して的を絞ることが出来る。
さらにその当てる時機まで、自在に選べるのだ。
つまり打ち上げておけば、あとはシャーちゃんにお任せモードで不意打ちが出来るという訳である。
名付けて『時間差天空落とし(仮)』だ。
完成したら、もっと格好いい名前に変えるとしよう。
といった感じで、僕らの修行は少しずつ前進していた。
▲▽▲▽▲
耳の羽毛をパタパタと揺らしながら、セントリーニ家の末っ子のマリはよいしょとソファーによじ登った。
そのまま中央に座る少女に近付くと、その太ももにいきなりコロンと頭をのせた。
仰向けになった幼女は屈託の欠片もない笑顔で、膝枕を提供する少女に話しかける。
「なにしてたの? イーちゃん」
「何もしてないわ。座ってたの」
イーちゃんと呼ばれた少女は顔を前に向けたまま、抑揚のあまりない声で答えた。
色の抜けた真っ直ぐな白髪は少女の腰元まで伸びており、前髪は眉の上で一直線に切り揃えられている。
肌も透けるように白く、瞳の色も洗い晒したように薄灰色だ。
人形のように整った少女の顔を見上げながら、マリは手を伸ばしてその細い顎をペタペタと触った。
本当にそこにいるかを確認するように。
「お絵かきする?」
「しないわ。よく見えないもの」
色素を持たない少女の瞳は、昼間の光は強すぎてハッキリと見ることが出来ない。
淡々と言葉を返す少女に、マリは退屈そうに小さくアクビをしてみせた。
居間に通じる中庭からは、似通った二つの元気そうな声が響いてくる。
双子の姉たちは勝手に外街に出かけた罰として、一ヶ月間の家庭菜園の手入れを命じられていた。
もう一人の姉コネットは分厚い本に夢中で、今日は末っ子にかまってはくれない。
向かい側のソファーを占拠する毛玉の塊は、揺さぶってもむにゃむにゃ言うだけだ。
「そうだ、おままごとする?」
「あなたがそうしたいのなら、付き合ってもいいわ」
「じゃあ、イーちゃんは赤ちゃんね。マリはおかあさん!」
「わたしのほうが年上よ」
「そうなの?」
「ええ、多分そうよ」
ほんの少しだけ、イーちゃんと呼ばれた少女の瞳に陰が落ちる。
それに気付いたのか、身を起こした幼女はやさしくその頬に触れた。
「おめめ いたいの?」
「痛くはないわ。眩しいだけ」
言葉に含まれる響きに、マリはしょんぼりと目を伏せる。
だが次の瞬間、幼女はピョンっと顔を上げて明るい声を発した。
「そうだ! マリのおめめ、かたほうあげる」
「目がなくなるとすごく不便よ」
「二つあるから、へいきだよ」
無邪気な笑みを浮かべる幼女に、色の抜けた少女は困った口振りで答えた。
「そんなことは簡単に言っちゃダメよ」
「そうなの?」
「ええ、そう。悪い人に取られてしまうわよ」
その場面を想像したのか小さく身震いした幼女は、サラサラの少女の髪に触りながら形の良い耳にこっそりと囁く。
「とられちゃうなら、そのまえにイーちゃんに上げるよ」
マリの言葉に、少女は諦めたような表情を浮かべた。
「そうね。だったら約束しましょうか。目をもらう代わりにわたしの何かを上げるわ。何が良いかしら」
その言葉に、幼女はまばたきしながら首を傾げる。
そして思いついた言葉を、そのまま口にした。
「えーとね、マリはとくにないよ。そのかわり、マリとずっとあそんでくれる?」
思いがけない言葉に、少女の一瞬だけ言葉に詰まる。
それから小さく頷くと、マリの耳元へと手を伸ばした。
耳の羽を撫でられるくすぐったさに、幼女は奇妙な笑い声を漏らした。
「じゃあずっと一緒に遊びましょう、マリ」
「うん!」
白髪の少女はそこでようやく、口元を小さく綻ばせてみせた。




