魔弾の陰謀
「えっと、"魔弾"て言うんはね――」
僕のリアクションを待たずして、眼鏡をクイッと持ち上げたサラサさんがそそくさと説明を始める。
いや、確かに知らない単語だけど、決めつけられるのはちょっと……。
「なんか不満そうやね。教えてほしくないん?」
「ぜひお願いします」
"魔弾"という呼び名であるが、正式には"魔弾の射ち手"というのが正式な二つ名であるらしい。
由来はその所持する神遺物、"骨穿つ連弩"から来ている。
大層な名前の弩だが、その名に恥じない性能を持っていた。
平たく言うと、放つ矢に強制的に呪紋を付加できるという驚きの効果である。
眠らせたり注意を引いたりが、わざわざ呪紋を描かなくても矢で射るだけで発動するのだ。
しかも連射機能付きの弩ときた。
僕の愛用の蟷螂の赤弓にも焔舌の追加効果が付いているので、そのストロングポイントは凄く実感できる。
弩じゃなかったら、滅茶苦茶使ってみたい品だ。
「なるほど、魔術付きの弾で"魔弾"なんですね」
「そそ。呪紋の使い分けも出来るから、おっそろしいほど強いんよ。その上、使い手の腕も超一流。だから今の迷宮都市じゃ、一二を争う射手と言えば、真っ先に名前が上がるほどなんよ」
ただし。
と、サラサさんが言葉を続ける。
「……人気はサッパリやけどね」
通常であれば虹色級といえば、この都市では英雄そのものである。
だが件の彼は下積みの銅や銀板の時代から黒い噂が絶えず、評判はすこぶる悪いのだそうだ。
これまで失った小隊仲間も、両手の指でも足りない数だとか。
その辺りの悪評は今回のやり方からして、どうやら間違いないように思える。
何とも面倒な輩に目をつけられたものだ。
腕に巻き付いているシャーちゃんの頭を軽く突くと、目を閉じたままゴロゴロと喉を鳴らして返事をしてきた。
こっちはこっちで、のん気なものだ。
「で、そんな悪名高い人間の仲間になろうとしてたんですか? 僕の可愛いシャーちゃんを利用して」
「うう、面目ない話ですな。つい誘いを向けられて、のぼせ上がってしまったようで」
嫌味っぽく指摘すると、ダプタさんは大袈裟に首を竦めてみせた。
太ってるせいで、ムニッと顎の下に肉が溢れる。
「悪い奴には近寄っちゃダメですよ。その時はよくても、あとで絶対後悔しますから」
「いやはや、リン様の仰る通りですな。早速、散々な目に遭いまして、吾輩、すっかり目が覚めましたぞ」
「調子に乗りすぎなんだよ、アンタは! そんなんじゃ、誰も信用してくれなくなるよ」
ローザさんに諭されて、ダプタさんは申し訳なさそうに一層縮こまった。
本当に反省しているようにも見えるが、前科のせいでどうにも嘘くさい気がしてならない。
ただ今の話の段階では、ガルンガルドさんとの盾の取引は正規のもので咎められる点はなかった。
師匠との弓矢の取引を僕に持ち込んでくるのも、商売とすれば当然の行為であり違法だと謗られる点はないと言えよう。
つまり問題は、師匠たちを誘い出した部分にあるということか。
「それで結局、外街で何を見たんですか? そこをもう少し詳しく教えて下さい」
「おお、そうですな。吾輩、少し思うところがありまして、ちょっとばかり確認しておこうと考えたわけですよ」
そこで言葉を区切ったダプタさんは、香茶に軽く口をつけて一息入れる。
「結論から申しまして、患部を取り除き再生させると謳われた治癒術士ですが…………、残念ながら偽者でございました」
やっぱりか。
とっさに師匠の横顔に視線を移すが、平然とした顔で茶を啜っていた。
隣のガルンガルドさんも、どこ吹く風とばかりに僕らの手土産のアップルタルトを一口で頬張っている。
この動じない態度から察するに、大きな期待はしていなかったいうことか……。
でも大事な武器や防具を急いで売り払うほどだから、少しの可能性にも賭けたかったという気持ちも察せられて何とも言いようがない。
「偽者ということは、何かしらの証拠でも見たんですか?」
「ええ、この眼でしかと確認いたしましたぞ。ただ――」
「ただ?」
狂気をわずかに孕んだ右目が、グルンと円を描く。
「方法は違えど、治療自体は本物でしたな」
「……どういう意味ですか?」
「ほっほ、言葉通りでございますぞ、ナナシ殿。吾輩が見たのはまさに創世神の偉業、素晴らしき秘跡の在り方と申しましても過言では――」
「アンタの言い回しはくどいんだよ!」
「おっと、これは失礼を。少し熱が入りすぎたようですな。えー、つまりですな、お探しであったのは育成の秘跡の使い手でありましたな?」
ダプタさんの問い掛けに、師匠は重々しく頷く。
育成とは第二位叙階の秘跡で、体組織の成長を促して再生できるという素晴らしい治癒術だ。
ただし拝受は素養がとても重要で、使える人間が相当珍しい希少秘跡でもある。
ちなみに六層の北区の噴水にはこの秘跡の効果が祝福されており、少量しか取れないくせに金貨三枚の値段がついていたりする。
使い道をサラサさんに聞いてみたところ、育毛剤や豊胸剤として販売されると言っていたな。
よく思いつくものだ。
「偽物と申したのはその点ですな。吾輩が出会った女性は残念ながら、育成を使うことは出来ぬようでした。しかしながら、彼女は特別な秘跡の拝受者ではありました。ええ、本当に驚きましたぞ。吾輩の目の前で、彼女が欠けた腕に新たな腕を接いでみせた時には」
「ほう、それはもしや――」
師匠の返答に、今度はダプタさんが重々しく頷く。
「おそらくですが、噂に聞く移植の秘跡でありましょうな」
太った魔術師の言葉に、テーブルの面々に低いどよめきが走る。
え、何?
リンも知ってるの?
「いえ、初耳です。みなさんが驚いてたから、一緒に驚いてみました」
「だよな。もう焦らすなよ」
安堵した僕と無意味に胸を張るリンは、そろってサラサさんにお願いの視線を送った。
露骨にため息をつきながら、ポニーテールの女性は眼鏡をクイッと持ち上げて解説してくれる。
「移植の秘跡ってのは、言葉通り他人の体を移植できるんよ。こう聞くとすごい便利そうやけど、実は問題が多い治癒術でね。まず新鮮な移植部位が必要ってのがすごく大変なんよ。無理やり体を傷つける行為は、教会の理念とは正反対やしね。それに頑張って移植部位を何とか融通してみても、成功率が四割ほどって話やねん。おかげで使い手も滅多におらん幻の秘跡、言われとるんよ」
「ありがとうございます、サラサさん。そうなると、その女性の接いだ腕って……」
「ええ、名前も知らぬ死人の腕のようでしたな。双子のお嬢様方にお聞きしましたが、どうやら外街には肉屋と呼ばれるそれ専門の店があるそうで。ええ、誠に恐ろしい話でございますな」
言われたことはよく分からず思考を半分を止めてしまった僕に、ダプタさんは言葉を重ねる。
「亜人の一部の方には、食人の習慣があると聞いたことがございます。まさかそれをこんな風に利用するとは……」
続けて飛び出した衝撃発言に、僕は思わず横に座るリンを覗き込む。
僕の心配そうな視線に気づいた赤毛の娘は、あっけらかんと笑ってみせた。
「私は食べないから安心して良いですよ、隊長殿」
「食べる奴もいるのか……?」
「昔は食べてたって聞いたことありますね。あと食べなくても、身内同士で死にそうな人が居たら楽にしてあげたとかは結構あったそうですよ。そうするとその人の持つ精霊が、止めを刺した人に移るんだそうです」
あっさりと打ち明けるリンの言葉に、不意に前に聞いたサリーちゃんの言葉が蘇る。
亜人には人を殺す禁忌がないとか言っていたのは、このことだったのか。
もう一年以上も一緒だけど、未だに驚かされることばかりだな。
しかし移植の秘跡と、そのための人体パーツの調達屋とは……。
これは確かに関わると不味い案件だってのは、誰にでも分かるな。
「こんな危ない仕掛け、バレたら探求者資格の剥奪になるんじゃないですか?」
「流石に名前を出すような迂闊な真似はしてへんと思うよ。それに外街は迷宮都市の法の外やしね。あと万が一、おおやけになったとしても、今回の取引を結ぶ線は……」
サラサさんの琥珀色の瞳が、懸命に汗を拭うダプタさんを映し出す。
そうか、何かあれば真っ先に名前が上がるのは……。それで道化だとか言ってたんだな。
同情が交じる僕の眼差しに気付いたのか、ローザさんがグイッと身を乗り出した。
「これで大体の事情は分かってもらえたようだね。さてここからが本題さ。私は『もしも』って言葉は、探求者が絶対に口出しちゃ行けない言葉だと思ってる。都合の良い仮定なんてのは、命取りが名前を変えたようなもんだとね」
う、すみません、巻き戻しの時によく使っちゃってます。
「だけどあえて今回は言わせて貰うよ。もしも良かったら、私たちもアンタの七層攻略組に加えてくれないかい? ナナシ」
そう言いながらローザさんは、懐から小さな箱を取り出した。
箱の中身は飾り気のない銀の指輪だった。
そっと指輪を僕の指に嵌めたローザさんは、そのまま手を握りしめてくる。
「都合が良すぎるとは承知している。功名心がないとも言わないさ。ただそれ以上に、今回の件を挽回する機会が欲しいんだ。どんな危ない役割を課してくれても良い。だから、どうか私たちにチャンスをくれないか?」
そうか、この指輪は嘘を見抜く"二心の指輪"か。
僕の手に伝わってくるのは、ローザさんの暖かな掌の感触だけだった。
うーん、七層の攻略だが、現状は最終関門まで辿り着きはしたが、その先の展望が全く浮かんでこない有り様である。
なので人手は正直、いくらでも欲しい。
指輪を信用するなら、ローザさんの気持ちは本心だと断言できる。
それに人格はアレだが、二人の腕前も十二分に信用できる。
うん、いくら騙されてもやり直せば済むことだしな。
呆れた顔でアクビする狐娘の顔が脳裏に浮かんだが、僕は構わず握られた手にゆっくりと力を込めた。
「一つだけ確認しておきたいことがあるんですが良いですか? ダプタさん」
「はい、何なりとお聞き下さい、ナナシ殿」
「少し思うことがあったと仰ってましたけど、どうして急に確認する気になったんですか?」
僕の質問にダプタさんは目玉を大きく見開いたあと、隣の女性にさり気なく視線を向ける。
途端にローザさんの頬が朱に染まった。
「ええ、それはもちろん、愛するローザのためでございますぞ」
グイッと突き出されたダプタさんの手を握ってみたが、指輪に反応はない。
これは本心で語っているようだ。
「分かりました。是非、お二人も攻略に参加して下さい」
「ああ、任せてくれ」
「ほっほ、誠心誠意、頑張らせて頂きますとも」
「と言っても全然、要塞攻略の目処は立ってない状況ですけどね」
僕の弱音に反応したのは、お菓子のクズを髭から払い落としていたガルンガルドさんだった。
「なんじゃ、まだサッパリなのか? 一体、何やっとる。折角、俺が盾を譲ってやったのに」
返す言葉もなく黙り込んでしまった僕に、元虹色級の英雄は呆れたように続けた。
「分かっとらんかもしれんから言っておくが、俺は盾の譲り先がお前らだと聞いて取引に応じたんだぞ。お前らならアイツを使い切ってやれると信じてな」
「そうだったんですか…………」
「期待してくれたんですね。任せて下さい、おっちゃん先輩!」
腕組みをしたガルンガルドさんは、横に座る師匠をジロリと睨め付ける。
「お主も何をやっとんだ。弟子の晴れ舞台だぞ。とっと弓矢を譲ってやらんか。いつまで後生大事に抱えとる気だ」
「ワシにも色々考えがあるんじゃ、ほっとけ」
そう言いながら顎を持ち上げたロウン師匠は、わざとらしく僕の方へ視線を寄越す。
「小僧はすぐに調子に乗りよるからのう。過ぎた道具を与えたら、どうなるか目に見えとるわい」
「そんなこと言って、惜しくなったせいだろ。お主は昔からケチだったしな」
「ふん、その手には乗らんわ。見極めもせず、ホイホイと授けるだけでは師は務まらんぞ、ガルド」
「だったら、とっとと見極めてやれ」
その言葉に立ち上がったのは、僕ではなくサラサさんだった。
「ロウン師匠! そのお話、進めさせて貰ってもよろしいです?」
「お、おう。別にワシは構わんが……」
「ありがとうございます。早速、カリナ司教に連絡をとらんと――」
不吉な名前がサラサさんの口から聞こえた僕は、驚きで顔を向けた。
メイハさんの母親であるカリナ司教は、闘技場運営部を取り仕切る立場でもある。
「お待たせしました、旦那様」
止めようとした瞬間、間が悪く料理が運ばれてきてしまった。
エプロン姿のキッシェが微笑みながら、手早く皿をテーブルに並べていく。
小魚とニンニクの炒めた香り芳しく立ち昇った。
今まで厨房に篭って、ラギギさんと一緒に支度をしていたようだ。
話し込んでいたせいで気付かなかったが、辺りはすでに薄っすらと灰色に染まりつつあった。
「どうぞ、ごゆっくり召し上がってくださいな」
柔和な笑みを浮かべるラギギさんが、美味しそうな泡を立てながらジョッキになみなみと麦酒を注いでくれる。
うん、これはちょっと抗いがたいな。
と思っていたら、なぜかローザさんは遠慮して香茶にしていた。
お腹に一瞬だけ手を添えた姿を、愛おしそうにダプタさんが見つめている。
……ああ、もしかして、そういうことかな。
ちょっとだけ羨ましく思っていたら、ダプタさんが笑いながらジョッキを持ち上げて乾杯を申し出てきた。
「頑張りましょうぞ、ナナシ殿」
「はい、そうですね!」
「あ、ところで先日の分け前ですが、いつ頃お持ちすれば宜しいですか?」
「え、分け前?」
「命を助けてくれた報酬に、背中のモノを半分要求されてしまいましてな」
「アイツらチャッカリしてるな。あとで説教しておきますね」
「いえいえ、お嬢様方は吾輩の大事な恩人ですので、くれぐれもお大切にお頼みします。それと吾輩が持ち帰ったモノですが、半分と言わずすべて差し上げたいと思っております。是非、受け取ってくだされ」
「では、いつでも結構ですので、お好きな時にどうぞ」
「はい、恩に着りますぞ、ナナシ殿」
なぜ感謝されるのかをこの時ちゃんと考えていれば、まだどうにかなっていたのかしれない。
そんな訳で後日、我が家に新たな居候が増えることとなったのであった。
骨穿つ連弩―回転式の弾倉が付いており、七本の矢を連続で発射できる大型の弩の神遺物




