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双子の小冒険 前編



 門を抜けた先で目に飛び込んできた建物の並びに、イナイは思わず琥珀色の瞳を細めた。

 相変わらずごちゃごちゃしてて薄汚いし、屋根や壁はツギハギだらけ。

 そして土が剥き出しの地面も、泥で濁った水溜りだらけ。

 

 壁の中とは大違いの街並みを行き交う人混みを眺めていると、少女の中に妙な懐かしさがこみ上げてくる。

 離れてたのは、そう長い期間ではない。

 だが自分の足がキレイな石畳の通りを歩くことにすっかり慣れてしまった気がして、イナイは恐る恐るぬかるんだ地面にそっと足を乗せてみた。

 

 水溜りの上にかぶせてあった古い木の板は、少女の重みであっさりと泥の中に沈み込む。

 気休めにもならない水溜り除けの雑な置き方に、イナイは唇の端をゆっくり持ち上げた。

 お気に入りのブーツは一瞬で泥まみれにされたが、おかげで実感が戻ってきたからである。


「ああ、うん、このいい加減さ。やっぱり外街はこうじゃないと」

「待って待って、なんでこっちまで泥飛ばしてくるのさ」


 調子に乗って木の板を何度も踏みつける姉に、妹のナイナは抗議の声を上げる。


「少しくらい汚しておかないとな。ちょっと俺たち小奇麗過ぎるだろ」

「帰ったらイボリーのおばちゃんに、また小言食らうよ、これ」

「なんかこっち、匂いも音も全然変わってないな!」

「ああ、もう。落ち着けって、イナイ」


 水溜りを全力で楽しむ姉の肩に手を伸ばし、妹は強引にその背中を屈ませる。


「視線が高くて目立ってるよ。ほら、気をつけないと」


 迷宮都市の壁に外にある、イナイとナイナの生まれ育った外街。

 ここは都市に属せない人間たちの集まりである。


 夢破れた元探求者、罪を犯し追放された者、門をくぐる僅かな金さえもない貧しい者。

 そして王国の外から流れ込んできた亜人と呼ばれる人々。

 

 貧民街の住人である彼らは、決して空を見上げない。

 なぜなら否応なしに、目に飛び込んでくるからだ。

 幸せな生活を約束してくれる楽園のような場所への視線を、容赦なく阻む高い石の壁が。


 それゆえこの貧民街で、背筋を伸ばして歩くような輩はほとんど居ない。

 しかし双子に顔を上げるよう優しく教えてくれたのは、その滅多に居ない人種である彼女たちの養母であった。


 数年前のある冬の日。

 寒空の下、空腹で動けなくなった妹のために、イナイは路地から這いずり出て声を上げようとした。

 だが数日、泥水しか口にしてなかった少女にとって、それは至難の業である。


 通りを歩く人々の視線は倒れ伏すイナイに一瞬だけ止まるが、その縞模様の毛並みに気付いた途端、何事もなかったかのように過ぎ去っていく。

 懸命に手を伸ばしながらも、少女は自らの終わりが近付いていることを悟っていた。


 だが自分が力尽きれば、それは同時に妹の死も意味する。

 最後の力を振り絞って顔を持ち上げたイナイは、視界を塞ぐ高い壁を睨みつけた。

 そして誰かの視線に気付く。


 その人物は場違いなほどの白い服をまとい、凛と顔を上げて人混みの向こうからイナイを見つめていた。

 一呼吸の間が空き、女性は驚きを顔に貼り付かせたまま、少女のもとに急いで駆け寄ってくる。

 汚れることを気にも留めず、その美しい女性は泥の上に屈み込んで手を伸ばしてきた。


「ごめんなさい、てっきりもう手遅れかと――イッ、イタタタッ!」


 差し出された養母の手があまりにも白く美しかったので、食べ物に見えたのだとイナイは後ほど語った。

 その後、路地奥で凍死しかけていたナイナも助け出され、そのまま二人はメイハと名乗った女性の子供として引き取られることになる。

 

「うん、大当たりを引いたよな」

「ここぞって時の運は良いの持ってるね、イナイは」

  

 逆の立場だったら二人とも死んでただろうなと、ナイナは改めて思い返す。

 そんなに裕福な暮らしぶりではなかったが、治療院の生活は路地裏とは到底比べ物にならないほど暖かで清潔だった。

 そして何よりも嬉しかったのは、家族が出来たことだ。


 どんな環境でも人間が集まる限り、そこに関係を持ち合う集団は生まれる。

 当然、流れ者ばかりの外街にも、互助的な組織はあちこちにあった。

 いや、弱者だからこそ、群れをつくるのかもしれない。


 しかし、そんな持たざる者が寄り集まる中でも、集団に属せない人間は出てくる。


 禁罪を犯し森を追われた黒長耳族ダークエルフの乙女。

 純血を尊ぶ竜鱗族リザードマンの群れから追い出された混じりものハーフ

 滅びかけの種族ゆえ同族が存在しない、牛鬼ミノタウロスの血を引く二つ角の少女。

 粗野な振る舞いで、かつての仲間からも見捨てられた元探求者シーカーを父に持つ女の子。


 そして悪名高い金虎族の捨て子ゆえ、他の獣眼種の群れに入れなかった双子と。


 大概な経歴の姉たちと暮らす内に、イナイとナイナの内にある感情が芽生え出す。

 それは虎としての習性を持つ少女らが本来は持つことのない、集団への帰属意識であった。


 メイハを中心に形成された群れ――家族という集団の中で食事を皆で分かち合い、同じ寝台で触れながら眠る行為。

 それらはイナイとナイナに、家族の重要性というものを本能的に理解させた。

 同時にその集団を守ることは、彼女たちの行動の根底となる。


 今の家族は兄ちゃんという新たな中心や、強かったり可愛かったりする姉たちが増えたりはしたが、相変わらず双子にとっては大事な群れである。

 だからその家族が困った時に助けることは、至極当たり前でもあった。


 頭を下げて大通りを抜けた双子は、狭い裏道へと入ると音もなく駆け出した。


 路地裏には鼻孔にこびりつくような生活臭や汚水の臭いが立ち込めていた。

 かまどの煙突から漏れる白い煙が、通りの上を斜めに横切って干された洗濯物を燻しながら空へ消えていく。

 せがむような赤子の泣き声と、それをあやす子守の歌声がどこからともなく響いていた。


 そんな薄暗い道を、双子たちは散歩道を歩くかのごとくスイスイと進んでいく。

 軽快な二人の足取りとは逆に路地の道幅はどんどん狭まり、やがて人ひとりでギリギリ通れるほどの細さになる。

 空を塞ぐように伸びる左右の建物と相まって、それはまるで隧道トンネルを思わせた。 

 

 唐突に通路を急ぐ二人の前に、ぽっかりと開けた空間が現れた。 

 そこは立ち並ぶ家々に囲まれた小さな広場だった。

 よく見ると細い通路の出入り口が、家の合間のあちこちに開いている。


 この多数の路地裏が合流する中継場所こそが、双子の目指していた目的地であった。

 複数の集団に仕切られる外街であるが、その縄張りをある程度自由に行き来できる存在がある。


 一つは分け隔てなく住民を癒やしてくれる暗黙の不可侵、メイハ治療院で働く治癒術士ヒーラーたち。

 そしてもう一つは小柄ですばしっこく、どこにでもすぐに潜り込んでしまう悪ガキども。


 小広場に集まっていたのは角が生えていたり独特の瞳孔を持っていたりと、多種多様な姿をした子供たちだった。

 

「む、なんだ、お前ら!」

「見かけない顔だな!」


 家の壁にくっつくように置かれていた大きな古い樽。

 その上に座っていた銀色の三角耳を持つ少年たちが、広間に入ってきた見慣れない二人組を見つけ声を荒げた。


「おい、何、勝手に入ってきて――」


 樽から下りた一人が、二人の少女へ警戒もせず近寄る。

 銀狼族である少年にとって、他の人間なぞ恐れるに足りない相手だった。

 ましてや女である。簡単に取り押さえられるはずだと。


 しかしこの雑多な街の群れに最近加わったばかりの少年たちは、他の種族に対する注意点をちゃんと聞いていなかった。

 獣の眼を持ち、たてがみか縞模様の毛並みを持つ連中には決して近付くなという教えを。


 目にも留まらぬ踏み込みと同時に、イナイの軽く握った手が少年の顔に伸びる。

 露骨に目を狙われた少年は、慌てて顔を背けた。


 しかし鞭のようにしなる指先は、その左目を容赦なく引っ掻いた。

 くぐもった声で叫びながら、思わず頭を下げる少年。


 届く範囲に近付いた少年の三角耳を引っ掴んだ虎娘は、容赦なく斜め下へと手を振り下ろす。

 獣眼種の耳は頭の上部に位置するため、下向きに引っ張られると激しい痛みが生じる。


 たちまち情けない悲鳴が上がった。


「な、何しやが――――えっ?」


 仲間の惨状に樽に座ったまま声を上げた少年は、いつの間にか目の前に少女が立っていることに気付き喉を詰まらせた。

 その少女はつい今しがたまで、離れた場所に居たはずだった。


 一瞬で距離を詰められたことも驚きだが、それ以上に恐怖を覚えたのは動く音や気配が何一つしなかった点だ。

 縞模様の髪を持つ少女は樽の端に立ったまま、無言で少年たちを見下ろしていた。

 その金色の光を放つナイナの視線に、生唾を飲み込んだ銀狼族の子供たちは無言で樽から降りた。


「うんうん、久しぶりだな、この樽」

「待って待って、前はなかったよ、これ」

「え、そうだっけ?」


 瞬く間に小広場を仕切っていた銀狼族への格付けをすませた、外見そっくりな二人に子供たちの視線が集まる。

 その中の一人が、双子の正体に気付き大きな声を上げた。


「あ! イナ姉とナイ姉だ!」

「ホントだ、お帰りなさい! イナ姉」

「ナイ姉、お帰り!」

「お、元気にしてたか? お前ら」

「顔ぶれ、あんまり変わってないね」


 わらわらと寄ってきた子供たちに、樽の上から双子は満面の笑みで応える。


「どこいってたのー?」

「何して遊ぶ?」

「うん? なんかいい匂いする!」

「おう、気付くの早いな」

「そうそう、今日はお土産があるよ」


 ナイナが背負い袋の紐を緩めると、揚げ菓子の匂いが一気に溢れ出した。

 歓声を上げた子供たちは、そのまま樽へ詰めかける。


「ほらほら、並べ並べ」

「一人一個だかんな。貰ったら場所開けて」


 目をまん丸にして見慣れないお菓子を受け取った子供たちは、その匂いの誘惑に耐え切れず次々とかぶりつく。

 広場中に美味しい悲鳴が響き渡った。

 

「ほら、お前らも食え」

「あ、あざっす」

「はい、どうぞ」

「めっちゃ美味いです、姉さん」


 銀狼族の少年たちも、屈託なく話しかけてきた虎娘に耳を伏せながら菓子を受けとる。

 もぐもぐと揚げ菓子に夢中な子供たちを見回しながら、タイミングを見計らったイナイが口を開いた。


「…………実はな、ちょっと探し物してんだ」


 子供たちの注意が集まったのを確認して、ナイナが言葉を引き継ぐ。 



「ねぇ、最近この辺りで怪我人や病人が集まってるような場所、知らないかな?」



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