巣の向こう
悩んでみたものの、脱出方法は直ぐに判明した。
高所から見下ろすと、キラキラと光る足場がそこかしこに浮かんでいたのだ。
「あれって……、ああ、クラゲか!」
横や斜めからではなく真上の角度からの時だけ、クラゲの背中の模様が光って見えるようになっているのか。
クラゲなら先日、ソニッドさんが乗っていたから強度は心配ないな。
数的にも向こうの崖に届くには十分、漂っているようだ。
いきなりの横風が怖いが、慎重に足場を選んでいけば何とかなりそうである。
帰り道はどうにか出来そうなので、試す前に亀裂の奥の情報をちょっとは得ておくか。
そういえば、また犬の置物が――。
その瞬間、またも腕に巻き付いた小さな蛇が身を震わせた。
次いで頭上から、大きな音が近付いてくるとともに足元が暗くなる。
巣の主の帰還を察した僕は、弓を持ち上げながら巣の壁に身を寄せた。
急いで顔を上げた僕の視界に映ったのは、大空からダイブしてきた人影だった。
コマ送りで落ちてきたその人物は、途中で僕に気づいたのか器用に片目をつぶってみせた。
そのまま巣の床に飛び降りると、全く音を立てずに前転して勢いを殺す。
一呼吸遅れて、大きな羽ばたきの音と吹き付ける風が僕を周りを通り過ぎた。
「よう、坊主。元気してたか?」
「ソニッドさん! 来ちゃったんですか?」
声を潜めながらも、陽気に挨拶してきたのは下で別れたばかりのソニッドさんだった。
僕と同じく白羽岩鳥便で、ここまで来たようだ。
「坊主だけに仕事を押し付けるってわけにもいかんだろ。こう見えても、斥候で飯食ってる立場だしな」
「ありがとうございます。来て貰えて助かりました」
「というか、リンちゃんがこれやりたがって大変だったぜ」
「僕が戻るまで我慢してろって、言っておいたんですけどね」
「ふっ、愛されてるな。それで、何か分かったか?」
真面目な口調に戻ったソニッドさんの問い掛けに、分かっている事実を手短に伝える。
巣の奥に進めそうな穴があるが、雛鳥たちがその前に居ること。
元の場所にはクラゲを伝っていけば、どうにか下りれそうなこと。
「あと親鳥は、巣に僕らを投げ込んだら、あとは放置ってことくらいですかね」
「そういや、どっかに飛んで行っちまったな」
「敵意を感じませんでしたから、多分、僕らをここに運ぶ行動のみを迷宮から命じられているんでしょうね」
「つまりこれが第三の関門を突破する仕掛けってことか」
そう言いながらソニッドさんは、眼下に広がる大断絶を手で指し示す。
「普通は絶対に気づかねぇぞ。道理で世襲組も放置なわけだ……」
ソニッドさんの目は、谷底から巣の中、そして僕の方へと戻る。
何かを問いたげにその唇が歪むが、吐き出されたのは深い溜め息だけだった。
「――つくづく厄介だな、この迷宮は」
本当にそう思う。
僕がこの仕組みに気付けたのは、たまたま犬の銅像を持っていたことと、仮に失敗だったとしても巻き戻しが出来る強みがあったからだ。
通常であれば、こんな自殺行為に近い真似をしようなんて思うはずもない。
「何にせよ、関門は無事に抜けれたんだ。切り替えていこうぜ、坊主」
「そうですね。まだ門番っぽいのは残っているみたいですが」
亀裂の前を塞ぐ五羽の雛鳥。
白い綿毛が生え揃ったばかりで、短い手羽を振り回して懸命に鳴き声で空腹を訴えている。
もっともその背丈は僕とほぼ同じであり、突き出された嘴の内側には凶悪な牙が並んでいるのが見えるが。
「倒せねぇことはなさそうだが……」
「やっぱり倒すと不味そうですよね……」
あと一人、盾役あたりに来て貰えれば、割りと余裕で行けそうな相手である。
だが今までのことを考えると、そんな簡単な障害で済むはずもない。
「手を出すと、親鳥が襲ってくるとかでしょうか?」
「むしろアレを倒すと、親鳥がもう運ばなくなるとかじゃねぇか?」
「あ、そっちかもしれませんね」
そう考えると、戦わずにすり抜ける方法が当然ありそうだが――。
「実はソニッドさん、また反応がないんです」
「何がないって、あ、犬っころか?」
「はい、敵意はないみたいですね、あの雛たち」
「いや、ビンビンに感じ取れるぞ、敵意というか食欲だが」
「おかしいですね、ほら持ってみてください」
手渡した犬の置物は、ソニッドさんの手の中でブルブルと身を震わせ始める。
「あれ?!」
返してもらった僕の手の中では、ピクリとも身動ぎしない犬。
「なんでだ?」
「何でですか?」
僕とソニッドさんの違いといえば……。
身長はほぼ一緒だし、体重も変わらないだろう。
もしかして僕より、ソニッドさんの方が美味しそうに見えるとか?
「坊主、ちょっとその背中のを見せてくれるか?」
雛鳥と僕を交互に見比べていたソニッドさんが、急に僕の背中に興味を示してくる。
言われた通り振り向いてみせると、ポンと手を打つ音が聞こえてきた。
「わかったぞ、それだよ、それ。坊主の装備だ」
「装備? あ、追い風のケープ!」
僕の背中を覆っていたのは、白羽岩鳥の羽で作ったケープだった。
まさか、これのせいで仲間だと思われているのか。
「ちょっと試してみてください」
追い風のケープを外し、ソニッドさんに手渡す。
途端に僕の手の平で、青銅の犬がブルブルと振動を始めた。
ケープを身に着けたソニッドさんに手渡すと、犬の震えはピタッと治まる。
「決まりだな」
「ですね。えっと……」
「とりあえず俺が先に行って、様子を見てこよう。しばらく待っていてくれるか」
「はい、それでお願いしますね」
白い羽のケープを纏ったソニッドさんは、スルスルと雛鳥へと近付いていく。
弓を構えた僕は、その姿をじっと見守る。
けたたましい鳴き声を上げていた雛たちだが、近付いてくるソニッドさんを餌とは認識しなかったようだ。
何事もなくその横を通り抜けたソニッドさんは、あっさりと亀裂の奥へ姿を消した。
十分ほどであろうか、亀裂の向こうから見慣れた人影が戻ってくる。
スタスタと歩いてきたソニッドさんの顔には、何とも言えない表情が浮かんでいた。
「どうでした?」
「お、おう。地上に通じてるっちゃ通じてたんだが……」
「何かあったんですか?」
「……生で見た方が早いか。通路は一本道で罠もない。歩いて五分もあれば抜けられるぞ」
説明しながらソニッドさんは、追い風のケープを僕に手渡してくる。
どうも、まだ何かあるようだ。
好奇心半分に不安半分の状態で、僕は巣の出口めがけて歩き出した。
薄暗い地下の通路は、緩やかな上り勾配になっていた。
カンテラを片手に黙々と足を運んで登っていく。
しばらくすると外の光らしきものが、上の方から差し込んでくる。
少し足を早めた僕は、一息に通路を駆け上がった。
通路から首だけ出して、周囲を確認する。
最初に目に飛び込んできたのは、一面を埋め尽くす茶色だった。
穴の周りは広範囲に、地表が剥き出しになっていた。
荒れた大地は、遥か遠くまで続いている。
その持ち上げた視界を、左右二つに分ける存在。
これほどの距離だと、改めてその大きさが鮮烈に思い知らされるな。
荒地をゆっくりと移動していたのは、樹人の上位種、"古樹要塞"だった。
樹が動く度に、その足元から大きな土煙が盛り上がる。
同時にかなりの距離があるにも関わらず、重い地響きが伝わってきた。
圧倒的な存在感を見せる要塞の向こうに、緑の木立とその奥の建造物らしきものが確認できる。
そこから細い煙が上がっているのも。
目的地である緑熊の村は、あの辺りにあるのだろう。
もう一度、辺りを見渡してみた。
うん、遮蔽物とか隠れられそうな場所は皆無だな。
あの馬鹿でかい樹に見つからずに、村に辿り着くのって不可能じゃないかな、これ。