七層第三関門攻略
「で、何が引っ掛かったんだ?」
昨日の飲んだくれとは別人のような鋭い視線のまま、ソニッドさんは訝しげな声を上げた。
どうやら二日酔いは、サリーナ司祭の浄化で綺麗さっぱり治して貰えたようだ。
現在の場所は七層の第二関門奥。
複雑に入り組んだ通路の一本で、僕とソニッドさんの小隊は休憩中だった。
角を曲がった先は、風すさぶ絶壁で行き止まりとなっている。
そこは先日のクラゲを集めての谷渡り作戦で、苦い失敗を味わった場所でもある。
「気になっていたのは、コレですね」
そう言いながら僕が差し出したのは、青銅で出来た犬の置物であった。
臆病な犬の像。
ミミ子の誕生日に、サラサさんとリリさんから頂いた古代工芸品だ。
この耳を伏せた犬には、罠感知と悪意感知の能力があり、銀板級の斥候並に危険を察知してくれるのだ。
「ほう、犬っころか。それなりに便利っちゃ便利だが……」
「はい、抜けがあるんですよね」
感知系の技能といえば、まずは迷宮生物を見つける気配感知。
ついで隠された罠を見つける罠感知。
この二つさえあれば十分だと言われている。
なぜなら悪意感知が反応するのは危害を加えようとする存在だけであり、普段は敵意を持っていない相手には無反応なのである。
分かりやすく言うと、こちらから攻撃を仕掛けないと反応しないモンスターとかは感知しないのだ。
さらに戦闘中に同種のモンスターが加勢してきた場合も、全く気付かないという不便さがある。
それなら最初から気配感知で、周囲のモンスターの配置を把握しておいた方が作戦が立てやすいというのが大きい。
一応、接近しただけで襲ってくる相手が分かるので、使い途があると言えばあるのだが。
さらに僕の場合、永劫なる蛇があらゆる脅威になりそうな変化を、広範囲かつ迅速に察知してくれるので全く出番がないというのもある。
だが今回は、その出番がなかったのが気になったのだ。
「……犬が震えなかったんですよ」
「へっ?」
そうなのだ。
本来なら蛇と一緒に震えているはずの犬が、なぜか身動ぎ一つしなかったのである。
「多分、見てもらった方が早いと思うので」
「って、おい。そっちは――」
「大丈夫、安心して下さい」
「正気か、坊主?!」
通路の端へ歩き出す僕を、ソニッドさんが慌てて制止する。
武器も構えず軽装のまま、危険地帯へ無造作に近付いていくのだ。
気が狂ったと思われても仕方がない。
僕の行動に気づいた盾持のドナッシさんが、即座に雑談を止めて盾を持ち上げると深く腰を落とす。
その肩に手を置いて、リンが首を横に振る。
射手のセルドナさんが構えた弓には、キッシェがさり気なく前に立って射線を遮った。
女の子たちの機敏な反応に察したのか、ソニッドさんたちは臨戦体勢を解いてくれた。
もっともその視線は、物凄く懐疑的であったが。
あと急に周りが会話を止めたので、サリーナさんだけ状況を飲み込めずキョロキョロしていた。
「何があっても、手出しなしでお願いしますね」
もう一度だけ念を押した僕は、まっすぐ前を向いて歩き出す。
絶壁に近付くにつれ、乾燥した風が僕の髪を揺らした。
前にリンとこの暖かい風について、理由を考えていた記憶が残っている。
確かあの時は谷底に熱源があるんじゃって結論で、それはソニッドさんが証明してくれた通りだったな。
その話は上から影が近寄ってきて、途中で終わったままだった。
思い出しながら空を見上げると、今まさに大きな影がこちらへ落ちてくるところだった。
腕に巻きついた細い蛇は、小刻みに震えて警告を発してくれている。
だが腰帯の袋に入った犬は、全く何も知らせてこない。
やはり害意はないということか……。
大きな羽ばたきの音とともに、通路の縁に白い影が降り立つ。
次の瞬間、巨大な顔が目の前を塞いでいた。
この渓谷を縄張りとする迷宮生物――白羽岩鳥の登場だ。
琥珀色の円に縁取られた巨鳥の真っ黒な瞳孔が、瞬きもせず僕を見据える。
同時に丸みを描く嘴の辺りから、むせ返るほどの生臭い臭いが漂ってきた。
背後で誰かの息を呑む音が聞こえたが、僕は構わず両手を軽く上げた。
敵意がないという証明だ。
しばしの間、手を伸ばせば触れられそうな距離で、僕は巨大な鳥の顔とお見合い状態になった。
…………よし、やっぱりこっちが正解だったか。
こいつは、僕らから攻撃しない限り襲ってこない。
長いようで短い時間が過ぎ、不意に巨鳥はその大きな顔を引っ込めた。
一呼吸の後、代わりに通路に突き出されたのは、僕の身の丈ほどもある鳥の足だった。
逃げる間もなく、鉤爪は僕を引っ掴み――。
大鳥はそのまま宙へ飛び立った。
一瞬の内に通路の外へ引っ張り出され、気がつくと僕は宙を飛んでいた。
空気が轟々と耳の周りで渦巻き、視界が一気に流れていく。
それに合わせて言葉にしにくい感触が、腹の底から浮き上がってきた。
何とか風に逆らって顔を下に向けると、僕が居た通路の穴から皆が顔を突き出しているのが見えた。
全員、見事に揃って口を大きく開けている。
余裕が出てきたので手を振ってみると、ソニッドさんが怒りの表情を浮かべながら腕をぐるぐるを回して応えてくれた。
そんな景色もあっという間に遠ざかっていく。
時間にして岩鳥による空中移動は、だいたい二分ほどだったと思う。
向かい側の崖がみるみる近付いてくるのを感じていたら、いきなり僕を掴んでいた拘束から解放された。
勢いのまま手放された僕は、固い何かの上で数回弾んでからようやく止まる。
解放される寸前に僕の眼に映っていたのは、崖の出っ張りに集められた茶色い山だった。
それはどうやら枯れ木や蔦が絡み合って出来た鳥の巣のようだった。
無事、向こう岸にある岩鳥の巣に到着出来た僕は、小さく安堵の息を漏らした。
ゴツゴツと枝が突き出して歩き難い巣の奥の壁には、ひっそりと開いた亀裂らしいものが見える。
多分、あそこが脱出口なのだろう。
だがその通路に辿り着くには、大きな問題があった。
巣の奥で立ち並ぶ灰色の小岩のような存在。
それは僕の背丈を軽く追い抜かすほどの、巨大な雛鳥たちだった。
うん、考えてみたらここは鳥の巣なんだし、当たり前のことなんだけどね。
白羽岩鳥の雛たちは、凶悪な嘴を振り回しながら口々に耳障りな鳴き声を上げている。
思わず他に抜け道はないかと見回してみたが、断崖絶壁のこの場所にそんなモノはあるはずもなく。
ふと気になった僕は、背後を振り返り巣の下を覗き込んでみた。
そこには見えたのは、無情にもポッカリと開けた空間だった。
僕が元いた通路らしき場所は、遥か下の方に小さく見える。
改めて深い谷を見下ろしながら、僕は思わず呟いてしまった。
「これ、……………………どうやって戻るんだ?」