お肉祭り 後編
見慣れた自分の家の庭に屋台がデンと据えてあるのは、不思議だけど何だか心躍る景色でもある。
やや胸焼けしそうなほど甘い菓子の香りに誘われて、僕は屋台に群がるちびっ子たちの背後からそっと覗き込んでみた。
「おっちゃん、これ美味しすぎてヤバいよ!」
「そうか、どれだ?」
「このめっちゃ甘くて黒いのがかかった奴!」
「イナイ、こっちの白い泡々のもヤバい!」
「それは手間がかかってるからね。中々分かってるじゃない」
「愛しいローザ、吾輩には是非、その粉砂糖のかかった奴を――」
「アンタは食い過ぎだよ。そろそろ遠慮しときな」
大盛況の屋台を切り盛りしているのは、石鬼のドントルさんである。
今日のために、わざわざ屋台ごと出張ってくれたのだ。
そして揚げ立ての玉菓子に、腕を奮ってデコレーションしてくれているのはローザさんだった。
普段はダプタさんと組んで迷宮で活躍されてる彼女だが、実は迷宮堂という甘味処の経営者でもある。
お二人とも白いエプロン姿で、せっせと美味しそうなお菓子を仕上げてくれていた。
ところでイナイとナイナの双子にダプタさんって、さっきまでお肉のとこに群がってなかったっけ?
何か夢中で揚げ玉菓子を頬張っているので、頬袋をパンパンにしたリスのような顔になってしまっているな。
「ドントルさん、ご苦労様です。とてもいい匂いしてますね」
「うむ、一つどうだ?」
「ありがとうございます。頂きますね」
無地のやつを一つ摘んでかじってみた。
まだ指先にじんわりと熱が伝わってくる揚げ立ての生地は、サクサクとした心地よい歯応えだ。
噛みしめると甘い油の香りとともに、酸味のよく効いた味わいが口の中に一息に広がった。
前に頂いた時はちょっと甘味がクドいなと思ったが、これはサッパリ控え目といった風で凄く食べやすい。
とか考えているうちに、食べ終わってるくらいだし。
「どうだ? ナナシの旦那」
「生地を変えたんですか? 爽やかな感じで凄く美味しいです」
「ああ、塩みかんの汁を練り込んでみたんだが」
なるほど、酸っぱさがちょうど良い感じに甘味を緩和してるのか。
「文句なしです。僕はこっちのほうが気に入りましたよ」
「そうか。それは良かった」
ドントルさんはそれ以上は何も語らず、黙々と手元に集中し始めてしまった。
この工夫ってもしかして、前に散歩の途中ででご馳走になった時に、味にもっと種類があればってミミ子が言っていたせいなのか。
だが答えを聞くのも野暮な気がして、僕は小さく頭を下げるだけにしておいた。
そういえば肝心の言い出しっぺはと見回すと、屋台の横にある小さなテーブルでもぐもぐと気怠そうに揚げ玉菓子を味わっていた。
今日のミミ子は朝一でリリさんに捕まって、特別な御めかしをされたようだ。
近付いてみると、納得がいく可愛さだった。
真っ白な髪は丁寧に細かく編み込まれ、飛び出した三角耳を際立出せるように、頭の横から後頭部にかけてボリュームが付けてある。
服装も薄緑色のピッタリとしたワンピース姿なのだが、お尻の部分だけがいつもとはちょっと違っていた。
四本の尻尾までが、綺麗に組み合わされていたのだ。
それはまさにミミ子の背中に、大輪の花が咲いているかのように見えた。
「窮屈じゃないのか? その尻尾」
「べつに~」
「そうか。なんか凄く可愛いな、それ」
僕の何気ない褒め言葉に、ミミ子は半分閉じかけていた瞼をスッと持ち上げた。
それから食べかけのお菓子をゴックンと飲み込むと、目を細めて口元を緩ませた。
「もしかして、惚れ直した~?」
「うーん、それはないな」
「ぶ~。最近、ゴー様、私の扱いぞんざいじゃない」
「なんじゃ、痴話喧嘩か? 相変わらずイチャついとるのう」
いきなり会話に割り込んできたのは、ミミ子の横でお菓子に夢中になっていたサリーちゃんだった。
いつもは真っ直ぐに垂らした黒髪が、今日は綺麗に結い上げられてお団子結びになっている。
多分、ミミ子と一緒でリリさんに捕まった口だろう。
髪型を変えたせいなのか、薄衣の黒いレースを重ねたドレスも相まって、いつもよりか幾分大人びて見える。
「こんにちは、サリーちゃん。楽しんでる?」
「うむ、肉も美味かったが、この菓子もやはり美味いのう。お主にしては上出来じゃ」
「いえいえ、どういたしまして」
ちらりと僕の表情を窺ったサリーちゃんだが、またも手に持ったお菓子に小さな口をいっぱいに開けてかじりついた。
そして一口呑み込んだ後、思い出したように言葉を続ける。
「そうそう、邪魔して悪かったのう。ほら、さっきのを続けるが良い」
「さっきって、惚れ直したとかの? いや、そんな大した話じゃ――」
「お、ナナシ。今日は呼んでくれて嬉しいよ。こんなに楽しいのは、久しぶりだね」
「それは何よりです、ローザさん。というか、色々持ってきて頂いたようで、こちらこそお礼を言わせて下さい」
「ああ、良いよ良いよ。気にしないでおくれ」
そう言いながらローザさんは、チョコレートがたっぷりかかった揚げ玉菓子を、同じテーブルに居たコネットちゃんのお皿にそっと置いた。
パチパチと瞬きした少女はパクリとお菓子を咥えると、大きく目尻を下げる。
女の子って本当に甘い物が好きなんだな。
コネットちゃんの横では、マリちゃんが耳の羽をパタパタと揺らしながら、同じように生クリームがたっぷりかかった玉菓子に懸命にかぶり付いている。
熱心なあまり自分の髪の毛まで食べそうになって、付き添いのペコちゃんがそっと指で取ってくれているのだが、それさえも気付かない有り様だ。
普段の食卓じゃお菓子を食べ過ぎないよう、メイハさんが厳しく監督してるしな。
子供たちを見つめるローザさんの眼差しは、迷宮内の姿とは別人のように柔らかい。
何だか僕までつられて、ニコニコしてしまった。
「ほっほ。吾輩の愛しきローザは、実は子供が大好きなのですぞ、ナナシ殿」
「よ、余計になこと言うんじゃないよ。アンタ!」
「今更、取り繕っても手遅れですぞ。それに吾輩は、そんなローザの有り余る魅力をこの機会にぜ――」
そこでローザさんの太い腕が伸び、ダプタさんの喉をグイッと一掴みする。
「これ以上、たわ言を喋るんじゃないよ」
片手でダプタさんを持ち上げたまま、どこかへ立ち去ろうとするローザさんだが、その前に小柄な二つの影が立ち塞がった。
「待って待って。おっちゃん、連れて行かないで」
「おっちゃんだって、悪気はないんだよ。ね、許してあげて」
急に現れた双子は、揚げ玉菓子を手に持ったままローザさんを説得に掛かる。
訝しげな表情を浮かべたローザさんだが、双子の拳を口元に寄せるお願いポーズに渋々といった感じでダプタさんを開放した。
「この子たちに感謝しときな」
「グッゴホッ。相変わらずローザの愛は過激すぎて、グフッ、吾輩の喉、いや胸から色々と溢れそうになりましたぞ」
顔をピンク色に染めながらも軽口を叩いてみせたグプタさんは、僕に向かってこっそり斜視の右目をグルっと回してみせる。
そして不意に顔を寄せてきたかと思うと、いきなり真面目な口調に戻る。
「本日はこの不肖な道化師めをお呼びいただき、大変感謝いたしますぞ、ナナシ殿」
道化師?
一体、何の話だろう。
「つきましては、後ほど少しばかり相談したい儀がございまして、お時間を都合して頂きたいのです」
「えっと、分かりました」
「それと出来れば、リン様とサラサ様も御同席をお願いしたいのですが」
「はい、二人も呼んでおきますね」
僕の返答にダプタさんは静かに息を吐くと、軽く会釈をしてそのままローザさんの後を追いかけていった。
うーん、十中八九、弓の取引絡みの話だろうとは思うんだけど、普段とは雰囲気が違い過ぎていたような。
首を捻りながらテーブルに戻ると、イナイとナイナがそれぞれ右目と左目でウインクしてくる。
サリーちゃんも不自然なほど視線を逸しているし、ミミ子は……いつも通りだな。
何かを企んでいるようにも思えるが、皆目検討がつかない。
ま、良いか。何かあっても、巻き戻せば良いし。
「それじゃ、僕は他のとこ回ってくるぞ」
「いってら~」
「お別れのチュウはせんのか?」
「しませんよ。ああ、それと惚れ直さないって言ったのは、僕はずっとミミ子に惚れっぱなしで、いまさら直らないって意味だからな」
勘違いしてるかもと思い、一応訂正していく。
僕の返事にミミ子はいつもの極上の笑みを浮かべた後、短く一言だけ添えた。
「うん、分かってるよ、ゴー様」
だろうと思ったよ。
わざと言わせやがったな、この狐っ子め。
さて、次はどこに行こうかな。
そうそう、主賓にもそろそろ挨拶しないと不味いか。
ニニさんを探すと、藤棚の下のテーブルに腰掛けているのが見えた。
同席者のソニッドさんとニドウさんのコンビは、杯を握ったままぐったりと打っ伏してしまっている。
あら、遅かったか。
「こんにちは、ニニさん。ご機嫌はすこぶる良いみたいですね」
「ああ、主殿。楽しい宴だと語りたいが、同席者がこの有り様ではな」
「流石は『鉄壁』だな。飲み比べでも隙なしとは……」
「俺はもうダメだ……。すっかり歳食っちまったぜ」
よく見ればニニさんの足元には、空になった火酒の樽がきれいに並べられていた。
飲み終わった後にも整頓を欠かさないのは、秩序を好む護法士らしいと言えばらしいか。
今日のニニさんはいつぞや見たことがある、深いスリットの入った藍色のドレス姿だった。
軽く足を組んでいるので、引き締まった太腿が大胆に覗いている。
対してソニッドさんとニドウさんは、白い麻の半袖シャツにゆったり目の茶色のズボンと休日のおじさんらしい身なりである。
一応、胸元や袖から覗く筋肉から只者ではないと分かるが、この都市の憧れである金板所持者にはちっとも見えない。
「ソニッドさんは昨日、凄く頑張ってましたから、きっとまだ疲れが取れてないんですよ」
「下手な慰めはよしてくれ。昔はもっと飲めたんだ……」
テーブルで顔を隠したまま、ソニッドさんは愚痴を呟く。
ちょっと面倒くさいな。
「そいや聞いたぜ。飛竜が出たんだってな」
「ええ、出ましたよ。やっぱり七層は厳しいですね」
大断絶の谷底から現れてソニッドさんを燃やした飛竜だが、あれから数回巻き戻して色々と試してみたのだ。
結果、分かったのは、あの谷でクラゲを一定数集めると、飛竜が必ず上がってくること。
そして丹念にクラゲを焼き尽くしたあと、胞子が出てきた通路にまで火炎の息を吹き込んで回ること。
飛竜が去った後にクラゲは一匹も残っておらず、すぐに橋は作れない。
上部の穴から攻撃を仕掛けてもみたが、飛竜はこっちを意にも介さずひたすらクラゲに夢中だった。
そこで同時に二箇所でクラゲを集めようともしたが、元からそんなに数がいなかったせいで失敗と。
結論を言わせてもらうと、あのクラゲ橋は完全に罠であるとしか。
「よく一日で、そこまで分かったな」
「坊主がいなきゃヤバかったぜ。あの的確な指示がなかったら、俺は何回、丸焼きになってたことか」
えーと、四回ですね。
ご苦労様でした。
「そんなわけで、第三関門の攻略は振り出しに戻ったってことになる」
杯を傾けながら、ソニッドさんは酒臭い溜め息を吐いてみせた。
「第三関門に関しては、上位家の連中の口が恐ろしく固くてな……。俺の方でもお手上げに近い」
頷いたニドウさんも、一息に杯を呷る。
「それは困った話だな」
平然とした口調のまま、ニニさんが静かに杯を飲み干す。
深刻な状況だと言うのに、酒を飲む手は全く止まっていない。
本当に酔っ払いってのは始末におえないな。
「主殿、私が出ようか?」
呆れた視線に気付いたのか、杯を置いたニニさんが問い掛けるように僕を見つめてきた。
確かに耐火装備で固めたニニさんが、地壁を併用すれば勝機はあるかもしれない。
だがその前に、一つ試してみたいことがあった。
「いえ、先に確認したい点があるので、それからでお願いしますね」
「そうか。やはり主殿は頼りになるな」
「そこら辺の話は後日にでも。今日は宴会を楽しむ方を優先しましょうか」
「そうだな。おじさんもその意見には賛成だ」
「よし、もうちょっと腹に何か入れてから、再戦に挑むとするか!」
ソニッドさんとニドウさんは勢いよく立ち上がると、僕の両肩にそれぞれ軽く手を置いてから歩き去っていった。
残された僕は、長身の美女と二人きりで向き合う形となる。
そうか、忘れそうになってたけど、今日はニニさんが我が家に来て一年目のお祝いだった。
「この一年、長いようであっという間でしたね」
「私にとっては、素晴らしい一年だったよ」
「僕にとってもですよ」
珍しくテーブルに頬杖をついたニニさんは、柔かな視線を向けてきた。
しばらくそのまま見つめ合った僕たちだが、不意に目を伏せたニニさんが腕を伸ばして僕の手を優しく握ってきた。
「君のおかげで、私は歩む道の先を変えることが出来た。とても感謝している」
「僕もニニさんのおかげで、色々と変われましたよ」
「それはなによりだ。願うことなら、これから先も同じ道をともに歩んでいきたいと、私は強く願っている」
「はい、喜んで」
僕の返事にニニさんは顔を上げると、嬉しそうにグッと体を乗り出してきた。
そのせいで大きく開いた胸元から、形の良い谷間が僕の眼に飛込んでくる。
「それとだな、主殿」
「はい、何でしょう?」
「大鬼族の因習では、嫁に行った娘は二年の内に子を為さないと、縁を切られてしまうのだよ」
「えっ、えっと、そうなんですか?」
「あと一年の猶予だが、よろしく頼むぞ、主殿」
そう言って大鬼の女性は怪しく赤い瞳を輝かせると、僕の手にしっかりと指を絡めてきたのだった。