お肉祭り 前編
「ようっす、これも良かったら食ってくれ。今朝、魚市場で選んできた大巻の稚貝だ」
「ありがとうございます、ドナッシさん。おーい、リン」
「はーい、どうしました? あ、ドナッシ先輩、こんにちはです」
「よう、リンちゃん。これ、バターのせて焼くだけでめちゃウマだぜ」
「こんにちは、ナナシ君、リンさん」
「こんにちは! お兄さん、お姉さん」
「いらっしゃいませ、サリーナさん、ペコちゃん」
手土産をぶら下げたドナッシさんの今日の格好は、こざっぱりとした薄青色の麻のシャツと灰色のハーフパンツで、盾持らしさの欠片もない軽装だ。
対して横に並ぶサリーナさんは、きっちりと襟元を黒いリボンで留めた七分丈のブラウスに紺色のロングパンツと隙のない格好をしている。
そしてなぜかドナッシさんの妹のペコちゃんは、可愛らしいエプロンドレスを身に纏っていた。
僕の視線に気付いた少女はペコリと頭を下げると、笑みを浮かべてこう言い放った。
「なにか、お手伝いすることはありませんか?」
「ええっ?!」
うわ、この子、なんて良い子なんだ。
最近、外に出歩いてばっかりのイナイとナイナの双子に、お手本として見せてやりたいよ。
「ありがとうね、でも準備は粗方終わっちゃってるから大丈夫ですよ。ゆっくり楽しんでね」
「はーい、お姉さん。あっ!」
素直な返事をしたペコちゃんだが、リンの後ろからぴょこっと顔を出した羽耳族の少女を見て驚きの声を上げた。
「わわわっ! 凄くかわいい!」
褒められたことが分かったのか、我が家のアイドルであるマリちゃんは、リンの足にしがみついたままニッコリと微笑んだ。
ペコちゃんが両手を広げると、とたとたと走り寄ってギュッと抱きつく。
「こんにちは! お名前なんていうの?」
「マリ!」
「よろしくね、マリちゃん。私はペコっていうの」
「そうだ、ペコちゃん。良かったらこの子の面倒見てくれないかな? 今日はお客さんが多いせいで、はしゃいじゃって大変なの」
「はーい、いこ。マリちゃん」
「うん、いくー!」
リンの提案に頷いたペコちゃんは、マリちゃんの手を引いて僕が案内する前に歩き出す。
まあ、お肉の焼ける匂いと騒がしい声が聞こえて来るからね。
玄関には入らず家の横をぐるっと回り込んだ先、中庭ではすでに宴が始まっていた。
庭の中央では大きな焜炉の中で赤炭石が燃え盛り、上に置かれた鉄の網を万遍なく熱している。
その横に設えてあるのは、逆さ吊りになった大きな牛の塊肉だ。
何でも独特の乾燥法で、たっぷり二ヶ月ほど寝かせた逸品らしい。
やや特殊な匂いを漂わせていたのだが、このお肉、網で炙った途端、別物のような香りと味を発揮したのだ。
表面はカリカリの焦げ目がつくほどに焼いてあるのだが、内側は赤みが残っていて歯で簡単に噛み切れるほど柔らかい。
しかも噛んだ瞬間、肉汁が溢れ出てくるのだが、これがまた旨い。
さらにもぐもぐと頬張ってると、口の中いっぱい旨味が溢れてきて、もうずっと噛んでいたい気持ちになる。
ああ、今、肉食べてるなって満足度が凄いのだ。いや、ホントに美味しいよ、このお肉。
一度、網で丁寧に焼き上げた後、横の皿に乗せて余熱で中まで火を通しているのだが、その台の周りには齧り付くように人が群がっている。
出張シェフであるウードさんの、食べ頃の合図を今か今かと待ち構えているのだ。
「ご苦労様です、ウードさん。とても美味しいお肉、本当にありがとうございます。人気凄いですね……」
「ブフゥ、ナナシの旦那、こんだけ喜んで頂けると、奮発した甲斐があるってもんですよ」
白い前掛けをつけたウードさんは、奥さんであるアーダさんと同じ豚鬼族の男性だ。
膝を悪くして探求者を引退したと聞いたが、さもありなんと頷ける胴回りの太さをしている。
だがかつてはアーダさんと肩を並べて、迷宮のモンスターどもを切り刻んでいた短剣の使い手だ。
今も鮮やかな手並みで、焼きあがった肉を切り分けてくれている。
「ほら、焼き上がったよ」
「おっちゃん、はよはよ!」
「待って待って、イナイ。次はこっちのソースに漬けてみようよ!」
「ほっほ、吾輩にも皿を回して頂けませんか、愛らしいお嬢さん方」
「ダプタさん、ちょっと食い過ぎだって。ここは可愛い後輩に譲っておこうよ」
「そういうセルドナ殿も、三皿目ではござらんか。もう十分に召し上がったと思われますぞ」
「焼き上がったかい? なら姉御に一皿貰っていくよ、アンタ」
ぐいっと伸ばした太い手で、混沌渦巻くお肉の奪い合いから一皿かっさらったのは、今や鬼人会を代表する盾の持ち手アーダさんだ。
今日はご夫婦で宴会のお手伝いに来て頂いたので、アーダさんの格好はメイド服だった。
あらゆる部分がはち切れそうなのだが、ご本人が楽しそうなので僕としてはノーコメントで通させて貰おう。
そのうち資金が溜まったら、ステーキ専門店を開くのがお二人の夢なんだそうだ。
探求者の開業は上手くいった例は少ないが、僕としては力一杯応援したいと思ってる。
「この頂いた貝、洗ってきますね。隊長殿」
「じゃあ僕は飲み物が行き渡ってるか見てくるよ、お二人ともごゆっくりしていって下さいね」
早速、肉に突撃するドナッシさんと、呆れつつも付いていくサリーナさんを見送ってから台所に戻る。
洗い物が山と積まれたテーブルの向こうで、半袖シャツ姿の男性二人が談笑しながら皿を洗う姿が見えた。
「四年前の暫定王者決定戦、覚えてる? グッさん」
「ああ、先代の引退の時のか。追い詰められたと思ったライエン側が、そこから見事に勝負をひっくり返した伝説の一戦だな。あれは本当に熱かった」
「そうそう。俺、あの試合に感動して闘技場に通うようになったんだぜ」
「俺も実はあの試合、かなり好きなんだよな。負けた方のオンカ家の連中がいけ好かない奴ばかりでな」
「ほほう、それは是非とも聞かせて欲しい話だな」
楽しそうに語り合ってるのは、気さくなモヒカン戦士のグルメッシュと、ミラディール家の騎士を務めるグーノさんだ。
この間、水玉龍の歓楽酒場で意気投合してたと思ったら、今は随分と仲良くなったようで、たまに二人で闘技場や飲み屋に出かけているらしい。
気難しく口の悪いグーノさんだが、ズケズケと本音で話すグルメッシュとは妙に馬が合うのか、今日も一緒に行動しているようだ。
本日のグルメッシュは一応手伝いとしての参加なので皿洗いを申し出てくれたのだが、それに律儀に付き合って上げるグーノさんの様子を見るに、二人の友情は中々に良好だと思える。
話に花を咲かせる二人の邪魔をしないように、そっと地下倉庫に降りて葡萄酒の瓶を数本選ぶ。
銘柄とかはよく知らないが、ニニさんがいつの間にか置いていたものだ。
中庭に戻った僕が最初に向かったのは、黒いローブ姿の人たちが熱心に語り合うベンチだった。
「やはり素晴らしいの一言ですな。暗影布の手袋は」
「ええ、使ってみて、始めて師匠のお言葉が深く理解できましたぞ。これまでの連紋構成は魔力消耗効率を中心に据えて組み立てておったのだが、複製呪紋があるとより大胆な組み合わせにも挑戦できるのう」
「はい、尊師の語る相乗呪の展開研究こそが、今後の我らの命題だと思えるのですよ、ラドーン殿」
人が変わったように夢中で喋っているのは、ミラディール家の小隊長レジルさんである。
先日お渡した暗影布の手袋が早々に出来上がった嬉しさを、兄弟子に当たるラドーンさんと語りたくて仕方がないようだ。
対するラドーンさんは顔を綻ばせながら、穏やかな論調で応じている。
隣に腰掛けるモルムもお肉をゆっくり噛み締めながら、二人の会話に耳を傾けつつ時折静かに相槌を打っていた。
そんな魔術士三人組を見守っているのは、ミラディール家所属の治癒術士のミーシャさんだ。
確かレジルさんの婚約者でもあり、落ち着いた雰囲気をお持ちの人なのだが、今まで機会がなくて直接会話したことは一度もない。
所属教会もメイハさんたちとは違って祓滅系がメインの宗派らしく、接点というものが全く思いつけず避けていたせいもある。
僕が近付いたことに気付いた祭服姿のミーシャさんは、滑るように立ち上がり優雅に頭を下げてきた。
「本日はお招き頂きありがとうございます、ナナシ様。いつもレジルがお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ。わざわざおいで下さって、ありがとうございます。心ばかりのもてなしですが、存分に楽しんでいって下さい」
「はい、もう十分に。あら、それは?」
「そろそろお飲み物がなくなる頃かと思いまして」
「……ゲラドール産の二十年物ですが。ありがたく頂戴します」
僕から瓶ごと受け取ったミーシャさんは、手際よくコルクを抜いて匂いを確認すると黙って首を縦に振った。
そして杯の半分まで注いでから、軽く回しつつ陽の光に掲げる。
色合いに満足したのか、唇を付けて軽く一口目を含んだまま眉を寄せるミーシャさん。
それから深々と頷くと、薄っすらと唇の端を持ち上げてみせた。
喜んで頂けたようなので、軽く頭を下げて次の場所へと移動する。
ミーシャさんはもう僕の方を見ることもなく、黙々と杯を傾けていた。
サラダを盛り付けたテーブルを囲んでいるのは、お肉にあまり興味がない女性陣だ。
正直、近付くには少し勇気が要ったが、ホストとして無視する訳にはいかない。
「こんにちは、楽しんでいただけてますか?」
「あっ、君が噂のメイハの良い人か! 初めまして、クリリですよ」
一見するとモルムよりも年下に見えそうなこの女性は、メイハさんの幼馴染なんだそうだ。
そういえば、メイハさんのお母さんも滅茶苦茶若く見えたな。
うん、創世教の恐ろしさを垣間見た気がする。
もっともクリリさんの場合は市松模様のノースリーブのワンピース姿と、歳相応ではないが見た目相応な愛らしい格好をしているせいもあるか。
「もう、いきなり何を言ってるのよ」
薄く頬を染める今日のメイハさんは、胸ぐりがかなり深い灰色のニット姿だ。
全身がぴったりと浮かび上がって、横に並ぶクリリさんとは実に対照的でもある。
この二人の年齢が近いと言われても、簡単に信じる人は居ないだろうな。
ややどうでも良い話だが、治癒術士さんたちはプライベートではあまり白い服は着ないらしい。
白衣の祭服は彼女たちの仕事着であり目印でもあるせいで、普段は逆にそれ以外を身に着けたくなるのだそうだ。
「何をお話中だったんですか? 随分と楽しそうでしたけど」
「あ、もしかして興味ある? みんなにも良かったらどうぞって勧めてたんだけどね」
渡された名刺には、リリムメイド療養院という名と住所が地図付きで記されていた。
治療院? あまり僕には縁がなさそうな場所だが。
「クリリの勤めている療養院は、そのね、女性のお肌を綺麗にする専門なのよ」
「最近は男性向き祝施も始めようかって話が出てるの。良かったら是非、来てちょうだいね、彼氏くん」
「そうなんですか。でも皆さん、とても綺麗なのに必要あるんですか?」
僕の何気ない発言に、テーブルの向かい側にいたリリさんとキッシェが目を見合わせてから小さく微笑んだ。
今日の二人はそれぞれ色あしらいが逆になった服装をしていて、仲の良い姉妹のように見える。
リリさんは煉瓦色のワンピースに、スリムな黒革のジャケット。
キッシェは黒いピッチリした革製のドレスに、赤茶色のカーディガンを合わせている。
「え、そんな可笑しいこと言ったっけ?」
「いえ、旦那様は少々、過剰な評価をなされているかと」
「さらっと綺麗って言われて悪い気はしませんけどね」
「ふーん、意外とオモテになるようですな。良いの? メイハ、そんなのん気に構えてて」
「もう、そうやって直ぐにからかうんだから、クリリは」
さざめくように笑い声を上げた女性たちだが、一人だけニコリともしない人物がいた。
ミラディール家の主盾を務めるセドリーナさんだ。
僕がこのテーブルに来てから、存在自体しないもののように露骨に視線を外している。
以前少しだけ革手袋のお店で会話したことがあるが、セドリーナさんは無愛想というか女性のみに優しい人という印象だ。
正直、僕が思い描いていた女性騎士とは、凛々しいという点だけは凄く合ってはいたのだが。
まあこれから七層を共に攻略する仲だし、ここは良い機会だと思って仲良くなれるよう努力しておくか。
「セドリーナさんは、興味がないんですか?」
場に引き込むための僕の発言に、セドリーナさんは心底面倒そうな視線を投げかけてきた。
そして大仰に溜息をつくと、仕方がないといった顔でようやく口を開いてくれた。
「私か? 興味があったとしても、私には必要ないだろう」
「そうですよね。セドリーナさんも十分にお綺麗ですし」
僕の返しに愚か者を眺めるような表情を浮かべたセドリーナさんだが、援護は意外なところから現れた。
「うんうん、セドちゃん、可愛いんだからもっと女らしさを磨くべきやと思うよ」
「こんにちは、サラサさん」
「はい、こんにちは。あら、クリリさん、先日は母がお世話になりまして」
「これはオーリン家のお嬢さん。お会い出来て光栄です」
急に営業モードになるクリリさんだが、見た目が子供っぽいので違和感が半端ない。
しかしサラサさんて、実は良家のお嬢さんだという噂は本当だったんだな。
今日は白いカットソーに綾織り生地のロングパンツと、御令嬢らしさは欠片もないラフな身なりだが。
「セドちゃん、スカートとか履かへんの? スタイル良いし、すっごく似合うと思うんやけど」
「え? いえ私は――」
確かに本日のセドリーナさんは上下がお揃いの制服のような服装なのだが、スラリとした足の長さは隠しきれていない。
「うん、私もそれちょっと思ってました」
「そうね。もっと色々冒険しても良いんじゃない、若いんだから」
いや、メイハさんも十分にお若いですよ。
「良かったら、私の部屋で服の交換してみますか?」
「それならちょうど良いし、私も軽くお肌のお手入れしてあげよっか?」
「え、良いんですか?」
「だから、私は結構で――」
「まぁまぁ。只でやって貰えるなら大儲けやん。ここは遠慮せんと、さ、行こ行こ」
サラサさんに背中を無理やり押されながら、セドリーナさんは僕にきつい眼差しを向けてきた。
その目は余計なことを言い出したお前が何とかしろと、雄弁に物語っていた。
だがすでに事態は、僕では手に負えない段階まで進んでしまっていた
と言うか女の子たちと同棲しだしてから、僕は多くを学んだのだ。
こういう状況では、逆らったほうが余計に拗れると。
僕は心の中で敬礼しながら、唖然としたまま連れて行かれるセドリーナさんを見送った。
そして何事もなかったように、中庭を見回して新たな行き先を探す。
よし、次はあの甘ったるい匂いがする屋台へ行くとしますか。
大巻―大巻貝。海辺に生息する体長30センチを超える貝。成長しきっていない10センチ程度の貝が食用にされる