ジャングル探検な日々
日差しの眩しさに目を細めつつ、青みが増していく空を見上げる今日この頃。
僕は相変わらず無機質な発光石の光の下で、汗と泥にまみれながら迷宮を駆けずり回っていた。
濃厚な緑に覆われた密林は季節感なぞ完全に無視しており、本日も茹だるように暑い。
額から滴る汗が目に入りそうになって、僕は静かに瞬きした。
汗止めと虫除けを兼ねた白花水を肌へ吹きかけてあるのだが、効果が切れ始めているようだ。
そろそろ休憩する頃合いかなと思いつつ、狙いを絞りきった矢をひょいと放つ。
耳障りな羽音が響き、的を外した矢は樹々の奥へと飛び去った。
「ああ、もう!」
舌打ちする間もなく、衝撃が僕の肩と胸を続けざまに襲う。
さらによろけた僕の顔めがけて、黄色い影が一直線に向かってくる。
気がつくと手が動き、弦が震えていた。
さっくりと矢が突き抜けた飛行体は、不快な羽音を僕の耳奥に残したまま消えさる。
そして一呼吸遅れて、顔面を狙われた恐怖がぶわりと首筋に走った。
咄嗟に腕を持ち上げかけて、その手がすでに矢を放ち終えていた事実に気付き荒く息を吐く。
「お見事です、旦那様」
「今のは完全に無意識だよ。……うーん、どうやったら使いこなせるようになるのかさっぱりだ」
「主様、じっとしてて下さいね」
思い悩む僕のそばへ、イリージュさんがそっと近寄ってくる。
その細い手に握られているのは、長い毛抜きであった。
鈍色の器具を見た瞬間、僕の肩に耐え難い痒みと痛みが襲ってくる。
「うっ、貫通してたのか」
「すぐに済ませますので、少しだけお待ちいただけますか」
そう言いながら黒長耳族のお姉さんは、手早く毛抜きを動かして僕の肩から白い何かを次々と取り去る。
地面にぽいぽいと捨てられたソレ――白い蛆虫たちは、イリージュさんの足で容赦なく踏みにじられた。
全ての生命を尊ぶ創世の使徒の教えよりも、僕を害する罪のほうが勝っているらしい。
「お加減はどうですか? 主様」
「もう大丈夫。ありがとう、イリージュ」
肌を癒す秘跡、癒手を掛けてもらった僕の肩からは、先ほどまでの痛痒感は嘘のように消え失せていた。
ほんのりと甘い汗の匂いを放ちながら、はにかむ黒肌の美女の姿に少しだけ見惚れたあと意識を空へ向ける。
天井の発光石の輝きから見るに、ちょうど午後三時過ぎあたりか。
「よし、地下に戻って一息入れるか。今日はもうあと一往復やっておきたいな」
「わっかりました、隊長殿」
「先行しますね、旦那様」
体の周囲に数滴の水球を浮かべたキッシェが、足音を消したまま前に出る。
以前に水源を探すのに使った水探だが、キッシェの使役精霊量が増えたおかげで、今では接近するモンスターの体液を確実に察知できるほどに精度が上がっていた。
「ガウガウ!」
僕らの動きに気づいた熊たちが、慌てた様子で御輿に飛びついて持ち上げる。
その揺れで、御輿の上で惰眠を貪っていた狐っ子が起き上がって大きく伸びをした。
「ふぁあぁ~、おやつの時間?」
「地下に戻ってからな」
「ほ~い。着いたら起こしてね~」
「ガウ!」
えっほえっほと掛け声が聞こえてきそうな足取りで、緑熊たちはミミ子を乗せた御輿を担ぎ上げて僕らと一緒に歩き出した。
▲▽▲▽▲
ソニッドさんたちと七層へ出向いてから、すでに一ヶ月が経過していた。
そしてその間、僕は女の子たちとひたすら密林でモンスターを駆逐していた。
前回の合同探索では、色々と貴重な情報を得ることが出来た。
七層での取引は世襲組が仕切っており、先へ進もうとすれば妨害行為にあうこと。
密林と地下には謎の小熊たちが住み着いており、モンスターの素材は彼らが召し上げてしまうこと。
そして途轍もなく厄介な名前付きの上位モンスターが、遥か彼方から攻撃してくること。
それらを踏まえて僕の頭に浮かんだ考えは、七層はとても狙い目な狩場ではとの結論だった。
豊富で多彩、かつ強力なモンスターたちは、自らを鍛えるには最適だ。
加えてライバルの小隊も皆無なので、獲物を探して時間を無駄にする恐れもない。
確かにドロップアイテムが持っていかれるのは痛いが、僕の狙いはそこじゃない。
これまでの経験からして、狩る人が少ないエリアほど宝箱が出やすい傾向にあった。
この狙いはどんぴしゃだったようで、すでに二つの金箱に出会えている。
誰もいない第一関門付近をぐるぐると歩き回り、出会ったモンスターを片っ端から倒す。
もちろん古樹要塞の遠隔攻撃を受けないように、注意を払いながらであるが。
と言っても猿付きの樹人を避けるだけなので、そんなに警戒するほどでもないけどね。
集中力と体力が切れかけたら、安全で涼しい地下に戻り一休み。
そしてほどよく体を休めてから、また蒸し風呂のような地上部分へ挑むの繰り返しだ。
そう、今まさに僕がやっているのは、前に三層でやった宝箱探し巡回と同じである。
と言っても、あの時のような気楽さは全くない。
ここのモンスターは桁違いに強すぎるので、気を抜くとすぐに巻き戻しする羽目になるせいだ。
音もなく真上から襲ってくる密林青蛇。
様々な花粉を撒き散らす腐臭紫花。
そして何より厄介なのが、先ほど戦った密林黄蝿だ。
この拳大ほどの黄色い蝿は五匹ほどの群れでジャングルを飛び回っており、他のモンスターとの戦闘に割り込んでくる習性を持つ。
それも面倒ではあるが、こいつらの手強い点はその動きにあった。
大きさは変わっても、素早さがそのままなのだ。
おかげで、こちらの攻撃は全然当たらない。
命中率にはかなりの自信があったのだが、そんな僕をあざ笑うかの如くヒョイヒョイ避けやがる。
その上、蝿どもは嫌らしい攻撃手段まで兼ね備えていた。
速度に任せた連続体当たりしかしてこないのだが、ぶっちゃけダメージはほとんどない。
問題はその後の、蝿がぶつかってきた部分である。
攻撃が成功し皮膚に触れた瞬間、蝿たちはそこに即座に卵を産み付けるのだ。
卵は一瞬で寄生主から養分を吸い上げ、蛆虫となって皮膚を食い破り表に現れる。
そうやって無限に増えていき――この先は想像するだけで身震いが湧いてくる。
まあ一見、強力に思えるモンスターだが、対処法は意外と簡単だ。
当たらない攻撃を仕掛けるなどの無駄な敵対心行動を控えて、盾役に任せるだけで良い。
いかに素早くても、体重の軽い一撃では金属鎧は貫けない。
何度もぶつかるうちに蝿の速度が落ちてくるので、そこを狙えば簡単に倒せるのだ。
さらにリンの場合は、羽虫たちが炎龍の盾に触れた瞬間、燃え落ちてしまうほどの雑魚っぷりである。
だから黄蝿に遭遇した時は四匹をリンに受け持ってもらい、一匹を僕の練習相手にしていた。
こいつらが矢を避けてくるのは、僕のモーションが悟られているせいだと思う。
なので無駄な動きを出来るだけ省略し、気付かれないうちに射落としてやろうと意気込んでいたのだが……。
さっきみたいに無意識だと上手く行くが、考えてやろうとすれば失敗してしまう。
前にもかなり練習したのであともう一息だと予想はしているが、思った以上に手強いな……無拍子は。
「骨の折れる試練だな、これ」
「そうなんですか? 考えずにやるって結構簡単じゃないですか」
「ああ、リンはそうだろうな」
「逆に考えすぎたら、頭の中が絡まってきません?」
「あなたはもう少し、普段から頭の中を整頓しなさい、リン」
僕に香茶のカップを手渡しながら、キッシェが妹に小言を述べ始めた。
「こんな高い盾を買って貰ったのに――」
「……キッシェって、叱る時は母さんそっくりだよね」
「あのね、真面目に聞きなさい」
「もう聞き飽きましたー。ね、隊長殿」
「僕を巻き込むなよ」
念願の龍を手に入れたリンであるが、そのスペックの全てを使いこなせているかと問われれば、残念ながら首を横に振るしかない。
様々な能力を秘める龍の盾だが、当然ながら老いてしまった今は昔ほどの元気さはない。
火を吹くにしろ、ちょっとしたスパンが必要なのだ。
しかし若くせっかちなリンとは、その辺りが上手く噛み合わず、ちぐはぐな指示を飛ばしてしまう場面もたまに見かけたりもする。
ようは持ち手がしっかりと、老龍の技能の再使用時間を把握できていれば問題はないのだが。
感覚派に属するリンには、あともう少し時間が要るようである。
しかし減らず口を叩きながらも、手元の盾に注がれるリンの眼差しは愛情たっぷりだ。
近いうちに完璧に息の合ったコンビネーションを披露してくれるはず……。
「って、何してんだ? リン」
「何って、イーさんを元気にするお薬ですよ」
小さな水筒を逆さまに向けて、龍の口に水滴を垂らしながらリンが無駄に胸を張る。
白鰐の鱗鎧がピッタリとフィットしてるのでブルンと震えたりしないが、それでも膨らみが盛り上がる様はちょっと股間に響くな。
「お薬って、いつの間に手に入れたんだ?」
「ここに来る途中ですよ」
「うん? あ、アレか」
僕の脳裏に、六層大穴横の噴水で水筒に雫を貯めていたリンの姿が浮かぶ。
てっきり依頼をこなして、お金稼ぎをしているのかと。
「あの泉の水ということは、育成の効果か。それって、年寄りに効くのか?」
「うーん、どうですかね。でもイーさんが少しでも元気になるなら、何でもやってみようかなって」
「そっか、効き目があるといいな」
「はい!」
嬉しそうに頷くリンの表情を見ると、本当に新しい盾を購入して良かったと思える。
…………僕もそろそろ新しい相棒に出会いたいものだ。
いや、頑張ってくれている赤弓君に、感謝の気持ちを欠かしたことは片時もない。
だがどうしても下へ進むに連れて、力不足は否めないと感じるようになってきた。
今はまだシャーちゃんのおかげで、辛うじて戦果を上げてはいるが、正直現状は厳しい。
これまでの体感時間で三ヶ月ほどの特訓から、各々の課題はハッキリと見えてきた。
あともう一ヶ月、巻き戻し時間で考えて半年もやれば、七層でも簡単には引くような事態にはならないと予想している。
そしてその間に虹色の宝箱が出れば、あまり悩まずに済むのではと思っていたのだが……。
この七層巡りをしているのは、僕らが先へ進むためにはまだ弱すぎると痛感したせいだ。
強くなる一番の正道は、言うまでもなくレベルアップだ。
もっとも、ただレベルを上げるだけでは足りない。
より凶悪なモンスターとの戦闘経験を体に刻み込めば、レベルが上った際にもっと強くなれる。
というのが、僕の持論である。
そのためにもまず、経験値の多そうな強いモンスターとの戦闘をひたすら繰り返す。
同時に戦闘経験を通して、それぞれの技能も磨いていくと。
次に狙うのは、装備面での補強だ。
僕としては魔法具で固めておきたいのが理想だが、深層に行くほど宝箱は出にくくなる。
したがって貴重な魔法具は数が少なく、さらに苦労して入手した武器や防具は自分たちで使いたがる傾向があるせいか、市場にあまり出回りにくい。
狙い目として引退する探求者の放出品くらいだが、これもライバルが多くおいそれと手に入らない。
という訳で、自給自足を狙ってはみたが、虹色に輝く箱にはそう簡単に会えるはずもなく。
まあ金箱から良さげな装備を出るまで粘ったので、十分補強にはなったのだが。
「……まあ虹箱って、一年潜って一個とからしいからね」
「そう聞くと物凄く大変って感じで、逆にやる気が湧いてきますよ、隊長殿」
「だからといって力み過ぎないでね、リン。あなたは余計なことには当たりやすいんだから」
「うんうん、気長にやろうよ~」
「ガウガウ!」
そうだな。
今回の方針は、焦らず一歩ずつ確実に目的へ近づくこと。
と、みんなで決めたからね。
白花水―白晶石の粉末と薄花のエキスを混ぜ合わせた水。緑熊がお菓子と交換してくれる。