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ミミ散歩 後編


 

 炙り牛の肉巻きをもぐもぐ食べる少女の手を握りしめながら、僕は溢れかえる人の波を何となく眺めていた。


 日暮れ時の中央広場は、足早に歩く人たちで一杯だ。

 仕事を終え家路を急ぐ住人たち。

 逆にこれから儲け時なのか、柄の悪そうな連中が肩を怒らせて通り過ぎていく。

 ぞろぞろと宿が連なる通りへ向かうのは、観光客や巡礼者の寄り集まりか。

 そして最後の一稼ぎとばかりに、果物売りや土産売りの行商、大道芸人たちが声を張り上げる。


「……みんな、忙しそうだね」


 僕の独り言に、傍らの少女は首を縦に振ったきり沈黙を保っている。

 こんな風に一歩離れた気持ちでいられるのは、僕が成長した証だろうか。

 それとももっと身近に、余裕がない人がいるせいだろうか。


 きっと後者だなと、無我夢中でお肉を噛み締める少女を見ながら思った。


「お腹空いてたの? コネットちゃん」


 唇の端についたオレンジ色のソースを舐め取りながら、コネットちゃんは僕に再びコクリと頷いてみせた。

 酵乳と赤イチジクと青辛子を混ぜたちょい辛目のソースだが、かなりお気に召してくれたようだ。

 

「すみません、あと三つ追加で貰えますか?」

「あ、ああ。しかし、よく食うな……」


 慌てて肉を削ぎ始める屋台主のおやっさんへ、僕は苦笑いを浮かべた。

 そんな僕に、四つ目の肉巻きを咥えたコネットちゃんが、愛らしい眼差しを向けてくる。


 うん、可愛いなぁ。

 これで背中にコウモリの羽が生えてたら、立派な小悪魔になれるぞ。


 そんな益体もないことを考えつつ、追加の注文分が出来るまでの暇つぶしに広場へ視線を戻す。

 見慣れた景色のはずなのだが、今日はなぜかいつもと違う印象を受けた。

 人の流れの慌ただしさも喧騒ぶりも、普段とさほど変わってないはずなのだが。 


「あれは、何か作っているのかな?」


 違和感があるなと思っていたら、その正体は広場中央に組み立て中の見慣れない木造の建設物だった。

 今日はもう作業が終わったのか、脇に積んである木材のそばで職人姿の人たちが談笑している様が見える。


「おう、あれかい? ありゃ夏祭りの櫓だな」


 素早く手を動かして肉を麦餅に挟みながら、おやっさんが教えてくれる。


「そういえばもうすぐでしたね。確か聖人様のお祝いだとか」

「ああ、正しくは聖ボンゴ様の祖霊感謝祭ってんだ。まあ長いから皆、夏祭りとかボン祭りで済ましちまってるがな」


 この迷宮都市の礎となるために、その身を犠牲にした聖者様のお祝いらしい。

 櫓の上で盛大に火を焚いて、その周りを輪になって感謝の踊りを捧げる祭りだと前に聞いた。

 なんだかかなり聞き覚えのあるお祭りであるが、実はこの迷宮都市の夏の風物詩なんだとか。


「楽しみですね」

「その時はまた是非うちに寄ってくれよ。ほらよ、追加分も出来たぜ」


 代金を手渡していると、クイッと僕の服の袖を引っ張られる。

 視線を下げると、コネットちゃんが目を輝かせて僕を見つめていた。

 おかわりが欲しいのかなと肉巻きを袋から取り出そうとしたら、珍しくコネットちゃんから話しかけてきた。


「夏祭り、行くの?」

「うん、そのつもりだよ」

「ホント! みんなで?」

「うん、出来たらだけど」


 僕の返事にコネットちゃんは、小さな歓声を上げてしがみついてくる。


「約束だよ、兄ちゃん」

「うん、約束だ」


 保証も何もない口約束だが、とても大事な約束だ。

 この日常に戻ってくるためにも、楔をちゃんと打ち込んでおかないとね。

 僕がこの子らと散歩を続ける大きな理由は、意外とこんなところにあるのかもしれない。


 仲良くくっついて卓に戻った僕らを出迎えてくれたのは、一塊となった巨大な毛玉だった。


 一番下はおかえりなさいの尻尾を振るピータ。

 その上に寝っ転がっているのは、四本の尻尾をだらしなく伸ばしたミミ子だ。

 で、そんなミミ子の尻尾を滑り台にしていたのは、ふわふわ羽耳のマリちゃんであった。

  

「ただいま。あれ? 双子とサリーちゃんは?」

「えーとね、うんと、えっと、わかんない」


 両手を上げて降参のポーズをするマリちゃんを抱き上げて、仰向けで寝そべるミミ子のお腹にポンと落とす。


「ぐぇえ。お腹減って我慢できないって、どっか行ったよ~」

「お前、仮にも保護者なんだから、しっかり面倒見とけよ。って、もう酔ってんのか」


 よく見るとミミ子の頬が、ほんのりと赤く染まっている。

 あとついでに、僕の麦酒エールのジョッキが空になっていた。

 ミミ子は酒にあまり強くないくせに、たまにやたらと飲みたがる時があったりする。 


「だいじょ~ぶ。ちゃんと道案内役がいるから~」

「どこに居るんだよ?」

「ここ、ここ」

 

 酔っ払ってても普段とほとんど変わらない口調で、ミミ子は自分の耳の間を指差した。

 そこにちょこんと座っていたのは、ネズミの全身骨格であった。


「これってもしかして、チッタか?」

「チキチキチキ」


 僕の問いかけに答えてくれたのは、サリーちゃんの下僕である骨鼠スケルトンマウスのチッタだった。

 骨のネズミは僕に器用に会釈した後、前脚で一点を指差してみせた。

 どうやら、その方角に彼の主が居るらしい。


「よし、このまま追いかけるとするか」


 多分であるが食い物を手に入れた双子とサリーちゃんが、まっすぐこの卓に戻ってくることはまずあり得ない。

 ならこちらも買い食いしつつ追いかけたほうが、合流できる可能性は高いはずだ。


「ミミ子はピータの上に乗せて、マリちゃんは僕が抱っこするか」


 屋台で貰った骨をガシガシと噛み砕いていたピータが、僕の言葉に尻尾を振りながら立ち上がった。

 その背中でだらんと寝そべるミミ子の口元に、肉巻きを持っていくとぱくりと咥える。


 マリちゃんにソースがあまり掛かってない部分を与えながら、残りは僕が食べることにする。

 肉の脂の甘味が辛めのソースに絡んで、独特の歯ごたえと味わいになっていた。

 うん、これは美味いな。


 コネットちゃんが真摯な眼差しを向けてきたので、もう一つ手渡すと満面の笑みでかぶりついていた。


「それでどこまで行ったんだ? あの三人」


 チッタの指差す方へ進んでは見るが、多すぎる人混みのせいで見つかる気配が全くしない。 

 都市内部は治安が良いとはいえ、夜の繁華街そばを子供だけで歩き回るのは流石に危険である。 

 頼みの綱のサリーちゃんも、探求時以外は力の制限を受ける髪飾りのせいで、それほどあてには出来ないし。

 

 これはもしかして、お約束の絡まれパターンか誘拐パターンかと焦り始めたその時、前方の屋台から騒ぐ声が聞こえてきた。


「おいおい、おっちゃん、これっぽっちじゃ速攻で食い切っちまうよ。ほらほら、もっといっぱい出してよ」

「今、揚げてる。もう少しだけ待ってくれ」

「白蜜はケチらないで、たっぷり目で頼むよ、おっちゃん」

「多めだな、分かった」

「うむうむ、これは美味いのう。揚げたても楽しみじゃ」


 なんだかチンピラたちが屋台主に絡んでるような会話だが、問題はその声に聞き覚えがある点だった。


「こら! お前ら、勝手に動き回るなよ! サリーちゃんも」

「やべぇ、兄ちゃんだ!」

「何じゃ遅かったのう。ちょうどいい、支払いを頼むのじゃ」

「すみません、何かご迷惑をおかけしてませんか?」

 

 女の子たちが騒いでた屋台の主へ慌てて頭を下げる。


「気にしないでくれ、ナナシの旦那」

「って、ドンドルさん、何してるんですか?」

「うむ。ここはオレの屋台でな」


 そこに居たのはエプロン姿の石鬼トロール、ドントルさんであった。

 鬼人会に属する金板ゴールドプレート持ちの護法士モンクさんで、先日も六層の護符取りでご一緒したばかりだ。


 驚く僕にドントルさんは、さっくりお菓子を揚げながら、ざっくり顛末を説明してくれた。

 元々ここで屋台を営んでいたドンドルさんを、ニニさんが鬼人会へスカウトしたのが事の始まりらしい。

 

 飛び抜けて体格が良かったドンドルさんは、ニニさんの勧めで護法寺院の世話となり、そこで護法士モンクの基礎を学んだのだとか。

 それであっさり金板ゴールドプレートまで取れてしまったのは、本当に凄いと思うが。


 そして探求者シーカーとして成功した後も、ドンドルさんは休みの日にはかかさずここで屋台を出しているのだそうだ。

 

「オレは、こっちのほうも性にあってるからな」

「そうだったんですか。そんな大事なお店なのに、この子たちが迷惑を掛けてしまって」

「いや、喜んで食ってくれるなら全然、迷惑ではないな」


 そう言いながらドンドルさんは、揚げたての丸いお菓子へ白蜜をまぶしていく。

 小麦粉の生地をリング状にして揚げたドーナツは、この街では揚げ輪菓子と呼ばれている。

 ドントルさんの屋台で出しているのは、紐状の生地を丸めて団子型にした揚げ玉菓子と呼ばれるお菓子なんだそうだ。


 ドーナツに比べて堅めに揚げてあり、サクサクとクッキーに近い食感が人気のお菓子らしい。


「ほれ、出来たぞ」

「いただきます」


 出来たては熱々のふわっとした歯応えだが、冷めたのはまた違う味わいで、これもこれで凄く美味しい。

 子供たちも、ニッコニコの笑顔になって頬張っている。


「ほら、ミミ子も食うか?」

「フーフーして~」

「はいはい」


 軽く冷ましてから口の中へ放り込んでやると、もぐもぐと咀嚼してから何度も頷く。


「これは星二つ半だね~」

「そうか。それは中々の褒め言葉だな」

「これでもう少し味に種類があれば、完璧だったよ」

「ふむ、考えておこう。また良かったら寄ってくれ」

「うん、また来るよ、おっちゃん」

「試食なら任せてね」

「こら、図々しいぞ!」


 イナイとちゃっかり逃げようとしていたナイナを捕まえて、こめかみをグリグリしてお仕置きしておく。

 気安いのは許せるが、厚かまし過ぎるのは駄目だ。


「それじゃ、また寄らせてもらいますね」


 ニニさんたちのお土産分も購入した僕らは、ドンドルさんに手を降って屋台を後にした。

 その後は適当に他の店を覗きながら、あれこれと食べ歩く。


 そして手の平サイズの小粒な水瓜をスプーンですくって食べていたマリちゃんが、急に電池が切れたように静かになったので、その日の探検は終わりとなった。


 二艘に分かれた帰りの船の中で、僕は満足げに息を吐いた。

 確かに料理の味なら、我が家で腕を振るってくれるイボリーさんや、リンやイリージュさんのほうが美味しいと思える。


 でも何だろう。

 雑多な雰囲気の中で皆と気兼ねなくワイワイ食べるのも、これはこれで凄く美味しかったりもする。

 不思議な気持ちに浸っていると、急に僕の胸にサリーちゃんがもたれ掛かってきた。

 

「今日は楽しかったのう」

「そうだね。お腹いっぱいになった?」

「残念じゃが、我の腹は満腹になることはないのじゃ」


 何も言えず黙り込んでしまう。

 ここで気の利いた返しが言えるのなら、僕の人生はもう少し楽だった気がしないでもない。


「まあ腹は一杯にならずとも、胸は満たされておる」

「うん、それなら良いか。……良いのかな?」

「満足はしておるのじゃ、安心せい」


 緩やかな流れに逆らって、船は静かに上流へと向かっていく。

 この時期は下流の方で水を一部堰き止めるせいで、川面はかなり穏やかだ。

 

 なんでも貯めた水を掃除屋スライムで浄化してから、闘技場に流し込んで遊泳場にするのだとか。

 毎年やってるらしいが、これも興味がなかったので全く気づかなった。

 

 今年の夏は海にプールにお祭りと、楽しいことでいっぱいだな。

 あれこれ考えながら川べりを眺めていたら、僕の腕の中でサリーちゃんがもじもじし始めた。


 水が怖いのかなと思い肩に手を添えると、サリーちゃんはくいっと顎を上げて僕を見上げてくる。

 間近で見るサリーちゃんは、相変わらずの美少女だった。

 底が見えない黒い淵のような瞳に、なんだか吸い込まれそうな気持ちになる。


「どうしたの? サリーちゃん」


 触れるだけで折れそうなほど細い肩からは、まったく温もりが伝わってこない。

 整いすぎる顔立ちも合わさって、等身大の人形のイメージがよりいっそう強くなる。


 少女は何も言わぬまま、不意に手の中の何かを川面へ投げた。


 それは今日の散歩の発端となった小枝であった。

 流れに乗って近付いてくる小枝を、少女は手を伸ばして拾い上げる。


 そして再び、前方へ投げた。

 拾っては投げ、また拾う。


 数度その行為を繰り返した少女は、もう一度首をそらし僕の顔を見つめてくる。


「この枝は我と一緒じゃ。お主らと同じ流れにはない」


 サリーちゃんは小さく息を吸って、濡れた小枝を僕に差し出す。


「我もお主らと同じ船に乗りたい。乗せてはくれんかのう?」


 今現在、同じ船に乗ってはいるが、サリーちゃんが言いたいことは別物だってくらいは分かる。


「僕もサリーちゃんに一緒に乗って欲しい。ずっとそう思っていたよ」

「そうなのか? う、うむ。だったら、そ、そのく……口付けまでなら許してやるのじゃ!」


 真っ赤に頬を染めたサリーちゃんは、その先は無言で俯いてしまう。

 さっきまでの人形じみた少女は消え失せて、そこにあったのは只の恥じらう乙女の姿だった。

 

「キスだけ? もうちょっと駄目?」

「ま、まだ早いのじゃ。って、どこ触っておる?!」

「サリーちゃんの鎖骨ってすべすべで可愛いね。耳たぶもすごく柔らかいし」

「くすぐったいのじゃ。こら、もう止めるのじゃ」

「えー、でも気持ちをもっと合わせないと難しいよ」

「そうなのか? くっ、ひゃ」


 調子に乗っていたら、背後からモフッと尻尾が僕の頭に落ちてきた。 

 背中合わせで眠っていたミミ子が起きてしまったようだ。


「ちょっとやりすぎだよ、ゴー様。大丈夫? サリー」

「ミ、ミミ~」

巻き戻しロードの共有なら、心を通わせながら抱き合えば大丈夫だよ。肌を重ねる必要まではないよ~」

「そうなのか? 知らなかったな」

 

 言われてみれば、これまでの成功例も抱きしめあった女性だけだな。


「よ、よろしく頼むのじゃ」

「こちらこそ、よろしくね。サリーちゃん」


 向かい合った少女は、おずおずと僕の背中に手を回してくる。

 驚かせないように華奢な体を、静かに抱き寄せる。

 サリーちゃんの体からは、知らない花の匂いがしていた。 


 強張りが抜けたのを見計らってそっと頬に唇を寄せると、少女はやれやれといった顔になって僕に体を預けてくる。

 サリーちゃんと抱き合いながら、僕は夏の到来を待ち遠しく感じていた。

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