意外でもない敵
七層地上部には当然ながら、樹人とその住人以外のモンスターも存在していた。
通常の階層であればモンスターが召喚される場所はほぼ固定されており、目的地へ向かう際に必ず出会うように設計されている。
もちろん通路を選択することで、強いモンスターを避けて弱いモンスターだけを狙い撃つことも可能だ。
ならば遮る壁のない密林地帯であれば、モンスターに全く出会わずに通り抜けできるのではと一瞬考えてしまう。
で、そう甘くないだろうなと、即座に考え直すまでがお約束らしい。
密林地帯に生息するモンスターどもには、固定の徘徊エリアが存在しないのだそうだ。
だから好き勝手に動き回り、自由気ままに襲ってくるのだと。
なので所在が目立つ樹人のほうが、実は対処は容易いらしい。
そんな話を、でっかい蛇にぐるぐる巻きにされて顔色がヤバい感じに土気色になっていくソニッドさんを見ながら思い出す僕であった。
「あががが、はやっ、助けろ! ぐがががっ、し、死ぬ!」
「分かってる。今やってるよ!」
この密林青蛇は普段は樹の枝に擬態しており、下を通った獲物目掛けて落ちてくる習性を持つ。
高レベルの気配感知をすり抜ける隠密性を有し、軽装備の探求者を狙ってくることから"後衛殺し"の異名があるのだとか。
得意技の締め上げは、一分もあれば金板持ちの背骨をへし折るほどの威力があるらしい。
ただその間は獲物に掛かり切りとなる訳で、言うまでもなく僕らは攻撃し放題となる。
――四連射!
三本の矢は青い鱗の上を滑って、密林の奥へと飛び去っていく。
唯一、シャーちゃんだけが何とか刺さりはしたが、盛り上がる肉に押し出されてあっさりと抜け落ちてしまう。
その横ではドナッシさんが片手棍を振り回してはいるが、ほとんどダメージは通っていない。
流石に七層級のモンスターになってくると、その辺りも抜かりない。
こいつの鱗皮は攻撃をそらして威力を半減させる上に、再生能力までついている厄介さなのだ。
「オーレーにー、任せろ!」
ここで頼りになるのは、やはり呪忌物持ちのニドウさんだ。
大上段から豪快な斬り落としが、蛇の胴体へザックリと喰い込んだ。
鱗が裂けて黒く変色した傷口から、濁った茶色の血が流れ出す。
ニドウさんの振るう苦悩の大剣には、腐血という再生を阻害する禁命術が誓約されている。
これなら何とかなるかと思った瞬間、ニドウさんは苦笑いを浮かべた。
「あ、こいつ意外とかてーわ。間に合うか微妙だな」
「うがががが、ま、まだか……」
「もう少しだぞ、頑張れ!」
大剣を連続で振るうニドウさんだが、弾力のある肉に阻まれてなかなか刃が通らないようだ。
その横では攻撃を諦めたドナッシさんが、懸命に声を掛けてソニッドさんを励ましている。
だがすでにリーダーの表情は、完全に締め落とされる寸前となっていた。
大きく目玉を剥いたまま、口を限界まで開くソニッドさん。
不意にその口から大量の泡が吹き出し、がっくりと首がうなだれる。
獲物の断末魔に仕留め終えたと思った蛇が、胴体の下に隠していた頭部をようやく持ち上げた。
はい、命止の一矢・貫と。
今日はかなり撃ってるなぁ……腕の痺れの回復が、少しづつ遅くなっている気がする。
渾身の引き絞りから放たれた永劫なる蛇が、その数十倍の大きさを持つ同種族の眼球を真横から一息に貫く。
それでも致命傷に至らず、青蛇は牙を剥き出しにして僕を威嚇する。
そこへ刃を黒く輝かせた大剣が宙を走った。
ついに胴体を両断された青蛇が、体液を撒き散らしながら地面へ落ちる。
両眼と半身を失った蛇だが、その状態でもまだ戦う意思を捨ててはいなかった。
残った胴体部分をくねらせて、ニドウさんの足へ噛み付こうと挑みかかる。
しかし最後のあがきは、横合いから飛び出してきた盾に防がれる。
吹き飛ばされて樹に激突したモンスターは、そこでようやく消えてくれた。
「生命力が半端ないですね……」
「ああ、完全に仕留めきるまで気が抜けないぜ、こりゃ」
深く頷き合う僕とニドウさんの横では、サリーナさんが悲壮な顔になっていた。
地面に倒れ込んだソニッドさんへ駆け寄って、呼吸や脈を懸命に調べ始める。
緑熊たちも一緒になって、心配そうにソニッドさんの死に顔を覗き込んでいる。
ドロップした蛇皮の回収を優先しないとは、なかなか良い子たちだな。
「おい、リーダー終わったぞ」
なんか凄そうな秘跡を掛けようとしたサリーナさんを無造作に押し退けて、ドナッシさんが横たわる死人へ声を掛ける。
その瞬間、白目を剥いていたソニッドさんの眼球がぐるんと動いた。
ヒッと小さな悲鳴を上げるサリーナさんへ、ソニッドさんはお茶目に片目をつぶってみせる。
「ふう、久々に死んだぜ」
「えっ、……あの。へっ?」
「お前、闘技場とか全く興味ないからなぁ。たまには俺たちの雄姿を見に来いっての。今のが我らがリーダーの得意技"死んだフリ"だ」
「えっ、だって完璧に死んでたわよ……」
「ふっ、司祭級を騙せるとは、俺の死んだフリもかなり磨きがかかってきたな」
愉快そうに笑うソニッドさんを、信じ難い目で見返すサリーナさん。
その足元で嬉しそうに小熊たちが飛び跳ねる。
うーん、平和な光景だなぁ。
▲▽▲▽▲
その後、何度かの戦闘を経て、僕たちはやっとのことで目的地の小広場へ辿り着いた。
広場の中央には第二関門を開く仕掛けがあり、その横をぐるぐると樹人が歩き回っている。
第一関門と全く同じシチェーションであるが、細部が少しばかり異なっていた。
まず今回の相手はうっとうしい猿どもではなく、漆黒の毛皮を持つ獣――密林黒豹たちだ。
ついでに仕掛けの方も変わっていた。
前回は巨大なネジだったが、今回の相手は等間隔で並ぶ七本の柱だ。
柱の中ほどに骸骨を模した大きな彫刻が彫られており、それぞれがよく見ると口を開けたり閉じたりしている。
第二関門の中にも地上と同じように、七本の骸骨付き柱が立っているのだそうだ。
で、そいつらの口も、開いたり閉じたりしていると。
この骸骨の口は、力を入れて引っ張れば動くようになっている。
閉める時も下から押せば、簡単に閉じるらしい。
そこまで聞くと、あとは誰でも思いつく。
上と下の口の開きを、揃えれば良いのだなと。
ちなみに第二関門には門柱の横に小窓があり、中の柱の様子が確認できるようになっている。
今回はソニッドさんが、こっそり覗いて来てくれたのでバッチリだ。
「ここは手堅く行くか。ドナッシは手前で豹どもを引き付けてくれ。ニドウと俺は隙を見て加勢だな。坊主は援護を頼む」
黒豹の感知は聴覚と嗅覚なので、不可視の外套では見破られてしまう。
なのでモンスターを出来るだけ排除してから、柱に近付く作戦らしい。
深呼吸をしたドナッシさんが、盾を掲げて広場へ飛び出すと雄叫びをあげた。
「オラァァァァアアアア!!!!」
枝に乗っかっていた黒豹たちが、一斉に首を持ち上げ反応する。
六匹か。
猿と違い数は少なめだが、単体の強さで言えば豹が圧倒的に上となる。
樹冠近くにいた一匹が、枝を蹴り軽々と宙に舞い上がった。
そして空中を滑るように、盾目掛けて急降下する。
そう、文字通り滑空してきたのだ。
先ほどの蛇が"後衛殺し"と呼ばれるように、この豹にも世襲組の間で通じる呼び名があるらしい。
ずばりそれは、"空飛ぶ黒絨毯"。
こいつら黒豹には、前脚と後脚の間に大きな飛膜があるのだ。
その膜で風を受け、自在に宙を跳びまわりながら攻撃を仕掛けてくる姿が通り名の由来なのだとか。
まあ言うなれば、でっかいモモンガである。
全ての脚を伸ばし風に乗った黒い獣は、ドナッシさんへ飛び掛かった
衝突の寸前、手足を折り畳み強烈な爪の一撃を盾へお見舞いする。
呻き声を上げて、踏ん張るドナッシさん。
踵の沈み具合から見て、洒落にならない重量のようだ。
動きが止まった一瞬を狙おうとしたニドウさんだが、大剣が振り下ろされる寸前に黒豹は力強く盾を蹴り飛ばした。
勢いのまま宙に飛びあがり、風を纏うとそのまま空高く一気に上昇する。
空中で旋回した豹は、平然と元の枝へと戻った。
なるほど、一撃離脱戦法か。
「意外と速いな」
「それに重いぜ。腕がちょいと痺れてやがる」
体格は灰色狼より一回り大きい程だが、それが建物の二階相当から落ちてくるのでは流石に話が違ってくる。
もっともそれをまともに受けて、腕が痺れる程度なのもおかしい話であるが。
新たな二匹が、宙に飛び出した。
序盤にあまり敵対心を稼ぎたくはなかったが、そうも言ってられない。
――三々弾。
飛来する獣の一匹を、九本の矢が正面から迎撃する。
が、黒豹に近付いた矢どもは、へそを曲げたかのようにことごとく明後日の方角へ向きを変えた。
風陣――こいつらも風の精霊を、味方につけているのか。
……当たらないと、ストレス溜まるんだよなぁ。
そっちが風を操るなら、こっちもそうするまでだ。
シャーちゃん、おねがいします!
――蛇行する一矢。
大きく弧を描いて、風の影響が少ない側面から蛇の矢が獣へ襲い掛かる。
脇腹に突き刺さった蛇のせいで、黒豹の着地点が乱れる。
すかさずニドウさんの大剣が、地を擦り上げた。
右の前脚を切り落とされながらも、黒豹は唸り声一つ上げず宙へと逃げ去る。
もう一匹の豹は、ドナッシさんが盾で受け止めていた。
さっきと同じパターンかと思えた瞬間、ソニッドさんがその背中を駆け上がり肩を蹴り飛ばす。
宙での一閃。
交差した手甲剣の刃が、黒豹の左の飛膜に切れ目を生み出す。
風を失った獣は、高度を保てず中央の柱の天辺へしがみ付く。
好機と見て、すかさず矢を撃ち込む。
だが僕の放った矢は胴体に命中する直前、黒豹の顎がガッツリと咥え込む。
噛み砕かれた矢は、地面に落ちて消えた。
技でない普通の射撃だと、もう通用しないのか。
指をほぐしながら、覚悟を決める。
出し惜しみしてる場合じゃないな。
三匹が同時に飛び出したのを見ながら、横殴りの矢なら通用した事実を思い起こす。
「降らせます、前に出ないで下さい!」
正面ではなく上からなら。
数本ではなく大量の矢なら。
――五月雨撃ち・弧。
ほぼ真上に放たれた大量の矢が、雨の如く一面に降り注ぐ。
天眼を使ってないので、狙いは適当に近い。
だが効果はあったようだ。
滑空してきた三匹の黒豹たちは、タイミングよく矢ぶすまに突っ込む形になる。
互いの風陣が、干渉しあったのも良かったようだ。
不規則な射線を描いた矢たちが、黒豹たちへと次々と突き刺さる。
全身に矢を生やしたまま、二匹が宙で消える。
残り一匹も飛膜を撃ち抜かれたせいか、減速して手前に降り立つ。
その背後から影が伸びるようにソニッドさんが、静かに姿を現した。
――鋏断。
左の後脚を切り落とされた黒豹は、振り向いて牙を剥く。
そこにニドウさんの大剣が、轟音を伴いながら振り下ろされた。
三匹を一息に仕留めたられたことで、僕は小さく肺から息を抜く。
その瞬間、握りしめていた蛇の矢が、小刻みに震えを上げた。
顔を向けた僕の視界一杯を埋め尽くしていたのは、すぐそこまで迫る前脚が一本欠けた黒豹の姿だった。
ニドウさんが、仕留め損ねた奴か――。
撃ち落とし――駄目だ、握力がまだ戻っていない。
極眼が、黒豹の手から伸びる鋭い爪の一本一本を克明に映し出す。
……黒豹って全身真っ黒かと思ったけど、肉球だけ白いんだな。
このままじゃ、首を刎ねられるかも。
身体を捩って肩で無理矢理受けて……、滅茶苦茶痛そうだ。
――うん、仕方ない、巻き戻すか。
戻れと口に出しかけたその時、チラリと視界の端に動くモノが映った。
お、間に合うかな。
ドナッシさんが盾を構えて、踏ん張る姿が見える。
その体がぶれたかと思った刹那、数歩の距離を無視していきなり眼前に巨体が現れた。
――弾丸盾撃。
真横から追突された黒豹は、身体をくの字に曲げて地面へ突っ込んだ。
「ありがとうございます、ドナッシさん」
「いきなり敵対心を稼ぎ過ぎだ、坊主。大雑把過ぎるぞ」
怒られてしまった。
攻撃が通じにくい焦りのせいで、結果を急いだのは不味すぎたな。
その後は無理はせず、残り三体は時間を掛けて倒す流れになった。
そして最後の一体を倒す頃にまた新しい黒豹が湧いたが、すでにソニッドさんは柱の細工を弄り終えていた。
広場から出れば、黒豹の追撃はそれ以上はない。
あとは地下へ戻るだけだ。
それと毛皮のドロップはなかったので、熊たちが落ち込んでいたのが可愛そうだった。
帰りに二度ほど青蛇に襲われたはしたが、特に問題もなく密林を抜ける。
ホッと気を緩めながら、横道を抜け第二関門へようやく戻ってくる。
そこで僕らを待ち構えていたのは、固く閉ざされたままの門の姿であった。
誰も居ない門へ近付き、ソニッドさんは小窓から中を覗き込む。
振り返ったリーダーの顔は、読み取り難い表情に覆われていた。
「最初見た時と、骸骨の口の開きが変わってやがるぜ」
「まあ、そうだろうな。そのためのあいつら門番だ」
「ああ、だとしたら……」
そこで言葉を区切ったソニッドさんは、小隊メンバーの顔を見回した。
「やっぱり、この先へ進むなら二小隊以上必要ってこったな」
「だそうだ。どうするよ? ナナシ」
「その前に、正式に抗議すべきじゃないですか?」
「無駄無駄、偶然ここを通っただけだと言い張るだけだぜ」
サリーナさんの言い分も少しは分かるが、相手はあの世襲組だしなあ。
迂闊に苦情なんか出したら、確たる証拠もない言い掛かりだと逆にこっちが問い詰められるパターンに違いない。
どのみち今のままじゃ何度、巻き戻してもどうしようもなさそうかな。
顔を上げた僕は、四人が一斉にこちらを見つめてくる事実に狼狽える。
どうするかって訊かれても、今ここで決めるのはハッキリいって無理だ。
「えっと、その件に関しては一旦、持ち帰らせて頂きまして、検討の上でご回答させて頂きます……」




