松ぼっくり砲弾
樹人。
迷宮七層の中枢種に分類される、大型迷宮生物群の呼称である。
樹高は建物の三階近くに相当し、幹周は成人男性が数人がかりで手を繋いでやっと囲めるほどに太い。
当然のことながら、その質量の前にはまず生半可な攻撃は通用しない。
加えて強固な樹皮も厄介なことながら、特筆すべきはその凄まじい再生能力である。
末端枝などを切り落としても即座に生え変わるほどの復元性を持ち、過去の調査では体の半分近くを失っても小一時間で元通りになったとの報告さえある。
非常に強力な存在ではあるが、実はこのモンスターはさほど脅威ではない。
理由は明白で、他の生物に対する攻撃性を一切持ち合わせてないせいだ。
その無害ぶりは、移動手段にさえ明確に表れている。
土の精霊を使役する樹人は、根を囲む土ごと地面を隆起させて移動するので、何かを巻き込む心配も少ない。
せいぜい揺れた地面のせいで、うっかり転ぶくらいである。
では、何が問題か?
樹人自体には、全く問題はないのだ。
むしろこの迷宮で貴重な材木を提供してくれる、優良な生物であると言えよう。
問題はむしろ――。
道らしい道もない森の中は、非常に歩き難い場所となっていた。
地面は入り組む木の根や滑りやすい苔に覆われており、すぐに足が取られて思うように進めない。
丸みを帯びた石を踏んで転びかけた僕は、小さく溜息を吐いた。
平らで歩きやすい石床が、今は果てしなく恋しかった。
…………暑い。
密林の中は植物が放つ濃い空気のせいか、べっとりと肌に張り付くような湿り気を含んでいる。
胸元を開けて腕まくりしたいところだが、グッと我慢する。
虫に刺されたり葉っぱでかぶれるから、あまり露出するなと出発前に言われていた。
額に浮かぶ汗をぬぐいながら、僕は視線を上に向けた。
頭上に生い茂る緑の葉を通して、遥か高みにある空の果てを眺める。
天井にはいくつもの大きな発光石が、半分剥き出しの状態で埋まっていた。
さらに発光石たちの合間を縫うように、太い管のようなものが何本も通っている。
あれは水を高みに運ぶ導管なのだそうだ。人工的に雨を降らす仕組みらしい。
そう聞くとここは迷宮の階層ではなく、巨大な温室のようにさえ思えてしまう。
じっと見ていると、光が交差して眼の前がチカチカしてきた。
一雨来そうにないな。
諦めた僕は再び悪路へ向き直った。
歩くこと十分。
先を進む人影が、振り返って僕とドナッシさんへ小さく手を上げる。
密林の中では、基本的に発声は控えろと言われていた。
足音を消しながら、ソニッドさんの横に並ぶ。
視界に飛び込んで来たのは、ポッカリと開けた広場であった。
草木はほとんど生えておらず、泥混じりの平らな地面が広がっている。
いや、樹は一本だけ立っていた。
他の樹木を見下ろすほどの大きさ――樹人だ。
この距離で見ると、圧倒されるほどの存在感がある。
幹の中央部分の木肌に、人の顔によく似た皺が浮かび上がっていた。
なるほど、樹の人という名称はそこから来てるのか。
樹人はゆっくりと、広場を巡回していた。
次々と地面が盛り上がり、巨木が運ばれていく風景に思わず見入ってしまう。
軽く肩を小突かれて目を向けると、ソニッドさんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
しまった。ちょっと見学気分が過ぎたかな。
頷き返すと、ソニッドさんは今度は樹人の枝を次々と指差した。
枝のあちこちに、長い手足を持つ影が座っているのが見える。
大きさは人とほぼ変わらない。
違いは、その身を包む白い毛皮と白銀のたてがみ。
樹人の住人、大銀猿どもだ。
問題とは、まさしくこれであった。
樹人自体は、安全な生き物である。
が、その本体は、モンスターの生息圏となっているのだ。
一本の樹人に対し、その樹に棲みつくモンスターは一種類。
なので密林黒豹の樹や、赤縞雀蜂の樹も当然あるらしい。
その中でも対処がもっとも面倒だと噂されるのが、この大銀猿の樹だ。
何が嫌かって聞くと、この猿どもは樹から下りてこない点だとか。
で、下りてこない代わりに、高い枝の上から松ぼっくりをぽこぽこ投げてくるのだと。
いや、冗談じゃないらしい。
初めて聞かされた時は、僕も流石に笑ったけど。
松ぼっくり、正確には樹人の球果であるが、見た目が似ているのでそう呼ばれている。
大きさは大人の握り拳ほどで非常に硬い上に棘がびっしりと生えており、当たると洒落にならないそうだ。
猿どもはそれを、樹の天辺から容赦なくぶつけてくると。
さらに不味いことに、大銀猿は風の精霊を使役できるときた。
風の力で加速される投擲武器、状態異常をほぼ無効化する毛皮、こちらからは遠隔攻撃しか届かない相手。
さらには統率のとれた集団行動と。
マジで、こいつらをここに配置した迷宮主は頭が逝かれていると思います。
倒す順番を教えてくれたソニッドさんが、静かにマントで身を覆った。
僕らの目の前で、リーダーの身体が空気に滲むように消えていく。
不可視の外套は、隠密行動にはうってつけであるが、大きな動きをするには向いていない。
この場合は樹に登ったり、広場中央にある仕掛けを動かすとかである。
猿の樹が徘徊するこの広場の中央には、大きなネジが地面から突き出していた。
あれをグルグル回すと、真下に位置する第一関門の扉が開く仕組みだそうだ。
最初は地面に近い位置なので楽々動かせるのだが、回す内にネジの背が伸びて、最後の方は全身を使って動かす羽目になる。
そうなると立ち上がって踏ん張る必要が出てくるため、マントの不可視状態が途切れてしまう。
そこで僕の出番という訳だ。
速やかに見張りの猿どもを排除し、仕掛けを動かすソニッドさんを確実に守り切る。
これはかなり高度な狙撃の技術が要求される仕事だな。
ソニッドさんが動き出したのに合わせて、僕は茂みに潜んだまま弓を引き絞った。
まずは一番下の枝の猿。
――命止の一矢!
シャーちゃんがさっくりと、猿のたてがみを貫きその喉を食い破る。
音もなく消えた猿のあとには 枝に引っ掛かる銀色の毛皮だけが残された。
「ガウゥ……」
僕の背中にしがみついていた緑の熊が、残念そうな鳴き声を上げる。
なぜかちゃっかりと、付いてきてしまったのだ。
どうも毛皮が地面に落ちてこなかったのを、悔しがっているようだ。
大地を揺らしながら、樹人が円を描いて動いていく。
タイミングを計って、今度は四連射!
一本目の矢に、残りの三本をぶつける一点突破撃ちだ。
脇腹から胸元を矢に貫かれた猿は、大きく目を見開いたまま消える。
「……ガウガウ」
今度は毛皮が出なかったのを、残念がっているようだ。
なんだか、ちょっと気が散るな。
いやいや、今は集中しないと。
二匹目を倒した時点で、ソニッドさんは中央のネジに辿り着いたようだ。
静かに回り出したネジの姿が、視界の端に映る。
猿は視覚感知と嗅覚感知持ちだが、臭いを嗅ぎ付ける範囲はかなり狭い。
不可視の外套は見た目は誤魔化せるが臭いは無理なので、まず下の見張りから倒したという訳である。
腕の力とシャーちゃんが戻ってきたので、今度は上の枝に並ぶ二匹の猿を狙う。
ゆっくりと息を吸い込んで、二匹が重なる瞬間をじっと待つ。
大丈夫、北門の番人たちに比べたら、これくらいの速さなんて蠅が止まるほどだ。
――命止の一矢・貫と。
よし、行けた。
声を上げる間もなく、紫の閃光に貫かれた二匹の猿が同時に消える。
良いペースだ。
深呼吸しながら、腕の状態を確かめる。
ビキッと引き攣る背中の感触に、思わず顔をしかめてしまった。
やっぱり貫穿系の連発は、まだまだ厳しいな。
強活精薬を飲み干しながら、指先を何度も屈伸させる。
焦りは禁物だが、残された時間が少ないのも事実だ。
もうすでにネジは、僕の腰の高さまで立ち上がっていた。
なんなら全部倒してから仕掛けを作動させればという話になるが、これがそうもいかない。
猿の再召喚の間隔は、八分から十分。
のんびり倒していると、最初の奴がまた湧いてしまうのだ。
残りは二匹。
く、ここからだと、獲物の前に枝が多くて真っ直ぐに狙えないな。
撃ちやすい位置まで樹人が動いてくれるのを待つ時間も、こっちが狙撃場所を変える時間もないか。
深呼吸一つ。
大事なのはイメージだ。
枝と枝の合間を、くねくねとすり抜ける蛇の姿を思い描く。
僕の気持ちが通じたのか、シャーちゃんがゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らしてくれた。
よし、頼んだよ! シャーちゃん。
――蛇行する一矢!
放たれた蛇の矢は左右にその身を捩りながら、障害物をことごとく回避する。
宙を走るジグザグの閃光は、見事に猿を射抜いた。
ふう、あと一匹。
まだかなり時間は残っているな。
進捗状況を確認しようと、ちらりとネジに目をやった僕は大きく口を開いた。
広場の中央ではネジに手を掛けた中腰の姿勢で、ソニッドさんも大きく口を開けていた。
隠されていた筈の姿が、バッチリ露わになってしまっている。
まさか、もう切れたのか!
非常に便利な不可視の外套であるが、その最大の欠点は効果時間がランダムであるという点だ。
とはいえ、普通は五分くらい余裕で持つのだが……。
下の枝の最後の一匹が、甲高い声を上げた。
不味い、見つかったか。
瞬く間に、上部の枝にいた二十匹近い猿どもが戦闘態勢に入った。
一斉に松ぼっくりを枝からもぎ取り、投げ付けようと構える。
さて、ここから先は巻き戻し前提での様子見だ。
言い方は悪いが、お手並み拝見という奴である。
即座にネジから手を離したソニッドさんが、こっちに向かって走り出した。
身体を猿どもに向けた背面走りで、飛んでくる松ぼっくりをあり得ない動きで避けていく。
判断が早かったのと僕の援護もあって、ソニッドさんは危険地帯をあっさりと駆け抜けた。
実は樹から下りてこないということは、攻撃範囲が限定されることとイコールなのだ。
踏み止まって戦闘を継続しない限り、猿の樹は非常に逃げやすい相手だと言える。
――だがそれは、猿たちも重々に承知していた。
ソニッドさんが茂みに逃げ込んだ瞬間、樹冠に陣取っていた一際大きな猿が雄叫びを上げる。
その吠え声は密林の上を飛び越え、天井にぶつかりながら遠くへとこだましていく。
数秒の後、遠くから同じような吠え声が響いてきた。
"古樹要塞"の居た方角から、誰かが返事したのだ。
「……来るぞ」
ドナッシさんが、重々しく言葉を発した
その声に、一目散に密林の中を逃げていた僕たちは足を止めた。
もうこれ以上、逃げても仕方がないらしい。
深く息を吸い込んだドナッシさんの体が大きく膨らむ、
そのまま腰を落として盾を真上の向けながら、じっと空を睨み付ける。
聞こえてきたのは、低い風切り音だった。
同時に辺りが、あっという間に薄暗くなる。
僕の背中の熊が、怯えたように爪を激しく立ててきた。
生唾を呑み込みながら、僕は無言で真上に顔を向ける。
そこに見えたのは、空を埋め尽くす巨大な松ぼっくりたちの姿であった。
蛇行する一矢―障害物を避けて対象に命中する矢。格好つけて撃っているが、実はシャーちゃん頼みの技である




