七層地下第一関門区
もう一度見直してみたが、やっぱり熊である。
いや、大きさや体型を考えると、熊かどうか怪しくなってきた。
サイズは大きいのでも僕の腰ほどしかないし、見た目も丸々としてて怖いよりも可愛いとしか言いようがない。
なにより緑色の体毛なのが、余計に作り物っぽく見える。
これはどちらかといえば、熊っぽくデフォルメされた着ぐるみのほうが正解に近いかな。
「ああ、そっか。中に人が入ってるんですね」
「入ってねぇよ」
「そうね、とりあえず倒してみたら、ハッキリするんじゃないかしら」
「倒しちゃ駄目だっての」
「でもモンスターですよ」
「そうね、可愛いけど仕方ないわ」
「だから弓を構えんなっての」
ソニッドさんの目が真剣なので、とりあえず弓を背中に戻す。
油断なく眼鏡を光らせていたサリーナさんも、しぶしぶといった感じで警戒を解いた。
そんな僕らを尻目に、ニドウさんとドナッシさんが広場を走り回る熊たちへ平然と近付いていく。
不意に一匹の熊が、ピタリと立ち止まった。
小刻みに首をあちこちに振りながら、鼻をヒクヒクさせる。
そのつぶらな眼が大きく見開かれ、四足歩行に戻った熊が猛然と二人目掛けて走り出す。
咄嗟にまたも弓に手が伸びかけた僕を、ソニッドさんが首を横に振って制止する。
隣でサリーナさんが、小さく息を吸い込む音が聞こえた。
転がるようにドナッシさんの元に駆け寄った熊は、大きく口を開いて差し出された手に噛み付いた。
正確には、ドナッシさんが手に持っていた魚の干物にであるが。
短い両手でドナッシさんの手首を器用に抱えた熊は、嬉しそうに干物にかぶりつく。
空いた手で、もさもさの熊の頭を撫でるドナッシさん。
その横では違う熊が、ニドウさんの手の平に乗った木の実らしきものを懸命に舌ですくい上げていた。
籠手越しにペロペロされるのがくすぐったいのか、ニドウさんの目尻が露骨に下がっている。
なんだ、あれ。
僕も超やってみたい。
「ほんじゃ、俺もちょっと行ってくるわ」
ベルトにつけたポーチから、葉っぱの束を取り出すソニッドさん。
その顔はさっきまでのキリッとした表情は欠片もなく、だらしなく緩んでいた。
ソニッドさんが葉っぱを手に広場ヘ向かうと、緑の熊モドキたちは一斉に動きを止めた。
そして一瞬の静寂のあと、口の端から涎を垂らしながら、次から次へとソニッドさんへ殺到していく。
小さな熊たちに揉みくちゃにされるリーダー。
背中によじ登ったり腰にしがみ付いた熊たちは、可愛い鼻声を上げてソニッドさんの持つ草をおねだりしている。
なんだ、あれ。
物凄く楽しそうなんだけど。
隣でサリーナさんが、小さく舌打ちした音が聞こえてきた。
「なんか餌もってます?」
「……豆とか食べるかしら?」
「あいつらは舌が肥えとるから、豆じゃ見向きもせんぞ」
僕たちの会話に割り込んできたのは、がっしりとした体付きで顔の下半分が髭に覆われた男性だった。
独特の丸みを帯びた灰色の胸当てを付け、腰には二本の片手斧が下がっている。
窪んだ眼窩の奥から放たれる眼光は鋭いが、その声は柔和な響きを伴っていた。
「連絡は受け取るよ、サリーナ司祭に、えっと……名無しの弓使い君だな。七層担当官のブラハムだ」
「はじめまして」
がっしりと手を握られる。
そのままギルド職員のブラハムさんは、全身に熊をまとわりつかせたソニッドさんへちらりと視線を向ける。
「ふむ、熊酔草か。かなり張り込んだな」
「あれは一体なんなんですか?」
「あれって、まあアレだな。一言で言って熊だ」
「いや、それは見たら分かりますよ。危なくないんですか?」
僕の質問に髭面の男性は、片眉を持ち上げた。
「さあな。今まで怪我人が出たことはないし、何かあったとしても自己責任なのでな」
「でもモンスターですよね?」
「熊が何かってのは、未だに結論が出ておらんのだよ。分かっているのは、彼らがこの七層の先住民であること。そしてこの層では、彼らの協力なくしてはやって行けんということだな」
「えっと、掃除屋さんと似たような立ち位置だと考えれば?」
迷宮を徘徊するスライムはモンスターでありながら、探求者に襲い掛かってくることはない。
そして汚れた箇所や壊れた部分を清掃・補修してくれるスライムを、倒そうとする探求者もいない。
「少し違うかな。そもそも彼らは、迷宮生物ではない。立ち位置で考えれば、君たち探求者と変わりないという認識を持って欲しい」
「……熊なのに?」
「彼らにかなりの知性があるのは、間違いないのだよ。迷宮都市の設立当初にどこからか訪れ、迷宮会議と正式に契約を結んだ記録が残っておるのだ」
なんとも奇妙な話になってきた。
迷宮の深層についたら、熊っぽい謎の種族が棲み付いていたなんてにわかには信じ難い。
ちなみに迷宮会議というのは、この迷宮都市の最上位の意思決定機関の名称だ。
七人のお偉いさんで構成されてて、あらゆる権限を掌握しているらしい。
「ご理解いただけたようだし、この層の説明に入っていいかな」
「……はい、お願いします」
ブラハムさんの説明は、ザッとこんな感じであった。
ルールその一。
熊たちに危害を加える行為は、一切禁止である。
また熊たちに危害が及びそうな場合は、速やかにそれを排除すること。
ルールその二。
この七層においての収穫物は、すべて熊たちに帰属する。
当然、モンスターを倒して出たものは、すべて熊たちが回収する。
ルールその三。
それらの品が欲しい場合は、熊たちと取引できる。
ただしその資格として、彼らの村へたどり着き、彼らの信奉する対象に認めてもらわなければならない。
なるほど、七層の加工物が高い訳がようやく分かった。
一度、熊たちとの取引を通す必要があるから、その分が上乗せされているのか。
「するとソニッドさんたちの行動には、どんな意味が?」
「あれは簡単に言ってしまえば賄賂だな。熊を手懐けておけば、色々と便宜を図ってくれたりするんでね」
「そんなこと、良いんですか?」
「熊が融通を利かせてくれても誰も困らんさ」
そんなものなのか。
まあ、餌やりは楽しそうだし、熊も嬉しいしで黙認されている感じなのか。
一通りの理由の説明が終わった時点で、ソニッドさんたちも戻ってくる。
「そろそろ出発するぞ」
「はい、お待たせしました」
三人の後ろを見ると、小さな手引き車を引っ張る二匹の熊がいる。
彼らが回収係というわけか。
「それでは行ってきます、ブラハムさん」
「ああ、無事を祈っているよ」
そう言いながらブラハムさんは、静かに目を伏せた。
まるでこの先で何が起こるかを、あらかじめ分かっているかの様に。
▲▽▲▽▲
北へ真っ直ぐに伸びる通路を歩きながら、ドナッシさんがこの層の注意点を教えてくれた。
まず七層には、大きく分けて二つのエリアがある。
一つはここ地下部分。
地下に伸びる通路は、太い本道と多数の横道で構成されている。
さらに熊専用の脇道もあるのだそうだ。
そして、もう一つは地上部分。
地面の下なのに地上があるという謎仕様だが、ようするに七層上部には大きな空洞があり、そこは多数の動植物がごった返す密林となっているのだそうだ。
迷路などはなく普通に樹木が生い茂るだけのエリアなのだが、厄介なモンスターが多く、地上を突っ切って進むのはまず無理だと言われている。
では地下通路だけを使って、当面の目的地である熊村へ行けばいいのではとなるが、そうもいかない。
そう、地下も地下で、さらにエリアが別れているのだ。
具体的にいうと本道途中に障害物があり、そのままでは通れない仕様となっている。
そこで地上部分の出番である。
地下の障害物をどける仕組みが地上部分にあったり、迂回できるような構造になっていたりと。
つまり普段は地下通路を利用して進むが、要所要所で危険な地上へ出る必要があるということだ。
で、ソニッドさんたちが前回、撤退する羽目になったのも地上部分でのモンスターの襲撃が原因らしい。
どんな状況だったのかは教えて貰ったが、果たして僕に対応できるのだろうか……。
というか、実は未だに少し半信半疑でもある。
これまでもヤバそうなモンスターにはそれなりに出会ってきたが、流石にソニッドさんたちの話は桁が違う気がする。
考え込む僕の眼に、先を進むソニッドさんの持つカンテラが上下に揺れる姿が映った。
僕らが今いる通路だが、本道と呼ばれるだけあって大人が数人並んで歩けるほど広い。
もっとも土が剥き出し状態で、ところどころに坑木の支えがある様子は、通路というより洞窟のような感じであるが。
途中、気がついたら光っているような感じで土壁から発光石が突き出してはいるが、足元も覚束ないほど薄暗い。
そんな薄闇の奥から、何かが接近してくる地響きが聞こえた。
「――おいでなすったか」
呟きながら、ドナッシさんが巨大な盾を構える。
角丸長方形をしたその盾は、ドナッシさんの身長を優に追い越して、天井を擦りそうなほど大きい。
その横を無言ですり抜けたのは、流れるように背の大剣を抜き放ったニドウさんだった。
こちらへ戻ってきたソニッドさんとすれ違うように、大きく前へ足を踏み出す。
長い剣身がランタンの光を跳ね返しながら、闇を一閃する。
分厚い岩を殴ったような音が響き、ソニッドさんの背後に迫っていたソレは大きく跳ね返った。
球形の形をしたソレは、何度か地面を弾みながら壁にめり込んで動きが止まる。
身動きできない状態になった瞬間、その球体は急に上下に開いた。
中からうじゃっと現れたのは、多数の環節を持つ虫の足たちであった。
一斉に足を気持ち悪く動かしながら、壁に半分埋まったソレは自由になろうと足掻く。
そこに音もなく近付いたのは、籠手から刃が突き出した奇妙な武器を構えたソニッドさんだった。
つい先ほど、ドナッシさんの後ろに回ったかと思ったのに、いつの間にか前へ出ていたようだ。
軽い足取りのままソニッドさんは、腕から伸びる刃を突き出す。
さっくりと胴体の中心部に貫かれたモンスターは、大きく背を反った。
その拍子に壁から抜け出たソレは、地面に落ちる。
そこでようやく僕は、そのモンスターの全容を見ることが出来た。
灰色の甲殻が繋ぎ合わさったような形態を持つソレは、子供の頃に誰もが一度は目にしたことのある虫だった。
もっともその大きさは、僕の知ってるソレとは余りにも違い過ぎた。
球体の形状ならスイカほどもあるそれは――巨大なダンゴムシであった。
剥き出しの腹を震わせていた虫は、殻一つだけ残して消えていく。
「追加が来たぞ、任せろ!」
掛け声と同時に、ドナッシさんが前に出た。
動きに合わせて、盾をぐるんと横方向に構え直す。
薄闇の奥から現れた――いや、転がってきたのは、新たなダンゴムシ三匹だった。
サイズはマチマチだが、一番大きいのは僕が両手で抱えきれないほどでかい。
ふしゅると一息吸い込んだドナッシさんの腰が落ちる。
踏み込みが地面を抉り、その巨体が水平に跳ぶ。
硬音が一時に響き渡り、勢いよく突っ込んできた虫どもは、あっさりと盾に弾き返されて宙に浮かんだ。
その一瞬、虫どもの丸まった防御体勢が、わずかに緩むのを僕は見逃さなかった。
各三本ずつの矢を、その隙間にねじ込む様にお見舞いする。
――三々弾。
地面に落ちたダンゴムシたちは、痙攣しながら次々と消えていく。
「よく弱点の場所が分かったな」
「一度見せて貰えば、バッチリですよ」
「ほら、また来なすったぜ!」
ニドウさんの声に、僕は通路の奥を睨み付けた。
暗がりの奥に浮かび上がったのは、横道から大量に溢れ出してくるダンゴムシどもの姿だった。
熊酔草―猫に対するマタタビのように、緑熊族を魅了してやまない草
大団子虫―球状形態の場合は、ほとんどの攻撃を受け付けない。衝撃を受けると形態は解ける。胴体中心部の神経節が弱点




