居酒屋メニューバトル 前編
本日の北区通行証取りは、大成功でお開きとなった。
和気あいあいとしながらロビーに戻った僕たちだが、ここでまた二手に分かれることとなる。
入り口近くのソファーでたむろする一般の探求者と、奥に居座る世襲組の探求者とで。
まるで見知らぬ他人のような素振りで、定位置へ戻っていく世襲組の皆さんたち。
その背中を寂しく見送っていたら、なぜかニドウさんだけ引き返してきた。
「なあ、良かったら、これからメシでも喰いに行かねーか?」
「お、俺も一緒して良いですか?」
「おうおう、いくらでも良いぜ」
真っ先にグルメッシュが手を上げた。
折角、仲良くなれたんだし、僕も行きたいかな。
「オレは酒が飲めんのでな……」
「吾輩も酒精は苦手なので、皆様だけで楽しんで下され」
「また誘っておくれよ、ニドウ」
「私も子どもたちがご飯作ってくれてますので。お先に失礼しますね」
どうも、グルメッシュ以外の人はお疲れのようだ。
というか、晩御飯って酒盛り確定なのか。
「女性がいては羽を伸ばしにくいだろう。私たちも遠慮しておくよ」
ニニさんの言葉に、我が家の女性陣が揃って頷く。
こっちは、気を使っていただいたようだ。
もっともリンとサリーちゃんの二人はブーブー言っていたが。
「それじゃ、五分後に組合前集合でヨロシクな」
「分かりました」
肩越しに軽く手を振りながら、ニドウさんは去っていった。
結局、参加するのは、僕とグルメッシュだけのようだ。
ま、たまには野郎だけの飲み会ってのも良いかもね。
なんてことを考えながら外で待っていると、ほどなくしてニドウさんが階段を下りてくる。
「すまん、待たせたか? ちょっとコイツ連れてくるの手間取ってな」
そう言いながら、ニドウさんは腕を掴んでた人物を僕らの前に押し出す。
……それは、終日、不機嫌な顔をしていた黒鎧の男性だった。
「勘弁してくれ、叔父貴。なんで、俺がこいつらに――」
男性が何か言いかけたその時、ニドウさんの手が容赦なくその後頭部を引っ叩いた。
うわ、かなり良い音がしたぞ。
相当痛かったらしく、鎧姿の彼は嫌そうな顔のまま、しぶしぶといった感じで黙り込む。
「あのなグーノ、何度も言わせんなよ。敵を作って許されるのはツェー奴だけだ。お前はホント、自分が弱いって自覚が足りてねぇよな」
そう言いながらニドウさんは、男性の頭に手を当てるとぐいっと地面に向けて押し込んだ。
無理やり頭を下げさせながら、ニドウさんは僕らへ向き直る。
「気を悪くさせてスマンな。こいつ、今日ずっと態度悪かったろ。ナンでちょっと謝らせようと思ってな」
「そうでしたっけ? ま、俺は気にしてないですよ。というか、全然気付かなかったですわ。ね、兄貴」
「えっ。あ、うん、その……眼が悪い人かなって」
さらりとグルメッシュが僕に振ってきたので、無理矢理な感じで誤魔化す。
いやいや、絶対に勘付いてたろ、お前。
心の中で突っ込みを入れてたら、グルメッシュが僕に下手糞な目配せを送ってきた。
何かと思った瞬間、ソフトモヒカン頭はとんでもない提案を口にした。
「そうだ、グーノさんもこれから一緒にいかがです? 今日はお祝いですからね、グイグイッと飲みましょうよ」
「はっ?」
「お、良いねぇ。おい、誘って貰ったんだ。俺に恥かかせるなよ」
ニッコリと唇の端を持ち上げはしたが、ニドウさんの眼は少しも笑っていない。
怯んだ顔を隠すようにグーノさんは、何も言わず頭をもう一度少しだけ下げた。
ああ、うん。
これは、断れるような雰囲気じゃないな。
正直、楽しく飲める気が欠片もしないんだけど。
「んじゃ、今日はオジサンが奢っちゃうか。どこ行こっか?」
「あ、俺の行きつけのトコとかどうですか? 飯もガッツリ食いたい気分なんで」
「よっしゃ、そこに決まりだな」
なんか物凄く自由なのに、許されている感が凄いな、グルメッシュは。
コミュニケーション力の高さに定評あるだけのことはある。
「で、どこにあるの? その店」
「すぐそこですよ。ほら、あそこ。玉龍って酒場です」
▲▽▲▽▲
長いのでつい略されがちだが、大広場の正式名称は迷宮前中央大広場という。
正四角形の広場の北側正面には、この都市の要である迷宮入り口とそれを覆い隠す迷宮組合の建物が幅を利かせる。
西側には闘技場と劇場が肩を並べ、東側には市庁舎が大きくそびえ立つ。
そして南側、広場を横切った先にあるのがこの都市随一の歓楽街、酒旗通りへの表門である。
柱廊形式になった道の左右には大小の酒所が所狭しと並び、しのぎを削り合う。
特にこの夕陽が眩しいかき入れ時は、声高な呼び込みのせいで会話するのもままならないほどの有り様だ。
通りを埋め尽くす人の波を横目に、僕らが門を潜ってすぐ角にある酒場の扉を押し開けた。
「おう、いらっしゃい!」
「うらっしゃい!」
「らっしゃあ!」
口々に野太い歓迎の声を上げるのは、筋骨逞しい給仕たちだ。
看板に水玉模様のある胴長の龍が描かれたこの店、水玉龍の歓楽酒場は今日も千客万来だった。
年季が入った丸テーブルは、奥の方までぎっしりと席が埋まってしまっている。
客たちがふかす煙草の煙と、馬鹿騒ぎの声と、安っぽい麦酒の臭いを掻き分けながら、グルメッシュを先頭に僕らは奥へ奥へと進んでいく。
何か当てがあるのかと思っていたら、モヒカン頭は唐突に立ち止まった。
「あら、奥も一杯ですわ」
「おいおい、マジかよ」
「どっか相席、頼んでみます?」
「そうだな。む、アソコなんて良いんじゃね」
都合の良いテーブルを見つけたのか、ニドウさんはさらに奥へ歩き出した。
そして断りの言葉一つなく、いきなり空いている椅子にどっかりと腰掛ける。
「よう、元気してたか?」
どうやら知ってる人たちの席だったようだ。
「おい、まだ生きてたのかよ、この死に損ない」
「リーダーの知り合い?」
「ただの顔見知りだ。まあ、付き合いは結構長いがな」
「連れも呼んでいいか? 満席で困ってるんだよ」
「ああ、良いぜ。俺たちもこれから注文だしな――って、ナナシの坊主かよ!」
振り向いた先客は、なんとソニッドさんだった。
よく見れば隣に座っていたのは、先輩射手のセルドナさんと魔術士のラドーンさんだ。
「御無沙汰してます」
「ちわっす、俺、椅子取ってきますね」
「なんだ、グルメッシュも一緒かよ。どんな組み合わせなんだ?」
探求者がメインの客層のせいか、この店のテーブルは基本五人掛けだ。
グルメッシュが持ってきた椅子に、僕とグーノさんが座る。
「じゃ、取り敢えずジョッキ七つで」
ニドウさんが給仕のお兄さんに注文を頼んでいる間に、ソニッドさんに今日のメンバーの理由を説明する。
「となると、通行証持ちが一気に増えちまったか……」
なぜか難しい顔で、ソニッドさんは黙り込んでしまった。
顎をさする仕草をしながら、ニドウさんを睨み付けて口を開く。
「それで、坊主のご機嫌取りって訳か、ニドウ」
「いやいや、今日はタダの顔繋ぎって奴さ。ま、先のことは分からんけどな」
「糞、こっちがまだ動けねぇのを良いことに!」
そう言えば、ドナッシさんの姿がない。
大怪我したって聞いたけど、大丈夫なんだろうか。
「ああ、アイツならもうかなり治ってんだ。秘跡不和もなくなったしな。……ただちょっと、自宅謹慎中というやつでな」
ドナッシさんに施されていた命綱という遅延発動型の秘跡は、死にかけた場合のみ一回限りで意識を繋ぎとめてくれるらしい。
その代償として秘跡不和、ようするに他の秘跡をしばらく受け付けない状態になるのだそうだ。
「気が向いたら、顔でも見に行ってやってくれ。退屈してるだろうしな」
「はい、明日にでも伺います」
色々と世話になった人だけに、お見舞いには是非行っておきたい。
住所を教えて貰ったので、何とか頭に叩き込んでおく。
こんな時、ミミ子が居てくれれば。
「それでどうして、僕の機嫌の話になったんです?」
「まだ時期じゃねぇと思ってたが、そうも言ってられんな」
そこで急にソニッドさんは、テーブルに両手をついてガバッと頭を下げてきた。
「どうか俺たちと一緒に、七層へ挑んでくれねーか」
急な頼みに思わず言葉が詰まる。
確かに七層へ進むために、あれこれ準備はしてきたのだが……。
だがあのドナッシさんが、死にかけるような場所だ。
まだ早いのではという気持ちと、どんなところなのか知っておきたいという気持ちが、頭の中で混ざり合ってすぐに結論が出せない。
「その……ちょっと考えさせて下さい」
「じゃあ、俺らと一緒ってのはどうだ?」
答えを保留してしまった僕に、即座にニドウさんが声を掛けてきた。
「おい、本気なのか? ニドウ」
「叔父貴、どういうことだ?」
「どうもこうもねーよ、マジで頼んでるんだ。なぁナナシ、俺らと一緒に七層へ行かねーか?」
テーブル中の視線が僕に集まってくる。
ソニッドさんとニドウさんは熱い眼差しを向けてくるし、グーノさんは今にも殴りかかってきそうな険しい顔になっている。
ど、どうして、こんなモテモテな流れになったんだ?
どっちを選んでも、非常に気まずい結果になりそうなんだけど。
思わず巻き戻して、何もなかったことにしかけたその瞬間、緊迫した空気をかち割ってくれる救世主が現れた。
「はーい、お待たせ。全然来ないから取ってきましたよ~」
それは七人分のジョッキを器用に両手で抱えたグルメッシュだった。
満面の笑顔で、みんなにそそくさと冷えた麦酒を手渡していく。
「はいはい、どうぞどうぞ。持ちました? では皆さん、乾杯!」
勢いに押されたジョッキが派手な音を立ててぶつかり、次いで一斉に傾けられた。
白い泡髭を生やした僕たちは、さっきまでの雰囲気が嘘のような満足の息を一度に漏らす。
「ぷっは~。今日を頑張った俺の胃袋に、ぐいぐい染みこんできますよ」
「ああ、やり切ったあとに飲むのは、最高だよな。凄い分かるぜ」
「うむ、たまらんのう。わしらも早く迷宮に潜りたいもんじゃ」
それまで沈黙を保っていたセルドナさんとラドーンさんが、上機嫌のグルメッシュに賛同する。
「なあリーダー、酒の席であんまり無粋な真似は止めとこうぜ」
「そうじゃな、仮に頼むとしても、ちゃんとした場所できちんと説明するのが、正しいやり方だとわしは思うがのう」
二人にたしなめられて、ソニッドさんは無言でジョッキを空にする。
「叔父貴、門閥外の奴と一緒に潜るって正気なのか? それがどういう意味か――」
「わぁーってるよ。だがなそんなこと気にしてられるような状況じゃねーって、お前も薄々分かってんだろ」
またも全く笑ってない目に戻ってしまったニドウさんが、ジョッキを片手に鋭く言い返す。
そして麦酒を一気に飲み干すと、深々と息を吐いた。
「あーやめやめ。確かにこれは、飲み屋で言い出すこっちゃないな。すまんかったな、ナナシ」
「いえ、誘って貰って嬉しかったです。ただ……」
「どうした?」
「僕の一存で勝手に決められないので、返事は少し待って貰えると助かります」
僕の返答に、ソニッドさんとニドウさんは顔を合わせて静かに頷いた。
「よし、今日はとことん飲むぜ!」
「おう。それならオジサンも本気出すぜ。品書きはどこだ?」
雰囲気が戻ったのでホッとしていたら、きょとんとしていたグルメッシュがポンと手を打った。
「なるほど、兄貴を取り合いしてたんですね。流石はナナシの兄貴、相変わらずの人たらしっぷりだ」
得意げにテーブルを見回したモヒカン頭は、ニヤリとよこしまな笑みを浮かべる。
「で、お二人とも振られてしまったと」
「まだ、そうとは決まってないぞ」
「返事待ちだ、返事待ち」
子供みたいに拗ねる二人に、グルメッシュは大仰に肩を竦めてみせる。
「それでこの変な空気って訳か。なるほど、これはもうアレでスッキリした方が良いですね」
「なんだよ、アレって?」
「この酒場で何か揉めたら、やることは一つだけじゃないですか」
「お、アレか? 良いぜ、燃えてきた」
「ほう、久々じゃのう。腕が鳴るわい」
「ふっ、オジサン、自慢じゃないが、アレなら負け知らずだぜ」
アレが何だかさっぱり分からないが、皆の眼の色が一瞬で変わったことは分かった。
「その、アレって何なんですか?」
僕の質問に、再びジョッキを傾けて口の周りを泡だらけにしたグルメッシュが、嬉しそうに答えてくれる。
「そりゃもちろん、料理注文勝負ですよ。ナナシの兄貴」




