六層影巨人狩り
七層へ進む準備の一環として、今日は六層の霧の街で北門を守る番人に再挑戦することにした。
以前に僕とミミ子、サリーちゃんとイリージュさんの四人の小隊で凄く頑張って倒した相手だが、今回は九人なので心持ちに余裕がある。
番人は投槍巨人とダブル棍棒巨人のコンビで、それぞれ追い詰めると発狂モードになること。
あとは同時に仕留めないと、柱の陰から延々と湧いてくるのも注意かな。
その辺りを踏まえて、今回は二小隊に分かれて挑むことにした。
モルムがくるりと帽子の鍔を回し、クレヨンみたいに赤茶色の悪魔の指で宙をなぞって呪紋を描き上げる。
――『専念』。『集中』の上位にあたる呪紋だ。
この呪紋の素晴らしいところは、指定の範囲にいれば誰でも恩恵を受けられるようになったので、いちいち一人一人に掛ける必要がなくなった点である。
おかげで準備時間が大きく短縮されたし、掛け直しも楽になって戦闘が長引いて効果が途切れるリスクも減った。
もちろん効果自体もアップしており、さらに遮断される情報も減ったりと良い事尽くめなのだ。
どうも魔術士というのは、銀板であるレベル3から学べる魔術、第三階梯の呪紋を使えるようになって、始めて一人前扱いされるらしい。
まず低レベルの内は、使える魔術が地味というか成果のほどが今一つ伝わりにくい。
それに混沌の領域に接続する邪魔になりやすいため、魔術士は金属などの無機物を大量に身に付けられない制約がある。
そのせいで直接的な攻撃にも参加しにくく、活躍の場が少ないせいで役立たずな印象を受けがちだ。
だがそれも銅板までの話である。
銀板を得た魔術士は、別人かと思えるほど有能と化す。
圧倒的に使えるようになった全体強化呪紋。
それに加え、味方の攻撃能力を底上げできる呪紋まで使用できるようになるのだ。
巻き毛の少女は、新たにクレヨンを宙にのびのびと走らせる。
先ほどとは違い直線的な線の組み合わせで描き上げられた呪紋は、僕にではなく赤い弓に納まる蛇の矢へと向けられた。
――『過剰』。こっちも第三階梯の呪紋であり、対象物の特性を強化する働きがある。
剣に掛ければ切れ味が増し、矢や弓に掛ければ鋭さや威力が増すという感じだ。
残念ながら蟷螂の赤弓のほうには『過剰』の上位呪紋である『過大』がかかっているので、これ以上の強化は出来ない。
しかしシャーちゃんなら、威力増し増しに出来る余地が残っている。
普通に考えて使い切りの矢を一本一本強化していくのは余りにも無駄が多い作業だが、その点、神遺物なら何度でも使い回せるので効果を最大限に利用できるという訳だ。
そして本来ならここでさらに弱体化呪紋である『減退』を掛けて貰えれば完璧なのだが、相手が混沌に属する影なのでそれは流石に無茶な話か。
リンの持つ龍の盾とキッシェの弓にも、『過剰』を掛け終えたモルムが満足そうに頷く。
準備が整ったのを確認した僕は、弓を持ち上げてもう一つの小隊へ合図を送った。
「おーい、始めてくれて良いよー」
「分かったのじゃー」
今回の作戦は二体の番人をそれぞれの小隊で受け持ち、トドメだけは僕が刺すやり方だ。
ふりふりと手を振り返してきたサリーちゃんが、のんびりと門に近づく。
その後を付き従うようにニニさんが続く。
恐れを忘れた不死者の少女の鞭が、左側の柱から姿を現した巨大な影へ猛然と打ち込まれた。
鞭の初撃に合わせて、僕は右側の巨人へ矢を放つ。
紫の軌跡を描く蛇矢は、さっくりと投槍を携えた巨人の肩に突き刺さった。
硬すぎて弾かれていた前回が、嘘のような他愛なさだ。
「おお、凄いね」
「…………えっへん」
「来ますよ!」
のん気に言葉を交わしていた僕とモルムに、キッシェが張り詰めた声をかぶせてくる。
眼前の巨人は、すでに投擲の姿勢に入っていた。
今からだと、もう妨害は間に合わない。
予備動作がほとんどない無造作とも言える投げ方。
だが放たれた槍の速さは、本気で撃った僕の矢を軽々と超えていた。
空気が轟と揺らぎ、真っ黒な影が迫る。
が、高速で撃ち出された槍は、僕に到達する前にあっさりと空中で燃え上がり自壊した。
今のはリンの新しい装備、炎龍の盾の仕業だ。
龍が睨みつけることで対象を焼き尽くす、熱線という特殊技能なんだとか。
影の残滓をばら撒きながら消えていく槍の最期に、思わず驚きが口をつく。
「こっちも、凄いな」
「ですね!」
「リン、盾をこっちに向けないで!」
悲鳴に近い声がキッシェの口から飛び出す。
先程の結果を見れば、その気持も十分に理解できる。
「イーさんはとても賢いから大丈夫だよ。それに熱線は疲れるから、しばらくは無理だって」
そう言いながらリンは、またも腰を落とし巨人へ向けて盾を構え直す。
再び獲物を前にした老龍は、低い唸り声を上げた。
先日、手に入れたばかりだと言うのに、もうかなり意思の疎通が出来ているようだ。
その様子に困ったように息を吐きながら、水の精霊を操る乙女は素早く弓弦を鳴らす。
ただしキッシェが撃ち出したのは、矢ではなくもっと小さい――水滴だった。
親指と人差指で作った円に収まるほどの水の球が、音もなく巨人へ飛来する。
水弾はシャーちゃんが開けた孔にすっぽりと入り込み、その衝撃を内部で開放した。
肩の肉を軽く抉られた巨人は、少しだけその身をたじろがせる。
視界の隅では、サリーちゃんとニニさんが棍棒巨人相手に奮戦している様が映っていた。
振り回された巨大な棍棒を、平然と受け流す大鬼の護法士。
その隙に背後に回り込んだ屍霊術士の少女の鞭が、逆五芒星を巨人の背中に刻み込む。
振り向きもせずぶん回されたもう一本の棍棒は、少女の体に到達する寸前、塵と化して消え失せた。
相変わらず、サリーちゃんの『絶圏』の力は凄いな。
戻ってきたシャーちゃんをつがえ直していると、投槍巨人が再び行動を起こす。
恐ろしい勢いで飛んできた槍を、今度はリンが真正面で受け止めた。
心配する間もなく、盾に突き刺さった槍から異様な音が聞こえてきた。
猟犬が太い骨を噛み砕くような響き。
炎龍の盾は、咥え込んだ槍を咀嚼していた。
あの投槍を悠々と受け止め、あまつさえそれを食べるとか。
うん、もう守りはリンに完全に任せていいな。
せっせとシャーちゃんに往復してもらい、傷つけた部分をキッシェが水弾で広げていく。
呪紋が切れたらモルムに楽しそうに掛け直してくれるし、疲れたらメイハさんが優しく『活生』を掛けてくれる。
気がつけば前回の半分以下の時間で、巨人の発狂モードに突入していた。
かがみ込んだ投槍巨人の背中から、新たに十本の腕がニョキっと生えてくる姿が見える。
ここは流石にリンと龍盾コンビでも厳しいだろうと思った瞬間、老龍さんがいきなりぶっ放した。
轟々と燃え盛る猛火が宙を走り、乱立する腕を瞬く間に包み込む。
火が吹き上がった巨人の背中から、炭化した枝のように腕たちが次々と崩れ落ちていく。
唖然としたまま口を開いていると、向こうでも似たようなことが起こっていた。
棍棒巨人が吹雪の吐息を噴き出したと同時に、ニニさんが膝をついて地面に手を当てる。
次の瞬間、ニニさんの目の前の石床が主を守るかの如く急速に持ち上がった。
いや守るだけではない。
盛り上がった石は弧を描き、跳ね退けた白銀の凍気をそっくりそのまま本体へと戻す。
『因果』とかいう習得したての真言らしいが、あんなものまでカウンターできるのか。
自らの息で凍りついてしまった巨人へ、火球と鞭が見事に炸裂する。
ちらりと見ると、ミミ子とサリーちゃんが小さく頷き合っていた。
「旦那様、そろそろご準備を」
「隊長殿、お膳立て終わってるです」
二人の声に気を取り戻した僕は、急いで腰を落として溜めを作る。
あんだけ苦労して再挑戦を繰り返した相手が、ボロ屑のように燃やされたり凍らされたりする姿にいささか哀れみを覚えながら、渾身の力を込めて弓を振り絞る。
僕が放った蛇の矢は、螺旋を描きながら綺麗に二体の巨人を貫いてくれた。
▲▽▲▽▲
何度か北門の番人を倒して分かったことだけど、落とす暗影布の量はどうやらルールがあったようだ。
初回は前と同じく敷き布に出来そうなくらい落としてくれたのだが、二回目以降は親指で図れるほどのサイズに縮んでしまったのだ。
「…………いっぱい出なくなったね」
「何か条件があるのでしょうか?」
「早く倒しすぎたのが、不味かったかもしれんのう」
と、サリーちゃんが提案したので、ゆっくり時間を掛けて倒してみたが結果は同じだった。
「うーん。ミミ子、何か分かるか?」
困ったときのミミ子頼みだ。
「これたぶん、蓄積型じゃないかな~」
「ちくせき?」
「そそ。倒されなかったら戦利品が溜まっていくの~」
なるほど、長らく誰も倒してなかったせいで、ドロップアイテムが溜まっていった感じか。
まあ北門を開ける方法を知っていたら、わざわざ門番を倒す奴はいないしな。
ある程度、ドロップアイテムが溜まっていないと倒す労力に見合わないし、溜め込んでる間に誰かが倒せばリセットされる。
攻略情報の制限もあるし、その内にそんなことすらも忘れ去られてしまったのかもしれない。
でもこれからは、僕が覚えていよう。
確認してまだ溜まってなかった場合は、巻き戻しすれば良いだけだしな。
「そうと分かれば、今日はここまでにしますか」
僕らの小隊は、戦利品である暗影布を持って先に地上に戻ることにした。
ニニさんの小隊は、番人を元に戻しておくために鐘塔を回ってから戻って貰う。
向こうはイリージュさんの風陣があるから、そんなに時間の差は出ないはずだ。
最近はロビーで戻ってくるのを待って、ちゃんと皆の無事を確認してから帰宅するようにしていた。
のんびりと歩きながら、今日の成果を話し合う。
「この布ってどうすんですか? 隊長殿」
「確か魔術士用の防具が作れるって聞いたよ。詳しくはサラサさんと相談しないと」
「そうなんですか。モルムがますます強くなっちゃいますね」
「…………モルムは、ミミちゃんみたいなのが良い」
ミミ子の服って、猿の毛皮を使った着ぐるみのやつか。
この大きさならローブ一着は余裕で作れそうだけど、デザインとかは職人任せだしな。
「そこら辺は、職人さんと相談してみようか」
僕の言葉にモルムは嬉しそうにコクリと頷いた。
「リンの盾も良い感じでしたし、モルムの装備も期待できそうですね」
「私とイーさんの相性はバッチリだよ」
「それで旦那様、次の御予定は何をお考えですか?」
「そうだな、そろそろ一度くらい七層の様子見に行ってみようか」
装備や技能を鍛えるにしても、どの程度の基準まで必要かを見ておきたい。
「メイハさんはどう思いますか?」
「そうね。今日の戦いぶり、最初は少し浮かれていたと感じたけど、最後の方はきちんと集中できていたので申し分はありません。どんな強い相手でも、今の皆なら十分に力を発揮できれば大丈夫と信じているわ。だけど――」
メイハさんはそこで一旦、言葉を区切って僕らの様子を窺う。
そして迷いを含んだ浮かない顔で言葉を続けた。
「この前、ちょっとした伝手から聞いたのだけど……。金板の小隊が七層に初挑戦したらしいの。迷宮にはかなり慣れた小隊だから大丈夫だろうと許可が下りたのだけど、結果は盾役の人が死にそうなほどの傷を負って治療室に運ばれたって」
「そうなんですか。そんなベテランでもきついのか」
「ごめんなさい、気持ちを削ぐようなお話しをしてしまって」
「いえ、緊張感を保つためにも、厳しいお話は大歓迎ですよ」
僕の返答に、メイハさんは憂いを含んだ目を静かに伏せる。
「ただ、その小隊って、確かナナシ君のお知り合いのとこなのよ。確かソニッドさんって方の……」
『水弾』―精霊使いの水精使役術。水球の下位
『活生』―第三位叙階秘跡。回生の上位で疲労回復大
※一部の禁命術の名称を短くしました。




