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大人たちの休日



 瞑想房の白い壁を見る度に、ニニ・ラニフ・ニノはそこに故郷の凍原の景色を重ねた。



 雪嵐が去った束の間の静寂しじま。 

 頭上には、抜けるような青い空が広がる。

 そして視界の果てを超える真っ白な大地に、降り注ぐ無数の精霊たち。

 

 冷え込み過ぎてひび割れそうな空気の中を、光点の群れが音もなく舞い踊る。

 高く低く気まぐれな雪の粉のように。


 白と青の二極に別れた天地の狭間で繰り広げられる美しい眺望。

 それがニニの心の奥底に残る故郷の風景である。


 やがて言葉もなく見惚れていた大鬼オーガ族の少女の頬に、一陣の風が次の吹雪の気配を運んでくる。

 その風に紛れるように、精霊たちは光を失い見えなくなる。

 地面に消えた精霊たちは、凍り付いた雪の下に潜り込み土に還っていくのだ。


 そうして大地に宿った精霊たちは、地の大巨人ティタンに吸い上げられ石の塊へと姿を移す。

 巨人の背から鉱石を掘り起こし加工することで、ニニたちはまた精霊の恩恵にあずかるという繰り返しだ。


 不意に地読みの婆様の言葉が、目を閉じるニニの脳裏に浮かんだ。

 


「――そうやって全部、回っとるんじゃよ」



 大空と大気と大地。

 それらの間を精霊が巡り廻り、全てが繋がって大きな環となる。


 同様に自らが生み出した小さな流れもまた、様々に移り行き最後に己へと戻ってくる。 

 いやそれも結局は流れの一部に過ぎず、始まりや終わりなどは元よりないのかもしれない。


 目蓋を開いたニニは、静かに腰を上げた。

 白い壁を照らすロウソク台の前でゆらりと力を抜く。


 因から生じた果。

 ロウソクの火が産み出す熱で空気が揺らいでいる。


 その流れを、唱えていた真言の力がよりハッキリと浮かび上がらせた。

 風を受け止めた手を軽く伸ばし、流れをそっと元の場所へと還す。



 赤々と光を放っていた火は、あっさりと消え去った。

 


 ニニはほんの少しだけ満足気に頷いてから、暗闇を取り戻した瞑想房を後にした。

 

 大鬼オーガの僧官が向かった先は僧院の中庭だった。

 広々とした中庭は何十年に渡って多くの護法士モンクたちによって踏み固められ、見事な修練の場となっていた。

 だが今は研鑽を積む僧官の姿は、誰一人見当たらない。


 代わりに居たのは、庭の隅で作業中の一人の老人であった。

 そこは数畝足らずのこじんまりとした菜園となっており、白雛豆や青蕪が夏に向けてすくすくと葉を広げていた。


 柄杓で水を撒いていた青い作務衣姿の老人は、近付いてくるニニの姿に気付いたのか軽く会釈する。

 立ち止まったニニは、深々と頭を垂れて礼を返した。

 一呼吸礼を尽くしてから、顔を上げて淡々と修行の成果を報告する。

 

因果カルマの行、無事修まりました。教えに感謝いたします、お師僧様」

「それは何よりですね、ニニ僧官」


 再び頭を垂れて下がろうとした弟子を、師であるタルク僧院長は軽く手を上げて押し留めた。


「少し一服しましょうか」

「はい」


 土ぼこりを払った老人は、中庭に設えてある長椅子へ足を向ける。

 そこにはすでに茶の準備が整っていた。

 

 香葉を炒ってコクを出した焦茶は程合いの温さになっており、湯呑みを傾けたニニは小さく吐息を漏らした。

 そんな弟子の様子に、老僧もまた小さく目を細める。


「そういえば、新しい暮らしは如何ですか?」

「不足はありません。とても良くして貰ってます」

「そうですか。それも何よりです」


 以前のニニはこの僧院の宿房暮らしであったが、数か月前に知人の宅に世話になりたいということで宿替えを許可していた。

 珍しく感情の読み取り易い弟子の返答に、タルク僧院長は胸を撫で下ろす。

 ここに来た当初は口数が極端に少なく何かと誤解を受けやすい子だったのだが、新しい環境には上手く馴染めているようだ。


 視線を戻した老僧は、空を見上げる弟子の横顔に気付く。

 押し黙ってしまったニニに合わせるように、タルク僧院長もゆったりと空を眺めた。


 ちぎれ雲一つない青空は、春の終わりがもう間もなくだと教えてくれていた。

 午後の緩やかな日差しが、長椅子の陰をこっそりと伸ばしていく。


 飲み終えた湯呑みをお盆に戻した弟子に、老僧は改めて問い掛けた。


「何かを決めたようですね?」

「はい、七層へ共に挑もうかと」

「それは……そうですか」


 これまでのニニにとって、迷宮に挑むことは義務であり苦行であった。

 故郷を守れなかった己に課せられた断罪。

 主を守りきれなかったことへの贖罪。


 だがその二つはすでに、ニニの中で決着が付いていた。


 そして今のニニには、新たに守りたいものが――家族と呼べる人達がいる。

 彼や彼女たちが迷宮の深層へ進むというのなら、ニニは命を賭してその無事を守るのみである。


 雪嵐が去った短い晴れ間。

 その平穏は余り長くは続かないと、ニニはこれまで歩んできた道程から学んでいた。 

 だからといって待ち受ける困難に、膝を屈する気は微塵もない。


 ニニの覚悟を決めた面持ちに、タルク僧院長は口にしかけていた危険を諭す言葉を止める。

 大鬼オーガの僧官の表情からは、かつての陰りは綺麗に消え失せていた。 


 弟子が良き縁に巡り合えたことに、老僧は胸の内で護法の主に感謝の言葉を捧げた。


「……無理は禁物ですよ」

「はい、心得ておきます」

「良かったら、これを持っていきなさい」


 タルク僧院長は手首に巻いていた数珠を外すと、ニニに差し出した。

 師僧の餞別を、弟子は深く頭を垂れて受け取る。


「ありがとうございます、お師僧様」

「また何かあれば、顔を出しなさい。いつでも歓迎しますよ」

「はい」


 椅子から立ち上がったニニに、老僧はふと思い出したことを口にする。


「そうそう、あなたの兄弟子が気にかけていましたよ」

「ライエン師兄がですか?」

「ええ、息災でやっているのかと」


 普段は他人を歯牙にもかけない師兄の意外な言葉に、ニニは我知らず微笑を浮かべた。


「それと妹のライネさんも会いたがっていましたよ」


 続いて発せられた言葉を聞いたニニの顔に、それまでの冷静さが嘘のような苦々しい表情が浮かぶ。

 そのうんざりした顔付きに、タルク僧院長は思わず掠れた笑い声と共に別れの言葉を口にした。



「――あなたに法の加護があらんことを」




   ▲▽▲▽▲




 その酒場バーの場所は、小聖堂広場から裏道を抜けた途中にある大きな樽が目印だと聞かされていた。


 樽の陰に潜む木の扉を押し開けると、酒精の強い匂いに混じって爽やかな香りが漂ってくる。

 嗅ぎなれた月灯草の匂いに、メイハ・セントリーニは細く息を漏らした。


 女性客ばかりの店内に目を走らせて、カウンターの奥の椅子に座る顔馴染みを見つける。

 可愛い桜色のワンピース姿の女性は、メイハの姿に目敏く気付いたのか小さく手首を振ってみせた。


「元気にしてた? クリリ」

「相変わらずよ」

「すみません、彼女と同じものをお願いします」


 近付いてきたマスターに注文を済ませたメイハは、興味深そうに店の中を見回した。

 黒檀製の家具で統一された内装が壁掛けの発光石の明かりに照らされる様は、どことなく迷宮を思い起こさせる。

 それでいてあちこちに綺麗な花や可愛らしいガラス細工が置いてあったりと、なんだか矛盾しつつも心が和らぐ雰囲気が醸し出されていた。

 

「ここ、一度来てみたかったのよね」

「まあね、落ち着くでしょ」


 『夜啼鳥の止まり木亭』と呼ばれるこの酒場は、実は創世教の関係者専用のお店であった。

 率直に言って治癒術士ヒーラーというのは、世間一般では非常に人気が高い職業である。

 心までも癒してくれそうな優しい言動に加え、見目麗しい外見を持つ女性が多く、男性の関心が集中するのも無理はない存在だ。


 だが献身的だとか頼り甲斐があるなどのイメージで語られやすい彼女たちにも、息抜きとしてお酒を嗜みたい時間は当然存在した。 

 けれども軽はずみに男性のエスコートが受けにくい職業柄、護衛付きで盛り場に出掛けることは難しい。


 特にこの迷宮都市に多い大衆酒場は、治安が良いとはいえ女性だけで出向くのは流石に論外だ。

 大広場付近の小洒落た店構えの酒場などは、比較的安全ではあるが観光客が多くて心からくつろげない。


 そこそこ値が張るお店となると、今度は小金を稼いだ探求者シーカーが出張ってきたりでと、落ち着いて楽しむことも出来ないときた。

 特に銀板シルバープレート級辺りだと、何かとコネを作りたがるせいか、ギラギラした目で寄ってくるので非常に評判が悪かったりもする。


 そんな彼女たちの欲求を満たしてくれたのが、こういった隠れ家的な酒場バーである。

 治癒術士ヒーラーの事情を良く知る元探求者やギルド職員が経営に携わっており、少しばかり粗があってもそれを帳消しにできる安全とプライベートの保証という利点のせいで、客足はなかなかに盛況だった。


「お待たせしました。桜花春酔です」


 カウンターに置かれたグラスを満たしていたのは、薄いピンク色をした液体であった。

 グラスを持ち上げると、底に沈んでいた薄紅色の花びらがふわふわと揺れ踊る。


「それでは乾杯しましょうか」

「そうね。久しぶりの出会いに」

「出会いに」


 グラスを持ち上げるだけの乾杯を済ませた女性たちは、ゆったりとお酒の味を楽しむ。

 小皿に添えられた小粒な苺を摘まみながら、メイハは改めて二十年来の親友を眺めた。


 歳はメイハと同じなのだが、見た目は十代前半だといっても通用しそうなほど若々しい。

 赤みがかった短い金髪が映える小顔。身長もメイハの肩ほどしかない。

 今日は口紅と耳飾りも、服に合わせた薄い桜色でよく似合っていた。


「何よ、じろじろ見て」

「うん、変わってないなと思ってね」

「悪かったわね、成長が遅くて」

「いいえ、若々しくて羨ましいなって」


 親友の褒め言葉に、クリリは大袈裟に息を吐いて見せた。

 余り他意を含めない物言いがメイハの良いところだと分かってはいるが、それはそれで傷つく部分もある。

 特に円熟した魅力が溢れだしている幼馴染みから言われると、それはもう一入である。


「そっ、ありがと。ま、この見た目は立派な商売道具ですから」

「お仕事の方はどう?」

「そっちも相変わらずよ。毎日、奥方様たちのご機嫌取りで汲々してるわ」


 クリリ司祭の勤務先は、特殊療養院であった。

 療養院に通う患者の大半は暇と金を持て余した上流階級の御婦人方であり、クリリの仕事はそんな患者とは名ばかりの健康な人たちに、癒手リライフという肌治療に特化した秘跡を施すだけである。

 そして肌の張りを取り戻した女性たちは、通常よりも遥かに多いお布施を嬉々として支払い帰っていく。

 

 迷宮とは全く関わりのない仕事ではあるが、実際のところ迷宮都市で探求に身を投じている治療士ヒーラーは全体の四割を満たしていない。

 迷宮探求は死の危険が付きまとう行為である以上、忌避されるのも当然であった。

 それに探求に従事する治療士ヒーラーたちも、司祭や副司祭の叙階を得ると大抵は引退してしまう。

 いくら迷宮でレベルを上げたとしても、それ以上の司教位となると本人の素質だけではなく家柄や教派も絡んできて複雑な話となるせいだ。


 目の前の女性がその条件を満たしていたことを思い出したクリリは、ついでにちょっとした噂話を思い出したので探りを入れる。


「メイハのほうはどうなの? 最近、また潜り始めたって聞いたけど」

「ええ、久しぶりに張り切ってるわ」

「なんでもリーダーが、若手の注目株らしいわね」

「そうね。若いけど、しっかりした良いリーダーよ。たまに凄く頼りになるし……」

「ふーん。そういうことね」

 

 ほんのりと頬を上気させる親友に、クリリは呆れたように声を上げた。


「で、どの辺りまで進んでいるの?」

「今は六層だけど、近い内に七層目指すみたいなの」


 的外れなメイハの返答に、クリリは思わず天井を仰ぎかけて動きを止めた。

 つい今しがたの言葉を、脳内で繰り返しながら急いで理解する。


「本気なの? 七層って」

「ええ、どうやら本気のようなの」


 迷宮に疎い一般人といえど、この都市の住人ならある程度の知識はそれなりに入ってくる。

 七層といえば門閥の探求者シーカー以外はほとんど挑まない恐ろしい場所で、生還率は五割を切る危険な区域であるとクリリは聞いていた。

 よっぽどの事情がない限り、治療士ヒーラーとして同行する者は居ない階層だ。


 言葉が出て来ず目を白黒させる親友の姿に、メイハは嬉しそうに笑みを浮かべた。


「大丈夫よ、クリリ。心配してくれてありがとう」

「大丈夫じゃないわよ! 何、考えてるの?!」


 どう見ても若い恋人が出来て、我を見失ってるとしか思えない友の姿に、クリリは思わず言葉を荒げる。

 だがメイハはたじろぐ素振りを一切見せず、真っ直ぐにクリリを見返した。


「そうね、大丈夫じゃないかもしれない。でも、きっと大丈夫にしてみせるわ。そう決めたのよ」


 きっぱりと言い切ったメイハの姿に、クリリは果てしない既視感を思い出す。

 十年前に外街に治療院を作りたいと言い出した時も、今と全く同じ目をしていたと。

 

 体型に似合わない太い溜息を吐いて見せたクリリは、マスターに手を振っておかわりを頼む。


「もう決めたのね。あなたって本当に……もう!」

「心配を掛けてごめんなさいね」

「本当よ。勝手に居なくなったりしたら、今度こそ絶対に許さないんだから」


 黙って見つめ合った二人は、小さく笑い声を上げた。

 そこに丁度のタイミングで、新しいグラスが運ばれれくる。


「じゃあ今度は、メイハの無事を祈って」

「それじゃ、私はクリリの幸せを祈っておくわ」


 乾杯を交わそうとして、メイハはふと思いついた疑問を口にする。


「今さらだけど、今日って三人の予定じゃなかった?」

「そう言えば遅いわね。時間にはきっちりしてる子なのに」

 

 噂をした瞬間、酒場の扉が勢いよく開かれる。

 息せき切って入ってきたのは、外套を羽織った眼鏡姿の女性だった。


「お、お待たせしてすみません、お姉様方」

「遅いわよ、サリーナ」

「何かあったの? 遅刻なんて珍しいわね」


 二人の横に座った女性は、息を整えながら上着を脱ぎかけて途中で手を止める。

 チラリと見えた彼女の祭服には、赤い大きな染みが出来ていた。


「もしかして、職場から直行したの?」

「はい、少しゴタゴタがありまして……」

「何か面倒事でも?」


 サリーナ司祭が務める迷宮一層の治療室は、組合直轄のため勤務時間はかなり厳格だ。

 こんな時間までの残業などは、通常ではあり得ない。


「あ、その、えっと、私的なことですので、お気になさらず」

「ハッキリ言いなさい。じれったいわね」

「私も聞きたいわ、あなたのそんな姿は初めてだし」


 先輩の二人に問い詰められたサリーナは、観念したのか小さく肩を落とす。

 

「その……知り合いに頼まれてたんです。『命綱ライフライン』を掛けてほしいって」

「ほっほう! で、どうしたの?」

「もしかして、それが?」


 眼鏡の奥の瞳に滴を滲ませながら、サリーナは両の拳を固く握りしめた。



「あの馬鹿、無茶するなって言ったのに――」



因果カルマ』―第五階梯真言。対象からの攻撃を相手に返すカウンター

癒手リライフ』―第五位叙階秘跡。本来は火傷や凍傷などの治療に使用される

命綱ライフライン』―第四位叙階秘跡。死にかけたら一回だけ復活できる。代償としてしばらく治癒術が受けれない

月灯草―小さな白い花弁を持つ花を咲かせる。血止め薬の原料として知られる


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