自宅で飼える龍
「どうやらリン殿は、かなり龍がお好きのようですな。ええ、ええ、分かりますとも。我ら凡人愚人が右往左往する生き様などとは程遠い、あの気高き佇まいには言葉では言い表せぬ、そう、真摯なる迫力と申しますか、類稀なる生物だけが持ちうる強烈な実在感が御座いますからね。えー、あー、つまりでっかいことは素晴らしいですなと。あの、腕がもぎ取れそうなので、握手はそろそろご勘弁を。ああ、ところで今、吾輩の家にも一匹おりましてな。何がですかと? それはもちろん龍の話ですな。ええ、だからその龍です。おや、これは随分とお疑いのご様子。では宜しければ一度ご覧に来られますか? 心からお待ちしておりますぞ」
今日の訪問の切っ掛けとなったダプタさんとの会話は、だいたいこんな感じだった。
そもそもは六層の探求を終えた僕らがロビーで感想を話し合っていたところ、通りすがりの小太りな魔術士殿が首を突っ込んできたのが事の始まりだ。
ダプタさんはいつもの如く場を引っ掻き回すよう言葉をまくし立てたあとにさり気なく、いやわざとらしく爆弾罠を置いて去っていき、僕たちはまんまとそれの解除に失敗したという次第である。
翌日が迷宮探求をお休みする紫曜日であったのも、何かの巡り合わせだったのかもしれない。
もっとも僕としては、休日はのんびりと過ごす予定だったのだが……。
そんなことは興奮気味のリンが許してくれるはずもなく、僕のベッドの上で仰向けに寝っ転がってお願いしてくる可愛い姿に、ついほだされてしまったというのが真相である。
早急に乙女の好奇心を解消しないと、おちおちゆっくりと寝てもいられないかなと。
あと実のところ、僕もかなりダプタさん家の龍には興味があったしね。
それに龍の形をした置物や大きなトカゲ的なオチだった場合は、さっさと巻き戻しして赤毛の美女を枕に二度寝すれば良いだけだし。
「楽しみですね、隊長殿! もう胸がはち切れそうですよ」
「待ち切れないのは分かるけど、あんまりシュークリームを振り回すなよ」
「そうそう。それ、買うの大変やったんよ。迷宮堂はホンマいつ行っても混み過ぎやわ」
はしゃぐリンの言葉は、もしかしたら大袈裟じゃないのかもしれない。
見慣れた綾織りの綿布製ホットパンツとジャケット姿であったが、今日はなぜかその素肌を覆う無地の襟なしシャツの胸部がいつにもまして膨らんで見えるのだ。
おかげでリンが動き回る度に、シャツの裾が膨らみに引っ張られてずり上がってしまい、ついついそこに目が吸い寄せられてしまう。
それと朝早くから手土産を買いに行ってくれたサラサさんも、今日は珍しく私服姿だった。
薄手の白い袖なしブラウスに黒地のピッタリした膝下スカートと、シックで大人らしい出で立ちだ。
さらにいつものポニーテールが解かれ、真っ直ぐな黒髪が背中に広がる髪型も新鮮過ぎる。
「どうしたん、ナナシ君? 神妙な顔して」
「いえ、今日もお美しいなぁと」
「もう、急に何言ってんの。そんな眠そうな顔で言われても、お世辞にしか聞こえへんやんか」
と言いつつもその口調には、少しだけ照れた響きが混じっている。
僕がそれに気付いたのを察したのか、サラサさんは微かに頬を桜色に染めて、僕の二の腕をバシバシと叩いてきた。
恥ずかしがる大人の女性って、やっぱりいいなぁ。
「遊んでないで早く行きまーしょー、隊長殿」
「道、分かってるのか? リン」
「たぶん、コッチであってますよ。だてに盾持してないですから」
確かに小隊の先頭に立つ機会が多い盾持には、道に詳しい人が少なからず居るのも事実だが、ここは迷宮とは勝手が違う。
それなりの人混みと目まぐるしく様相を変える町並みは、シンプルな傾向にある地下迷路と比べると余りにも複雑だ。
目を回しそうになった僕は密やかにため息を漏らしつつ、全く物怖じせず先を急ぐリンに追いつくべく少しばかり足を早めた。
今、僕らが歩いているのは迷宮都市の南側、職人が多く住むと言われる通りの一角だ。
迷宮都市の中心部である中央大広場の傍らには、大市場と呼ばれる観光客向けの小奇麗な店舗が並ぶ目抜き通りがある。
それらとは違いこの辺りに並ぶ商店は、都市の住人がよく使う生え抜きのお店ばかりだ。
いわば地元商店街とでも言うべきの通りの片隅に、ダプタさんのお店はあった。
「たぶんここですよ、ここ!」
半分冗談かと思っていたが、どうやらリンは真面目に道が分かっていたらしい。
自慢げに指差す看板には、金の杖の意匠と店の名前らしき語句が並んでいた。
難しい文字は読めないので、ここはサラサさんにお願いしてみよう。
「骨董屋『黄金の杖』、営業時間は正午の鐘から夕刻の鐘まで。定休日は赤黄青紫の曜日。ということは、今日はお休みやね」
「週三日しか開いてないんですね。まあ兼業だから仕方ないのかな」
確かに扉には、営業中の札が下がっていない。
「それにしても、なんだか凄く雰囲気のあるお店ですね」
表に面したショーウィンドウのガラスはかなりくすんでおり、中に飾られている品々も少々色褪せている。
看板が掛かってなければ、営業してるかどうかも怪しいみすぼらしさだ。
「もうちょっと掃除すれば良いのに。埃を払うだけで見栄えがかなり変わると思うんだけど」
「もしかして、潰れてるんですか? このお店」
「うーん、今日は休業しているだけだと思うけど、そうなるのも時間の問題な気がする」
「いやはや、声がするので出てみれば、吾輩の愛する店があんまりな言われようで胸が痛みますぞ」
「あっ、いえ、うん、味があって良いお店ですね。…………すみません」
いつの間にか扉の隙間から顔を覗かせていたダプタさんに、僕は慌てて頭を下げた。
そんなに大きな声を出していたつもりはなかったのだが。
「ほっほ、冗談ですよ、ナナシ殿。さあさ、中へどうぞ」
分厚い木製の扉を押し開けたダプタさんは、にこやか且つ胡散臭い笑顔で僕らを中へ誘い入れてくれた。
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使い所がさっぱり分からない赤茶けた大きな丸石。
無造作に積み上げられた蓋が開きっぱなしの宝箱たち。
こちらを見上げる灰色毛の猿の剥製は、腰帯に空の鞘を何本もぶら下げている。
天井からは紙製の大きな傘がぶら下がり、目を奥へ向ければ全身鎧を着込んだ骸骨が危なっかしく立ち尽くす。
ちっぽけなランタンの灯りに浮かび上がるダプタさんの店の中は、いわくありげな品々が所狭しと並んでいた。
遮光カーテンが引かれているせいで、外の明るさが嘘のように店内は薄暗い。
そこに古物特有の乾燥した臭いが加わって、なぜかとてもくつろいだ気持ちになる。
リンも同じ心持ちだったようで不思議そうに棚を見回していたが、合点がいったのか嬉しそうに僕に振り返る。
「ここ迷宮となんだか似てるんですね、隊長殿」
「ああ、だから凄く落ち着くんだな」
「松明でもあったら、もっと雰囲気でるんとちゃう?」
「ほっほ、流石に燃やすのは勘弁して頂きたい。それに火ならもう十分間に合っておりますぞ」
でっぷりと脂肪の付いた体を棚の合間に器用に割り込ませながら、ダプタさんは店の奥へと進んでいく。
迷宮に不慣れなサラサさんの手を取って、僕もその後を遅れないよう続いた。
一番奥の暖簾をくぐると、そこは一転して明るく清潔感に溢れる応接室となっていた。
迷宮蜥蜴の革をふんだんに使った豪華なソファー。
店先のとは大違いの、ピカピカに磨き上げられた火吹蜻蛉の翅ガラスのケース。
もちろん中に飾られている魔法具たちも、発光石の欠片で美しくライトアップされている。
絨毯はフカフカだし壁紙も上品な色使いで、表の店舗部分とは雲泥の差のお金の掛けようだ。
驚いて室内を見回す僕とリンの姿に、ダプタさんは少しだけ自慢げに眉を持ち上げながら、腰を下ろすよう勧めてくれた。
「おや、これは吾輩大好物の迷宮堂の春色シュークリーム詰め合わせセットですな。今、茶を淹れますので、少々お待ち頂きたい」
手土産を受け取ったダプタさんは、嬉しそうに声を上げてそそくさと黒檀製のローテーブルに小皿を並べ始める。
そして部屋の奥に置いてある平台に近付くと、その上に薬缶をかざして軽く台を小突いた。
途端に台の上に小さな炎の渦が現れる。
慣れた手つきで、ダプタさんは薬缶の位置を調整しながら火に当てていく。
瞬く間に薬缶から湯気が上がったところを見るに、あの焜炉はなかなか優秀なようだ。
少し大きめなサイズだが、今使ってる迷宮用焜炉とは比べ物にならない火力にはかなりの魅力を感じる。
あとで値段を確認しておくか。
出して貰った香茶で一服していると、鼻の下にクリームを付けたダプタさんが嬉しそうに話題を切り出してきた。
「さて本日は、拙宅へようこそおいで下さいました。如何様な品でも取り揃えておりますが、その前にナナシ殿にはなにやら仰りたいことがありそうですな。ここは友人として、忌憚なき意見を訊かせて頂けると嬉しいですぞ」
「えっとですね。意見ではなく純粋な疑問なのですが、表の方を整頓して掃除すれば、もっと繁盛するんじゃないでしょうか?」
今どれくらい儲かっているのかさっぱり知らないので、全く的外れかとも思ったが浮かんだことを口にしてみる。
僕の返事は想定の範囲内だったのか、ダプタさんは淀みなく答えを教えてくれた。
「この辺りは貧乏な職人の方も多いので、おいそれと目玉商品を表に飾るわけにはいかんのです。それに迷い込んできた観光目当てのお客様なら、今のような胡散臭い店構えの方が喜ばれるのですよ」
「そうなんですか。それならいっそ、大市場にお店を出した方が良いんじゃないですか?」
あの辺りは観光の目玉なので治安もよく、場所的に集客力も期待できるはずだ。
迷宮都市では武器の所持が禁じられているとはいえ、包丁やトンカチまで規制は出来ない。
なので実のところ、食い詰め探求者の溜り場である噴水広場より、職人街の方が危険が大きい場合もあり得るのだ。
僕の提案に、ダプタさんの斜め上を向いていた右目がぐるりと円を描いた。
そのまま右の眼球は、僕の横に座るサラサさんへと向けられる。
カップを優雅に傾けていたサラサさんは、ダプタさんの視線を受けてしぶしぶといった感じで口を開いた。
「この辺りは税金が安いんよ。だから金板持ちのお人には、さっさと一等区に移って下さいって勧告してるんやけどね」
「ほっほ、吾輩はこの場所を愛しておりますゆえ。それに金板でしたら――」
「はいはい、この話はここでおしまい。ほらリンちゃんが、もう待ち切れんって顔になってるし」
強引に話を打ち切るサラサさんの言葉に、我慢してお行儀よくしていたリンが飛び付く。
「あの! 龍どこですか?!」
直線的なリンの物言いに、ダプタさんは少しだけ瞬きしたあと、大きく唇の端を持ち上げた。
あ、これ見覚えある悪巧み中の顔だ。
「龍でございますか? ええ、それならこの部屋にもう居りますよ」
「本当ですか?!」
挑発的な言葉に耐え切れなくなったのか、弾むように立ち上がったリンは鋭い眼光を四辺に走らせた。
僕も一緒に部屋の中を見回してみたが、檻らしきものは視界に映らない。
仮に生物を飼っているとすれば、どんなに掃除していても食べこぼした餌や糞尿の臭いが僅かにするはずだ。
だがこの部屋に入った時に感じたのは、やや高い室温のみで他に気になる点は皆無だった。
不意に僕の脳裏に、先ほどのダプタさんがお湯を沸かしていた風景が浮かび上がった。
「…………まさか」
「何か分かったんですか? 隊長殿」
思わずソファーから腰を浮かした僕は、部屋の奥の焜炉を凝視する。
そんな僕らの様子を楽しげに眺めていたダプタさんは、香茶を一息に飲み干すと勢いをつけて立ち上がった。
「もったいぶるのはこの辺りにしておきますかな。さて、皆さまこちらへどうぞ。我が家の居候をご紹介させて頂きますぞ」
そのままダプタさんは、焜炉の方へと足を進める。
僕たちは無言でその後を追いかけた。
平台の前に辿り着いたダプタさんは、その上に置かれていた品物を楽しげに指差す。
「ご紹介しましょう。こちらが老練なる炎龍"イグナイ"でございます」
紹介されたモノは、黒ずんだ巨大な円盾だった。
縁の部分には精緻な彫刻が施してあったが、かなり摩耗しておりこの盾が使い込まれて来た歴史を感じ取れる。
しかし問題はそこではなかった。
問題は盾の中央部分にある盛り上がりだ。
ダプタさんの呼び掛けに、その部分がゆっくりと動き出す。
目蓋が下に引っ張られるように開き、現れた赤い瞳孔がぐるりとこちらへ向く。
同時に突き出した鼻先から、黒い煙が小さな火柱と一緒に吹き出された。
そこに居たのは、盾の中心に浮かび上がる生きた龍の顔であった。




