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龍見学ツアー



 濃霧を二つに裂いて、唐突に巨大な頭部が中空に現れた。


 前に長く突き出た口蓋は白銀の鱗で隈なく覆われており、先端近くに空いた孔から吹き出す鼻息が霧に混じり合って白く溶ける。

 大きく広げられた頭部の皮膜が、左右に傾く首の動きに合わせて扇のように周囲の靄を追い払った。


 続いて現れたのは、太い柱のような首だ。

 改めて観察すると側面に並ぶ切れ込みのようなヒレが、足取りに合わせてゆっくりと上下しているのが分かる。


 樹氷を一面に生やした大きな胴を支える肉厚な足は、足首より下が霧に呑まれて輪郭がハッキリしない。

 ただあの巨体で足音や振動が一切しない以上、やはり足先は霧状に変化して宙に浮いているとしか思えない。

 龍は精霊が具現化した存在だと聞いたことはあるが、非生物らしい一部の特徴を見る限りあながち間違いでもなさそうだ。



 氷霧を纏う龍は悠然とした足取りで、霧をかき分けて全身を露わにした。



 相変わらずでかい。

 圧倒的という言葉が、これほど似合う生き物も居ないんじゃないだろうか。


 四層の白鰐や大亀、この六層なら番人の巨人たちを見た時も大きいと感じたが、目の前の龍は存在感そのものが桁違いだった。

 言うなれば青空の彼方に浮かぶ入道雲や、ゆったりと流れる大河を眺めた時と同じような感動。



 ――ああ、大きいなぁと。



 しみじみと見入っていたが、ふと体が左右に引っ張られる感覚に気付く。

 右を見ると黒髪の乙女が眉を大きく持ち上げたまま、僕の右腕をかなり強く握りしめていた。

 もとより青白い質感の肌が、血の気が失せたせいで余計に透明感を増している。


 同じ鱗肌を持つ身であるが、同胞意識を持つには至らなかったようだ。


 逆に左側のもじゃもじゃ頭の少女は、姉と違ってかなり冷静な様子だった。

 僕の肘に軽く手を絡めたまま、突き出したもう片方の手の人差し指と親指で直角を作り、龍のサイズを何とか測ろうと試みている。

 どうも上手く距離感が掴めないのか、何度も小首を傾げる姿はとても愛らしい。


 不安を募らせるキッシェと好奇心旺盛なモルムの姿に、どこか懐かしい気持ちが胸の内に湧き上がってくる。

 迷宮に入り立ての頃も、こんな感じだったなと。


 そう言えばもう一人の乙女はと、視線を巡らせば――。


 魂が抜けたような顔付きになったリンは、口を間抜けに開いたまま龍を見上げていた。

 流石に涎は垂れていなかったが、その固く握られた両の拳がぶんぶんと音がしそうなほど激しく上下に振られている。

 高ぶり過ぎた感情をどうにも表現できずに、奇妙な動きをしてしまっているようだ。

 

 これはあれだな。

 久々に会えたご主人様に、千切れそうなほど尻尾を振る犬と言えば分かりやすいか。

 

 だが赤毛の乙女のキラキラした眼差しを意に介する素振りもなく、龍は一切の音を立てずに白霧の奥へと歩み去る。

 龍の尻尾の先が完全に消えていくまでを見守ったリンは、大慌てで僕らに振り向くと今度は肩の付け根から大きく右腕をぐるぐる回し始めた。

 早く追いかけようというジェスチャーだろうか。

 

 そんな大はしゃぎの妹の様子に、キッシェが目くじらと眉尻を一緒に持ち上げながら腕を胸の前で交差させる。

 非情な姉の宣告に、リンはキッシェの腰にしがみ付いて龍が消えていった方角を懸命に指差す。

 駄々をこねる幼子のようなリンの姿を見下ろしながら、キッシェは無情にもその首を横に振った。


 大きく目を見開いた赤毛の乙女は、がっくりと霜だらけの床に両手両膝をついてうなだれる。

 その肩に、モルムの手が優しく置かれた。

 

 顔を上げた姉に良く見えるように、まず大穴の上空に覗く鐘塔を指差して、それから再び地面を指差す。

 帰りにもう一度、ここを通るからという意味だろうか。


 妹の仕草の意図するところを理解したのか、リンはしぶしぶといった感じで体を起こした。

 聞き分けてくれた妹の様子に、キッシェがホッと息を漏らす。


 いや、そもそもこんな茶番を演じている場合ではないのだが。


 竜の見学はあくまでもおまけであって、今回の本命はその先にあった。

 息遣いが荒くなってきたイリージュさんを背負い直し、僕は女の子たちに大きく頷いて歩き始めた。


 目的地は龍が現れた先、大穴の中央部分だ。


 六層の大穴は二段階に窪んでおり、現在僕らが居るのは一段目の段差部分である。

 結構広いこの場所は霧氷龍ライムドラゴンが常時徘徊しているせいで移動もままならない領域だが、どうしても調べておきたい箇所があった。


 濃くなりつつある霧を押し退け、一面に張られた霜を踏み分けながら僕らは奥を目指す。

 目的の場所は、さほど時をおかずに現れた。

 地面がぽっかりと消え失せた空間――穴の底に空いた新たな穴だ。


 なぜか新たな穴の上空には霧がかかっておらず、底知れぬ闇が不気味に浮かび上がって見える。

 引き込まれそうな穴の深さに、覗き込んだ僕は思わず生唾を飲み込んだ。


 軽く二の腕を触られる感触に顔を起こすと、キッシェが緊張感に溢れた顔で穴の縁を指差していた。

 真ん中にわだかまる真っ暗闇につい目を奪われてしまっていたが、よくよく見れば穴の側面には螺旋を描く細い階段が刻まれている。

 そして下へ続く階段は、キッシェが示した場所から始まっていた。


 周囲に危険がないことを確認しつつ、僕たちは慎重に階段へ近付く。

 階段の幅は狭く、並んで下りるのは難しそうだ。


 途中で何かあっても順番を入れ替える余裕は余りなさそうだが、ここは敢えて僕が先陣を切ろう。

 まあ今回は様子見だし、それに頼りになる警報装置もあるしね。

 覚悟を決めた僕は、息を詰めながら一段目にそっと足を下ろした。



 途端、僕の右手首がビリビリと震える。



 思わず出した足を引っ込めながら、腕に巻き付く小さな蛇に視線で問い掛ける。

 シャーちゃんは僕を見上げたまま、またも大きく身震いした。


 やはり七層へ行くには、まだ力不足か。


 出だしで警報装置に駄目出しされたので、今回はこの辺りにしておこう。

 それに先ほどから僕の首筋に掛かる吐息は、熱っぽさをどんどん増していた。 

 おかげで、ちょっと腰に力が入れ難い状況になってしまっている。 


 振り向いた僕は、背中にしがみ付くイリージュさんの頬に額を押し当てて熱を確かめた。

 こんな寒い場所で、指先を晒して冷やす訳にもいかないので苦肉の策だ。 


 イリージュさんの呼吸はかなり弾んでおり、体温も微熱の範囲を通り越していた。

 無音陣サイレントエリアの長時間の使用は、やはりまだ厳しいようだ。


 ぐったりと身を預けてくる黒長耳族ダークエルフのお姉さんを抱きしめながら、僕は急いで穴底を抜けるべく女の子たちに再び大きく頷いた。



   ▲▽▲▽▲


 

「……はぁぁああああ」



 珍しく長い溜息を吐くリンに、キッシェが再び眉を持ち上げる。

 しかし気もそぞろな様子とは裏腹に、リンの的確な一撃は次々と鐘塔の住人である小男を仕留めていく。


 まあ、さほど集中していなくても、この程度の相手なら後れを取ることもないか。

 キッシェとリンが綺麗にモンスターを片してくれたので、まだ体力の戻らないイリージュさんを背負ったままの僕は、モルムと手を繋ぎながらのんびりと階段を上って最上階を目指す。


 途中、モルムには出来るだけ矢狭間でランタンをかざして、鐘塔上昇中のアピールをして貰った。

 西区の番人広場で待機中のニニさんたちに、無事見えていると良いのだが。


 ミミ子の誕生日騒ぎから数日が経ち、僕らは協力して六層の攻略を進めていた。


 折角、苦労して入手した情報の数々だ。

 ここは色々と有効利用したい。

 その手始めが、本日の北区通行証取りだった。


 二小隊なら二つあれば事足りるのだが、この層のモンスターは倒しても自動で再召喚リポップされない。

 という訳で、取れ立ての通行証を使って、西区の番人を再び湧かす鐘を鳴らしにこの中央塔へ舞い戻ったという次第だ。


 以前取った通行証は、鬼人会のベテラン盾持ガードアーダさんに差し上げてしまったので手元に残っていない。

 僕とイリージュさん以外のメンバーは北区は初めてであったが、しっかりとミミ子から聞き取りをしたキッシェが案内役だったので、特に大きな問題もなく到着できた。

 つい先日、訪れたばかりの最上階を懐かしい気持ちで見回す。


「凄い眺めですね! 隊長殿」

「ここからだと街が一望できるんですね。地下迷宮で景色を見下ろすのも、なんだか不思議な気持ちです」

「…………真っ白だね。雪が積もるってこんな感じなの?」

「うーん、雪はもっとしっとりしてるかな」

「…………そうなんだ」


 そこでモルムが言葉を止める。

 興味深そうに四方の窓を順繰りに覗き込んだあと、何かに気付いた少女は僕を小さく手招きした。


 そして軽く背伸びして僕の耳に手を添えたモルムは、ひそひそと小声で打ち明けてくれる。



「……………………この街、耳の形してるよ。兄ちゃん」



 驚いた。

 初見でよく気付いたな。

 僕なんてイリージュさんに教えて貰っても、すぐに気付けなかったのに。

 

 この子の観察力は、生粋の亜人であるイリージュさんの超感覚に匹敵するのか……。

 驚きが顔に出たのか、モルムは得意げに鼻先を持ち上げた。


「…………モルムえらい?」

「うん、よく気付いたな。偉い偉い」

「…………えっへんへん」


 巻き毛の少女の頭を撫で回すと、照れくさそうに顔を綻ばせた。

 和やかな気持ちに耽っていた僕の背中に、次の瞬間なぜか柔らかい感触がぎゅぎゅぎゅと押し付けられる。

 何事かと思って振り向いた僕は、肩越しから覗き込んできたイリージュさんと視線がもろにぶつかった。

 

 無言で僕を見つめてくるイリージュさんの眼差しには、銀色の輝き以外は何一つ読み取れない。

 真顔のままイリージュさんは、魅惑的な肉体の感触を僕の背に伝えてくる。

 同時にそのしなやかな両の腕で、背後から僕の胸や腹をゆっくりと撫で回す。


 不思議そうに小首を傾げるモルムを前に、僕は何とか平静を保ちつつ誤魔化しの笑みを浮かべた。

 そんな僕の気持ちを嘲笑うかのように、イリージュさんの手は柔らかく僕の身体を締め上げる。


 先日メイハさんを地下室に呼び出した時にイリージュさんも一緒に招待したのだが、それ以来なぜか他の子と仲良くすると、こんな風にくっついてくるようになってしまったのだ。

 それ自体はかなり嬉しいのだが、やはり人前でやられるのは恥ずかしい。 


 どうしようかと戸惑う僕を助けてくれたのは、能天気なリンの呼び掛けだった。


「隊長殿! これ引くと鐘が鳴るんですか? 引っ張っちゃって良いですか?」

「…………あ、モルムも引きたい」

「喧嘩は駄目よ。そうね、ここは一緒に引きましょう。よろしいですか? 旦那様」

「うん、どうぞ。メイハさんたちを待たしてるし、さっさと戻りますか」


 僕の返答に嬌声を上げながら、女の子たちは天井から下がる鎖を掴み、タイミングを合わせて引っ張った。

 そして真上から鳴り響いてきた喧しい音に、一斉に笑い声を上げた。

 

 

 この日の探求は、北区通行証を二個入手した時点で引き揚げることにした。

 これであともう少し準備が整えば、次は北区の門番に再挑戦だな。



今章は多数の登場キャラがそれぞれ交差していく作りのため、登場キャラ一覧を前章の追加いたしました。困った時はそちらをご参考頂ければ幸いです。

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