一周年/二十四周目
路地に入った僕らの気配に、ニニさんが顔を上げた。
その瞳がほんの少しだけ見開かれ、唇がわずかに固く結ばれる。
周りに集っていた女性たちにニニさんが何やら耳打ちすると、彼女たちはあっさりと路地を引き返してきた。
入れ替わるように僕たちが店に近寄ると、手にしていた本日貸し切りのドアプレートで顔を半分隠しながら、ニニさんが黙って扉を引いてくれた。
まだ一応は、気付かれていない体裁なのだろう。
言い出し難くなった僕も、無言で店の中へ足を踏み入れた。
創業三十年を超すタルブッコさんのお店は、武骨な剥き出しの煉瓦造りでお洒落な雰囲気や華やかさとは程遠い。
と思っていたが、目の前に広がる光景に僕は入り口でつい足を止めた。
テーブルは美しく活けられた花たちと明るい色のテーブルクロスで、鮮やかに彩りがなされていた。
照明もいつもの梁からぶら下がる発光石のランタンではなく、ずらりと並んだ燭台に灯るロウソクが柔らかく隅々まで照らし出している。
壁にも大きな花輪がいくつも飾られており、その傍で垂れ幕を手にしたサラサさんとリリさんが、どこに着けるかを熱心に話し合っていた。
「もうちょっと、上の方が見栄えがいいんちゃう?」
「そうですね。こんな感じでどうでしょう」
「お、良い感じやん。バッチリバッチリ」
サラサさんはかっちりと紺のスーツで上下を決めていたが、蝶々結びされた白いスカーフのせいでソフトな雰囲気に仕上がっている。
さしずめフロアマネージャーといった感じか。
対するリリさんは、ニニさんと同じウェイトレスの格好だった。
もっともスカート姿が大変珍しいニニさんとは違い、その立ち振る舞いはどことなくコケティッシュな魅力に溢れていたが。
普段の僕なら、もっとしみじみと二人の姿を堪能していただろう。
だが今の僕の視線は、二人が壁に吊るしたばかりの垂れ幕の文字に釘付けになってしまっていた。
ずっと頭の端っこに籠っていた霧が、綺麗に晴れ渡る感覚に思わず手を打ち合わせる。
その垂れ幕には、こう記されていた。
"ミミ子さん、誕生日おめでとう"と。
この街の終身奴隷には、基本的に誕生日なぞ存在しない。
異国ゆえに暦が違ったり、そもそも自分の生まれた日を知らないものも多い。
僕もそうだ。
だがそれでも奴隷を祝ってやりたい主人が少なからず存在するため、公的に認められた誕生日が存在する。
それは契約によって誰かの奴隷となった日。
つまりその時から、お前は奴隷となって新しく生まれ変わったぞという皮肉めいた日でもある。
一年前の今日、僕はレベル3に上がったことで、奴隷を購入する権利を得た。
そしてミミ子と出会ったんだった。
「……ごめん、すっかり忘れてたよ」
「私も忘れてた~」
「なんと、狐娘は今日が産まれた日か。それはめでたいのう」
全く他意のない笑みを浮かべたサリーちゃんが、ミミ子の頭をぐりぐりと撫でだす。
「や~め~ろ~」
嫌がるミミ子の言葉に、ほんのちょっとだけ照れた響きが混じっていた気がした。
たまらなく愛おしさが込み上げてきて、僕もサリーちゃんと一緒にミミ子の髪をかき混ぜる。
さらになぜかニニさんも一緒になって、三角耳の付け根を擦り始めた。
三人の手で揉みくちゃにされるミミ子は、諦め切った顔でなすがままになっていた。
「あら、もう来てるやん!」
扉の近くで騒いでいた僕たちに、サラサさんが目敏く気付く。
「みんな、ナナシ君来てもうたわ。料理の方はどう?」
「隊長殿、もう来ちゃったんですか。あとちょっとかかりますよ」
奥から顔を出したのは、コック帽にフリルの着いたエプロンとややちぐはぐな格好のリンであった。
厨房は暑いのか、腕まくりをしている。
「先に飲み物、運んでおきますね」
リンの背後から出てきたのは、同じように可愛らしいエプロン姿のキッシュだ。
手に下げるバスケットからは、数本の葡萄酒の瓶が覗いている。
さらにその背中から顔を出すモルム。
もじゃもじゃ頭を覆っていたコック帽を脱いで、僕たちに向けてパタパタと振ってくる。
「…………ミミちゃん、お久しぶりだね」
「昨日ぶりだよ~」
「…………でも、随分会ってない気がするよ」
相変わらず勘が鋭い。
これで女性陣は全員揃ったのかなと見回すと、奥のテーブルに腰掛ける女性と目が合った。
準備に忙しない若年組とは裏腹に、ひとり優雅に香茶のカップを傾けるメイハさんだ。
普段から家事を一切しないその姿は、こんな時でも一緒のようだ。
ここまで徹底していると、いっそ清々しさまである。
メイハさんも皆と同じくブラウスとタイトスカートの制服姿なのだが、どうにもサイズが合っていない。
ボタンが留まらないのか胸ぐりを大きくはだけており、深い谷間まで丸見えだ。
スカートの腰回りもはち切れそうなほど窮屈で、足を組み替えるたびに裾がずり上がってむっちりとした太ももが露わになる。
目が離せなくなってしまった僕の後ろで、小さな咳ばらいが聞こえた。
振り向くとキッシェが、すました顔で僕を見つめていた。
その瞬間、僕の中にぷくりと泡のような感情が一粒浮かび上がった。
泡は水面まで達すると、あっさりと弾ける。
それが切っ掛けだった。
大量の泡粒が心の底から一気に溢れ出して、水面でまとめて弾け飛ぶ。
「旦那様、お席に御案内いた――」
彼女が言葉を言い終わる前に、僕の手が伸びてその身体を引き寄せていた。
力一杯抱きしめかけて、寸前で何とか自分を抑える。
壊れ物を扱うようにそっと、彼女を腕の中に招き入れた。
キッシェは何も言わず、力を抜いて僕に身を預けてくれる。
「あら、あらら。もしかして、サプライズ大成功? ナナシくん、感動してもうた?」
はい。違う意味ですが、大成功ですよ。
皆の視線が集まっていたことに気付き、急いでキッシェを腕の中から解放する。
ちょっと耳が熱い。
「では、こちらへどうぞ。ミミ子様も」
何もなかったかのように、にこやかな笑みを浮かべたキッシェが、僕たちをテーブルへ案内し席を引いてくれる。
上座の椅子に並んで座る僕とミミ子。
そこにすかさずモルムとリンが、二人で大皿を抱えて運んでくる。
「ほら、ミミっち。半日仕込みのご馳走だぞ」
「…………モルムも頑張りました。えっへん」
しかしその言葉は、腹ぺこの狐っ子にはあまり届いてないようだ。
ミミ子の目は、大皿に山と詰まれた色とりどりのドーナツに奪われてしまっていた。
半分に切って生クリームを詰めたモノや、果物が挟んで有るモノ。
粉砂糖がたっぷりまぶしてあるモノから、ここら辺ではまだ珍しいチョコレートを塗ったモノまで。
そして皿の真ん中には、ドンと目立つように立てられた一本のロウソク。
なるほど誕生日ケーキの代わりなのか。
「それじゃあ、せーので。ミミっち誕生日おめでとう!」
グラスが行き渡ったのを確認したリンが、テーブルを見回してから声を上げる。
皆が口々に祝福の言葉を述べる中、ミミ子は一息に山盛りドーナツの中央のロウソクを吹き消した。
「それと隊長殿とミミっちが家族になれた日を記念して、カンパーイ!」
「乾杯!」
「うむむ、目出度いのじゃ! 乾杯」
盃が弾ける音を聞きながら、僕は静かに肩の力を抜く。
誰一人欠けておらず、皆がこの場所に揃っていた。
「はーい、まだまだおかわりありますよ。いっぱい食べて下さいね」
「リン、オーブンのはもう出していいの?」
「主殿、これ酒の肴によく合うぞ。豚の皮の揚げ物だそうだ」
「ナナシさん、こちらもどうぞ。ほら、あーんしてください」
「…………サリーちゃん、ソースで口に周りベタベタだよ。拭いてあげるね」
「母様、お代わりをお注ぎします」
「あらイリージュさん、その瓶どっからだしてきたん? それ一番値が張る奴やん!」
「――ちょ、ちょっと待って」
怒涛の如く押し寄せてきた会話の渦に呑み込まれそうになって、僕は慌てて皆を制止した。
ピタリと言葉を止めた女性たちは、不思議そうな顔で僕を見つめてくる。
もっともミミ子とサリーちゃんだけは、ハムスターのように夢中で料理にかぶりついており顔を上げさえしなかったが。
「すみません、少し確認したいことが」
「どうした? 主殿。何か気になることでもあるのか」
「えっと、この企画を考えたのは?」
「はいはーい、私とキッシェとモルムです。発端はリリさんですけど」
なるほど確かにミミ子の購入時は、受付嬢であるリリさんに書類申請を手伝って貰ったな。
「そういえばタルブッコさんは? 他の従業員さんも?」
「今日は厨房も含めて貸し切りにさせてもうたし、御夫婦で闘技場観戦にいってる筈やよ。従業員さんも、臨時休暇が出来たゆうて喜んでたし」
「もしかしてこのご馳走を作るために、わざわざ?」
「最近、あんまり料理してなかったですから、ちょっと張り切っちゃいましたです」
無理を言って、迷惑を掛けた訳ではなさそうなので安心する。
「それじゃ今日は皆、迷宮に潜ってないんだね?」
「…………うん、迷宮はお休みして、皆で頑張って準備したよ」
「あっ、その、嘘を吐いてしまって御免なさい」
「いえ、良いんですよ。正直に話しちゃったら、サプライズにはなりませんしね」
リリさんを責める気は微塵もない。
彼女は知らなかっただけなのだ。僕が時間を巻き戻せるということを。
「あ、最後に一つだけ。僕らがこの店に来ないかもって思わなかったんですか?」
「その点は大丈夫だったでしょ? ほら、イチジクソース不足なら、きっとこのお店に来るはずだって」
「ひょっとしてメイハさんが?」
「ええ、イリージュなら必ずやり遂げられるって信じてましたよ」
「……母様」
今回の件の戦犯がたった今、判明しました。
とりあえず今夜じっくり、地下室でお話しさせて頂きますか。
「まあ、色々と納得行きました。それとホント驚きました。皆がミミ子のために集まってお祝いしてくれるなんて……本当にありがとうございます。ついでながら僕からも、皆さんに打ち明けておきたい話があるのですが、それはまた食事の後にでもさせて頂きますね」
折角、リンたちが腕のよりをかけて作ってくれたご馳走だ。
冷めないうちに、存分に味わいたい。
「では、頂きます!」
「はい、召し上がれ。旦那様」
▲▽▲▽▲
満腹になった僕は、壁に飾られたお祝いの花束をそれとなく眺めていた。
贈り主のネームプレートは奴隷商の人や鬼人会、それにギルド職員一同とかまである。
白い花が綺麗に盛り付けられた小さな花輪には、師匠御夫妻の名前があったのでつい微笑んでしまった。
この一年間で色んな人に出会って、こうやって繋がりが出来てきたんだな。
その前のボッチぶりを懐かしく思い返しながら、僕の膝に頭を置いて眠るミミ子の寝顔をしげしげと眺める。
ああ、本当に不思議だ。
今こうやって、皆と一緒に居ることが。
「今、少し良いかな?」
僕の呼び掛けに、くつろいでいた面々が顔を上げる。
深く息を吸い込んだ僕は、頭の中に浮かんで来たことをつらつらと話し始めた。
「リリさんとサラサさん、あとイリージュ以外は知ってることだけど、三人にはこの機会に改めて話しておきたいことがありまして」
「ウチとリリちゃん? 何々? 愛の告白でもしてくれるん?」
「えっと、僕は時間を巻き戻せます。一日、限定27回ですが」
穏やかな雰囲気に包まれていた場が、一瞬で凍り付いた。
皆が信じられないといった目を僕に向けてくる。
もっともサラサさんとリリさんの視線は、キッシェたちとは違う意味が込められていたが。
冗談めかして笑みを浮かべていた二人だが、誰一人茶化さないのを見ておずおずと口を開く。
「それホントなん? でもナナシ君って、こんな時に冗談いうような子ちゃうしね……」
「凄いですね! なんでも出来るんじゃないですか?」
「リリちゃん、受け入れんの早いよ! ちょ、ちょっと待って、ホントにホンマなん?」
「だって凄くスッキリしましたから。しっくり来るというか、色々合点がいくというか」
目を輝かせるリリさんの反応に押され気味だったサラサさんだが、不意に思い当たる点があったのか大きく瞳を見開いた。
「も、もしかして宝箱を、いっぱい見つけてきたのって――」
「はい、出るまで巻き戻してました」
「この一年間、全然無事故だったのも――」
「はい、危ない場合も巻き戻してました」
たちまちサラサさんの目が、リリさん以上の輝きを放ち始める。
頭の中で様々な計算が渦巻いているのか、そのまま黙り込んでしまう。
逆にリリさんは、少しだけションボリした顔となる。
「どうしましたか? リリさん」
「あ、いえ。その……私、皆さんが迷宮へ行く時、いつも無事に戻ってきてくださいってお祈りしてたんです。もしかしてそれを神様が聞き届けて下さって、事故があまり起きないのかなって。……私でも少しは、お役に立てていたのかなって。でも本当は全部、ナナシさんのお力だったんですね」
「そんなことありませんよ。リリさんに見送って貰えるだけで、絶対に戻って来ようって気持ちになれますから!」
上目づかいで僕を見上げるリリさんの手を、しっかりと握りしめて思いを伝える。
「それに僕の技能は、そこまで万能でも無敵でもありません。強すぎる相手に出会ってしまえば逃げるだけしか選べませんし、回数制限がありますから総当たりで最善の方法を選び取るなんてのは出来ません。賭け事には便利ですが、いつも同じ結果が来るとは言えませんので確実じゃないですし、投資とか日を跨がないと結果が分からないのは全くお手上げです」
僕の言葉に、サラサさんが真剣な表情を取り戻して小さく頷く。
「言われてみれば、使い方が意外と難しいんやね。うん、確かに迷宮探求にはピッタリやけど」
「あの、どうして私たちに打ち明けてくれたのですか? 秘密にされてた理由なら分かりますけど」
リリさんの当然の質問に、僕はテーブルの面々を見回した。
普段は手厳しい先輩だけど、たまに欲望に忠実だったりと可愛い面も見せてくれるニニさん。
誰よりも大人なのに、時折顔を出す甘えた部分が愛らしいメイハさん。
いつも控えめで後ろ向きだけど、家族のためなら頑張ってくれるイリージュさん。
生真面目で時々嫉妬深いけど、一心に僕に尽くしてくれるキッシェ。
元気いっぱいで真っ直ぐだけど、繊細な優しさも持ち合わせるリン。
マイペースで掴みどころがないけど、誰よりも周囲を見てくれているモルム。
破壊大好きで食いしん坊の困ったさんだが、憎めない言動のサリーちゃん。
ぐ~たらで居眠りばっかりで、すぐに帰りたがるミミ子。
誰一人として、欠けてほしくない大切な僕の家族だ。
「今日はたまたま色んな偶然が重なって、少なからず考えさせられることがありました。これまででしたら、今と同じやり方で大丈夫だったと思います。でももっと深い場所に進むなら、僕のこの力だけじゃ足りないと深く思い知ったんです。だからこそサポートのお二人にも、きちんと事情を知って貰った上で手助けして欲しい。そう考えた上で打ち明けています」
今日というか今回、世襲組の人やアーダさん、サリーちゃんにイリージュさんと、いっぱい助けて貰って身に染みて理解できた。
僕の巻き戻しは、やっぱり凄いとは思う。
だけど使い手である僕には、一人の人間としての限界がある。
それを埋めるためには、多くの視点や意見が必要だと。
だからといって、手当たり次第に秘密を公開しないけどね。
あくまでも僕と共に迷宮に潜るか、その手助けをしてくれる人たち限定だ。
「僕は今まで自分のこの力は、生き延びるためにあるものだと思っていたんです」
危ないことや嫌なことから、僕を遠ざけてくれる能力だと。
「でもそうじゃなくて、本当はやり直す力じゃないかと。いっしょに居てほしい人と出会うために、何度も何度も人生をやり直しするためのものじゃないかなって」
かなり恥ずかしい台詞なのだが、誰も何も言わず僕を見つめてくる。
覚悟を決めた僕は、赤く染まりつつある頬を出来るだけ意識しないようにしながら言葉を続けた。
「僕は確かに人とは違った技能を持ってます。でもそれだけです。物語の英雄とはほど遠いし、困難に毅然と立ち向かえる勇者でもない。だから必ずと果たすと誓ったり、確実な約束なんかは出来ません。だから代わりに、ずっと願うことにします」
舌を出して乾いた唇を一舐めしてから、最後の言葉を言い切る。
「幾度、僕の人生を巻き戻しても、きっと皆に巡り会えますようにって。そして絶対に幸せにしてみせますって……そう、願ってい……ます」
最後辺りは、ちゃんと言葉に出来なかった。
でも、言いたかったことは伝わったと思う。
もう俯いてしまって皆の顔をまともに見れてなかったけど、小さな拍手の音たちが僕を迎えてくれたから。
▲▽▲▽▲
「なんかこれ、すっごく渡し難いんやけど……、よかったらどうぞ。ウチとリリちゃんで選んだんよ」
サラサさんが差し出してきた包みは、綺麗なリボンが掛けてあった。
すでに誕生日会もほぼ終わりかけで、キッシェたちは手分けして後片付けに入っている。
「ありがとうございます。開けても良いですか?」
「うん、良いけどたぶんガッカリするよ。ナナシ君の力を教えて貰ったあとやと特にね」
「そんなことないですよ。プレゼントは貰えるだけでも十分嬉しいです。何かを上げたいって誰かに思って貰えた時点で、気持ちが満たされますし」
「うんうん、素直で良い子やね。ホント、お姉さんもほだされるわ」
頭を撫でて貰いながら包みを開けると、中から出てきたのは青銅製の犬だった。
見覚えのある造形が、僕の脳裏に答えを導き出す。
「これって『臆病な犬の像』ですよね」
「うん、皆の安全を考えてこれにしたんやけど、巻き戻せるならあんまり必要ないかなって」
アーダさんも愛用していた危険を察知してくれる便利な魔法具か。
やっぱり僕らの小隊に、斥候がいないのをちゃんと考えてくれてたんだな。
「いえ物凄く助かりますよ。巻き戻し回数を減らせるのは、かなり大きいんです」
「あ、なるほど言われてみればそうやね。まだ、あんまり実感ないから思いつ――」
そこで唐突に伸びてきた尻尾が、僕の手から犬の置物を叩き落した。
唖然と口をあけたまま、僕たちは床に転がる銅像とその犯人を見つめる。
「な、なんで、蛇がいるん?」
「何してんの?! シャーちゃん」
軽い威嚇の声を犬に向けるシャーちゃん。
僕の手に巻きついていた紫の蛇に、サラサさんの眼鏡の奥の瞳が瞬きを繰り返す。
「こ、これって、有魂武器の蛇の矢?」
「はい、この子も僕の巻き戻しに、同行できるようになったんですよ。でも、なんで怒ってるの? アーダさんの時は無反応だったし、犬嫌いって訳でもなさそうだけど」
「それ縄張り争いだよ~」
「縄張り?」
「役目取られると、癇癪起こす子もいるからね~」
相変わらず的を射ない喋り方だが、ミミ子の場合はだいたい核心を突いているのでひとまず思い返してみる。
『臆病な犬の像』といえば罠感知と悪意感知だ。
まさか役目って、危険を察知する能力か?
「ああ、ブルブルしてたのは、危ないぞって教えてくれていたのか!」
「気付いてなかったの~?」
「色々あって覚えてなかっただけだよ。そっか、シャーちゃんは偉いね。忘れてごめんね」
グルグルと喉を鳴らす蛇の身体を撫でてやると、サラサさんが感嘆混じりの吐息を吐いた。
「ちょっと半信半疑やったけど、どうやらホンマっぽいね……巻き戻し。うん、今日は色々とびっくりさせられ過ぎやわ」
「隊長殿、そんなに危ない目に遭ったんですか?」
「うん、穴の底とかヤバかったよ。あそこ龍が居てさ――」
「「「龍!!!」」」
テーブルの皿を集めていたリンと、それを手伝っていたニニさん、さらにサラサさんまでもが見事にハモる。
「龍、見たんですか?!」
「大穴とはどの区域の話だ? そこに龍が居たのか?」
「まさかあの穴に潜ったん?! 第一級危険指定区域やで!」
一斉に畳み掛けてくる三人に、理由を伏せたまま今日の攻略手順を説明する。
話し終えると三人は顔を見合わせたまま、黙り込んでしまった。
ちょっと無謀過ぎたかなと反省していたら、ニニさんが唇の端を持ち上げて僕の胸を軽く叩いた。
「……相変わらず無茶をする。主殿と一緒になってからは退屈を感じる暇もないよ。だがこれはこれで楽しいものだな」
「隊長殿、次は私も絶対に連れて行ってくださいね! 龍、見たいです。龍!」
「ふう、これは急いで探求計画全体を見直さんと。ウチの手に負えるか心配になってきたわ……。一日で六層踏破とか、聞いたこともないで」
どうやら今回の行動は、全く無駄ではなかったようだ。
ホッとしつつ、足元に転がったままの魔法具を、背負い袋に仕舞うために拾い上げる。
考えてみれば、僕が居ない方の小隊で使えば良いだけだし。
袋の紐を緩めて中に放り込む寸前、砂時計が入っていたことを思い出す。
あやうくメイハさんからの贈り物を壊すところだった。
砂時計をいったん取り出してから犬の像を袋の底に押し込んでいると、リンが急に小さく吹き出した。
「あー、とうとうバレちゃったのか、ミミっち」
「うん? ミミ子がどうかしたの?」
「あれ、違ったんですか? てっきりミミっちの悪行の証拠を押さえたのかと」
「……非常に興味があるので、ぜひ話してほしいな。その悪行の詳細とやらを」
僕の言葉にリンは罠を踏み抜いた時と同じ表情を一瞬だけ浮かべたが、観念して口を開いた。
「ほら私、前までは隊長殿を起こす役割が、あったじゃないですか」
「ああ、うん。言われてみればあった気もするな」
「だから今でもつい、朝早くに隊長殿の部屋を覗いちゃうんですよ」
「ふむ。納得はしないけど続けて」
「すると現場によく出くわすんですよ。その、ミミっちが尻尾でポンと、邪魔そうに砂時計を倒してる瞬間に」
「そっか……って、それだよ! 今回の元凶!」
「ええええ! 何の話なんです?」
これでようやく謎が完璧に解けた。
だらけていたとはいえ毎日毎日、目覚まし時計を無意識に止めていたのはおかしいと思ってたんだ。
ミミ子が犯人だったとすれば、全てがしっくり当てはまる。
どうりで"信頼の指輪"もとい"二心の指輪"を嫌がるはずだよ。
そして同時に、最近のミミ子が朝寝坊だった理由も思い出した。
「そっか。サリーちゃんと夜中の特訓をしてたんだったな」
「そうだよ~。不可抗力だよ~」
「ふむむ。今、我を呼んだかのう?」
白黒の美少女コンビがテーブルに残った最後の料理を胃袋に収めながら、僕の言葉に反応する。
底なしに食べ続けるサリーちゃんの姿を眺めながら、ふと思い出したことをニニさんに尋ねた。
「今日の誕生日会って、どうしてサリーちゃんにも秘密だったんです?」
「それは隠し事の出来ぬサリーだと早々に筒抜けになってしまって、主殿たちを驚かせるのは難しくなるからな」
「やっぱり、その理由でしたか」
「うむ。主殿の驚く顔はあまり見れぬからな。ちょっと失敗はしたが、それでも十分に楽しませて貰ったよ」
いや結構、普段から驚きまくっていますが。
もしかして、あまり顔に出てないんだろうか。
そんなことを考えていたら、不意にミミ子が口を開いた。
「サリーは結構、隠し事上手いのにねぇ~」
「うむむ。分かってくれるのはミミだけじゃのう」
そう言いながら少女たちは、顔を見合わせてとびっきりの笑顔を浮かべてみせた。
永劫なる蛇―永続の神性を持つ有魂武器。熱探知に加え、危険予知の技能獲得も確認された
ここまでお読み頂き有難うございます。
聡い方は今話の題名を見た瞬間、気付かれたかと思いますが
人生ロードは先週で一周年を迎えました。
これもひとえに、支えて下さった読者の方あってこそだと深く感謝申し上げます。
実は制作一周年と作中の一年目を同期させて、リアルの感謝も含めてのお話を
考えていたのですが、見事に間に合わずと……。
締まらない結末で申し訳ありません。
まさか花粉たちが、こんなに早く襲ってくるとは……ズルズル。
今章の設定見直しと誤字脱字の修正、あと感想返しが終わりましたら
新章の構想に入る予定ですので、またしばらくお待ち頂ければ幸いです。
次はジャングルちほーです。
それでは拙作を、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。




