見落としていた点
話し込んでいた分、昼食を短めに切り上げて、早足気味に迷宮組合へ向かう。
階段を上がり扉を押し開けると、ちょうど銀色の輝きが飛んでくるところだった。
金貨三百枚の指輪をさり気なく受け止めながら、僕はダプタさんの肩越しに室内を覗き込んだ。
すでに二十回以上の繰り返しで、フロアの風景はすっかり目に馴染んでしまっている。
ソファーでガヤガヤと雑談しながら、食べ終えた昼食を消化中の若手探求者たち。
カウンターの内では、慌ただしく書類の処理に追われる職員さん方。
相変わらずな世襲組の連中は、奥のソファーで陣取ってなにやら話し込んでいる。
そして鬼人会の三人が、カウンターの側に固まっている姿も確認できた。
この見慣れた今日の風景を今回で終わりにすべく、僕は大きく一歩を踏み出した。
まずは猛烈な勢いで話し出したダプタさんに頭を下げて、ひょいっと指輪をその向こう側の人物に手渡す。
「あとはお願いしますね、ソニッドさん」
「お、おう。任せとけ」
助け舟を出すつもりが先回りされたソニッドさんは、戸惑った顔で指輪と僕の顔を交互に見つめてくる。
そんなリーダーに、素早く矛先を変えたダプタさんが熱心に指輪の説明を始めた。
これでソニッドさんの鐘塔へ行く予定が潰れたはずだ。
狙っていた上位モンスターに出会えなくなってしまったが、命を落とすよりかは遥かにマシだと思うので許してくれるだろう。
ローザさんの怒り声が加わったせいか、三人の会話にフロア中の耳目が集まり出す。
そんな背後の騒動を意識の外に追い出して、僕は頼もしい盾役の勧誘に勤しむことにした。
「良かったら、今日ご一緒しませんか? アーダさん」
「えっ?」
「六層へ行く予定なのですが、いかがですか?」
初回とは違う流れだが、どうせなら何度も一緒に苦労してくれたアーダさんにも来て欲しいと考えていた。
今日の僕は、六層の鐘塔制覇を目指すつもりだ。
防寒具を着込んだ僕たち五人は、霧の立ち込める南区を抜けて障害モンスターをさっくりと倒す。
東区でネズミを倒し、西区の奥を目指す。
途中、幾度かサリーちゃんに不審な目を向けられたが、何も言わなかったので何も訊かれなかった。
今回はニニさんたちの件を、敢えて秘密にしている。
西区の障害モンスターを片づけて、北区へ。
大通りと小路を行ったり来たりしつつ、大穴前で一息吐く。
この間、一度も鐘はならず、党員指輪の呼び掛けに応じる響きもなかった。
階段手前で休憩していると、アーダさんが噴水の溜まった水を小瓶に詰め始めた。
ここ数回一緒に来ていたが、初めて見る行為に思わず尋ねる。
「水なら僕のが余ってますから、良かったら飲みますか?」
「いえ、大丈夫ですよ、ナナシの旦那。これの採取依頼って、皆さん受けておられないのですか?」
話を聞いてみると、この泉の水は育成が祝福されているので、小瓶一本で金貨三枚という中々の高値が付くのだそうだ。
雫がぽたぽたといったペースなので、一日一本分くらいしか溜まらないのだとか。
よくご存知ですねと驚いたら、ここに来る前にグルメッシュが教えてくれたと打ち明けてくれた。
彼は髪形に似合わず、こういった事情にはかなり精通しているらしい。
もしかしてグルメッシュを誘っていたら、もっと簡単に鐘塔まで行けたのか……。
大穴の底で霧を生み出す龍の姿を堪能してから、階段を上がり鐘塔へ辿り着く。
軋む扉を開けると、気配に気付いたらしい小柄な影が一斉に逃げ出した。
鉄製のフライパンを握りしめた影男たちが、我先に部屋中を走り回っている。
「なんじゃ、こいつらは?」
「六層で一番、経験値効率が良いモンスターらしいよ」
適当に矢をばら撒いて、一掃していく。
たまに立ち向かってくる奴もいるが、たいていのは頭を抱えて隅っこに固まってしまうので罪悪感が半端ない。
全て綺麗に退治し終えて、最上層に行き着く。
一番上の層は小さな部屋になっていて、四方の壁に開いた小窓から霧の街が一望出来る。
視線を上に向けると、がっしりと組み合った梁の合間から大きな歯車が覗き、太い鉄の鎖が一本垂れ下がっていた。
たぶんこれを引くと、鐘が鳴るのだろう。
砂時計を見ると前回の二度目の鐘が鳴った時刻にはまだ少し余裕があったので、まったり香茶を飲みながら時間を潰す。
窓からの眺めは噂に聞いた通り、白く覆われていて大まかな造りしか確認できない。
ぼうっと気を緩めていたら、イリージュさんがまたも空を見上げていた。
流石にここより上だと、階層の天井しかない訳で。
「イリージュさ、……イリージュ、何を見てるの?」
僕の問い掛けに振り向いたイリージュさんの瞳は驚きと戸惑い、それと隠し切れない喜びに彩られていた。
「教えてほしいな」
「はい、主様。どうぞこちらへ」
呼ばれて窓際に近付くと、イリージュさんは僕の背後に立って、ぴったりと身を寄せながらそっと空を指差した。
僕より拳一つ分ほど背が高いので、豊満な膨らみがちょうど肩甲骨にムニュリと収まる。
甘い汗の香りを僕の鼻腔に押し付けながら、イリージュさんはしっとりとした声で説明してくれた。
「空にも全く同じ街があるので、とても不思議だと思って見ておりました」
「空に? 天井にも建物や壁があるってことかな?」
「はい、双子のようにそっくりです」
目を凝らしてみたが、霧に覆われた空にあったのは、発光石の薄ぼんやりとした輝きだけであった。
「もしかして……、黒長耳族って凄く目が良いとか?」
「いえ、言葉が足らず申し訳ございません。私たちは音が視えるのです」
音が視えるというのは、イルカとかコウモリが使う反響定位みたいな能力だろうか。
思い掛けない告白に、何と答えるべきか迷っていると、イリージュさんの手が僕の耳にそっと伸びた。
人差し指が耳の縁を優しくなぞる感触が、僕の背筋にゾクゾクと電流を走らせる。
「それと、これともそっくりなので……」
「ひょっとして、僕の耳と?」
頷く感触を背中で受け止めながら、僕は慌てて視線を下へ向けた。
やや丸みを帯びた長方形の外壁。
入り組む壁で奇妙な形に区分けされた街並み。
そしてポッカリと開いた中央の大穴。
耳の構造に似てると言われてみれば、なるほどと頷ける類似性だ。
同時に僕の脳裏に、四層の湖奥神殿の景色が蘇った。
――湖の奥に坐した、巨大な名も知らぬ神の一部が。
いままで僕たちは、神様の耳の上を歩き回っていたのか……。
「イリージュさ、イリージュ、これは僕たちだけの秘密にしてくれるかな」
「かしこまりました、主様」
普通の人間なら、天井の霧の奥まで見通せない。
そして全体像が見えないこの塔からの眺めだけでは、真実に辿る着くのも難しい。
これもまた僕が見落としていた点か。
「のうのう、さっきから何を待っておるのじゃ? いい加減、街を眺めるのも飽きたのじゃ」
イリージュさんとくっついたまま、ちょっと良い雰囲気に浸っていた僕の袖を、昼寝を終えたサリーちゃんがつんつんと引っ張ってきた。
「そうだった。そろそろ時間かな。アーダさんは一階の扉前で待機して貰えますか」
「はい、お任せくださいな」
「これからレアモンスターを湧かしますが、迂闊に近寄るととても危険な相手です。くれぐれも接近戦は注意して下さい。特に一撃を受けたら、即座に盾を手放すことを忘れずに」
「面白そうな相手じゃのう。触れなければ良いのか?」
「触れる前に倒しちゃ駄目だからね、サリーちゃん」
「ふむむ。よく分からんのう」
アーダさんの待機を確認して、鎖の先の鉄の環に手を掛ける。
思い切って引くと歯車が回り出し、同時に凄まじい音が真上から響いてきた。
急いで階段を駆け下りると、金色の輝きがすぐ下の階を走り抜けるのが見えた。
「湧きました! そっちに向かってます!」
「はい!」
中央の吹き抜けを覗き込んでいると、一階の床に金色のフライパンを持った影男が現れる。
前に出てきたアーダさんと対峙した小男は、逃げ口が塞がれている事実に観念したのか、フライパンを振り回して飛び掛かった。
盾で受け止めるアーダさん。
それを確認してから、僕の放ったシャーちゃんがフライパンの底を貫く。
小男が消え去る横で、床に投げ捨てられたアーダさんの面盾が瞬く間に金色に染まっていく。
よし、ばっちりだ。
階段を下りて、驚きで目を丸くしているアーダさんに近寄る。
「うむむ、黄金に変えてしまうとは、殺すのが惜しいモンスターじゃったのう」
「いや、それたぶん金じゃないよ」
こんな金相場をぶっ壊しそうな危険なモンスターは、ギルドも流石に放置はしないだろう。
「そうなんですか。心臓がひっくり返るかと思いましたよ」
「びっくりさせてしまって、すみません。でもこれなら目立つんじゃないかと思って」
鈍く輝く盾を拾い上げたアーダさんは、苦笑を浮かべながら構えてみせる。
うん、滅茶苦茶目を惹くな。やっぱり弁償したほうが良いかもしれない。
「ごめんなさい。嫌なら新しい盾を買わせて貰います」
「いえ、気を使ってもらってとても有り難いですよ、ナナシの旦那。これはしっかり使わせて頂きます」
後日、聞いた話だが、アーダさんの盾は少し重くなったが防御力と敵対心が上がって、使い勝手が凄く良くなったらしい。
おまけに影蜘蛛の吐くネバネバを、薬品なしでも平気で受け止められる性能も判明したため、六層によく誘われるようになったとも。
どこぞの世襲組の人たちに、ぜひ譲ってほしいと迫られた一幕もあったとか。
「それでは今日は引き揚げましょうか」
「は~い」
▲▽▲▽▲
精算を済ませてフロアに戻ると、何やらまだ騒ぎは続いているようだった。
もっとも輪の中心に居たのは、ソニッドさんら先輩小隊のメンバーたちだが。
ソファーの傍で激しく口論している。
「俺はやっぱり、あの戦士の子で決まりだと思うんだよ。見たか? 俺を慕うあの真摯な眼差しを。永らく人を見てきた俺だからこそ分かる。あの子がベストメンバーだ」
「待ってくれ、リーダー。流石に銅板級は不味いだろ。それなら俺が面接した魔術士の子の方が絶対良いぜ。顔は見えなかったが、声が凄く良い。仲間に入れるなら、やっぱり真面目な声の子だな」
「ふん、魔術士ならわし一人で間に合っとるわ。それよりもいい加減、解錠が出来る斥候の子を入れるべきじゃろ。その点を踏まえてわしの一押しは、シリルちゃんじゃな。素直そうな良い子じゃったわ」
「いやいや、みんな単純すぎでしょ。ここはやっぱり可愛くて小隊を盛り上げてくれる子が最高でしょ。ほら射手希望のユッコちゃん。あの子なんか溌剌としてて最高だよ。どこぞのいつも眠そうな後輩とは大違いだし」
もしかして最後のは僕のことだろうか。
「だから戦士の子だって言ってるだろ!」
「いいや、魔術士だね!」
「斥候じゃ!」
「ここはやっぱりダブル射手でしょ!」
どうも五人目を決める論争が、ヒートアップしているようだ。
一言挨拶してから帰ろうかと思ったが、これはどうにも近寄り難い。
と思っていたら、四人の脇に立っていたダプタさんが、おもむろに口を開いた。
「いやはや、皆さま。かなり熱くなっておられるようで」
「おっとすまねぇ、忘れてたぜ。アンタが貸してくれたこの指輪、役には立ったんだが、おかげでこの有り様だ。みんなちっとも譲らねぇ」
その言葉を聞いたダプタさんの目が、怪しい光を帯びるのを僕は見逃さなかった。
だがあの"信頼の指輪"は、他人の好感度が測れる魔法具だ。
メンバー探しなら、ピッタリのアイテムのはずだが。
「ほっほ、それは何よりです。ではそろそろ種明かしと参りましょう」
「お、なんだ?」
「実は吾輩、その指輪の名をうっかり取り違えておりまして。いや、ここでそれを明かすのは、止めておきましょう。折角の盛り上がりに水を差すのは、吾輩の趣旨ではありませんゆえ」
「いやいや、良いからさっさと教えてくれよ、ダプタの旦那」
「勿体ぶられると余計に気になるって。早く教えてくれよ、ダプタさん」
「……もしや、またやらかしおったのか? お主」
「ほっほ、御名答です、ご老人。ええ、実はまたやらかしました」
思い掛けない展開に、僕は急いで耳をそばだてた。
ソニッドさんたちを見回したダプタさんは、にんまりという言葉がピッタリあう笑みを浮かべてから、ぐるりと薮睨みの眼を回転させた。
「ええ、実はその指輪の真の名は、"二心の指輪"と申しまして。装備した者が嘘を吐かれると、熱を発して知らせてくれる大変忠義に厚い道具でして」
空気が止まった。
しばしの沈黙の後、一斉に怒号が上がる。
「ふ、ふざけんなよ! それじゃあ何か、頼れるのは俺だけですとか言ったアレは嘘か? 嘘だったのか?」
「おいおいおい、じゃあ探求が終わったアフターの話はどうなるんだ?」
「まさか、わしが亡くなった父にそっくりだというあの子の言葉は……」
「あぶな! もう少しでお金貸しちゃうとこだったよ! ギリギリセーフだよ!」
「ね、どうですか? これでもう一日、お借りしたくなったのでは? ただ残念ながら二回目からは、借料を取らせて頂き――」
そこまで話したダプタさんの首が、リーダーたちの手で容赦く締め上げられる。
しかしピンク色に染まるダプタさんの顔は、なぜかとても楽しげに歪んでいた。
なんだろう、あの無邪気な悪意とでもいうべき感覚は。
憶測に過ぎないが、ダプタさんの場合お金が欲しいというより、困り顔を見る方が楽しいといった感じか。
まあそれに振り回されてしまった僕も良い迷惑だったが、真剣に怒る気には不思議となれない。
それにこれで欠けていた最後の疑問の部分が、ようやく埋まったしね。
初回の時、リリさんは六層の探求許可依頼は二組だけだと言っていた。
だが今日、六層を全て回ってみたが、モンスターが倒されていたのは世襲組の人がいた西区だけだった。
明らかに一組は、存在していなかったのだ。
そして確認した帰還報告書も二通で、その中にニニさんの名前はなかった。
当たり前だ。最初から行ってなければ、ある筈もない。
この矛盾を解決する簡単な予想は只一つ。
リリさんが、僕らに嘘を吐いたというだけだ。
迷宮組合の建物を後にした僕らは、西へ足を向ける。
指輪の反応から考えて、隠し事をしていたのはもう一人。
イリージュさんの今までの行動を思い起こす。
いつも完璧なはずが、今日に限ってイチジクソースを忘れたこと。
それを僕が持参したら、激しく動揺したこと。
「おや、まっすぐ帰らんのか? どこかで飯を食って帰るのか?」
「うん、今日はタルブッコさんのとこで夕食にしようかと。ほら今日はイチジクソースがなくて、食べたいって話してたから」
とても分かりやすい安堵の息を吐くイリージュさんを、横目で確認しながら言葉を続ける。
「あ、でも今日、貸し切りだって聞いたな」
「そうなのか? 残念じゃのう」
褐色の肌が即座に分かるほど蒼褪めるイリージュさん。
ちょっと楽しくなって来た。
「でもまぁ、確認だけしておこうか」
初回の時は、この怪しい態度に全く気付けなかったんだよな。
考えてみればお酒を飲んで意識を失うってのも、イリージュさんらしくなかった。
大聖堂広場の手前で、路地を曲がる。
真っ先に目に飛び込んできたのは、女性陣に囲まれたある人物の姿だった。
どうやら本日は貸し切りだと、来店した人に説明して回っているらしい。
だが普段からは予想もつかないその格好に、彼女のファンが食らいついてしまったのか。
真っ白なブラウスに、ピッタリした黒のタイトスカート。
胸元の下に着けることで、激しく膨らみを強調するエプロン。
そこにいたのは、タルブッコじいさんの芋地獄亭の制服を身に付けたニニさんであった。
ミミ子の推測が当たっていたことに、僕はゆっくりと長い息を吐き出す。
いや、本当に正解だったよ。
確信が持ち切れてなかった僕は、何とも言えない気持ちのままミミ子に振り返る。
「凄いな、ミミ子。よく分かったな」
「まあね~。怪しいと思ったよ~、イボリーさんが夕食を訊いて来ないなんてね」
まさにそれなのだ。
最初の時に、我が家に帰った僕にイボリーさんが発した言葉は、"お嬢様方とはご一緒ではないのですね?"だった。
考えてみればおかしな話だ。
別々の小隊に別れて潜っている以上、一緒に帰宅することのほうが珍しい。
しかも普段なら我が家の台所を預かるイボリーさんが真っ先に尋ねてくるべき言葉は、"食事をどうされますか?"という一言だ。
手軽な連絡手段がないため外食の場合は事後承諾となりやすく、真っ先に夕食の有無を確認するのがイボリーさんの役目でもあった。
なのにイボリーさんはあの日、食事については全く尋ねようともしなかった。
理由は簡単で、僕らに夕食が不要だと分かっていたからだ。
今朝、わざと砂時計を忘れて、イリージュさんに寝室まで取りに行って貰った。
そしてその隙にミミ子が、さり気なくイボリーさんにこう訊いたのだ。
「ねえ、今日の晩御飯はな~に?」
「あら、本日はお外で会食だと伺っておりますが……」
その言葉だけで、ミミ子はこの結論に達したという訳だ。
まさに僕の見落とした点を、見事にすくい上げてみせたのだ。
しかし全ての疑問が、明らかになったわけではない。
なぜこんな手の込んだ隠し事をしてまで、食事会を開催しようとしたのか。
それを明らかにするために、僕は路地の奥へまたも大きく一歩を踏み出した。
育成―治癒士の第二位叙階秘跡。体組織の成長を促す。使える人が珍しい希少秘跡
今月中に章の終わりまでアップしたかったのですが、残念ながら終わりませんでした……
今週中になんとか〆の一話を上げる予定ですので、今しばらくお待ち頂ければ幸いです。




