六層北区街頭市場探索
ついに。
とうとう僕は、彼女たちの足跡を見つけ出した。
随分と時間が掛かってしまったが、ようやく追いつけたのだ。
アーダさんに返事をしようとして、声が出ないことに気付く。
何かが喉に詰まっていた。
込み上げてきた感情が、気道を塞いでしまったのだろうか。
口を間抜けに開けたまま、僕は動きを止めた。
急いで言葉を紡ごうとするが、どうすれば良いのか全く思い浮かばない。
そうだ、まずは息を吸い込もう。
しかしどれだけ大きく口を開けても、空気が体内に入ってこない。
焦るあまり、肺が小刻みに震え始めた。
こめかみの血管が激しく脈打ち、汗が背筋を滴り落ちる。
まるで頭の中にまで、霧が入り込んだような――。
ポンと僕の背に、誰かの手が優しく添えられた。
「よかったね~、ゴー様。やっと手掛かりが見つかったよ」
ゆっくりと背中をさする少女の手の感触に、胸の中で出口を探して暴れ回っていた激情が瞬く間に溶け去っていく。
金縛りが解けた僕は、深々と胸の奥まで息を吸い込んだ。
「ふむむ、気を張っておったのか。よしよし、楽にせい」
気が付くとサリーちゃんも、僕の背中を撫でてくれていた。
そのすました顔には、出来の悪い身内をあやすような柔らかい微笑みが浮かんでいる。
「御気分が優れないのですか、主様? お水はいかがですか?」
オロオロしたイリージュさんは、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
その純粋な気遣いに溢れた面持ちに、僕の心は落ち着きを取り戻す。
「ありがとうございます。サリーちゃんもありがと。……もう大丈夫」
ミミ子には言葉の代わりに、耳の後ろをくすぐっておく。
もう一度顔を上げると、アーダさんが意外なモノを見てしまったという表情をしていた。
耳たぶが熱くなる感触を誤魔化しながら、平然とした声を何とか絞り出す。
「すみません、お待たせして」
「い、いえ。それで、どうされますか?」
「そうですね。緊急事態の呼び掛けみたいなのは送れますか?」
僕の要請に、アーダさんは鼻の頭に小さく皺を作りながら頷く。
――キン、キキン。
そんな音がしそうなリズムで、音叉が再び指輪に打ち付けられた。
息を殺して僕らは、静寂の終わりを待ち受ける。
しばしの時間が流れ……。
アーダさんは、残念そうに首を横に振った。
「駄目です。戻ってきませんね」
「何かあったということですか?」
「いえ、さっきの振動もかなり弱かったので、もとより範囲ギリギリだったようですね」
「そう……ですか。方角は分かりますか?」
僕の問い掛けに、豚鬼族の女性は鼻の皺をさらに深くした。
「もっと近くなら、ハッキリするんですが」
そう言いながらアーダさんは、見渡す限り建物の壁に埋め尽くされた街並みをやるせなく眺めた。
やはり踏み込んで、片っ端から調べていく必要がありそうだ。
「ええ、元よりそのつもりです。でも、その前に……」
影人の街並みに背を向けた僕は、再び門を通り抜け街の外へ出る。
そして壁から少し離れた場所に、背負い袋から取り出した狼の毛皮の敷布を広げた。
さらにその上にサラサラと砂を落とし続ける砂時計を、しっかりと据える。
アーダさんが調理道具一式の荷物を分担してくれたおかげで、色々と持ち込めるようになったのは有り難い。
つぶらな瞳をパチクリさせるアーダさんに、僕は敷布を叩いて座るように促した。
「――まずは一息入れましょうか」
▲▽▲▽▲
北区の街並みはこれまでとは違い、それぞれの建物の高低差がかなり存在した。
門を抜けてすぐに目に映るのは、不揃いな高さの軒が大通りの左右にずらりと並んでいる光景である。
その乱杭歯のような建築物に挟まれた広い道は、歩き回る無数の人影に埋め尽くされていた。
どこまでいっても影、影、影だ。
もっとも南区に居た兵士と比べると、体つきも小柄で武器も持っていない。
ただ数が多いので、一斉に来られると対処が難しいことだけは確実に理解できる。
視線をさらに奥へ向け、黒影の人だかりをなんとかすり抜けたその先に見えるのは、真っ白な霧の広場だ。
大通りはそこで唐突に終わりを告げ、その先は一面に広がる霞となっている。
平らに広がる白い霧の向こうには、頂きに鐘を吊るす巨大な塔が見える。
その光景はさながら市街地の真ん中に、不意に雲の湖が現れたかのようだった。
「綺麗じゃが、恐ろしい眺めじゃのう」
「あの道が消えている辺りって、どうなっているのかな?」
「ここからだと、空き地に見えますね」
まさか池とかじゃないだろうな。
どこかで小舟を探して来いとか、この階層なら普通にありそうで怖い。
「まあ、近くまで行けば分かるか。問題は……」
「どうやって、あそこまで行くかだね~」
この影人の群れを蹴散らして進めるほど、矢の持ち合わせはないぞ。
やはり一匹ずつ誘き出して、蛇矢で片づけていくしかないか。
「僕が囮になっておびき寄せますので、コツコツ掃除しつつ進みましょう。手に負えない数が来た場合は、門の外へ逃げる方針で」
鐘が鳴らないかぎり、一度倒せばそこは安全地帯になる。
後退するだけなら、支障は起きないはずだ。
それにどうやら影にも制約があるらしく、そのエリア以外には移動できないようだ。
巻き戻しの残り回数が減ってきた今、出来るだけ無駄な消費は避けたい。
と勢い込んでみたが、実際に釣ろうとするとこれが意外と難しい。
影法師のようにじっとしていてくれれば誘い出しやすいのだが、無駄に歩き回る癖にたまに団子状態で固まったりと、影人たちの動きは不規則すぎてどうにも予想がつかない。
もしかして街中でばったりあって、会話に夢中になる様を再現でもしているのか。
まとめて引き寄せてしまう危険性に、つい躊躇ってしまう。
そんな僕の肩を、がっしりと誰かの手が掴んだ。
驚いて振り向いた僕の眼に飛び込んできたのは、親指を立ててみせるアーダさんの姿であった。
「私が行きますよ、ナナシの旦那」
安心感を覚える男前な声に、僕は思わず頷いてしまった。
片目を軽く閉じた豚鬼族の女性は、スルスルと大通りを進み始める。
あの巨体に金属鎧を着込んでいるというのに、その足取りからは全く音が聞こえない。
慎重でありながらも大胆な歩調で、アーダさんは瞬く間に最初の影人に詰め寄った。
反応圏である七歩の境目を通り越し、さらに接近する。
しかし影人は動こうとはしない。
盾を構えた人間が近付いても、無反応のままだ。対するアーダさんの歩みも緩まない。
そしてついに、二人の距離は零となった。
息が掛かるほどの位置まで近付いたアーダさんの横を、影人はするりと通り抜けた。
こちらを無視する影人の様子に、振り向いたアーダさんは大袈裟に肩を竦めてみせる。
「こいつらは襲ってこないようですね」
その言葉に呼吸を止めて見入っていた僕は、大きく息を吐き出した。
アーダさんを先頭に僕とサリーちゃんが少し遅れて続き、最後尾はミミ子とイリージュさんで固めた陣形で大通りを突っ切ることとなった。
影人で混み合う道を重い盾を掲げながら、アーダさんが事もなげに進んでいく。
その頼もしい背中を見失わないように、僕らは影の群れを掻き分けて懸命に後を追う。
どうやら彼らは接触しても、平気なようだ。
僕らにぶつかっても、何事もなかったように歩き続けている。
背が低いサリーちゃんは、見通しが悪いここはかなり歩きにくいようで、ややしかめっ面で足を前に運んでいた。
逆にイリージュさんは軽々と歩けてはいるのだが、その呼吸は少し荒くなっている。
緊張もあるとは思うが、ここまでの強行軍でかなり体力を消耗したようだ。
突如、快調に前を進んでいたアーダさんが歩みを止めた。
左右を見渡しながら片手を上げて、右方向を指し示す。
それは緊急退避の合図であった。
彼女の伸ばした手の先には、小さな路地が口を開けていた。
そこへ向けて、アーダさんの手がくるくると回される。
急げの指示に、僕らは慌ててその路地へ飛び込んだ。
全員が入るとすぐにアーダさんが、蓋をするかのように路地の入口に立ちはだかる。
「どうされました?」
「……ヤバい気配がしました」
「何がおったのじゃ?」
「シッ! …………来ます」
通りを窺うアーダさんの隙間から、僕とサリーちゃんもそっと覗き込む。
相変わらず大通りは影人で溢れかえっており、それ以外には何も見え――。
ぬるりと姿を現した異形に、僕は思わず唾を呑み込んだ。
身の丈は、アーダさんとほぼ同程度だ。
棘だらけの球が鎖の先にぶら下がる凶悪な武器を手にしている以外は、そこら辺の影人とそっくりで区別がつかない。
だが問題はその下半身だ。
ヘソから下は、どうみても犬の体であった。
上半身が人間で下半身が犬のそれは、音もなく影人たちの間をすり抜けて大通りを歩き回っていた。
その動きが急に止まる。
人犬は腰と前脚を器用に折り曲げて、地面すれすれにその体を近付けた。
通行人が邪魔でよく見えないが、どうやら床に耳を当てているようだ。
むくりとモンスターが身を起こす。
その体の向きが明らかに、僕らの潜む路地へと変えられた。
星球式鎚矛を振りかざした人犬は、躊躇いを欠片も見せず、狭い通路に恐ろしい速度で駆け込んでくる。
迎え撃つアーダさんの面盾が、モンスターの一撃を受け止め硬音を響かせた。
途端、通りの影人が一斉にこちらへ向き直る。
次の瞬間、僕が見たモノは、通り中の影人がいちどきに路地へ押し寄せて来る光景だった。
豚鬼族―頭頂部に小さな二本の角を持ち、上を向いた大きな鼻が特徴。収入の大半は、食費に消えてしまう。嗅覚が鋭く、特に地中に埋まったものを掘り当てるのが得意なため、鉱山で働く者が多い




