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門閥探求者の諸事情 後編




 鐘が鳴る前に六層西区の外門を抜けられたことに、セドリーナはこっそりと安堵の息を吐いた。



 今日は本来であればクスル家、ヴァンダルド家に協力してもらっての北区通行証取りのはずであった。

 だが両家とも人手が足らないという理由で、延期の申し入れが来ていた。

 発言力の乏しいミラディール家主催のせいか、人の集まりは毎度のことながら酷い有様だ。


 こちらは先週も先々週も、他家の手伝いに駆り出されたばかりだというのに。


 予定が流れたからといって、金板ゴールドプレートに昇格したばかりの若手を、無駄に遊ばせておく余裕はミラディール家にはない。

 本日の探求はいつもと同じ、六層西区の蜘蛛糸集めとなった。

 

 六層で素材狩りをする場合、中央塔を一小隊が押さえモンスターの再召喚リポップ管理をしてもらうのが、もっとも効率の良いやり方だ。

 だが三家合同催事の告知が行われていたせいか、出発する寸前の確認では他の小隊パーティの六層の探求許可申請書は出ていなかった。 

 

 モンスターが弱い上に再召喚リポップの調整をしやすい中央塔は、経験値稼ぎに絶好の場所である。

 直ぐに誰か来るでしょうと、レジル叔父上の安直な判断を基に蜘蛛狩りは決行された。


 本来なら美味しい狩場が空いているのであれば、セドリーナたちが独占すべきなのだ。

 だが北区通行証を持たない身では、中央塔へ辿り着くことさえままならない。

 効率よく稼げないので戦力の育ちが悪く、合同催事では主要な役割を任せてもらえない。

 結果、発言が軽んじられ、助力を申し込んでも二の次、三の次にされる悪循環。


 一度決まってしまった枠組みは、そう容易く越えることが出来ないという訳だ。

 地力が乏しい家の悲しい現実である。


 ギリギリまで他家の参加を待っていたせいで、鐚銭取りを終えた時点で正午の鐘も鳴り終えてしまった。

 あとは真夜中の鐘まで、影たちが自然に湧くことはない。


 ニドウ叔父上の提案で、東区でネズミの尻尾取りを済ませてから西区へ移動する。

 小隊長であるレジル叔父上は反対したが、現地で誰かと番人戦を共闘できる可能性があるかもしれないと押し切ってくれた。

 ささやかな希望が士気に繋がることを、ニドウ叔父上は流石によく分かってらっしゃる。

 

 順調に蜘蛛狩りが進む中、中央塔を登るランタンの灯りにレジル叔父上が目敏く気付いた。

 各階の矢狭間から漏れる光で、塔に籠る小隊パーティの位置を確認しつつ、引き返すタイミングを計るのは小隊長の役目だ。


 セドリーナは不安を感じながらも、じりじりと小隊長の合図を待った。

 通路を横断する百足を避けて戻るには、それなりの時間と集中力が必要となる。

 

 結局、レジル叔父上は塔の五階に灯りが見えるまで、撤退の号令を出さなかった。

 蜘蛛糸を少しでも多く欲しい気持ちは理解できるが、一度でも百足に引っ掛かると間に合わなくなる時間まで粘ろうとする姿勢に、セドリーナは湧き上がる苛立ちを静かに折り畳んで心の奥へ仕舞い込むしかなかった。


 詰まるところ、家門同士の上下関係の如く、小隊の中もあまり変わり映えしないということだ。


 無事に安全圏まで避難できたことに、セドリーナは胸を撫で下ろした。

 その背中を、不意にしわがれた声が叩く。



「お主らに少々尋ねたい事がある。隊長は誰じゃ?」



 振り向いたセドリーナの目に映ったのは、危険な深層には場違い過ぎる少女の姿であった。


 艶やかな光沢を放つ漆黒の髪。

 人目を吸い寄せる深い泉を思わせる瞳と、雪上に垂らした血の雫のように赤い唇。

 触れると壊してしまいそうな華奢な手足から察するに、まだ十代半ばにも達していないだろう。


 少女の人外じみた美しさに、セドリーナは思わず兜を外して声を上げた。


「私でよければお聞きしますよ、お嬢さん」


 袖や襟にフリルを存分に使った古風な黒いドレスは、生地の仕立て具合から見てもかなり値が張る品だ。

 どこぞの深窓の令嬢としか思えない。

 惜しむらくは腰に下がる鞭が、乗馬用にしてはやや長すぎる点であろうか。


 セドリーナの返答に、少女は不満そうに顎を持ち上げた。

 その仕草から滲み出る妖しい色気が、セドリーナの背に電流を走らせる。


 紅潮しかけた頬を無理に歪めて誤魔化しながらも、胸の奥に湧き上がったある考えにセドリーナは身を震わせた。

 それは退屈な繰り返しを探求と呼ぶ日々に、少し変わった風が吹きそうな予感。

 

 そしてセドリーナが感じた胸騒ぎは、決して間違っていなかった。



   ▲▽▲▽▲



「――――えっ?」



 西区の番人の一人、複数の腕を持つ影巨人の一撃を捌いていたセドリーナは、驚きの余り息を呑んだ。

 まだ戦闘が始まって一分も経っていない。


 しかし手伝いで何度も、この巨人とはやり合っている。

 だから見間違いはあり得ない。 

 

 いや、そもそもこの距離で間違うはずがない。

 巨人の腕は明らかに増えていた……六本に。


 兄弟番人はどちらかを先に倒した場合、残った方が発狂状態となる。

 兄が倒されれば、弟は地面の影に同化して襲ってくるように。

 逆に弟が倒された場合、兄の腕が二本増えて手数が一気に増えるのだ。



「ハッ――やられたぜ、アイツら一瞬で仕留めやがった。よし、本気出すぞ、お前ら!」



 大剣を振りかぶるニドウ叔父上が、巨人の背中越しに発破を掛けて来る。

 その声に幾分かの焦りと悔しさが滲んでいたことが、セドリーナの内心に喜びを掻き立てた。

 いつも飄然としている叔父上にも、向こうっ気があったのかと。 


 まだ状況が完全に呑み込めていないセドリーナは、巨人の猛撃を盾で弾きながら、向こうの小隊パーティの様子を盗み見る。


 そして再びの驚きで盾を落としかけて、慌てて持ち手を強く握り直す。

 少女たちはまたも床に敷いた暗影布に座り込んで、暢気にこちらを観戦していた。

 

 ちらりと視線を巡らせると、レジル叔父上の顔色が白を通り越して青色に染まっていた。

 込み上げてくる激しい笑いを抑え切れず、セドリーナはむせ返りながら巨人の連続打を懸命に受け止める。



 ――本当にあり得ないことばかりだ。 



 そもそも最初から、可笑し過ぎたのだ。


 少女の悪戯で少し躓いた始まりであったが、二回目の蜘蛛狩りは順調に進んでいた。

 なぜか、彼女たちが後ろを付けて来るのを除けば。


 しかも面倒な百足を片っ端から倒していく癖に、百足の爪は放置したまま拾おうともしない。

 蜘蛛糸と同様に、爪も集めれば暗影殻に交換してもらえるのだが、もしかして知らずに倒しているのだろうか。

 にしても拾わないという選択肢自体が、まず探求者シーカーとしてあり得ない。


 いやドロップ品を放置する以前に、倒し方そのものが異常であった。


 何せ、あの可憐なご令嬢が囮なのだ。

 清聖の鎧を装着したセドリーナであっても、何度も受けるのは厳しい百足の締め付けを少女は平然と跳ね返している。

 

「ちっ、見せびらかしやがって――」


 苛立ちを隠せないグーノが、盾の陰でぼそりと呟いた。

 あの性能からみて少女が身に着けているのは、神遺品レガシー級の魔法具アーティファクトだろう。

 暗影殻の装備に憧れる彼にしてみれば、それを歯牙にもかけない態度は腹に据えかねるという訳か。


「放っておきなさい。下賤な野良探求者なぞ、相手にするだけ時間の無駄です」


 糸袋を拾い集めながら、レジル叔父上がさも呆れた口調で注意する。

 その声には迷宮の底を切り開いてきた家門の誇りと、それに追従するしかない一般の探求者を侮蔑する響きが籠っていた。


「地図がなければ、迷宮を歩くことさえ出来ない連中ですよ」


 確かに絵本よりも先に迷宮の地図を与えられるセドリーナたちにとって、ここは迷う恐れが全くない場所だ。

 だがそれを描き上げたのは、先人であってセドリーナや叔父上の功績ではない。

 恩恵を享受しているのは、セドリーナも同様なのだ。

 

 振り返ると白い髪の少女が、首から下げた板にすらすらと何かを書き込む姿が見えた。

 全く知らない場所を切り開いていくのは、どんな気持ちがするのだろうか。

 感じたことのない胸の奥の疼きに気付かないふりをして、セドリーナは目の前の蜘蛛に気持ちを傾けた。


 次に問題が起こったのは、休憩時間であった。

 

「…………アイツら、まじか」


 ニドウ叔父上のあっけに取られた物言いにつられて、荷解きをしていたセドリーナはつい顔を上げた。

 床机に座ってのんびりできる後衛と違い、盾役はやらねばならないことが多い。

 特に蜘蛛の相手をするときは、粘着性のある影の固まりが盾にくっつかないように、一定時間ごとに盾に特殊な塗料を塗り直す必要がある。

 余計なことに気を回す時間はないのだが……。


 目の前の光景に、セドリーナは背負い袋を床に落としそうになって、慌てて紐を指先に引っ掛けた。 

 そこに見えたのは行楽地に来たかのように、床に布を敷いて湯気の立つ食事を楽しむ少女たちの姿であった。


 迷宮には、完璧な安全地帯など存在しない。

 いつ誰がモンスターに追い立てられて、逃げて来るか分からないのだ。


 そんな場所で、自ら派手に匂いを撒き散らすなど自殺行為に等しい。

 気が抜けたせいで腹の虫が鳴りかけたセドリーナは、慌てて鳩尾を押さえた。


 急いで背負い袋からを取り出した干し青豆を口に含み、水筒の水で流し込んで誤魔化す。

 迷宮内で日持ちしない生ものを口に含むことは、厳しく禁じられていた。

 水筒の中身も、迷宮の泉から汲んだ水を一度煮沸してから詰め直しているほどだ。


 あまりにも常識外れな行為を前に、黙り込んでしまった皆の沈黙を破ったのは、レジル叔父上の口から絞り出された掠れ声であった。


「いや……まさか、あり得ません。でも……私が見間違える筈が……」

「どうした? 兄貴」

「すまない、ニドウ。どうも私の目が狂ってしまったようだ。幻影が魔力酔いに含まれる症状など、聞いたこともありませんがね」

「落ち着けよ、兄貴。何が見えるってんだ?」


 その問いに答えずレジル叔父上は黙ったまま、恐る恐る彼女たちを指差した。 

 顔をしかめたまま指の先を眺めていたニドウ叔父上が、不意に大きく目を見開く。

 兄そっくりの動転した声が、その口から洩れた。


「……おいおい、本気かよ。何、考えてんだ? アイツら」

「どうされたんですか?」

「え、ああ、アイツらが敷いてる布。あれ、たぶん暗影布だわ」

「はぁ……………………ハァッ!?」


 六層西区にしか居ない影腕蜘蛛シャドウスパイダーが、稀に落とす糸袋。

 これには最低一本から、運が良くて五本までの黒い糸が入っている。

 

 それを百本集めて交換人に渡すと、影糸一束と交換して貰える。

 ここまでして、ようやく地上へ持ち帰ることが出来るようになる。

 もし一度の探求で規定の百本に達しなければ、取り置きが出来ないため全て無駄になるのだ。


 そして影糸一束で編める暗影布の大きさは、小指の爪ほどでしかない。

 あの面積までにするのには、二年以上欠かさずここに通う必要があるだろう。

 労する時間と手間を考えると、容易く値段が付けられるような代物ではない。

 


 それを――それを無造作に床に敷いて、その上で食事をしているのだ。



 息を呑むセドリーナたちを前に下僕らしき男が派手にカップを転がし、暗影布の上に何かの液体をぶちまける。

 途端に締め殺された豚のような悲鳴が、レジル叔父上の口から発せられた。


「あ……あ、ああああ。す、すまない、私には、もうこれ以上耐えられそうにない……」

「大丈夫かよ?! 兄貴」

「弟よ、わ、私の代わりに尋ねにいってはくれまいか? 彼らは何のために、こんな酷い仕打ちを見せ付けるのか……」

「わかった、わかった。行ってくるから、ちょっと座って休んどきな。顔色がヤバいぞ」


 暗影布の手袋を作るのが、レジル叔父上の長年の目標であり夢であった。

 だがいつもいつも、蜘蛛糸取りが出来るわけでもない。


 それこそ他家の手伝いや若手の訓練、経験値稼ぎの合間を縫ってコツコツと集めてきたのだ。

 先月、ようやく片手分が仕上がったと、珍しく見せてくれた笑顔がとても新鮮だったと記憶している。

 血の気を失ったまま折り畳み椅子に座り込み、病人のように肩を震わせる叔父上に、セドリーナは掛けるべき語句を何一つ思いつけなかった。


 しばらくして、ちゃっかりと食事をご馳走になったニドウ叔父上が戻ってきた。

 そして兄とは対照的にすっかり上機嫌になったニドウ叔父上が、開口一番に言い出したのは番人戦で共闘する案であった。


「何を馬鹿なことを……。彼らをどうやって信用しろと?!」 

「大丈夫だ、兄貴。アイツら悪い奴じゃねーよ。ただ物知らずなだけだわ」

「一応確認しておきますが、彼らのレベルは?」

「金が二人と銀が一人、あと黒い肌の姉ちゃんは銅だったな」

「さて、今日の蜘蛛糸集めは残り六十二本です。気を引き締めて頑張りましょう」

「待て待て兄貴! ちゃんと聞いとかねーと、絶対後悔するぜ」

「これ以上の戯言は結構ですよ。私は少し瞑想する必要がありますから――」

「手伝ってやったら、あの布を半分くれるってさ」


 レジル叔父上のあんな表情を見たのは、セドリーナはたぶん生まれて初めてであった。

 歓喜と懐疑と煩慮と葛藤の狭間で長く沈黙を続けたあと、レジル叔父上は淡々と結論を述べる。

 その顔はあらゆる感情が抜け落ちて、仮面をかぶったようになっていた。


「…………いや、戦力が足らないでしょう。危険すぎます」

「それなんだがな。アイツら多分、虹色級カラーズ候補だわ」


 その言葉にセドリーナは、大きく頷いた。

 言われてみれば、色々と合点がいく。

 彼女たちのやることなすことが、常識から外れ過ぎていた。

 銅板混じりで六層に来てる時点で、もう根本から間違っている。しかも四人でだ。


 ニドウ叔父上に押し切られる勢いで、西区の番人戦が始まった。

 叔父貴は騙されているに違いないと、グーノだけが最後までぶつくさ言っていたが。


 番人の兄弟巨人は見た目に反して、大柄な兄より小柄な弟の方が回避が得意で非常に手強い。

 なのでまともに相手はせず兄だけを先に倒して、北区通行証が出なければ門の向こうへ逃げるのが一般的なやり方であった。

 そして通行証のドロップ率は、実は兄の方が高い。


 面倒なことは向こうに押し付け、通行証と布を手に入れる。

 はずであったが、その目論見は開始早々であっさりと無に帰した。



 暴れ出した兄の巨人を前に、セドリーナは兜の下で最大限の笑みを浮かべた。



 窮屈で退屈な日々に今、風穴が空いたのだ。


 そう。

 彼女たちが軽々と枠組みを飛び越えていく様が、セドリーナの胸を限界まで高まらせていた。

 どれほどの実力があれば、虹色級カラーズに追いつけるのだろうか。


 ニドウ叔父上が苦悩の大剣を肩に担ぐ姿勢が、セドリーナの瞳に映る。

 その唇の端は、普段よりも高く持ち上がっていた。

 さて、こちらも本気を出さなければ、巨人の敵対心ヘイトを維持できない。

 


 セドリーナ・ミラディールは、肺の空気をすべて吐き出すような雄叫びを上げた。



苦悩の大剣―ミラディール家が有する呪忌物フェティッシュの一種。不朽デュラブル腐血キャリオンインフェクト付き

腐血キャリオンインフェクト―禁命術の一つ、傷口が腐り治癒術や自然回復が無効化される


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