六層西区兄弟影巨人戦
ほどなくして戻ってきた長剣使いの戦士は、手を差し出しながらニドウと名乗った。
「まぁ、短い間だがよろしく頼むわ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
門を開けて貰う際に脅かしたり、ずっと後ろを付け回したりと、よくよく考えればかなりの迷惑を掛けていたのによく組む気になってくれたものだ。
探求者倫理査問会に報告されたら、そこそこ不味い感じになっていた可能性もある。
暗影布には、それだけの価値があるってことか。
ハンバーガーをモグモグしている黒いリボンの少女に、こっそりと尋ねる。
「ねぇねぇ、サリーちゃん」
「なんじゃ?」
「そのリボンってどうしたの?」
「これはのう、リーガンに貰ったのじゃ」
「なるほど、部長さんか」
確かサリーちゃんは蘇りし者になった件で、モンスター生態調査部に協力してたな。
その代償として、普段の生活では銀の髪飾りが外せない制約がついてしまったが。
不自由にさせてしまったお詫びとして、リーガン部長がプレゼントしたってとこだろう。
「よし、チャッチャと済ませっか。一回だけだから、よーく見とけよ」
兜をかぶり直したニドウさんは、人面疽ナマコにスタスタと近寄っていく。
僕らはどうすればいいのだろうと思って首を回すと、向こうの小隊の人たちが壁際に並んでいるのが見えた。
助太刀をするような気配は全くない。
このまま見学すべきか、壁際まで下がっておくべきかを悩んでいると、ニドウさんはあっさりとモンスターの側まで辿り着いてしまった。
鎖を鳴らしながらモンスターは、剣を抜こうともしない戦士へ向かってのっそりと動きだす。
どうも腹の部分の顔が、地面に噛み付くことで前へ進むようだ。
モンスターが進む分だけ、ニドウさんがするりと後ろに下がる。
それを追いかけて、モンスターが再び前進する。
気が付くと人面疽ナマコの胴に巻かれた鎖は、限界まで伸び切っていた。
胴体に浮かび上がる各々の顔が目の前の獲物に噛み付こうとするが、鎖に邪魔されてそれ以上は進めない。
その有り様から鎖が張り切ったことを見て取ったのか、一歩下がったニドウさんが手の内から何かを床に落とした。
細い紐のようなそれは――。
「ふむむ。あれはネズミの尻尾じゃな」
途端に人面疽たちの表情が変わった。
口をこれでもかと大きく開いて、一斉に声にならない叫びを上げ始める。
さらに芋虫のようにその身をのたくらせ、必死に前へ進もうともがきだした。
小指ほどのちっぽけな尻尾のために、その数百倍はある巨体が憑かれたように蠢く。
重く軋む音を立てて、鎖に繋がった扉が少しだけ動いた。
そしてモンスターも、床のネズミの尻尾に辿り着く。
地面に近い顔の一つが、懸命に伸ばした舌で尻尾をすくい上げる。
その瞬間、他の顔たちは、申し合わせたように唇を歪め悲嘆の表情を浮かべた。
ポトリと新しい尻尾が、そんな顔たちの前に落とされる。
新たな獲物を前に、モンスターはまたも不気味に身もだえした。
三本目の尻尾に食らいつこうとした時に、ようやく鎖に引っ張られた扉が人ひとり分だけ開いた。
世襲組の人たちが、その隙間に次々と滑り込む。
なるほど、ああやって開けるのか。
「って、僕らも行かないと」
「お腹いっぱいで走るの無理~」
モンスターを迂回しながら、ミミ子を担いで急いで壁際を走る。
ちらりと見るとニドウさんも、軽やかな足取りで広場を横切って門を目指していた。
影の顔たちはネズミの尻尾に夢中で、こちらに微塵も注意を払ってない。
まさに骨を与えられた番犬そのものだ。
僕らが門を通り抜け、最後にニドウさんが中に入る。
ホッと息を吐く僕らの背後で、物々しい音を立てて扉が閉まった。
▲▽▲▽▲
「コツを覚えたら三本で済むが、最初はチョイと余分に持っとくと良いぜ」
「はい。あの、扉閉まっちゃいましたけど……」
「開けっぱなしだとな、顔虫が勝手に挟まったりして厄介なんだよ。ほら、そこに取っ手がついてるだろ」
指差された先には、門柱の裏に突き出たレバーが見える。
傍らに居た黒鎧の男性が、僕の視線を忌々しげな顔で避けた。
「下ろせば閉まる。上げたら開く。ほら、覚えたな」
「はい、大丈夫です」
「先に言っとくが、どっちかが倒れたら即逃げるのが、ここの流儀だ。お互い恨みっこなしだぜ」
そう言いながらニドウさんの目が、広場の奥へ動く。
門を抜けた先は、相変わらずの行き止まりであった。
薄い霧と白い壁に覆われた広場は、先ほどの場所とあまり変わらない広さだ。
鐘塔へ繋がる扉らしきものは見えず、代わりに見飽きた影巨人どもが立ちはだかっている。
またこのパターンかと漏れそうになる溜息を我慢して、話の続きに気持ちを集中させる。
「お前らに相手してほしいのは、弟のほうだ。あのちっさいほうな」
小さいと言っても、優に僕の二倍はありそうだ。
そして大きいほうは四倍近い。
体格差もそうだが、見た目もこれまでとはかなり変わっていた。
弟は足の数が人の二倍あり、一方で兄は腕が左右に二本ずつ生えている。
腕が増えると便利だと思うが、足が増えても走りにくいだけじゃないだろうか。
それと番人の武装だが弟が弓矢を持ち、兄は両刃の片手斧を全ての手に持っていた。
「いいか、ちゃーんと聞いとけよ。でっかいほうは足が遅いんだが手数が多い。だから盾役が多い俺らが相手する。弟はすばっしこいが、攻撃はさほど痛くない。いやチョットは痛いか。ま、ヤバかったら撃ち落とせ」
「はい、それぞれで番人を分担するんですね」
「弟が面倒なのはな、ほら、あそこに壁があるだろ」
巨人どもの背後にそびえる壁を、ニドウさんはうんざり顔で見上げる。
もしかしてまた影花が生えてるのかと思って目を凝らしたが、洗い立てのように真っ白だ。
「アイツさぁ、壁を走り回るんだよ。で、こっちが届かない位置から矢を撃ってきやがる」
なるほど、足が多い理由が分かった。
いやヤモリじゃないんだし、いくら足が多くても人間は壁を走れないか。
「で、逃げ回ったかと思えば、影の中に潜ったりで物凄くダルいんだよ」
心の底から嫌そうな顔をしながら、ニドウさんは僕の肩に力強く手を置く。
「お前、弓が上手いんだって? じゃ、何とかなるだろ。ま、頑張れよ」
かなり適当な励ましを終えたオジサンは、手を振って背中を向けた。
ざっくりとした説明だけだったので、不安がむくむくともたげてくる。
こっちがしくじったら、迷惑を掛けてしまうというのはちょっとしたプレッシャーだ。
まあ、失敗したら巻き戻せば良いだけか。
だが巻き戻し回数も残り少ない。ここは本気を出しておこう。
「なあサリーちゃん、順番からしてあの番人たちって、北の門のより強いはずだよね」
「そうなるかのう」
「向こうは経験あるから余裕だろうけど、こっちは真面目にやらないと危ない気がするんだ」
「ふむむ。なら我が前に出るかのう」
「開幕で出来るだけ削り取る作戦で行こう。電撃作戦だ!」
「おお、凄くカッコいいのう!」
壁を走る動きは天眼があれば対応できるが、さらっと言われた影に潜るってのが怖い。
斥候の奇襲攻撃のようなイメージが脳裏をよぎった。
門柱の側にイリージュさんとミミ子を配置して、攻撃に巻き込まれないようにする。
世襲組の治癒士さんも、柱の側でスタンバイしていた。
僕らがしくじったら、速攻で逃げないと危ないしな。
魔術士さんが呪紋を前衛の三人に掛け終わり、向こうの準備が整ったようだ。
「よし、始めるぞ。準備は良いか?」
「いつでもどうぞ」
大きく息を吸い込んで、集中を高めていく。
初めての相手なのでほとんど予想がつかないが、どんな動きにも対応できるように気持ちを張り詰める。
黒鎧の男性が弓を構え、兄の方へ矢を放った。
広場の隅へ引っ張るのが、目的のようだ。
なるほど、隅なら左右の壁が邪魔して、四本の手でも攻撃はしにくいか。
感心しつつ、サリーちゃんの背を目で追いかける。
すでに少女は軽やかに地面を蹴って、弓を構える弟へ迫っていた。
空気を切り裂く鞭の一撃を躱しながら、小柄な番人は大きく背後へ飛び退る。
そのまま吸いつくように、ピタリと四本の足をつけて壁に留まった。
まるでゴキブリのように、そこから壁の上部へ一気に駆け上がっていく。
速いが、先読みできない程でもないな。
だが確実に仕留めるなら、やはりサリーちゃんのあの技に合わせるのが一番だ。
壁を登りながら、振り向いた弟の番人が矢を放つ。
鞭がしなり、わずかに軌道を外された矢は、少女の肩口を大きく抉り取った。
すかさず報復の牙が、影巨人に襲いかかる。
白い壁にパックリと空く黒い穴。
――――滅落。
無数の透明の手が、番人の足をがっちりと掴み取った。
凄まじい勢いで、壁の穴に引きずり込まれるモンスター。
ここからが本番だ。
体を切り離して出てきた瞬間を、僕の五月雨撃ちが迎え撃つ。
足掻きながら亀裂の中に飲み込まれていく影巨人を前に、僕の両目が限界まで見開かれた。
さあ来い!
「……………………あれ?」
いつまで経っても現れない番人を前に、僕は間抜けな声を上げた。




