中門の番顔
先を行く世襲組の小隊が蜘蛛を倒し、後続の僕らが百足を始末する。
自然と出来上がった役割分担をこなしながら、順調に霧の中へ踏み入っていく。
そして気がつくと、僕らは西区の最奥部へ辿り着いていた。
道案内が居たおかげで、ほぼ最短距離で行けたのではないだろうか。
ここまで来ると鐘塔は、のけぞるように見上げねばならないほど近い。
まさにあと一歩というところまで来たのだが、果たせるかな当然のように障害物が立ちはだかっていた。
今回の障害モンスターは一匹だけである。
匹と数えている時点で人の形をしていないのは伝わると思うが、かといって虫や獣かと問われると首を捻らざるを得ない。
長い鎖に繋がれた荷馬車ほどの大きさのソレは、楕円体をしていた。
手も足も生えておらず、地面の上をゴロゴロとのたうっている。
そして水瓜そっくりの胴体の表面には、無数の人の顔らしきものが浮かび上がっていた。
目や鼻の部分は、子供の粘土細工じみた歪な凹凸があるだけで、かろうじて顔と分かる程度だ。
だが口だけは異様に細かく造形されており、黒い歯が並ぶ様やその奥で伸びる舌までもが、はっきりと見て取れる。
無数の人面疽を生やした黒い球体――それが西区中門の番人ならぬ番顔であった。
影の顔たちは一斉に口を大きく開閉し、今すぐにでも叫び出しそうな表情で蠢いていた。
だが聞こえてくるのは、胴体の中央に巻き付いた鎖が地面に擦れる音だけである。
どうやら口はあっても、声は出せないようだ。
現在の場所はこれまでの小広場とは違い、かなり広い場所となっている。
蜘蛛や百足は見当たらず、人面だらけのモンスター一匹だけしかいない。
広場の奥は白壁で塞がれており、その向こうから鐘塔が顔を覗かせる。
そして壁の中央には、ガッチリと閉まった両開きの鉄の扉。
さらに扉に溶接された鎖の先には、異形の番犬モドキ。
大変、分かりやすい関門だ。
だが北区や西区の門のように、一筋縄では行かない仕掛けが施されている可能性も否めない。
ここまで来れたのだから、焦って失敗するよりも先人の知恵を利用した方がいい。
というわけで、僕らも前の小隊を見習って一休みすることにした。
世襲組の五人は広場の端に陣取って、すでに休憩に入っている。
番顔の鎖が絶対届かない位置だ。
ここはあの番犬モドキ以外のモンスターが、召喚しない安全地帯なのだろう。
「僕らも休憩しますか」
「疲れたよ~。お腹もすいた~」
「すぐに支度しますね」
ここまで来たらどうせ尾行もバレバレだろうしと、開き直って広場に入る。
少し離れた壁際に敷物代わりの灰色狼の外套を広げようとして、自分が着込んでいることに気付く。
床に直接座るのは流石に避けたいところだが、脱ぐと僕の体が冷えてしまう。
そう言えば世襲組の人たちは、小さな折り畳み椅子を使っているみたいだ。
あれ便利そうだし、次の時に買っておこうかな。
「これを使うのはどうじゃ?」
サリーちゃんが引っ張り出してきたのは、北の門の番人が落とした真っ黒な布であった。
厚みは少し足らないが、四人で座るには十分な大きさだ。
触れているとちょっと落ち着かない気持ちになるが、短い間だし気にするほどでもないか。
布を広げるとミミ子とサリーちゃんが、躊躇なく乗っかってくつろぎ始める。
僕も座ってみたが、さほど不可思議な感触もなかったので、軽く息を吐いて伸びをする。
どうやら気持ち悪い百足のせいで、知らぬ間にかなり消耗していたようだ。
じんわりと温まる焜炉の熱に緊張を緩めながら、甲斐甲斐しく調理をするイリージュさんを見つめる。
おっとりした雰囲気のイリージュさんだが、料理をする時もそれはさほど変わりない。
敏速に動き回るリンとは違い、優雅と言えるほどその手捌きは洗練されており、全く無駄がないように感じる。
確か台所の分担もリンが包丁で切り刻んだり炒め物を作ったりする担当で、イリージュさんは汁物を作ったり盛り付けをしたりすることが多いと聞いた。
ハンバーガーを作るイリージュさんの口元が、僅かに緩んでいる。
家事は彼女たちにとって負担だと以前は考えていたが、実は違っていたのかもしれないと、このところ思うようになった。
台所に立つ機会が減ってしまってからのイリージュさんは、今のような表情をあまり出さなくなってしまった。
いつも不安げに僕らの顔色を窺い、指示しなければ自分からは積極的に動こうとはしない。
元からあまり前に出る人ではないと聞いてはいたが、迷宮での生活が始まってから、それがより顕著になった。
彼女と一緒に潜るようになってしばらくして、迷宮は苦手ですかと尋ねたことがある。
嫌いではありませんが、私はお役に立てていますかと真顔で問い返された。
それからは何かにつけて色々と褒め讃えてみたが、安堵の息を漏らすだけで今のような顔にはなってくれなかった。
イリージュさんの治癒術はまだ叙階が低いせいで、そんなに劇的な効果は見込めない。
それでも回生や浄化は物凄く役立っているのだが、やはり掛けて貰った本人でなければ実感しにくいものなのだろうか。
イリージュさんがこの小隊で欠かせない役割を担っていると、明確に理解して貰える状況がもっと増えればと願っているのだが。
うん、彼女のそんな状態を解消できていないのは、僕にリーダーとしての素養が不足しているからだと重々分かっている。
だが待ってほしい。
僕だって小隊リーダー歴は、まだ一年目のひよっ子なのだ。
それ以前は、他人とまともなコミュニケーションを取ろうとしなかった人間なのだ。
それでもこの一年は何とかやってこれたし、着実に信頼を重ねていけてる手応えはある。
まあ、今ここで焦っても仕方ないか。
ニニさんたちを助け出したあとにでも、また機会を作ればいい。
うん…………一年?
今、何か引っかかった気がしたが。
「ゴー様、袋とって~」
「えっ、なに?」
ミミ子の呼び掛けに、離れていた意識を現実に戻す。
熱々のハンバーガーを手にした少女は、じれたような顔で僕を見つめていた。
「イチジクソース!」
「ああ、ごめん。忘れてた」
背負い袋を掻き回し、底の方に押し込んでおいたソースの瓶を取り出す。
出掛ける直前に、イボリーさんに頼んで持ってきて貰ったのだ。
「ほら、つけ過ぎるなよ。あ、スープありがとうございます」
ミミ子に瓶を手渡し、そのままイリージュさんが差し出すカップを受け取ろうとして、反応がないことに気付く。
イリージュさんの前髪の奥の瞳は、ミミ子が受け取ったソースの瓶に釘付けになっていた。
「ど……うして?」
驚き顔のまま、腕の力を抜くイリージュさん。
熱いスープが入ったカップは、僕の手が届かない位置をスルリと通り抜けた。
音もなく敷き布の上に転がったカップから、黄金色の液体が溢れ出す。
「も、申し訳ありません!」
カップを落っことしたことに気づいたイリージュさんは、褐色の肌でもハッキリと分かるほど顔色を変えた。
そりゃ忘れたと思ってた品を、僕がいきなり取り出せば驚くのも無理はないか。
これは説明不足だった僕が、完全に悪いな。
慌てて敷き布を拭こうとするイリージュさんをなだめて、拾い上げたカップを差し出す。
「僕が拭いておきますから、新しいのをお願いできますか?」
「はい、すぐに入れ直します」
「急いでませんから、ゆっくりで良いですよ。休憩時間ですし、のんびり行きましょう」
出来るだけ自然な笑顔を心掛けながら話しかけたおかげか、イリージュさんは肩から力を抜いてホッとした顔を見せてくれた。
嗜虐心をたまらなくそそる表情に、色々と疼いたがグッとこらえて布巾を受け取る。
スープの大半はすでに黒い布に吸い込まれて消え失せており、軽く擦ると残った具の部分は綺麗に拭き取れた。
拭ったあとを触ってみたが、濡れた感触さえ残っていない。
なんとも不思議な素材だ。
気になって端を裏返したり、匂いを嗅いでみたりと弄っていたら、気付かぬ内にスープが再び温まるほどの時間が過ぎていた。
まだ少し強張った笑顔のイリージュさんから、もう一度カップを受け取っていると、不意にその声が降ってきた。
「えらく美味そうなモン食ってんな、お前ら」




