押し問答と新たな疑惑
現在、この階層に居る小隊は僕らとニニさんたち、そしてもう一組だけのはずだ。
ならば必然的に目の前の集団が、これまで探索を妨害してきた連中となる。
そしてもしかしてたら、ニニさんたちが帰還できなかった理由の張本人でもある。
腹の底をジリジリと焼き尽くしていた熱が、一気に胸元まで駆け上がってくる。
空振りに終わった14回分の怒りや苛立ち、歯痒さが体の中でぶつかり合いながら、一斉に出口を求めて暴れ出していた。
だが喉まで出かけたそれを、ギリギリで押し止める。
今この場で激情を吐き出したところで、事態が好転するとは到底思えない。
いかなる状況でも冷静さを保つこと、保てなくても保つ努力をすることこそが、確実に生き残るコツだと僕は経験から学んでいた。
軽く頬に触れて、顔色が変わっていないことを確認しつつ、霧の奥から現れた連中を素早く観察する。
金属鎧を着用しているのが、前の二人と一番後ろの一人。
中央の二人は目元を隠す灰色のローブと、白い祭服の胸元を押し上げる膨らみから、魔術士と治癒術士だろう。
先頭に立つ白く輝く鎧の持ち主は、腰に細身の鞘を吊るし丸盾を手にしている。
他の隊員より頭一つ分小柄だが、意識して先頭を進む姿からしてメインの盾役か。
その一歩後ろに寄り添って歩く大柄な黒い鎧の人物は、足首まで届きそうな片手棍と菱盾を携えている。
そして最後尾で用心深く周囲を警戒しているのは、鎖帷子を着て両手剣を背負った男だ。
前の二人は顔をすっぽり覆う兜のせいで性別は不明だが、この男だけ目元と口元が空いた物を着用している。
西区から現れた小隊は門の前に留まりつつ何かを話し合っていたが、鎖帷子の男が僕らに目敏く気付いたようで五人の視線がいっぺんにこちらへ向く。
だがその視線は、すぐに興味なさげにそらされた。
まるでここに誰も居ないかのように。
「……サリーちゃん」
「うむ、分かっておる。ここは我に任せておくのじゃ」
いや、ややこしくなるので、黙っておいてほしいと言い掛けたんだが。
しかし考えてみれば、サリーちゃんの小隊隊長歴は僕よりも年単位で長い。
それに迷宮生活だけでなく、人生経験そのものが遥かに豊富だ。
ここは深謀遠慮な交渉術を見せて貰う、良い機会かもしれない。
「お主らに少々尋ねたい事がある。隊長は誰じゃ?」
いきなり声を掛けてきた少女のせいで、鎧の一団に戸惑ったような空気が流れる。
質問の主が、危険な深層に似つかわしくないドレス姿の少女だけに無理もないか。
黒鎧の人物がチラリと灰色ローブの男へ兜を動かしたので、リーダーはたぶんあの魔術士だろう。
サリーちゃんも気付いたようで、顎を軽く持ち上げながら男へ視線を移す。
だが一歩前に出てきたのは、白い鎧の持ち主だった。
留め具を外し兜を脱いで素顔を見せる。
「私でよければお聞きしますよ、お嬢さん」
澄んだその声は、女性のモノであった。
くすんだ金髪をきちんと結い上げ、鼻筋の通った顔立ちはなかなかの美人だ。
だがこちらを見つめる灰色の目には、それなりの意思の強さが窺えた。
「ふむむ。小娘に相対させるとは、気に食わんのう」
サリーちゃん自身も見た目は小娘なせいで、白鎧の女性も苦笑いを浮かべている。
真剣みが失せたその表情からは、どこかの令嬢が金にあかせて高レベルの探求者を雇い、迷宮深層へ記念に出向いたとでも思われているような印象を受ける。
「ご不満ですか?」
「まあ良いじゃろ。お主らの目的は何じゃ?」
何一つ捻りがない直球な質問に、僕は思わずむせかけて耐える。
女性は軽く顎に人差し指を添える仕草を見せつつ、合点がいったような声を上げた。
「今日は西区の蜘蛛狩り中ですよ、お嬢さん。もしかして護衛の依頼ですか? それなら残念ですが――」
「セド、騙されるな。そいつらはナナシの一味だ」
女性を遮ったのは、いつの間にか兜の面覆いを持ち上げていた黒鎧の男だった。
どこか聞き覚えのある低い声に心当たりを急いで探していると、男は吐き捨てるように言葉を続けた。
「そんな雑種の奴隷を集めるような男と関わり合うな」
実は的外れな嫌味や中傷のたぐいは、闘技場で有名になった頃に散々経験しているので、さほどダメージはない。
だが、サリーちゃんは違ったようだ。
ピクリと肩を震わせた瞬間、少女の纏っていた空気が一変した。
凄みのような雰囲気が、その小さな体から溢れ出す。
それはいつもの能天気な少女ではなく、残虐で無慈悲な様相を露わにした捕食者の姿であった。
普段は気安い付き合いをしているだけに忘れがちだが、そう言えばサリーちゃんって元五層の階層主だったな。
気圧された先頭の二人は無自覚に盾を持ち上げてしまい、驚きの表情で己の手元と少女を見比べている。
目の前にいるのが見た目は愛らしい姿の女の子だけに、大いに混乱しているのだろう。
黒鎧の男の焦りが浮かんだ顔を見上げながら、サリーちゃんは小馬鹿にしたように鼻を鳴らし威嚇モードを解除した。
そして、やや呆れた声で話しかける。
「のう、お主」
「……な、なんだ?」
「見覚えがあると思うたら、新奉祭で無様に負けておった男か。自分を負かした相手をそのように貶めるとは、体の割に随分と小さい器じゃのう」
そうか、言われてやっと思い出せた。
新奉闘技祭の銀板部門の決勝で、キッシェたちに負けてた世襲組の連中か。
一瞬で顔を朱に染めた男に対し、サリーちゃんは挑発的な言葉を続ける。
「そんなちっぽけな男じゃから、小娘相手にビビって盾を構えたりするんじゃ」
「……その手には乗らん」
確かに殺意を持って武器を向ければ、迷宮の禁忌が発動するので直接、手を下す必要はなくなるが……。
分かりやすい煽りに、自制するだけの心構えは持ち合わせていたようだ。
「ふん、強がりは口だけか。情けないのう。だが、我の家族への暴言は許せんのう」
するりと腰の鞭を取り出すサリーちゃん。
魅入られたように固唾を呑んで、皆が少女の動向を注視する。
「どれ、我がキチンと躾けてやるか」
まさか、死を忘れた者には、亡者の引きずりは効果がないのか?
ハラハラしながら見守っていると、サリーちゃんは僕に可愛く片目を閉じて――。
鞭を外壁に力一杯、叩き付けた。
「なぁッ!!」
霧を貫いて響き渡る音に、黒鎧の男は喉を詰まらせたような声を上げた。
だがそこからは、流石は金板保持者だと頷ける。
溢れ出すであろう影花に対する世襲組の行動は、見事なほど統率されていた。
気狂いを見る目でサリーちゃんを一瞥しつつ、兜を即座にかぶり直し盾を真上に近い角度に構える。
そして魔術士と治癒術士の二人を真ん中で庇う陣形を取りながら、門前を通り過ぎ小窓の前まで移動する。
灰色ローブの男が懐から取り出した鐚銭を小窓に投げ込む様を、僕はしかと見届けた。
鐚銭は影人がたまに落とすのだが地上に持って上がることが出来ないので、使い道のよく分からないアイテムだった。
だがもしかしてと考えていたが、やはりそういう使い方が出来たのか。
でもこのモンスターと取引できる事実に、最初に気付いた人間は本当に凄いな。
サリーちゃんの機転を利かせたやり方で、とうとう西区への入り方が判明した。
笑顔で振り向く少女と手の平を叩き合わせていると、ローブの男の悲痛な声が聞こえてきた。
「なぜです? なぜ開かない?!」
「あ、すまんのじゃ。そこの影なら、先ほど殺してしもうたのじゃ」
「なぁッ!! なんて事を、交換人を殺すなんて!」
驚き方の口調が黒鎧の男と全く一緒だったので、たぶん血が繋がっているのだろう。
「落ち着け、兄貴。よく見ろ、花が湧いてないぞ」
「なっ、なんですと?」
一番冷静であった鎖帷子の男が、正確に現状を理解して向こうのリーダーに告げる。
種明かしをすれば、この門近くの影花は僕とサリーちゃんで全て討伐済みであった。
一芝居打たれたことにようやく気付いた世襲組のリーダーが、息を荒げながら僕たちを睨み付けて来る。
その姿に溜飲を下げていると、とんでもないことが起こった。
唐突に、響き渡る重々しい音。
反射的に顔を上げた僕の目に、街の中央に立つ塔の頂きで震える鐘の姿が飛び込んでくる。
白い霧の上から降り注ぐ、荘厳な響き。
それはあり得ないことに、誰かによって鳴らされた鐘の音であった。
「そんな……。一体、誰が……?」




