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ネズミの罠

「前から三つ、来てます!」



 イリージュさんの切羽詰まった呼び掛けに、待ち構えていた僕は目を凝らしながら弓を構える。

 狭い通路は長柄武器には不利だが、僕の相棒にはとても有利な場所だ。


 仮に大きな盾を持ち出して来られても、左右の壁や地面がある限り、シャーちゃんをいくらでも回り込ませることが出来る。

 紫の矢をつがえながら、僕は息を溜めてモンスターの襲来を待った。

 

 

 …………現れない。



 斜めに差し込む発光石の光のせいで、あまり明るくはないが、ちゃんと路地の向こうまで見通せている。

 何かが入ってくれば、即座に分かるはずだが。


「あの……今、どの辺りですか?」

「もう!」

「もう?」

「もうそこに居ます!」

「ゴー様、下!」


 ミミ子の声にようやく僕は気付く。

 足首までを覆っていた霧の海が、ほんのわずかだけ波打っていることに。



 モンスターたちは床に溜まる白い霧を隠れ蓑に、すぐそこまで迫っていたのだ。



 波の数は三つ。

 不揃いに並んで走るそれは、すでに通路を半ばまで踏破している。


 カチリと、僕の中でスイッチが入った。

 極眼ホークアイの倍率が一気に上がる。


 一気に視界がコマ送りに変わり、狭い通路を突き進んでくるモンスターの動きを、小さな霧の揺らぎから捕捉する。

 位置と速度からして、矢をつがえ直す時間はない。


 これから起こるであろうことと、それに対し自分が出来ることの最善を、僕の思考が一瞬で選び取る。

 弓を真横に近いギリギリの角度に動かし、壁に向けて躊躇なく放つ。


 撃ち出された紫の矢は、甲高い音を立てて反対側へその身を返す。

 その過程で一体目を仕留める。


 そこで壁を蹴って、またも逆側の壁へ。

 二体目を貫いて、さらに跳ね返り、三体目を射止める。

 

 ジグザグに走った紫の閃光は、楽しそうに通路を飛び回ると僕の方へ弾むように戻ってきた。

 

「良い子だね~、シャーちゃん」


 受け止めようと弓を下げた瞬間、だらんと左手が垂れた。

 視線を移すと、肘の部分に黒い小さな棘たちが刺さっているのが見える。


 その部分を中心に、左手の感覚が瞬く間に失せていく。

 攻撃を受けたのだと気付く前に、僕の肘から下が弓ごとぼたりと腐り落ちた。


 いや正確にいえば、落ちたのは弓と懐に入れてあった殉教者の偶人の左手だった。

 腐敗毒のダメージを、置換してくれたようだ。

 だが毒針が刺さったままなので、すぐに新たな毒が流れ込んでくる。


「シャーちゃん、来い!」


 即座に意図を悟った小蛇が、僕の左手に飛びついてきた。

 勢いのまま二の腕に巻き付いて、ギュッと締め上げて来る。

 血流を止めて毒が広がるのを少しだけ遅らせつつ、毒使いの弓籠手を着けた右手で慎重に毒針を抜き去る。


「お願いします」

「はい、気持ちを楽にしてください」


 後ろに控えていたイリージュさんが、袖を捲って剥き出しにした患部に両手を添えて目蓋を閉じる。

 この世界の治癒術は一部を除いて、派手に光ったり瞬時に治ったりはしない。


 じんわりとした温かみと共に、じょじょに皮膚の感覚と、それに併せて凄まじい痛みが戻ってくる。

 組織が壊死しているのだから仕方ないとはいえ、歯ぎしりで奥歯を噛み砕きそうになるほど強烈だ。


 僕の表情に気付いたのか、ミミ子がそっと空いている右手を握ってくれた。

 思いがけない優しさにじんとしていると、なぜかそのままイリージュさんの胸元へ僕の手を持って行く。


 ずっしりとした下乳の感触に、僕の意識がたちまち手の平に集中する。

 指の隙間から、今にもこぼれ落ちそうな手触り。

 一瞬で指が埋まるその柔らかさに、感動のあまり痛みを忘れる。


 幸いにもイリージュさんは治療に専念してて、僕の不埒な行為に全く気付いてないようだ。

 

 天国と地獄を同時に味わっていると、ミミ子がうんうんと頷いてきた。

 いや、こんなことしてて本当に良いのか?


 浄化クリーンで毒素を消して貰ってから、治傷ヒールで筋肉の感触を戻して貰う。

 治療が終わったあとに、ようやく胸を触られていることに気付いたイリージュさんが、少し困った顔でそっと手を押し退ける仕草が堪らなく可愛かったです。


 壁にもたれて一休みしつつ、強精薬スタミナポーションを飲み干した僕はホッと息を吐いた。

 周囲を警戒してくれていたサリーちゃんが、トコトコと近寄ってくる。


「これが落ちてたのじゃ」


 黒絹の手袋の上に乗っていたのは、のたくるミミズのような代物だった。

 ニニさんに聞いた話が、不意に思い出される。 


「もしかしてネズミの尻尾?」

「お、よく分かったのう」

「どうりで素早いと思ったよ」


 足元を隠す霧に紛れ、毒針を飛ばしてくるネズミ型のモンスターか。

 今回は運よく一矢で仕留められたけど、接近を許せば、たちまち全身が腐り落ちる羽目になりそうだ。


 配置を変えるべきか迷っていると、ミミ子が手招きしてきた。

 先ほどからイリージュさんと頭を突き合わせて、なにやら話し込んでいたが、やっと結論が出たようだ。


「おやつの時間は、もうちょっと切りが良いところまで我慢してくれ」

「いま、おなはふいてないはら、だいふょうふ~」


 よく見るとミミ子の頬っぺたが、丸く膨らんでいる。

 ぷにっと押すとへこんで、反対側の頬にぽこっと移動した。


「何食べてるの?」

「しろみふあめ~」

「白蜜飴か。誰に貰ったの?」


 金色の視線の先に居たイリージュさんが、僕らに見つめられて動揺しながら頬を染めて俯く。


「……ミミ子様がどうしてもと」


 あまり甘やかさないで下さいと喉まで出しかけて、言葉を止める。

 イリージュさんは、たぶんこのままの方がずっと良い。

  

 代わりに手の平を差し出すと、不思議そうな顔で手を重ねてきた。

 僕も飴が欲しかったのだが、これはこれでと思い、ギュッと握り返しながら話を続ける。


「それで何か分かったの?」

「うん、いりーひゅがひうには、あいつらひどうひてるって」

「移動してる?」

「はい、円を描くように動いてます」


 地図で示しながら、説明を受ける。

 どうもネズミたちは複数のグループごとに、一定の区画をぐるぐると走り回っているらしい。

 移動速度からして遭遇を避けるのは無理だが、奇襲や挟み撃ちは予防できるかもとの話だ。  


「それは、滅茶苦茶ありがたいな」


 一匹でも取りこぼしたら、毒針が飛んでくるのは流石に厳しい。

 通常の環境なら何とかできる自信があるが、この床に溜まる霧は視覚に頼る僕には手強いハンデだ。


「きりもなんとはへきるって~、いりーひゅが」

「えっ?」

「ぜ、全部というわけでは、ありませんが……」


 風陣ウインドエリアの応用で、気流をある程度なら操作できるらしい。

 それと狭い路だからとも。


 初戦で躓いた気持ちになりかけたが、イリージュさんのおかげで何とかなりそうだ。


「凄い。うん、とても助かるよ、イリージュさん!」


 驚いて視線をそらすイリージュさんの手を、もう一度大袈裟に握りしめる。

 もっともっと、イリージュさんには自信を持ってほしい。

 スペックは凄い人なのだから、あとは自己評価をちゃんと出来れば、きっと素晴らしい探求者シーカーに成れると思う。


 柔らかな手を握りしめていると、ミミ子がポンと手を被せてきた。

 ついでサリーちゃんも、なぜか手を乗せて来る。


 期せずして一致団結のポーズになったと感慨に耽っていると、サリーちゃんが訝しげに口を開いた。



「ところで我の分の飴は、いつ貰えるのじゃ?」



 それから先は、かなり順調に進めることが出来た。

 基本的な作戦はイリージュさんが進路を予測して、通路を走るネズミをサリーちゃんが待ち構える。

 そして絶圏アブソリュートを展開して、突っ込んできたのをまとめて始末する一網打尽の罠を張るだけ。

 たまに壁を走って避ける奴もいたが、僕かミミ子が撃ち落として終わった。


 霧が晴れて分かったことだが、モンスターの正体はネズミに跨った小人たちだった。

 影小人たちは吹き矢とナイフを装備しており、毒針――この場合は影針といった方が良いだろうか――を飛ばしながら、通り抜け様に足首を刈り取ってくるようだ。


 試しに猟犬をけしかけてみたところ、瞬時に前後の脚を分断されて床に転がされてしまった。

 速さだけでいえば、これまでで一番のモンスターかもしれない。



 そして東区の地図が半分ほど埋まり、鐘塔のすぐ傍まで迫った時にそれは起こった。


 

「どうやらここも外れのようじゃのう」 

「障害モンスターも居ないし、ただの行き止まりか」


 無情に立ち塞がる白い壁を見上げながら、何度目かの溜息を吐く。

 来た道を戻ろうとした瞬間、視界の端に微かな光が映った。


 何かが見えた気がして、僕はもう一度、白霧の中に佇む塔を振り返る。


 その途端、空気を震わす声が、僕の右腕からいきなり上がった。

 声の主、シャーちゃんが馴染んだ唸り声を発しつつ、僕の手をきつく締め付けて来る。

 

「どしたの? シャーちゃ――」


 僕の声は最後まで言い切れなかった。

 鐘が鳴っていたのだ。


 この階層に来てからずっと視界の端に居座りながらも、永い沈黙を続けていた鐘塔が今、厳かに鐘の音を響かせていた。


 驚きで思わず僕たちは、視線を頭上に向ける。

 前後に揺れる巨大な鐘から、重々しい音色が霧の街へと降り注いでくる。


 突然の出来事に呆然と空を見上げていると、イリージュさんが小さく息を呑む気配が聞こえた。

 目を移すと黒長耳族ダークエルフの女性は、口を押えたまま頭を左右に振って懸命に何かを聞き取ろうとしている。


「どうかしました?」

「気配が……」


 小さく息を吸い込んだイリージュさんは、前髪を揺らしながら言葉を続ける。



「何かの気配が一斉に増えてます……いえ、これは元通りに……」



 彼女が言い切る前に、背後の通路で霧が蠢くのが見えた。

 先ほど倒したばかりのネズミたちが、次々と目の前で逆再生のように影が集まり蘇っていく。


 さらに通路の向こうから、続々と群れを成した新しいネズミどもが押し寄せて来ていた。

 通路を埋め尽くす黒い影に、僕は戻れと呟くしかなかった。



影鼠乗りラットライダー―霧に乗じて集団で襲ってくるモンスター。ネズミを倒すと、なぜか乗り手も一緒に死ぬ


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