六層南区重装影巨人戦
気を取り直した僕たちは、再び南区の最奥部までやってきていた。
相変わらず周囲は薄い霧に覆われており、視界はぼんやりと冴えない。
六層に到達してから、すでに三時間近くが経過している。
休憩を挟んだとはいえ、集中力に陰りが出始める時間帯だ。
ゆっくりと呼吸を整えながら、目の前に立ちはだかる巨体へ気持ちを専念させていく。
背の高さは、僕の二倍は優にあるだろう。
手には長剣と長盾。
黒い体から細かい筋肉の付き方は読み取れないが、その太さからして膂力はかなりありそうだ。
あの馬鹿でかい剣の一撃を喰らえば、体の一部分を軽く持っていかれそうな気がする。
考えてみれば人の形をしている巨大なモンスターと戦うのは、初めてかもしれない。
低級悪魔や人型は、せいぜい一回り大きいくらいであれほどの圧迫感はなかった。
圧し掛かるような大きさと言えば白鰐や大亀がいたが、動きはかなり鈍重だったので、その点での怖さは記憶に残っていない。
あの体の大きさでスピーディーに走り回られたら、かなり危険な相手になるかも。
その辺りもこの初戦で、きちんと押さえておかないと。
こんな風に様子見が出来るというのは、巻き戻しの最大の利点かもしれないとつくづく思う。
気持ちが整った僕は、反対側に待機するサリーちゃんに弓を持ち上げた。
僕の合図に気付いたサリーちゃんが、大きく頷いてくる。
現在、僕たちは、影巨人のいる小広間の東西に分かれてスタンバイしている。
この広間は丁字路の交わる部分にあたり、サリーちゃんは東通路側に、僕たちは西通路前での配置だ。
少女は大きく手を振って、骸骨騎士を続けざまに召喚していく。
生み出された骸骨たちは、関節を軋ませながら次々と影巨人の足元へ押し寄せる。
辿り着いた先頭の骨が、無言のまま巨人の膝を斬り付けたのが戦闘の幕開けとなった。
くるりと向きを変えた巨体が、大振りな一撃を無造作に振り下ろす。
さほど速くも見えないその刃を、骸骨騎士は盾を掲げて受け止め――そのまま真っ二つになった。
飛び散った骨が地面に落ち切る前に、刃はくるりと返され横薙ぎに一閃する。
後続の一体が受け止めた盾ごと上半身を飛ばされ、並んでいたもう一体を巻き込んであっさりと砕けた。
三体を一瞬で屠った巨人は、サリーちゃんへ向けて重々しく足を踏み出した。
待ち受ける少女とは、大人と幼子ほどの差がある。
だがサリーちゃんの口元には、ふてぶてしい笑みが浮かんでいた。
先ほどの動きで、ある程度見切ったのだろう。
確かに威力はあったが、動きが追えぬほどでもない。
迫ってくる巨人に対し、屍霊術士の少女は次の一手を繰り出した。
牙の骨から喚び出された黒骨猟犬どもが、地面を蹴って巨人に挑みかかる。
振り下ろされた刃を掻い潜り、猟犬は向う脛に容赦なく噛みつく。
同時に後ろに回り込んだ他の犬たちが、その無防備な背中へ飛び掛かった。
耐久力なら騎士が上だが、素早さは犬の方が遥かに勝る。
死角を突く猟犬の動きに、大きな図体がたちまち翻弄された。
振り回す剣が空を切り刻む様に業を煮やしたのか、巨人は持ち上げた盾を力強く足元の地面へ叩き付けた。
面の攻撃は流石に避けきれず、膝を狙っていた一匹が粉々になる。
余裕の笑みで、サリーちゃんが二匹追加した。
地面へ盾を打ち付け続ける巨人の背中を見ながら、そろそろ骨たちが敵対心を十分に稼いでくれた頃合いだと判断する。
弓を引き絞り、試しの矢を撃ち込んでいく。
まずは毒矢だが、効果はなし。
鏑矢は音に気付かれて、盾で弾かれた。
黒骨の矢は刺さりはするが、矢柄は半分も埋まっていない。
ミミ子の狐火も当たった瞬間、表面が少し燃え広がるだけで火傷のような変化は見られなかった。
まとめると飛び道具なし、力はあるが速さはそこそこ、頑丈さはかなりのものと。
既存の攻撃手段が、あまり通用しないのは厳しいな。
見ていると盾プレスや踏み付けで、犬たちは次第に数を減らしつつあった。
しかし牙の攻撃はそれなりにダメージが入っているようで、膝の裏がかなり抉れて来ている。
機を見て三々弾を撃ち込むと、右足が維持出来なくなったのか巨体が片膝をついた。
もう十分かと思い、シャーちゃんをつがえる。
――命止の一矢。
紫の閃光は、綺麗に巨人の延髄に突き刺さった。
潜り込もうとシャーちゃんが体をくねらせたその瞬間、タイミング悪く巨人が首を左右に振った。
あっさりと、抜け落ちるシャーちゃん。
「あ、マズい」
ぽてんと地面に落とされたシャーちゃんはビックリして固まるが、すぐに何が起こったかを理解したようだ。
その場でとぐろを巻くと、影巨人に向かって怒りの咆哮を上げる。
こうなると、僕にはどうしようもない。
「おーい、シャーちゃん。帰っておいで~」
「シャァァアアァァ!」
「ほら、良い子だからね。こっちだよ~」
「シャッ! シャァァッ!」
駄目だ。興奮し過ぎて、僕の声が全然届いてない。
だがここで止めを刺せずに巻き戻しになるのは、是が非でも避けたいところだ。
「仕方ない。ミミ子、核の位置を探ってくれ」
「わかった~。ああ、それとね」
「何だい?」
「追加が来てるよ」
イリージュさんのお乳の下へ潜り込んでいたミミ子が、耳をピコピコさせながら丁字路の真ん中の道を指差す。
目線を向けると、そこに居たのは霧の中から次々と姿を現す影人の群れであった。
「あれ? ここ、巡回路に入ってない筈だぞ」
問い掛けを発しながら、その答えに自ら行き着く。
「……あの盾撃は、足元を守るだけじゃなかったんだな」
地面を揺らす盾の振動が、歩き回る影人たちを呼び寄せたのか。
増援部隊は僕らやサリーちゃんには目もくれず、盾を振りかざす巨人へ走り寄る。
そして影たちは、音もなく姿を消した。
何が起こったのか分からず目を凝らす僕の前で、影巨人の欠けていた足の部分が瞬く間に元に戻る。
次々と影人が巨体へ飛び込むように同化していき、その身体が体積を増していく。
影人の一団がすべて消え失せた後に現れたのは、さらに巨体となったボスの姿だった。
「なるほど、巡回してるのを放置して挑むと、強化されるって罠か。これでパターンは出尽くしたかな」
手を振って、サリーちゃんに合図する。
僕の意図を理解したのか、少女の唇の端が角度をつけて持ち上がった。
優雅に手を差し出す少女の背の白いケープから、キラキラと鱗粉が舞い散る。
分身を生み出しつつ、サリーちゃんはてらいもなく巨人への距離を詰めた。
同時に巨体もまた動き出していた。
先ほどまでの鈍い動きが嘘のような速さで、手加減を感じさせない一突きを繰り出す。
己の身の丈ほどもある剣をギリギリで見切り、サリーちゃんは鞭をしならせた。
親指の付け根を強かに打ち抜くと、そのまま軽々と剣を飛び越えて懐に潜り込む。
そこを盾が待ち構えていたが、風を浴びた羽根のようにするりと躱し、足首に一鞭いれながら股下を抜けて背後へ回り込む。
巨体に見合わぬ動きで、振り返りざまに巨人の剣の一振りが地面を刈り取った。
しかしすでに、サリーちゃんの姿はそこにない。
動きを読んでいたかのように巨体の陰へ滑り込みながら、くるぶしに苛烈な鞭の音を響かせる。
確かに人間じゃないのだが、少女の動きはまさに人間離れしていた。
だがちょこまかと避けるやり方は、すでに猟犬が見せてしまっている。
体勢を戻した巨人は、少女の行く手を阻むように剣を振り下ろす。
そして急停止したサリーちゃんに、すかさず真上から盾を叩き付けた。
鈍い音が広場に響き渡る。
あれだけの厚みを持つ重量が、頭の上に落ちてきたのだ。
並の人間なら、赤い水溜りにされているところだ。
だがサリーちゃんは人並み外れて可愛い上に、常人では足元にも及ばぬほど強い女の子だった。
巨人の盾は真ん中の部分に、ぽっかりと空洞ができていた。
その腕ごと綺麗な円を描いて、全てが消え失せている。
絶対防御球の中心に立つ少女は、またも心地よさ気な笑いを見せた。
絶圏――彼女が許可しないものは、何だろうとその身に触れることは許されない。
と、見惚れている場合じゃなかった。
すでにミミ子の狐灯たちが、影の中に潜む核が放つわずかな熱を求め、その体に纏わり付くように探索を始めている。
盾を落として後退りする巨人の頭部に、四つの光が群がった。
狙いを定めようとしたしたその時、巨人は思いがけない行動に出る。
残っていた剣を投げ捨てたのだ。
そして両手を高く掲げる。
まるで命乞いするかのように。
もっともその意図は、真逆のようであったが。
剣が背後の壁に当たり、物々しい音を立てる。
振動が壁面を駆け上り、霧の奥に隠れていたモノを目覚めさせた。
壁の天辺近くで次々と、五枚の花弁が開いていく様が僕の目に映る。
影巨人の狙いは、これであった。
一斉に撃ち出される影の種を、少しでも多く受け止めようとしているのだ。
同時に僕らにとって、高所から落下してくる影弾の雨は致命的な痛手となる。
これが初めてであったら、僕は為す術もなく撤退を選んでいただろう。
イリージュさんの目の良さと注意深さに感謝しつつ、巨人の頭部に合わせていた射線をより上へ向ける。
視野が広がる感触。
まるで空の上から俯瞰するかのように、影花たちの花びら一枚ずつの動きまでもが、ハッキリと映し出される。
落ちてくる影の塊それぞれの軌道が、漏れなく僕の視界に浮かび上がった。
天眼からの、五月雨撃ち。
高らかに弦の音が響き渡り、霧を貫きながら真上へ向かう矢の嵐。
確実に余すことなく、全ての影を撃ち抜き消し去っていく。
僕らの真上に降り注ぐはずだった黒い雨は、一粒残らず消え去った。
「サリーちゃん、後は任せた」
「うむ。任されたのじゃ」
麻痺したかのように力が入らない腕を無理やり振ると、サリーちゃんは胸を張って大仰に頷いてみせた。
天眼を使った精度の高い撃ち方は、腕と眼に掛かる負担が半端ないのだ。
引き受けてくれたのは良いが、サリーちゃんの身長に鞭の長さを足しても、まったく巨人の頭部に届かないのではと疑問が浮かぶ。
見ていると、少女はまたもフリルの袖から骨片を真下へ投げ捨てた。
喚び出されたのは騎士でも猟犬でもなかった。
それは瞬く間に黒い塔と化して、少女の体を押し上げていく。
黒骨魔柱に乗っかったサリーちゃんは、いとも簡単に巨人の頭部へ到達した。
同じ高さとなって、向き合う少女と巨人。
次の瞬間、腕を上げた姿勢で動きを止めていた巨体へ、凄まじい勢いで鞭が振るわれた。
直線が描くのは、逆さまの五芒星――五つ裂き星。
少女が指をパチリと鳴らすと、足場であった骨柱が一気に瓦解する。
同時に影巨人の頭部が、見事ばらばらに分断された。
白いケープから幻影を生み出しながら、サリーちゃんが華麗に着地する。
そして掻き消すように影巨人が失せたあとには、鍵が一つ転がっていた。
五つ裂き星―人体に対して使用すると、頭部と四肢が切断される殺人技
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




