遅い目覚め/二周目
「ミミ子、支払いは待って貰ってくれ。ちょっと出かけてきますので、この人をお願いします」
動けないイリージュさんを家政婦のイボリーさんに任せて、速足で馬車へ引き返す。
「迷宮組合まで急いで貰えますか」
「なんじゃ? 何があったんじゃ?」
「馬車の中で説明するよ。ちょっと確認したいことが出来た」
客席に乗り込んだ二人に、ニニさんたちがまだ帰ってきてないことを説明する。
「この時間は流石に遅すぎるのう」
「まだハッキリと決まった訳じゃないけど……可能性はかなり高い」
組合の一階の扉はすでに固く閉ざされていたが、二階からはまだ明かりが漏れていた。
御者の人にあと少しだけ待って貰えるようにお願いして、ミミ子を小脇に抱えて階段を駆け上る。
何もなければ再度、家まで送って貰う必要がある。
そう、何もなければ。
「すみません、少しお聞きしたいことがあるのですが」
「はい、何でしょうか?」
節約の為か灯りを半ば落とした薄暗いフロアには、当直の職員さんの姿しかない。
探求者認識票を掲げて身元を示した僕は、焦る気持ちを抑えて問い掛けた。
「六層からの帰還報告書は何枚ありますか? あ、今日の昼からの分です」
「少々、お待ちください」
パラパラと書類をめくる音が、人影の消えた物静かなフロアに響く。
「本日は二小隊分が提出されてますね」
無情な宣告に、僕は止めていた息を大きく吐いた。
今日は三小隊が、六層に居たはずだ。
僕らとニニさんたちと、見知らぬ誰か。
祈るような気持ちで、僕は言葉を続けた。
「小隊のリーダーのお名前を教えて頂けませんか?」
「……申し訳ありませんが、個人情報に関わる部分はお答えできません」
「お願いします」
僕の視線に少したじろいだ顔になるが、職員さんはきっぱりと同じ言葉を繰り返す。
「申し訳ありませんが、個人情報に関わる部分はお答えできませんので」
「まどろっこしいのう。こっちから訊く分には良いじゃろうて。その中にニニの名前はあるか? ニニ・ラニフ・ニノじゃ」
サリーちゃんの質問に、職員さんはわずかに安堵の表情を浮かべて書類に再び目を落とす。
なるほど、僕らの方から名前を出しての確認だと、譲歩してくれるのか。
「いえ、その方のお名前はありませんね」
その瞬間、ニニさんたちの遭難が確定した。
礼を述べた僕らは、ソファーまで下がって顔を寄せる。
「ミミ子は地図を出来るだけ覚えてくれ」
「わかったよ~」
「どうするつもりじゃ?」
「巻き戻して、助けに行きます」
「ふむむ。我も手助けしたいのじゃが」
サリーちゃんやイリージュさんとは、まだ巻き戻しを共有できていない。
それなりに仲良くはなれたが、僕にあと一歩踏み込む勇気が足りてなかったせいだ。
普段は能天気なサリーちゃんや健気なイリージュさんだが、たまに容易く触れてはいけない部分が、閉まりきらない扉の向こうからそっと顔を覗かせたりする。
特にサリーちゃんなんて、かなりヘビィな過去をお持ちのようで……。
要するに情けない話だが、僕にはまだ二人を受け止めきる覚悟がなかったという訳だ。
まあ、この状況で愚痴っても仕方ないが、小隊の主力であるサリーちゃんには、出来れば一緒に巻き戻しを体験してほしかった。
しかし"信頼の指輪"が示していたように、サリーちゃんと僕との間にはまだ確実な絆が築けていない。
手間はかかるが、最初から説明するしかないようだ。
「よし、それなら話が早く済むように、お膳立てだけでもしとくかのう」
首を捻る僕らの前に、サリーちゃんはそっと髪をかき上げて可憐な右の耳を露わにする。
その耳たぶにぶら下がっていたのは、鼠の頭蓋骨を模した悪趣味な耳飾りであった。
「こやつの名はチッタじゃ。お主らの家族の誰一人にも、この名は明かしておらん」
"お主らの家族"と言われた瞬間、僕の心が軋みを上げた。
最初は扱いを持て余していた少女も、今ではもう大切な家族のつもりだった。
喉奥から溢れかけた言葉を呑み込んで、僕は耳飾りを晒すサリーちゃんに尋ねた。
「その名前を言えば、巻き戻しされたと分かる?」
「うむ。教えた覚えのない名を挙げれば、我なら即座に気付くはずじゃ」
サリーちゃんが一緒に戻ってくれないことが、ホントつくづく悔やまれる。
三角耳をピコピコさせていたミミ子が、地図を覚えきったのか頼もしい顔付きで僕に向き直った。
何かを言いたげなその金色の瞳には、余裕の消えた僕の顔が映し出されていた。
首を左右に振って、様々な気持ちを追い払う。
ゆっくりと息を吸い込んだ僕は、久しぶりに時を巻き戻した。
▲▽▲▽▲
最初に目に飛び込んできたのは、高い位置に上りきった太陽の光だった。
枕元には、横になった状態の目覚まし砂時計。
僕の巻き戻しの開始は、目覚めた時刻に固定されてしまう。
これはどんなことをしても、変えることが出来ない。
跳ね起きた僕はミミ子を抱えて、飛び付くように扉を開ける。
ノックの姿勢で固まるイリージュさんの脇をすり抜け、階段を駆け下りて食堂へ急ぐ。
「メイハさんたちは?!」
「あら、起きてらしたのですね。お嬢様方ならとうにお出かけされましたよ」
「ミミ子、先に行ってるぞ!」
着替えもせずに、通りへ飛び出す。
街外れに家を買ったことを、この時ばかりは後悔した。
息を切らせて迷宮組合に辿り着いた僕は、階段を駆け上がり扉を威勢よく開く。
「――だったら、なんで指輪が冷たいのさっ」
「それはその――」
言い争う二人組の脇をすり抜け、カウンターへ直行する。
幸いにも時を待たずに、リリさんが駆けつけてくれた。
「メイハさんたちは、もう迷宮に入りましたか?」
「おはようございます。はい、今日は六層へすでに行かれてますね」
「何時頃ですか?」
「えっ。あ、ちょっとお待ちください。ええっと、午前中からですね」
「ありがとうございます。僕らもすぐに入りますので、手続きをお願いします」
「あの……そのお姿でですか? それに皆さんはどちらへ?」
言われてみれば、僕は普段着のままだった。
しかも汗だくだ。
気が付くとフロア中の視線が、僕に集まっていた。
「すみません、もう少ししたらミミ子たちも来ますので」
目立つカウンター前からいったん離れて、深呼吸しながらソファーへ移動する。
午前中ならどんなに急いでも、彼女たちが六層へ辿り着くのを食い止めることは不可能だ。
鬼人会のメンバーやソニッドさんたちが、何か訊きたそうな視線を向けて来るが、答えようがないので俯いて誤魔化す。
他の人に助けを求めるにしても、状況が何も明らかになっていない今の段階では早過ぎる。
しかも、どうやって説明していいのかさえ思いつかない。
夜遅くなっても帰ってこないんですとか言い出せば、治療院へ連れていかれるのは間違いないだろう。
助けに関しては、迷宮組合も一緒だ。
そもそも組合は、未帰還者についてはかなり冷淡な扱いをしてくる。
試練である以上、打ち勝てなかった敗者にはお気の毒様ですがといったスタンスを取っているが、これは建前だろうと僕は睨んでいる。
実際の問題として深層で事故が起こった場合、その救助は非常に困難を極めるのだ。
まず現場がどこかも分からない。
さらに救助に行ける人手も、かなり限られている。
その上、事故の原因となった存在の対処も、必要になってくるときた。
二次被害を出してくれと言わんばかりの状況だと、想像するに難くない。
現状でやれることの少なさに、僕は思わず頭を抱えて座り込んだ。
情報が少なすぎて、悪い想像ばかりが脳内を駆け巡る。
これはもしかして、避けられない"流れ"なんじゃ――。
「落ち込んどる場合か。しっかりせんか」
腕をぺちっと叩かれて顔を上げる。
そこに居たのは肩で息をする、黒髪の少女の姿だった。
息を整えながらサリーちゃんは、僕に黒豹装備一式を差し出してくる。
「話は狐娘から聞いたのじゃ。あやつらは馬車でこっちへ向かっておる。お主はさっさと着替えておけ」
荷物持ちを平然と断ってきたあのサリーちゃんの気遣いに、僕は言葉を詰まらせた。
そうだな、結論なんてのは巻き戻しを、全て使い切るまで出せるはずがない。
装備を受け取った僕は、防具販売カウンターの試着室を借りて着替えを済ませた。
いつものことだが、まずは出来ることから始めていこう。
待っていてくれたミミ子とサリーちゃん、それにイリージュさんにしっかりと頷いた僕は、大事な家族を助けに迷宮へ足を踏み入れた。




