選択肢の回避方法
騒動が起こったのは、迷宮の出口検査の時だった。
試練の迷宮は外に出る際に、厳しく荷物を検分される。
素材や魔法具を無断で持ち出し、組合を通さず売り払おうとする輩が少なからずいるからだ。
基本的にこの迷宮の所有権自体は迷宮組合が握っており、探求者たちは無料で入場できる代わりに獲得した物を自由に売買する権利はないというのが組合のスタンスだ。
集めてきた素材は買取カウンターに全て提出しなければならず、出し忘れがあると故意の隠匿とみなされ全部没収になったりする。
そしてそれを魔法具なんかでやると、一発で探求者認識票が取り上げられ迷宮出禁の処置となる。
悪質な場合はその場で逮捕され投獄の後、裁判に掛けられる羽目になるとか。
それでも昔は、あの手この手で持ち出そうとする連中が後を絶たなかったと聞いた。
組合の手数料がぼったくりなのもあるが、未認可の魔法具は他の理由で法外な値段がついたりするらしい。
酷いのになると奴隷に自分で腹を切り開かせ、そこに魔法具を無理やり埋め込み治癒術で強引に塞いで持ち出した例もあったりする。
そのせいで体の丈夫な亜人奴隷の値が一時期、高騰したらしい。
酷い話もあったものだ。
もっとも今は体内に隠したくらいじゃ、即刻見破られてしまう。
伊達にギルドも海千山千の探求者を、何十年も相手にしてきていない。
地上につくと小隊のレベルによって、それぞれ銅、銀、金板用の出口へ誘導される。
銅板だと、茶箱産の低級な魔法具か、安い素材ばかりなので検査は短い。
だがこのレベル帯は非常に人数が多いので、必然的にカウンターが物凄く混雑する。
芋を洗うというおぞましい表現がピッタリの混み具合で、朝の場所取りと夕方の査定待ちはもはや迷宮の悪しき名物といえるほどだった。
銀板に上がって良かったと思える点は、この混雑からの解放もかなり大きい。
レベル3以上の出口検査だと手荷物や武器を渡すカウンターの職員さんは丁寧に対応してくれるし、身体検査の係員さんがポケットに無遠慮に手を突っ込んでくるなんてのもない。
空きっ腹を抱えたままロビーで延々と査定が終わるのを待っていた頃が、懐かしさを覚えるほど遠い過去に思える。
「って、今日もお出迎えですか」
「おかえり、隊長君」
出口カウンターの奥からひょっこり顔を出した女性に、軽く頭を下げて挨拶する。
迷宮予報士のサラサさんは、小さく手を振って馴染みの屈託のない笑みで迎えてくれた。
「いつも、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。ふむふむ、今日は素材なしなん?」
カウンターに置かれた背負い袋の中身を確認する職員さんの後ろから、遠慮なく覗き込んでいたサラサさんが意味あり気に呟いてくる。
「はい、今日はモンスターを一体も倒してませんので」
「その割には色々と収穫があったみたいやね」
「色々とあり過ぎですよ」
「そっか。ま、お疲れさん。そうそう、近いうちにお姉さんが美味しいお酒奢ってあげるで」
「デートのお誘いでしたら、喜んでお受けしますよ」
そうではないと分かっていたが、敢えて軽い口調で承諾する。
意味が通じたのかサラサさんも、唇の端だけ持ち上げる大人な笑みで応えてくる。
慣れない腹の探り合いで微妙な空気が流れる最中、サラサさんの横に立っていた職員さんが唐突にゲロを吐いた。
紫の矢を握りしめたお姉さんの口から、茶色い体液がカウンターに盛大にぶち撒かれる。
その職員さんは、ストレートの短い黒髪と銀縁眼鏡が良く似合う小顔の女性だった。
ギルド職員よりも図書館の司書のほうが似合いそうな妙齢の美人さんだ。
そんな可憐な女性がカウンターに縋りついて、涙をぼろぼろと流しながら苦しそうにえずきだす。
「急にどないしたんよ。お昼になんか変なもん食べたん? 誰か当直の治癒士さん、呼んできて上げて」
慌てて駆け寄ったサラサさんが、胃液まで吐き出した女性の背に手を当てながら指示を下す。
掛けられた声に、カウンターに居たもう一人の職員さんがこちらへ向き直った。
小柄な職員さんは、肩まで伸ばしたカールの掛かった髪と優しげな眼差しが印象的な女性だ。
振り向いた職員さんの襟元は、鼻から流れ出した血で真っ赤に染まっていた。
「うわわ、めっちゃ鼻血出てるやん。どうなってんの?!」
「大丈夫ですか?」
鼻血を垂れ流す女性は目の焦点があっておらず、体をふらふらと前後に揺らしていたが、不意に糸が切れたようにカウンターに倒れ込む。
ゲロ塗れの女性のほうはついに吐くものがなくなったのか、肩を震わせながら懸命に息を吸い込んでいる。
「誰か治癒士さんを早く! 隊長君、なんか変な病気でも持ち帰ってきたん?」
「全く心当たりがないと言ったら嘘になりますけど、僕らは異常ないですよ」
「そっちの人の鼻血」
僕の後ろで暇そうにあくびをしていた狐っ子が、すいっと白い手を持ち上げて指し示す。
「キッシェが犯人だよ」
「えっ、私ですか?」
「キッシェちゃん、何したんよって、どないしたんその顔! 魚食べ過ぎた?」
「あ、これですか。その……色々ありまして」
「キッシェが精霊垂れ流すから、そこの人が当てられたんだよ~」
「ああ、それでかって、ここまでとは聞いてなかったんやけど……」
やっぱり話が通じているようだ。
「それからそっちのゲロ塗れの人は、そいつが犯人だよ」
ミミ子の指先が、今度はカウンターで息切れを起こしているお姉さんへと動く。
いや正確には、お姉さんが握りしめる紫の小蛇へだ。
「うきゃあ!」
普段の様子からは想像もつかない可愛らしい悲鳴を上げて、サラサさんがぐったりしている同僚から飛び離れる。
「あ、違うんです。そいつは宝箱から出てきた奴で」
「やはり三枚に下ろして、活け造りにしとくべきだったね」
「ややこしくするな、ミミ子。こいつはほら、こうやって念じれば――」
慌てて蛇を捕まえた僕は、手の中で矢に変えてみせる。
サラサさんの目が真ん丸になった。
「これって、有魂武器やん! えっえっ、今日はモンスター倒してないって」
「黒い宝箱から出た奴ですよ。ご存知じゃないんですか?」
「は? 黒? どこの話?」
「どこって階段のある部屋ですよ。鏡の裏の」
なぜかサラサさんの動きが完全に止まった。
僕の言葉を反芻しているのか、こちらを見たままの瞳だけが僅かに揺れている。
そして結論が出たのか、軽くまばたきしたサラサさんは、おもむろに口を開いた。
「一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「今日は関門通路の奥まで行ってきたんやね?」
「たぶん番人がいる隠し通路でしたら、それであってると思います。ちゃんと終点二つとも回ってきましたよ」
「二つ!!」
反応が大袈裟すぎるので、僕も不安になってきた。
てっきり隠し通路のことは、組合も全て把握した上での話だと思っていたのだが。
「鏡の裏にも通路がありまして、その奥に宝箱があったんですよ」
「ふんふん」
「開けたらこの蛇な矢が出てきまして」
「ふんふん、それで」
「宝箱の下から階段が現れたんですが、下りずに戻ってきたと……聞いてます?」
胸の前で両の拳を握っていたサラサさんは、ぶんぶんと音が出そうな勢いで首を縦に振った。
その目は、見たことがないくらいキラッキラに輝いている。
急に伸びてきた手が、僕の両手をガッシリと掴み勢いよく上下に振られる。
「隊長君、それ大発見やで!」
「そうなんですか?」
「うんうん、君に三層の地図を見せて貰った時から信じてたんよ。いつか大っきいことやってのけるって」
どうやらあの鏡の裏の階段は、未踏破区域だったようだ。
意外な展開に声を失っていると、カウンター奥から複数の人の気配が近づいてくる。
現れたのは顔馴染みのサリーナ司祭と、警備員の方たちだった。
僕はサラサさんと両手を繋いだまま、ほっと息を吐いた。
そしてサリーナ司祭の両目が大きく開かれるのを見て、事態の危険性に気付く。
血塗れでカウンターに倒れ込んだままのギルド職員さんその一。
吐瀉物に塗れ息も絶え絶えなギルド職員さんその二。
そしてタイミング悪く手にした矢を、ギルド職員さんその三であるサラサさんの首元に突き付ける形になっている僕。
しかもこの時、間が悪いことに、サラサさんの瞳はかなり潤んでいた。
新たな悲鳴が響き渡り、僕は逮捕された。
▲▽▲▽▲
『水玉龍の歓楽酒場』は今日も満員御礼だった。
馴染みの奥のテーブルで、解錠の上達を諦めたどこぞのリーダーが黄金に輝く探求者認識票を掲げて乾杯してたりするが、残念ながら今日の舞台はここではない。
酒場の裏手の左右の壁がくっつきそうなくらい狭い階段を上がると、黒檀製のどっしりとしたドアが現れる。
ノックをして覗き穴の前に探求者認識票を吊るすと、しばらくの後に扉は静かに開いた。
それなりの広さの店内には、コの字型の大きなカウンターとピアノ。
灰色の柱に埋め込まれた発光石は、敢えて天井や床に向けられ薄暗さを演出している。
鼻をくすぐるお酒と葉巻の匂い。物寂しげに流れる音楽。
まだ二十前の僕には、余りにも似つかわしくない場所だ。
一杯奢ると言われたが、腰の据わりが悪そうなので果たして楽しめるのだろうかと心配になってきた。
「おう、来たか」
「こんばんわ、師匠」
「待ってたで。お疲れさん」
「…………本当に疲れましたよ」
カウンターに座るロウン師匠と、迷宮予報士のサラサさんに挨拶する。
店内の客は、この二人だけだった。
あとはピアノを奏でる肩丸出しの白いドレスの女性とはち切れそうなタキシード姿の用心棒、それとお歳を召したマスターがカウンターの奥に佇んでいる。
秘密クラブのようなこのバーには名前がない。
他人に聞かせたくない話をする場所としか、僕も聞かされていない。
「ま、なにか飲め。注文はあるか?」
「お任せします」
「そうか。店主、アレを頼む」
アレで通じるのか。それともアレというお酒なのか。
軽く溜息を漏らしながら、僕は二人の横に腰掛けた。
逮捕と言うか拘留の名目で別室へ連行された僕は半日近く根掘り葉掘り質問攻めに遭い、宣誓書に色々サインをして解放された時にはどっぷりと日が暮れてしまっていた。
僕らが見つけた下層への階段。あれが公になるのは、非常に不味いらしい。
事情聴取のさなかに軽く説明してもらったが、迷宮の攻略の最前線は現在八層から九層で停滞している。
そこに突如、四層から通じる新規の階段の発見だ。
出口検査での騒動の後、緊急依頼が急遽発動され、虹色級の探求者による調査が行われたのだとか。
結果、分かったことは、あの階段は九層直通なこと。
さらにその到着地点が、九層階層主部屋の前であることが判明した。
何十年ぶりかで見つかった新たなショートカットルートのお陰で、組合は上を下への大騒ぎとなったというわけだ。
で、功労者たる僕は諸々の説明があるからと、このバーへ呼び出されたという流れ。
「そういえば聞きそびれてましたけど、職員さんは大丈夫だったんですか?」
「うん、あの二人? もうすっかり元気やで」
「原因は分かったんですか?」
「ああ、それなんやけどな――」
サラサさんの説明によると、まず鼻血を出した精霊感知士のお姉さん。
あれはミミ子の指摘通り、キッシェが四層から持ち帰った精霊が体内から溢れ出していたのが原因だった。
以前、ラギギ導師からの手解きで体内の精霊の器を広げてもらったキッシェだが、今回はそれを上回る量だったらしい。
大量の精霊に触れて、職員さんの感覚器官がオーバーヒートしてしまった結果とのこと。
ちなみにこの精霊感知士というお仕事は、魔法具に刻印された精霊を見つけ出す職業だ。
特殊な感覚の持ち主しかなれず、鍛錬次第では属性の違いも容易く見分けることが可能になるらしい。
その鋭敏な感覚が、今日は仇になったようでアレだが。
そしてゲロを吐いてたお姉さん。あの美人さんは神力鑑定士と言われる職員だ。
こちらも文字通り、神の力である奇跡が宿ったアイテムを鑑定するお仕事で、感知士と鑑定士のお二人が揃って、魔法具の密輸を食い止める双璧の役割を果たしている。
問題は僕が持ち帰った矢が、とんでもない代物だったという点だ。
神々が物品に与える奇跡は、基本的に限度が決まっている。
だが稀に人の手で再現できる術を超えた力が、もたらされることがある。
それら神の本質を宿す品は、神遺物と呼ばれている。
僕が手に入れた矢の持つ神性は、永続。
あの蛇は、どんなことがあろうとも残り続ける神の本質を受け継いでいた。
まあもっとも永続自体は、神遺物の基本的な性能のようで、取り立てて凄いと言うものでもないらしい。
だから神の遺物と言っても、準遺物程度の評価しかない。
さらにあの矢は、扱いの難しい有魂武器ときた。
有魂武器とは名前通り魂を持つ武器で、成長という因子をその身に備えている。
戦闘を通じて学習し、どんどん強くなっていく頼もしい武器だ。
だが育て方を誤れば、戦闘中に好き勝手に動きだしたり、誤動作を引き起こしたりとトラブルを招きやすい武器でもある。
しかも一度ついた癖はなかなか矯正できないときた。
まさに人を選ぶ武器と言うか、武器が人を選ぶといった表現がピッタリの一品だ。
「神の力を直に掴んだんですよね。そりゃ気持ちが悪くもなりますか」
「銀板級じゃ、ひっくり返っても出てこない代物やで。あの子には荷が重すぎたわ」
銀箱じゃ付与する護法や呪紋の階梯は精々、中程までの品しか出ない。
そこに虹色級の品を持ち込んだのだ。騒動になるのも仕方ない。
「それで永続でしたっけ、それってもしかすると……」
「うん、隊長君の考えてる通りやで。あの矢はいくら撃っても大丈夫や」
思わず心の中でガッツポーズをする。
そんな気持ちが溢れたのか、ぐいっとグラスを呷った師匠にギロッと睨まれた。
「ふん! それくらいならわしも持っとるわ」
「そうなんですか?」
「消えん矢は使いこなせると凄いぞ。だが小僧には、ちと早いかのう。まあどうしてもと言うなら、技の一つや二つは教えてやらんこともないがな」
「あ、だから弾み矢ですか。なるほど、アレってこの矢用だったんですね」
「なん…………じゃと…………なぜ、その技を…………」
顎をかくっと落とした師匠の顔なんて、初めて見たかも。
これは期せずして、一本取り返せたようだ。
「お待たせしました。蒼海紫雲で御座います」
こみ上げてくる笑いを噛み殺していると、店主のお爺さんがコースターの上にグラスを置いてくれた。
真っ青な色のお酒から、ぷくぷくと紫色の泡が吹き出る不思議なカクテルだ。
軽く口に含んでみると泡部分がふわりと苦く舌に溶け、その後に爽やかに冷えた甘みが喉元を通り抜けていく。
「それで前から不思議だったんですが、矢が消えるのって、もしかしてあの湖の口と関係あります?」
「うん、関係おおありやで。そこら辺からまず説明せんとあかんね」
サラサさんのざっくりした説明によると、あの湖奥神殿の口は神の一部が具現したもので、同じように迷宮のあちこちで体の部位が見つかっているらしい。
神の名は不明。その奇跡の発現が"具現"であるため、創世母神の姉妹神ではないかと推測されている。
現在は休眠中のようで、神意は明らかになっていない。
ここ百年以上の調査で判明したことは、それくらいだとか。
「ほとんど、分かってないんですね」
「まぁ神様自体は眠ってはるし、なかなか情報が出てこないってのもあるんよ。まあ大事なことは一つ、判明してるんやけどね」
そこで急に真顔になったサラサさんが、声を潜めて僕に向き直る。
「ここだけの話やで」
「…………はい」
「あの迷宮は実は……………………神様の見てる夢なんや」
「…………はぁ」
「う、もうちょっと過剰な反応してや!」
「いえ、突飛すぎて理解が追いついてないだけです」
「まあええわ。話戻すけど神様が見てる夢が、現実に変わってるってのが問題やねん」
つまるところ、あの夢見る神がその具現する力によって、迷宮やモンスターや魔法具を創り出しているというのが真相らしい。
「それが、どう問題なんですか?」
「あの神様の夢迷宮では、夢の中の物しか通用せんのよ」
「…………はぁ。ハァ?」
「だからみんなが使ってる武器とか防具は全部、実は迷宮産なんよ」
「もしかして矢も?」
「当然」
初期の頃は、それで非常に大変だったのだとか。
外から持ち込んだ武器や防具では、極端に性能が落ちてしまい難易度が跳ね上がってしまう。
そのために素手に近い状態から、モンスターを倒しその素材で武器や防具を作ることから始めねばならなかったらしい。
そりゃ百年かけても攻略できないわけだ。
さらに経験値やレベル、それによる技能の習得といったものを体系立てて分析し、組み立て継承していく作業も必要となる。
迷宮組合って、先人たちの知恵と努力の結晶なんだな。
「あ、それで街へ入る時に武器持ち込み禁止だったり、武器カウンターで強制預かりになるんですね」
「詳しく調べると、分かるもんにはバレてまうからねぇ。この迷宮の実態が、外に出るのだけは防がんとあかんのよ」
撃ったら消える矢なんて、大騒ぎになるしな。
これまで強欲商売とか思っててごめんなさい。
「しかし、その、大丈夫なんですか? 試練の迷宮とか勝手に付けちゃってますけど、あれ絶対、邪神じゃ――」
「しー! その先は言ったらあかん」
サラサさんの手が伸びて、いつの間にかグラスの横に置いてあった小皿の黒い木の実をつまみ上げる。
「これ食べたことある?」
首を振る僕の口に、ぽいっと放り込まれる。
って滅茶苦茶に不味い。
強烈なえぐ味が舌の上を走り回る感覚に、僕は慌ててグラスへ手を伸ばした。
「そのまま食べたらめっちゃ苦いやろ。でもこれはこうやって、ほら皮を向いたら美味しそうな中身が」
食べさせてくれるのかと思ったら、サラサさんは白い実の部分を自分の口へパクっと入れてしまった。
「まあ要するに、食べ方次第でどうにでもなるんよ」
あ、これ絶対、最後に痛い目に遭うやつだ。
「さて、小僧はどこから気づいとった?」
大体の説明が終わったところで、師匠が口を開いた。
「今回の件ですか? 途中で怪しいなぁってのはありましたけど、最後までほとんど気づかなったですね。確信したのはサラサさんのせいですけど」
「ウチ?」
「だってこのところ、毎回潜って戻ってきたらカウンターで待ち構えているし、そりゃ何かあるって気付きますよ」
「あちゃあ、つい心配でやりすぎてしもたか……」
湖奥神殿へ至る関門通路、ギルドではあの隠し通路をそう呼んでいるらしい。
そう、今回の探求は水質調査の依頼の時点から、全て予め仕組まれていたのだ。
金色目玉の一つ目蛙の目玉を手に入れられるかどうかは運次第だったが、目玉の話自体はニーナク先生の授業を通じてモルムにさり気なく伝わっており、隠し通路を見つける確率は非常に高かった。
それから途中、何度も稽古をつけようとしてくれた師匠。
ぶっちゃけて言うと、ロウン師匠と僕は出会ってからの三年間、ほとんど訓練どころか会話らしき言葉さえ交わしていない。
気がつくと師匠と弟子の関係になっていた感じだ。
たぶん、キッシェが師匠夫妻と仲良くなったあたりから距離が縮まったというか、目を掛けて貰ったんだと思う。
そして師匠の助力がなければ、番人部屋を最後までクリアするのは不可能だったとも思える。
キッシェの件もあったな。
前もってラギギ導師に、譲渡の秘儀で器を大きくして貰ってなかったら精霊を授かることは不可能だった。
思い返すと結構、露骨に助けてもらっていたな。
「ふん、素直に喜んでやるか。よかったな、小僧」
「合格おめでとう、隊長君」
どうしてこんな回りくどい依頼なのかというと、特別待遇の試験だったというのが答えだ。
あの関門通路は年単位でモンスターが再召喚される特殊な通路で、一年毎に選ばれた小隊が送り込まれる。
そして終点に到達できたものはこの迷宮の真実を知り、深みから逃げられなくなったことを悟る。
ちなみにあえて偶然を装って依頼するのは、あの通路を他人に漏らす可能性がぐんと減るかららしい。
まあ僕も家族以外には、秘密にする気満々だったし笑えない。
真相を知った探求者は、地上に戻ると固く口止めされ迷宮都市から逃げ出すことを許されなくなるが、その代償として様々な恩恵が待っている。
要は未来の虹色級候補というわけだ。
「まあ、わしは最初から分かっておった。小僧なら出来るとな」
「ウチも信じてましたよ。あ、あと一つはっきりしましたね、隊長君が何らかの特殊能力持ちやって」
「そうじゃな。ま、あえてどんなものかは聞かんがな」
「そうそう、それよりもこれからですよ、これから」
今回の試験に合格したことで、僕らの個人情報は閲覧レベルが上がり一般職員からは目の届かない場所へ移る。
そして専門の職員が迷宮外のサポートチームとして、専属で付いてくれるようになる。
これはつまりマネージャー兼監視役といったとこか。
チームメイトとしては受付のリリさんと、交渉役のサラサさんの名前が挙がっている。
それと階段発見の件で、褒賞金が出ることになった。
金貨にして一千枚、ただしギルド紙幣払いであるが。
このギルド紙幣というのがまた曲者で、この迷宮都市でしか通用しない。
これも足枷になるというわけだ。
「さてと、その辺りはウチにバッチリ任せてもらうで。すでにお店のピックアップは済ませてあるし」
大金の使い道は、基本投資一択らしい。
そうやってどんどん、この迷宮都市に居着くように逃さないように固められていく。
リストの買収予定店舗の一つに、タルブッコじいさんのお店があって吹き出しかけた。
まさかミミ子の野望に、一歩近付く日が来るとは。
「お主、金板に上がって、呑気に余生を過ごす気だったらしいが、そう甘くはなかったようじゃな。能力を持つ者は、それなりの義務も背負うもんじゃよ」
無理やり巻き込んでから言うのはどうでしょうかね、師匠。
でも悠々自適に暮らせるのに、面倒な教官をやっておられる人には、それなりに思うこともあるんだろうな。
「ワシはもう帰るぞ。アイツが待ってるしな。小僧はあと一杯くらい飲んどけ」
カウンターから立ち上がった老人は、矍鑠たる足取りで階段を下りていった。
「ウチも色々、仕事の引き継ぎがあるし、お先に失礼するわ」
僕の頬に軽く唇を寄せたサラサさんは、愛らしく片目を閉じて去っていった。
カウンターに一人残された僕はもう一杯、蒼海紫雲を頼む。
まだ今日は終わっていない。
今から巻き戻しして、何も聞かなったことにできる。
迷宮に潜ったあとミミ子の幻影を使って他人になりすまし、監視の甘い銅板出口から抜け出して迷宮での行方不明を装えば、逃げる時間くらいは稼げるだろう。
先日、メイハさんの治療院を見学してて、僕が手助けしたらもっと大勢の人間を助けることはできるかなとも思った。
やる気は全然、起きないけどね。
でも確かに、僕の能力は可能性を考えれば無限大だ。
今の僕なら迷宮以外でも、自由気ままに生きていける。
同時に今回の試練で経験した、あの肌がひりつくような緊張感はここでしか得られないのも分かっている。
ロード回数を使い切って迷宮に挑むなんて、以前の僕ではあり得ない行為だ。
今、僕の前には二つの選択肢がある。
逃げるか、留まるか。
青い液体が弾けて紫に変わる様を眺めながら、僕は静かに考え続けた。
この人生の選択肢を、巻き戻すか否かを。
盈月と月光―元虹色級探求者のロウン師匠の所有する神遺物




