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魂の行方

 まず思ったことは、あれは悪趣味な装飾ではないかという疑問だった。

 頭のおかしい誰かが造形した奇妙な迷宮の内装。


 そんな僕の願いを打ち砕くかの如く、遠くに見えるグロテスクな赤色の何かがうねりを繰り返す。

 残念ながら彫刻とかじゃないらしい。

 

 次に考えたのは幻の可能性。

 実はまだ先日の戦闘の疲れが残っていて……。



「隊長殿! 何ですか、アレ! でっかい口みたいですよ」

「…………口だけお化け?」

「もしかしてモンスターでしょうか? 旦那様」



 僕以外にもしっかり見えているようだ。

 ミミ子はどうなんだと思い、僕は首越しに狐っ子の表情を窺った。


 僕を直視する金色の瞳。

 それはタルブッコじいさんのお店の揚げ物おまかせコースで、最後に出てくる特上コロッケの山盛りを見つめている時と全く同じ輝きを放っていた。


 余りにも期待に満ち溢れたその眼差しに、僕はついよろけて片膝をつきそうになる。

 体幹を縦に戻しながら、咄嗟に片手で顔を覆い真剣な表情を作ってみせる。

 考えようによっては、これはまたとないチャンスだ。


「…………お…………もい」

「重い?」

「思い……出した……」


 ぐっと身を乗り出してくるミミ子の様子を盗み見しながら、周囲の情報を必死で掻き集める。

 真黒な水面は気持ち悪いほど静まり返っていて、湖だと知っていなければうっかり足を踏みだしそうだ。


 そして水の上を、自由気ままに飛び回る蛍によく似た灯。

 以前見た時とは比べ物ならないほどの迷い火コープスライトの群れが、遥か向こうの巨大な口まで光の帯となって続いている。

 

 そのまま口の中へ吸い込まれて消えていく光を見た瞬間に、僕の脳裏に以前ミミ子と交わした会話が蘇った。


「ゴー様、どう~?」


 頭皮を揉み揉みしてくるミミ子に、僕は重々しく頷いてみせる。


「そうか。あれが……あれだな」

「なに~?」

「ほら、あれだろ。そう、黄泉だ! 死者の国の入……ぐ……ち」


 探りの感触を確かめるべく振り向いた僕の視界に映ったのは、冷めきったコロッケを見つめる時よりも白々としたミミ子の視線であった。


「…………ごめんなさい」

「ゴー様、何にも思い出してないね?」

「うん。さっぱり思い出せない」


 あんな変なモノ見せられたら、記憶がどうこうじゃなくてビックリが先に来るってもんだ。

 僕の顔を試すようにじっと見つめていたミミ子は、小さく鼻から息を吐いた。

 

 そしていつもの気の抜けた顔に戻る。



「やっぱり、思ってたよりも食べられちゃってたか」



 その言葉の意味を聞き直そうとした途端、ミミ子に耳たぶを軽く引っ張られる。

 降ろしてくれという合図だ。


 床に降り立った狐っ子は、興味深そうにこちらを覗き見していた三人にトコトコと近付いていく。 

 そしてちょっと焦り顔の女の子たちの顔を、なぜか自分のローブの裾を縛りながら一人一人眺める。


 ミミ子が選んだのはキッシェだった。

 黙ったまま手を取り、水際まで引っ張っていく。

 キッシェは眉尻を上下させながらも、無言でされるがままについていった。


「ミミ子さん、説明とかしてくれないの?」 

「あとでまとめてするよ~」


 見ているとミミ子はキッシェを岸ぎりぎりに立たせ、前に回るとその体に背を預けてもたれかかる。

 その姿勢のまま少女は唐突に歌い始めた。


 普段は少し低めな声質なのだが、その歌声は高みまで軽々と達している。

 透き通るといった表現がぴったりな少女の声は、水面や高い天井に跳ね返り美しいハーモニーとなって降り注いできた。


 僕は驚きのあまり顔を上げて、流れてくる歌に思わず聞き惚れる。


 歌詞の内容はサッパリわからないが、バラード調のその旋律からは優しい気持ちがじんわりと伝わってくる。

 慈しむような、包み込むような。


 それは多分、子守唄だった。


 どこか聞き覚えのある懐かしいメロディを聴きながら、僕は知らず知らずのうちに瞼を閉じていた。

 何かを思い出しそうだけど、断片的な単語やイメージしか浮かんでこない、あのもどかしさを感じながら。


 始まった時と同じように、歌は不意に止まった。

 黙って傾聴していた僕たちは、顔を見合わせてから一斉に手を叩き始める。

 振り向いたミミ子は、拍手の波に満足そうに顎を持ち上げてみせた。


「ミミっち、歌上手すぎ!」

「…………凄かったよ、ミミちゃん」

「驚いた。そんな特技もあったんだな」


 口々に褒める僕たちに、得意顔のミミ子は片手を軽く振る。


「あ、あのぅ。旦那様」


 そんな和やかな雰囲気を遮るように、湖に顔を向けたままのキッシェがいきなり声を上げた。


「どうかしたの?」

「お、驚かないでくださいね」

「うん、何で?」

「お願いですから、その! あの……怖がらないでください」

「うん、だから何を?」

「私の顔を見ても、そのままで居てくれますか?」

「そりゃもちろんだよ」

「あ、もしかして、ミミっちの歌が良すぎて泣いちゃったの?」

「…………恥ずかしがることないよ」


 僕たちの返答に、なぜか肩を震わせていたキッシェはおずおずとこちらへ向き直る。

 振り向いた女性の顔は、びっしりと鱗に覆われていた。

 歌声の余韻が残る洞に、三人分の悲鳴が響き渡った。




   ▲▽▲▽▲




 ミミ子曰く、あのでっかい口は神様のものらしい。

 

「それで、どうしてこうなったんだ?」


 顔中を青白い鱗に覆われたキッシェは、自分の鎧の裾を握りしめたまま俯いてしまっている。

 震えを止めるためなのか、力を込めすぎて血の気の失せた指先が余りにも痛々しい。


「ちょっとした食べ過ぎみたいなものだよ~」

「何を食べたら顔に鱗が生えてくるんだ」

「器が安定したら、元に戻るよ~」

「それってどれくらい?」

「う~ん、長くて半年とかじゃない」


 ミミ子の非情な宣言に、咄嗟にキッシェの様子を確かめる。

 目を伏せていたキッシェは、視線に気付いたのか僕に向けて吹っ切れたような笑みを浮かべてみせた。


「ご心配をお掛けして申し訳ありません。もう大丈夫です、旦那様。考えてみれば導師マスターと同じになったわけですし、むしろ一瞬でも嫌に感じてしまった自分が恥ずかしいです」

 

 言われてみればそうなのだが、ラギギ様級の見た目が亜人っぽい人は実はこの迷宮都市ではほとんど見かけない。

 大抵の人は服装で隠せる範囲なので、全く亜人だと気付けない場合も多い。


 その程度の違いしかないのに、なぜか亜人差別は根強く残っている。

 僕としては差別したがる人の気持ちをどうこうしたいとまでは思わないが、出来るなら関わってほしくないのが本音だ。まあキッシェが受け入れる気持ちになったのなら、僕は彼女が嫌な思いをしないために頑張るしかない。


 それに水鏡ウォーターミラーに映る自分の顔をどこか嬉しそうに眺める姿を見せられたら、もうこれ以上は何も言えないしね。


「そうそう、すぐに慣れるよ~」

「…………ミミちゃんはふかふかだねぇ」


 けろりとした顔でのたまうミミ子の背後で、モルムが嬉しそうな声を上げる。 

 狐っ子の尻尾を全身に巻き付けた少女は、くすぐったそうな顔で笑っていた。

 四本もあるせいで、かなりゴージャスな装いに見える。


 そう。なぜだかミミ子の尻尾も増えていた。


「いいなぁ。私にも何かないの? 角が伸びたりとかさ」

「リンだとおっぱいの数が増えるよ」

「えっ!」

「やってみる~?」

「え、遠慮しとく。今でも重くて邪魔なのに」


 いや、それはそれで有りじゃないか。

 って、そうじゃないな。話を戻さないと。


「つまりあれが神様で、この迷宮を作ったってことだな」


 湖の向こうで迷い火コープスライトを吸い込んでいる巨大な口を指差すと、ミミ子はこくんと頷いて見せた。


「迷い火ってのは、死んだ人間の魂だろ。つまりああやって魂を食べているのか」

「正確には魂の記憶部分だけだね~」


 人が死ぬと魂がその身体から分離する。

 魂はさらに記憶部分と生命部分に、分けることが出来るのだそうだ。


 そしてあの名前のない神様は、人の記憶を集めてまわっていると。

 

「なんでそんなことを?」

「わからない。わかっているのは、この迷宮が大きな魂回収装置だってこと」

「確かにこの迷宮は神様が造ったモノだって聞いてたけど、試練を与えるとかって話じゃなかったっけ?」

「それは後付けだよ。建前がないと、困る人も多いからね~」


 結構重要そうなことを、さらっと言っちゃいましたよ、この子。


「なるほど、怪しいってのは十分に分かった。それがどう繋がって、キッシェの顔に鱗が生えたんだ?」

「精霊をいっぱい吸い込んだせいだよ」

「まて、また話が飛んだぞ。精霊と神様の関係から話してくれ」

「簡単な話だよ~。精霊ってのは魂の生命部分だからね」


 またも衝撃の事実を、あっさりと言ってくれたよ。


 ここまでのミミ子の話をまとめてみると、この迷宮はかなり上手に作られているらしい。

 迷宮の主である神様が、モンスターを生み出してたまに宝箱からご褒美を出す。

 餌である素材や魔法具アーティファクトに釣られた連中が集まって、迷宮でぽんぽん命を落とす。

 死んだ魂は黄泉につながる四層の湖に集められ、冥府に向かう直前で篩に掛けられて記憶部分は神様が頂く。


 そして生命部分は加工されて、モンスターに再利用されたり、迷宮のルールを破ると現れる亡者になったりすると。

 ああ、もう一つ用途があった。


 僕の目の前で真黒な水溜りが、ズルリと湖から石床に這い上がってくる。

 そいつはフルフルと小さく震えながら、床の上を滑るように進んで闇に消えていった。


「スライムさんって、ここから生まれていたのか……」


 迷宮の掃除屋の生まれ故郷は、意外な場所だった。

 それとこの地底湖の奥、魂の分別場所は人工の精霊溜りパワースポットでもあるらしい。 


「つまり加工前の生命部分を取り込んだってことか。あの歌はそのために?」

「色々試したけど、弔歌より子守唄のほうが集まりが良いね」


 大まかな疑問は、これで大体わかった。

 肝心な部分はまださっぱりだけどな。


「よし。これで最後にするけど、ちゃんと答えてくれ。どうしてそんなに詳しいんだ? ミミ子」

「全部、ゴー様が教えてくれたんだよ」

「は?」

「でもその部分は、食べられちゃったんだよ」

「はぁ?」


 なんでコイツは僕を、そこまで記憶喪失扱いしたがるんだろうか。

 生まれてこの方の記憶は、全部きちんと揃っているぞ。


「誰かと勘違いしてないか? ここに来たのもあれを見たのも初めてだぞ。そもそも僕に忘れてる記憶とか、ないからな」

「本当に?」

「しつこいな。なくなったモノなんてないって」


 ミミ子は半目のまま疑わしそうに僕を見た後、キッシェたちに向き直った。


「この人の名前言える?」

「旦那様ですね」

「隊長殿がどうかした?」

「…………兄ちゃんだよ」



 ……………………あれ?



「呼び名じゃなくて名前だよ」

「え、ええっと。旦那様ですよね……旦那様?」

「隊長殿は隊長殿だろ。何言ってんの、ミミっち」

「…………知ってるよ。ゴー様だよね」

「それは私が適当に付けた呼び名。みんなゴー様の名前を呼べないの?」


 顔を見合わせた三人は、怪訝そうな表情のまま僕へ向き直る。


「申し訳ありません、旦那様。今までお名前をお伺いしていなかったようですね」

「あれ、前に聞いたような。なんでしたっけ? 隊長殿のお名前」


 金色に彩られた眼が僕を見上げてくる。

 その光に気圧されながら、僕は必死で答えを探した。


 僕は僕だ。

 今ここに存在しているのを、はっきりと認識できる。


 だけど…………僕は誰だ?

 名前? なんて名前だっけ。


 生まれは芋畑しかない田舎村で、十三才から十五才の時に家を出て都会に出た。

 傭兵団なんかに入ってみたが、死にかけて逃げ出した。

 それからずっとこの迷宮都市で過ごしてきた。


 餓鬼の頃はオイとかお前って呼ばれてたな。

 傭兵団の時は、ひたすらビクついて逃げ回ってたからネズミってあだ名だった。

 この迷宮に来てからは――。



 そこで初めて僕は、自分の名前の記憶部分がぽっかりとなくなっていることに気がついた。



「いや、あり得ないだろ。そうだ、迷宮組合ラビリンスギルドの記録を見れば――」

「空白だったよ、名前の欄」

「そんな馬鹿な。名前がないとかおかしすぎるだろ。なあ、みんな僕の名前――」


 顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは、驚きを露わにした三人の眼差しだった。

 そこに少しだけ恐怖が混じっているのを見て取れた時点で、僕は追求の言葉を失う。


「ゴー様に名前はないんだよ。アレにその部分を齧られちゃったからねぇ」

「そうなのか?」

「そうだよ。名前は魂の一番の要だから仕方ないよ」

「そっか。だから僕の名前はないんだな」


 深く頷いた僕は、ミミ子の肩にポンと手をおいた。

 狐っ子はのん気な顔で頷き返してくる。



「納得できるかぁぁぁぁ!!!!」



 ミミ子の足首を引っ掴んだ僕は、少女を逆さ吊りにして水際へ駆け寄る。


「今すぐ、全部吐け! 知ってること全てだ!」

「旦那様、落ち着いて下さい」

「何やってんですか?! 隊長殿」


 白状するまで水に漬けてやろうかと思ったが、その前に皆に止められる。


「…………大丈夫? ミミちゃん」

「なんとかね~」

「…………どうして教えてくれないの?」

「う~ん。教えても良いけど、多分信じないよ」

「…………そうなの?」

「もし巻き戻しロードを体験する前に、そんな力があるよって言われたら信じてた?」


 モルムは静かに首を横に振った。

 それもそうだな。だが今の僕らは、巻き戻しロードが存在すると分かっている。

 だったら他のも、信じられる可能性は高いんじゃないだろうか。

 多分ミミ子はその辺りも分かっていて、敢えて言わないんだろうな。


「それに大事なのは記憶じゃなくて、ゴー様の心持ちだからねぇ」

「言いたくない理由は納得できないが、気持ちは尊重したいと思う。だけど最後にひとつだけ」


 ローブの裾を解きながら、ミミ子は目で僕に続きを促す。


「これから先で命に関わる危険がある場合は、教えられる範囲でいいからちゃんと知らせて欲しい。僕の名前とか記憶なんかより、そっちのほうが凄く大事だから」

「うん。判ってる」

「じゃあこの件は、ちょっと置いておこう。みんなもそれで良いかな?」


 僕の呼び掛けに、女の子たちは真面目な顔で頷いてくれた。

 キッシェの顔が鱗に覆われていたので、実はかなり怖かったが。

 

「よし、それじゃ番人部屋まで戻って、鏡の後ろの通路の探索に行きますか」


 通路を引き返しながら、ふと奇妙な考えが浮かぶ。 

 魂を齧られたって、それって僕…………一回死んでないか?



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