年始の挨拶
大勝利に終わった新奉闘技祭の翌日、僕らは家族総出で師匠の御宅に年始の挨拶伺いに来ていた。
師匠の家ではちょうど中庭でガーデンパーティが催されており、中央の噴水周りには料理を並べたテーブルが置かれ人だかりができている。
真冬の屋外とは思えない暖かさと、目に優しい緑が溢れる庭の光景に子供たちも大はしゃぎのようだ。
キョロキョロしながら、花壇や鉢植えを楽しそうに見て歩いている。
大勢の人をかき分けて進むと、奥の東屋にお目当ての方々が集まって談笑されていた。
「あけましておめでとうございます、皆様」
「何がめでたいじゃ、小僧。年なんぞ毎年、ほっといても勝手に明けとるわ」
「あけましておめでとう、ナナシさん」
口をへの字にして悪態を吐く師匠と、穏やかな口調の奥方様はなんとも対照的だと思う。
お二方の傍にはニーナク先生と、もう一人見慣れない男性が立っていた。
「昨日は色々とお世話になりました、ニーナク先生」
「ああ、君が気にすることはない。私は愛弟子を可愛がって育てる主義なのでね」
「へん! 訓練所にちっとも顔を出さん奴は、弟子でも何でもないわ」
師匠の機嫌が悪い理由が判明した。
結局、去年はバタバタしてて、前からの約束を果たせてなかったのが不味かったか。
「不義理なことで申し訳ありません。近い内に必ず顔を出させて頂きますので、ぜひ厳しい稽古をつけて下さい」
慌てて頭を下げると、クスクスと笑い声が巻き起こる。
奥方のラギギさんが顔を綻ばせて、僕と師匠のやり取りを楽しそうに眺めてらした。
「この人、意外とあなたのこと気に入ってるのよ」
「全く気に入っとらんわい。キッシェの顔を立ててやっとるだけじゃ!」
「あら、そうですの? ふふ」
むきになる師匠に、柔らかな声で応対するラギギさん。
とてもお似合いなお二人を見てると、微笑ましい気持ちになってくる。
ほっこりとしていた僕に、不意に手が差し出される。
視線を移すと、師匠のそばに居た男性が片手を持ち上げていた。
男性の身長は僕の胸元までしかないが、横幅は三倍近くあるずんぐりむっくりな体つきだった。
皺の多い顔は真っ黒に焼けており、毛先がピンと上に向いた口髭をたくわえている。
「初めまして」
「ガルンガルドだ。こやつらとは長い付き合いでな」
がっしりと握られた手はごつごつと硬く、火傷や古傷に覆われていた。
そして半端なく太い。一瞬、肩から太腿が生えているのかと勘違いしたほどだ。
「鍛冶屋をやっとる。困ったら言え」
「ありがとうございます」
握手を終えたガルンガルドさんは、反対の手に持っていた巨大なカップを口に運ぶ。
よく見るとそれは、小樽に木製の取っ手をつけたものだった。
樽の中身を豪快に飲み干したガルンガルドさんは、満足げに大きく息を吐いた。
麦酒の濃い臭いが、僕の方まで漂ってくる。
「ああ、そうだ。これ良かったら、召し上がってください」
匂いで持参した手土産を思い出した僕は、急いで手に下げていた包みを差し出す。
先日、ニニさんたちと飲んで非常に評判が良かった『大鬼殺し』の大瓶だ。
銀貨5枚もしたのは驚いたが、いつもキッシェがお世話になっているのを考えれば、もっと高い物でも良かったかもしれない。
だけど値段で感謝を表すのもそれはそれで失礼な気がしたし、他に気の利いた物も思い浮かばなかった。
「これはわざわざご丁寧に。ありがたく頂くわ」
「小僧の癖に余計な気を回しよって。……今日はゆっくり楽しんで行け」
「はい、お招きありがとうございます」
挨拶を終えた僕は、もう一度頭を下げて達人たちの集まりから退散した。
まとってる空気が常人とは違い過ぎて、密度が通常の三倍くらいありそうな空間だった。
庭を見回ると、皆はそれぞれの場所ですでにくつろいでいた。
子供たち四人は、花壇の縁に座り込んで無心になにやら貪り喰っている。
器に盛られた甲羅をみるに、どうやら蟹に夢中になっているようだ。
ひたすら白い身をほじくっては、ずるずると吸い込むように呑み込んでいる。
いつもは元気いっぱいなちびっ子たちの、あんなに物静かな様子は初めて見た気がする。
反対側に目を移すとニニさんとリン、それに有角種っぽい人たちががやがやと雑談中だった。
なぜか全員がジョッキを手にしており、時折激しい音を立てて乾杯を繰り返している。
あっちに近づくと、二日酔いに苦しむ未来しか想像できなかったので、僕は急いで視線をそらした。
メイハさんとその後ろに控えたイリージュさんのお二人は、近所のおばちゃんぽい方たちに囲まれていた。
どうも健康相談に乗っているようで、生活習慣の改善や病気の予防法とかの単語が風に乗って届いてくる。
なんだか凄い真面目なお話っぽいので、とてもじゃないが混ざる気にはなれない。
サリーちゃんとミミ子は、奥の大木から下がるブランコに二人仲良く揺られているところだった。
ブランコは少し幅広な造りなので、二人が丸まって乗っていてもずり落ちるようなことはない。
まるで揺り籠のように揺れるブランコの上で、白と黒が絡まり合いながら穏やかな寝息を立てている。
美少女たちの神々しい寝姿を、周囲の人たちは遠巻きに眺めており一種の真空状態のようになっていた。
昼寝を邪魔するのもどうかと思い、僕は中央の泉へと足を向けた。
料理が並ぶテーブルの前で、仲良くおしゃべりしていた姉妹に話しかける。
「何かおすすめある?」
「導師の沼地料理はどれも絶品ですよ、旦那様」
沼地料理というのは、ラギギさんの故郷である東の湿地帯で食べられているものらしい。
沼のようにとろとろに煮込む料理法から付いた名前だとか。
「これなんか美味しいですよ、沼蟹の塩釜蒸しです」
「…………かぼちゃ食べる? 兄ちゃん」
キッシェが殻を剥いてくれた蟹の足を差し出してくる。
口を開けるとニッコリと笑って、食べさせてくれた。
噛むと塩っ辛さの中に蟹の身の甘みが交じり合った汁が、喉の奥へと落ちていく。
生臭さや泥臭さの欠片もない、純粋な旨味を伴った歯ごたえだけが口の中で暴れまわる。
これは子供たちが無口になるのも無理はない。
続いてモルムが、僕の口元へ匙を突き出してくる。
彼女が手にした皿には、真っ黒なスープの海に、黄色いかぼちゃの実が浮かんでいた。
沼かぼちゃの黒藻煮込みとかいう料理だそうだ。
これは予想以上に甘辛く煮付けてあって、どこか懐かしさを感じる味だった。
「……美味しいな」
「こちらも甘くて美味しいですよ」
手渡されたカップに入っていたのは、白蜜桃のスムージーだった。
びっくりするほどの甘さが、体中に染み入ってくる。
少し味付けが濃い気もしたが、新年の集まりにふさわしいご馳走をしばし堪能する。
「そういえば昨日は大活躍だったね、モルム。あんな呪紋、いつのまに開発してたの?」
食事を楽しみながら、ふと気になっていたことを少女に問い掛けてみる。
モルムは少しだけ首を傾げた後、唐突に照れくさそうな笑みを浮かべた。
その仕草で短く結んだサイドテールが、可愛らしく揺れる。
「…………えっへん。頑張りました」
「えらいえらい」
「…………えっへんへん」
どうもモルムの見出した『迷心』の呪紋だが、もとは金色目玉の一つ目蛙の目玉に刻まれていた『乱心』と、混沌迷路の呪紋を比較して創りだしたのだとか。
目玉は立体構造なのだが、あの距離感がおかしくなる通路の壁は平面だ。
なのでモルムはダミーも混ざる壁の呪紋構成の殆どを描き写して記憶し、それを金色蛙の目玉ともう一つ、実際に呪紋が発動している状態と個別に照らし合わせてみせた。
実際の発動とはつまり、低級悪魔の皮膚に浮かび上がった呪紋たちである。
壁の呪紋とデーモンの皮膚模様を見比べ、さらにその繋がりを蛙の目玉で確認しつつ再構成していったらしい。
もっとも流石にそのあたりは、ニーナク先生がほとんどやってくれたのだとか。
それでもあの一時間を超える激闘の最中に、彼女は困難な確認と記憶の作業をやってのけたのだ。
…………簡単にえらいって言えるレベルじゃなかった。
『罠解除』の習得の時も感じたが、この子の集中力は本物だ。
なんだか羨ましくなった僕は、少女の頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。
その間ずっとモルムは、そばかすを赤く染めながら僕にされるがままになっていた。
「少しはご安心頂けましたか? 旦那様」
「安心って?」
僕が聞き返すと、キッシェは何も言わず空を見上げた。
釣られて僕も、視線を上に移す。
僕たちの遥か頭上に、キラキラと輝く何かが見える。
それはこの敷地を覆うように、空中に張りめぐらされた壁のようだった。
ただ普通の壁ではなく、透き通りながら光を反射している。
「水鏡って水の精霊術です。こんな規模で維持できるのは導師だけですけどね」
「光を集めて……そっか、ここがこんなに暖かいのはアレのお陰か」
改めてラギギさんの凄さに感嘆する。
そのまま視線を下ろしていくと、泉の中央から吹き上がった水が『水鏡』の手前まで達して、そこで霧状に変化していた。
霧雨は風に運ばれて、庭中に行き渡り植物たちに湿り気を与えている。
不思議な光景に、昨日のキッシェたちの姿を思い出す。
「もしかして、あれを見て思いついたの?」
「はい。私たちだけで弓に対抗する手段を、ずっと考えてました。旦那様が驚いてくださったのなら大成功ですね」
たぶん新奉闘技祭に出場が決まった時点で、キッシェたちは色々と勝ち抜くための工夫を考え抜いたに違いない。
決勝戦で見せた霧もそうだ。
いかに濃い霧とはいえ、人の姿を完全に隠すのは難しい。
現に試合の時も、キッシェたちの影が真ん中辺りにうっすらと見えていたし、対戦相手の矢もそこに集中していた。
だが試合が中断されて霧が晴れたあとの彼女たちには、矢による損傷がほとんど見受けられなかった。
付き合いが長い僕だから分かったのかもしれないが、霧の中に出来た影。
あれはミミ子の幻影を、上から被せたものだ。
そしてミミ子の陽炎は、新しい幻影を生み出すのに十分のインターバルが必要となる。
キッシェたちはそのことを踏まえて、あの霧の防御陣を生み出したのだろう。
物言いは小隊の本人たちか関係者しか申請できず、またあからさまに怪しい状況でないと認められない。
その認可条件の難しさや間違っていた際のペナルティの厳しさを恐れて、ほとんどの人が使うのをためらうルールでもある。
と、後からリリさんに教えてもらった。
だが勝ち負けに非常に拘る相手であるならば、逆にためらいもなく使ってくることも予想しやすい。
だからこそキッシェたちは霧を使い、そのあとの物言いが付いた際に敢えて揉めて時間を稼いでみせたのだ。
ミミ子の陽炎の、再詠唱を稼ぐために。
結果的に少女たちはあの物言いで、フィールドの半分の距離と十五秒の自由時間と新しい幻影を手に入れた。
その距離こそが、モルムの『迷心』の射程範囲でもあったわけか。
さらに試合後に騒ぎが起こることまで予想して、ニーナク先生に解説をお願いしていた準備ぶりだ。
先生が壇上にすんなり上がれたところを見るに、闘技場運営部のカリナさんに根回しもしてあったのだろう。
おまけに僕が先走って巻き戻さないように、リリさんに予め伝言を頼む周到さまで見せてくれた。
安心どころか、感嘆の声しか出ない。
「一つ、聞いておきたいことがあるんだ」
軽く眉を持ち上げるキッシェに、昨日から心を離れない疑問をぶつける。
「なんでそんなに頑張ったんだ?」
確かに銀貨500枚の優勝賞金には頑張る価値はあるかもしれないが、彼女たちが大金を欲していたようにも思えない。
現にその賞金を、あっさり家計の足しにしようとしたのを慌てて止めたばっかりだ。
「証明する良い機会だと思ったんです」
「証明? そうだな、みんなの凄さは十二分に知れ渡ったかもね」
僕の返事にキッシェは、少しだけ顎に力を入れながら首を横に振る。
「いえ、旦那様に分かって欲しかったんです。私たちは私たちだけで……もう十分にやっていけますってことを」
声が出なかった。
はっきりと言われてしまったことで、ずっと心の奥底で首をもたげていた不安が一気に形になって僕に襲いかかる。
「気を悪くなさらないで下さい。その、旦那様は随分前から装備を新調されてないですよね。技能講習も全く受けてないようですし……」
「……………………へっ?」
「ずっと私たちに付きっきりで、装備も私たちばかり優先で。旦那様のご負担になってしまって……このままじゃ駄目だと決心したんです」
言葉を失ってしまった僕に、キッシェとモルムは力強く頷いてくる。
「もう私たちだけでも安全性を重視して狩場を選べば、問題はないと思うんです。ですから旦那様ももっとご自由に上を目指して下さい。旦那様なら金板なんかあっという間に通り越して、虹色だって成れるはずですから」
…………驚いた。
彼女たちは僕を心配して、頑張っていたのか。
確かにキッシェの指摘通り五層の階層主戦以降、装備を変えてなかったな。
新しい技能も必要な場面がないので、急いで覚える気になれなかったのも事実だ。
僕がロウン師匠との訓練の約束を後回しにしていたのを、ちゃんとキッシェは気づいてたのか。
考えてみれば僕自身が成長することに関しては、この所かなり適当すぎたかもしれない。
彼女たちが強くなっていくことが嬉しくて、自分のことはついおざなりにしていた。
漠然とモンスターを倒していれば、そのうちレベルが上がるだろう的な温い考えがあったのも否定出来ない。
だけど今回のモルムのように、戦った相手から色々と学び取るのが本当の戦闘経験なんだろう。
あれこそが、本来のまっとうな経験値と呼んで然るべきものなのだ。
彼女たちはいつの間にか、とても成長していた。
近くで見守ってきた僕だけが、本当にそれに気づいていなかっただけなのだ。
「……心配をかけてごめん」
僕は思わず二人を抱きしめる。
腕の中の温もりを確かめながら、少女たちにしっかりと約束の言葉を述べる。
「僕もちゃんと装備を整えるし、技能の練習もやるよ。だから先に行ってなんて言わないで欲しい」
腕を離して驚いた顔をしているキッシェとモルムに向き直りながら、しっかりと宣言する。
「みんなと一緒に強くなりたいんだ。これから先も」
そう言って僕は、再び彼女たちを優しく抱きしめた。
人に思われる喜びを、存分に噛み締めながら。




