新呪紋のお披露目
闘技場が割れんばかりの喝采に包まれる。
席から立ち上がった観客が口々に叫び始め、激闘を制した少女たちに惜しみない賞賛が降り注ぐ。
結果を見てみれば、リリさん曰く優勝確実と言われていた相手を、無名の小隊が損失一名の圧勝で打ち破ったのだ。
しかも、ほとんどがまだ十代の女の子の小隊でだ。
リンの豪快な戦い方や、キッシェの粘り勝ちな部分など見どころ満載だったので、この熱狂も分かる気がする。
僕がいうのも何だが、遠くから矢で仕留める闘い方は見てて爽快感があまりないしね。
刺さっていた剣を抜いてお腹を確認するリンに、僕はホッと胸を撫で下ろした。
同時に晒された白い肌のせいで歓声の大きさが増したので、ちょっとだけやきもきする。
リンは相変わらず、その辺りが無防備だ。
しかし駆け寄ってきたモルムを持ち上げて、くるくると宙に回すリンの笑顔を見ていると、こちらもつい笑みが浮かんでくる。
はしゃぐ妹たちとは裏腹にイリージュさんは緊張の糸が切れたのか、ミミ子という支えがないとその場で倒れ込みそうな顔になっていた。
抱きつかれたミミ子のほうは呑気にあくびをしながら、僕に向けてさり気なく親指を立ててくる。
陰の立役者のくせにいつもと変わらぬマイペースな有り様に、何だか安心してしまう。
考えたら下位の部とはいえ闘技祭で優勝なんて、随分と凄いことじゃないだろうか。
でもそれを成し遂げたのは、僕といつも一緒の女の子たちな訳で……。
とても嬉しいのだが、寂しいのと歯がゆいのが入り混じった変な気持ちがこみ上げてくる。
やや自己嫌悪な気持ちに背中を押されながら、立ち上がって拍手をしようとした矢先、フィールドの異変に気付く。
キッシェに倒された騎士の一人が、鉄兜を地面に投げつけて何やら大声で喚き出していた。
距離がある上に周囲の声が邪魔して途切れ途切れにしか聞こえてこないが、詐欺師や亜人風情という単語が僕の耳に飛び込んでくる。
焦りながら見ているとその黒髪の男は、大袈裟に手を振り回しながらキッシェへ詰め寄り出した。
だが憤る男の前に突如、最後まで闘ってみせた騎士が立ち塞がる。
足を止めた男の前で、小柄な騎士は兜を脱ぐ。
武骨な兜の下から現れたのは、金色の髪を結いあげた妙齢の女性であった。
女性は男に激しい言葉を浴びせかけると、その胸を小突く。
そしてくるりと振り返ると、キッシェに向けて優雅に手を差し出した。
その手をキッシェは顎を持ち上げ、毅然とした面持ちで握り返す。
先程の男の言葉なぞ、何一つ気に掛ける素振りも見せずに。
凛々しい少女たちの握手姿に、観客席から大きな拍手の嵐が起こる。
トラブルが無事回避されて再び胸を撫で下ろした僕だが、事態はそう簡単には終わらせてくれないようだ。
次に起こったのは、前の方の席から放たれた野次の声だった。
「いや、待ってくれ。最期のところ、あれは何が起きたんだ?」
「俺もおかしいとは思ったよ。あそこは不自然な動きだったな」
よく通る声の持ち主が、わざとらしい疑問を口にする。
それに釣られたのか、僕の周りからも口々に疑惑の声が吹き出す。
「物言いで調べたんだから、怪しくはないだろ」
「調べたのは煙だけで、他にもあったんじゃねーの?」
「魔法具を、まだ隠し持ってたってことか。あんだけ攻撃が当たらないのはあり得ないぞ」
「いやまさか、八百長を仕組んだのか!」
騒ぎが次第に大きくなり、観客席のあちこちで怒号が飛び交い始めた。
一部の客たちが、金を返せと叫び出している。
対戦相手に賭けてた連中が、ここぞとばかり騒ぎを大きくしているようだ。
最初に叫んだ男たちが顔を見合わせてほくそ笑む姿が、僕の眼に飛び込んでくる。
無意識のうちに僕の手が、ない筈の背中の弓と腰の矢筒に回された。
「――大丈夫ですよ」
宙をさまよう僕の手の平に、柔らかな手がそっと重ねられる。
視線を横に戻すと、リリさんが少し強張った笑顔を僕に向けてくれていた。
「大丈夫なんですか?」
「だと聞いてます」
「誰にです?」
「キッシェちゃんからこんな時のために備えがありますから、心配しないで下さいと伝言を頼まれてました」
驚いた僕は言葉を失う。
こうなることまで、予想してたというのか。
「でもどうして、僕には……」
「心配をお掛けしたくなかったんでしょうね」
「そんな! 逆に心配しますよ」
「私もそう言ったのですが、旦那様のお手を煩わせたくないの一点張りで」
つまり余計な手出しは不要と、遠まわしに伝えたかったのか。
今すぐ巻き戻して、さっきの野次を始めた二人組を、闘技場入口で待ち構える気満々だったんだが。
キッシェたちに備えがあるなら、僕の行為は藪蛇な結果に繋がる恐れもある。
「分かりました。すみません、感情的になってしまって」
「いえ。お気持ちは分かります。私もお腹の中が煮えたぎってますから」
にっこりと愛らしい笑顔のまま、リリさんはさらっと気持ちを吐露して僕の怒りを和らげてくれる。
こんな優しい女性と今日は一緒に居られて、本当に良かったとしみじみ思いながら、差し伸べられた手をギュッと握り返す。
そして反対側の手から、生気を吸い上げる少女に苦言を述べる。
「あのねサリーちゃん、これは浮気じゃなくて感謝の表れだから吸うのは止めて。それと焼き栗の食べかすを握らすのも止めて。そんなゴミは要らないからね」
「浮気じゃないのかや? よく分からんのう」
小首を傾げながらサリーちゃんの興味は、焼き栗の入ったカップに戻る。
と、少女の顔が不意に持ち上がり、金色に染まった瞳が大きく開かれる。
「……なんじゃ、あの化け物は。魔力の塊か」
その声に視線を向けると、いつのまにか観客席前の壇上に誰かが立っているのが見える。
足元を隠す灰色のゆったりしたローブに、とんがり帽子をかぶり銀の羽飾りが付いた杖を手にしている。
長く伸びた白い髭と、鋭角の鷲鼻に知性が溢れ出る眼差し。
モルムの師匠であり、元虹色級探求者のニーナク先生だ。
「――お静かに」
拡声器の巻貝を構えた先生は、一言だけ述べた。
しかしざわめく観客席は、一向に静まる気配がない。
軽く肩を竦めた先生は、杖を一振りした。
その瞬間、老人の背に巨大な呪紋が現れる。
驚きの声をあげようとした僕は、その声が全く出ない事実に気付き、さらに大きく口を開けた。
慌てて見渡すと周囲の人たちも同じような状態らしく、口をパクパクさせている。
腰を浮かせた僕は、振り返って闘技場の観客席を見渡してみる。
誰一人として声を、いや気が付くと物音一つしなくなっていた。
あの一瞬で、千単位の人間から音を奪ってみせたのか……。
化け物なサリーちゃんが、同類以上の扱いをするのも頷ける。
つい今しがたまで大騒ぎが起きていた闘技場は、完璧な静寂に包まれていた。
静かになった聴衆を見渡した先生は、髭を軽くしごいて満足気に頷く。
そしておもむろに語り始めた。
「先程の試合に使われた呪紋について、私の方から少し解説を入れさせて頂こう。皆さんは不適正呪紋というのを御存知かね。我々人の種が使うには魔力が足りなかったり、構成が理解しにくく再現性の困難な呪紋を指す言葉だ。もっとも個人的には、やろうと思えばできるが少々面倒な呪紋といった印象だがね」
生徒に講義をするように、ニーナク先生は淡々と言葉を紡いでいく。
「こういう不適正呪紋は、大体が混沌に住まう魔族どもが使うことで有名だ。ざっと挙げれば夢魔が使う悪夢、上級種の強要、最上級種の隷従等それなりにあるのだが、今回特に注目したいのが低級悪魔が使う乱心だ」
声が出せない以上、相槌を打つくらいしか出来ない観客を前に講義は続いていく。
「乱心とは空間認知を乱す作用があり、主な効能は距離感の喪失だ。作用深度がかなり深く、無効化無視を持つのでかなり有効な呪紋といえるが、立体構成を持つので再現がかなり難しかった。だが先日、私の優秀な弟子の一人がとうとう呪紋の部分識別に成功してね。もっとも取り出せたのは、視覚の認識阻害のみなので残念ながら乱心ほどの効果は期待できない」
そこで言葉を区切った老人は、茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて僕らを見渡す。
「と、今日のこの結果を見るまでは思っておったよ。皆さんも見たであろう、長く訓練を積んできた騎士が、次々と剣を外す有り様を。加えて彼らは、おっと失敬、彼女も居たな。まあ、騎士たちは、呪紋耐性が非常に高い。だが今回は、ご覧の有り様だ。無論、盲目のほうが効果は強力だという反論は認めよう。しかしこの新しい呪紋、乱心ほどの効力はないので『迷心』と名付けたが、大きな利点が二つある。まず非常に掛けやすい点だ。そしてもう一つの利点は、掛けたことが悟られにくいことだな。そのせいで今しがたの試合のように、相手の隙を作るのに非常に有効な戦果を期待できる」
自慢気に髭をさすりながら、先生は静まり返る観客席を見渡す。
「したがって今の試合はインチキなどではなく、全ては私の優秀な弟子の仕業であったことを分かって頂けたと思う。そう。あのフィールドに立つモルム・セントリーニこそが、この『迷心』の呪紋構成を見出し、見事な成果を上げてみせた俊英という訳だ。もっとも呪紋の再構成の八割は、私の仕事だったがね。ではご理解頂けたのなら、今一度、彼女たちに心からの賛美をお願いする」
そこまで言い切ったニーナク先生は、僕らを見渡して不思議そうに首を捻る。
そしてポンと手を打つと、指をパチンと鳴らしてみせた。
『静寂』から解放された観客席から、再び嵐のような喝采が巻き起こった。
『静寂』―魔術士の第四階梯呪紋。『沈黙』の上位呪紋。音が発生した瞬間、逆相になるような音も同時に生まれる空間を創り出す。
『迷心』―魔術士の第一階梯呪紋。『乱心』の下位呪紋。命中率の低下効果。呪紋成功率が非常に高い




