新奉闘技祭決着
試合再開の銅鑼が打ち鳴らされる。
だが鉄鎧組はペナルティで、十五秒間はその場から動くことが出来ない。
すでにキッシェたちは中央の石柱帯を抜け、六割近い位置まで敵陣に喰い込んでいた。
これまでのパターンを考えると、リンが一気に距離を詰めれば一人くらいは倒せそうだが二人目は厳しいだろうな。
物言いのせいで試合が十分近く中断されたせいで、集中の呪紋が切れてしまっている。
それに騎士たちも、微妙に距離を空けた位置取りをしてるせいで、連続攻撃に巻き込みにくい。
このアドバンテージをどう生かすのか固唾を飲んで見守っていると、帽子の鍔を弾いたモルムの手が高速で動き始めた。
右手に持った赤い鉛筆に似た何かで、お馴染みの集中を描き始める。
三秒きっかりで最初の呪紋を仕上げ、そのまま線を繋ぐように新たな呪紋へ取り掛かる。
その様子になぜか、観客席からは驚嘆の声が上がる。
しかし外野の声を気にする素振りも見せないほど、少女たちは目の前の勝負に集中していた。
妹の支援を受けたリンが盾を投げ捨てて、背負っていた両手斧を構える。
その周囲に少女の幻影が二つ現れると同時に、リンは獣のごとく身を低くして駆け出した。
だが今のスタートでは、相手が止まっている間に辿り着くのは厳しいようだ。
先駆ける妹の背後で、深呼吸をしたキッシェが大きく弓を引き絞る。
短い時間の中で冷静に照準を絞り込んだ少女の弦が、観客の注目を集めながら力強く爆ぜた。
真っ直ぐに飛んだ矢は騎士たちの間をすり抜け、その背後を守っていた治癒士の喉に突き刺さった。
完璧な『必中矢』で対戦相手の命綱を、見事一矢で仕留めたキッシェに大きな拍手が巻き起こる。
これで五対四になった。
最後にモルムが描き終えた呪紋が、対戦相手に向けて光を放ち発動する。
…………だが鉄鎧組には、何の変化も見えない。
たしか騎士は訓練で『誘眠』や『盲目』を何度も受けることで、呪紋耐性を上げているとは聞いていたが。
十五秒があっさりと経過した。
ペナルティが終わったことを知らせる笛の音と同時に、騎士たちは一斉に弓を構える。
その狙いはなぜかミミ子ではなく、走ってくるリンへと向けられていた。
しかも狙いは全て、中央の少女に合わせられている。
「だから影ですって!」
唐突に叫び声を上げたリリさんに、僕は思わず首を竦めた。
「本物だけ影が丸見えなんですよ!」
まあ言われてみれば、その通りだ。
本物を含む三人の姿のうち、真ん中の少女だけ足元に影が浮き出ている。
騎士たちの矢が、容赦なく中央のリンへ集中して浴びせられた。
本物と見破られたリンが、蜂の巣になるかと思えた瞬間――。
その巨体が豪快に宙を舞う。
空中で華麗にトンボを切って、矢を全て避け切るリン。その足元には影がくっついたままであったが。
音もなく着地した少女は、両手斧を構えたまま走り続ける。
「………………え? あれっ? 偽物?」
流石に影が一緒になって飛んだので、幻影だとばれてしまったようだ。
まあ矢を躱さなければ、どのみちバレてたしな。観客には大うけしてるし、これはこれで面白いか。
「ミミ子の奴、遊んでますね」
「どういうことなんです? 影があるのに……もしかして、全部偽物?」
「一人は本物ですよ」
目を真ん丸にしているリリさんに、急いで説明する。
「ミミ子は陽炎を三つまで出せるんです。今、見えているリンの幻は二体ですけど、実は三体目もすでに出てるんですよ……人の形はしてませんけどね」
首を捻っていたリリさんだが、トリックを理解できたのかポンと手を打つ。
「もしかして三つ目って、本物のリンちゃんの影?」
「ええ、影の上から地面の幻を作って、影がないように見せ掛けてるんです」
言葉を失ったリリさんの反応をみて、改めて思い知る。
当たり前に慣れてしまっていたが、ミミ子の幻影って物凄く高性能だと。
実は影のトリック自体は初戦から仕込んであったのだが、最初に気付いたのが決勝戦の相手とは皮肉なものだ。
観客席から見れば一目瞭然なのだが、実際に対峙してるとリンの速度に翻弄されて、足元まで見る余裕がないのかもしれない。
矢が不発に終わったことで騎士たちは、即座に弓を投げ捨てて迫り来る少女たちに備えた。
派手に矢を躱した幻影は無視して、左右の二体に対し二人組に分かれて対処にあたる。
盾を構えた騎士に対し、もう一人がその背中を支える姿勢をとる。
リンの馬鹿力に当たり負けしないための布陣だろうか。本当によく対戦相手を研究しているようだ。
だが牛鬼の血を引く少女も、只者ではなかった。
二人がかりで押さえ込もうとする相手に対し、さらに速度を上げて距離を詰める。
常よりも深く踏み込んだリンの体が大きく捩じれ、水平に断ち切るはずだった両手斧の軌道が低空へと転じる。
轟音とともに打ち込まれた両手斧は、盾を構えていた騎士の足元を鮮やかに薙ぎ払った。
足払いをまともに食らった男は、その場でぐるんと横転して顔を地面にしたたか打ち付ける。
だが本当に災難だったのは、後ろで支えていた男の方だった。
衝撃に備えていた筈が目の前の男が唐突に消え、代わりに現れたのは大上段に両手斧を振りかぶる鬼の姿だ。
足を払った勢いそのまま、腕力で強引に軌道修正された両手斧は、真上から真下へまっすぐに振り下ろされた。
金属を叩き合わせる音と共に、両手斧の刃が男の肩口から鳩尾近くまで一気に斬り裂く。
鉄鎧を易々と叩き割ったリンの剛腕に、激しい歓声が巻き起こった。
しかし男も、伊達にここまで勝ち上がってきたのではなかったらしい。
血を吐きながらも深く体に喰い込ませた両手斧に、しっかりと抱きついて離そうとしない。
武器を奪われる形になったリンの足に、さらに転ばされた男がしがみつく。
咄嗟に身をよじって倒れ込むのを避けたリンは、自由になった足を容赦なく地面の男の首根に踏み下ろした。
それは男たちが手にした片手剣を突き出したのと、ほぼ同時であった。
腹部を二本の刃に貫かれ、少女はよろめくように後ずさり膝を突く。
そのまま残念そうに、少女は首を横に振った。
獅子奮迅の働きだったリンがついに倒されて、状況は四対二となる。
人数的には女の子たちがかなり有利だが、キッシェ以外は攻撃力が皆無なので、これは実質的に負けたような気がする。
そのキッシェだが、残った二人の騎士と死闘を繰り広げていた。
リンの幻に対峙していた二人組は、相手が虚像だと判明した瞬間、動き出す。
地面に投げた弓を拾うべく手を伸ばす男。
そこに狙いすましたキッシェの『必中矢』が炸裂した。
利き腕をやられた騎士を庇うように、少しだけ小柄な方が盾を構えて前に出る。
続けざまに放たれたキッシェの矢を、苦もなく盾で弾きながら二人の騎士は女の子たちに詰め寄っていく。
姉と妹を庇ったのか、キッシェも同じく前に出ながらリンが残していった盾を拾い上げる。
剣の間合いへと踏み込んだ三人は、一斉に得物を持ち替えた。
利き腕をだらりと垂らした騎士は、残った手で片手半剣を振りかざす。
そして小柄な騎士は、刺突片手剣と長盾を油断なく構える。
抜かれた細身の剣は、眩しい光を放っていた。
対するキッシェが手にするのは短剣と木盾。両方とも魔法具ではない普通の武器だ。
絶望的な状況だが、僕はまだ希望を失っていなかった。
騎士たちを真っ直ぐに見据えるキッシェの瞳には、力強い輝きが宿っていたからだ。
それは僕が初めて彼女に出会った時、死の間際でも決して失われなかった光だった。
騎士たちの剣が、彼女を斬り付ける。
それをキッシェが盾を使い巧みに弾き返した。思ったよりも、盾を持つ姿が様になっている。
妹の盾捌きを身近に見て来た成果が、現れたのだろうか。
しかし調子が良かったのは、最初の二、三合の打ち合いだけだった。
すぐに盾扱いが素人だと看破されたのか、死角を突いた騎士たちの剣がキッシェの身を掠めだす。
『安全人形』により利き腕の傷が塞がった騎士が、片手半剣に手を添えてキッシェの肩口へ振り下ろす。
咄嗟に反応して持ち上げた盾の隙を狙って、もう一人の刺突片手剣が脇腹へと差し込まれた。
間一髪で身を捩って刃を避けるキッシェだが、無理な体勢に盾撃を繰り出され大きくバランスを崩す。
たたらを踏んでなんとか持ち堪えたところに、今度は片手半剣の横薙ぎが襲った。
わずかに狙いが逸れたのか、その斬撃は後退ったキッシェの皮鎧を切り裂くだけに留まる。
切痕から血が滲み、『安全人形』のおかげで塞がっていく。
このままだとじわじわと削られるキッシェの敗北が目に見えていたが、少女はそこで反攻に出た。
盾を小柄な騎士に投げつけると同時に、片手半剣を振り回す男へ飛び掛かったのだ。
けれどもその行為は、すでに看破されていた。
投げ付けられた盾を難なく叩き落とした騎士は、一歩前に出て細身の刀身を突き出す。
それに足並みを揃えるように踏み出した男の剣が、飛び込んできたキッシェを迎え撃つ。
勝負は決したかと思われた。
だが騎士たちの剣は、なぜか空を切った。
狙いが外れ空振りとなった二振りの剣が、互いにぶつかりあい火花を散らす。
その一瞬の空白を突いて、鉄鎧に組み付いたキッシェが首と兜の間に短剣を突き入れた。
兜の呼吸穴から赤い血が溢れ出し、男はもがきながらも少女を抱き込んで地面に転がった。
そこに小柄な騎士が、キッシェの首目掛けて剣を振り下ろした。
刺突片手剣は空気を切り裂く音を立てながら、キッシェの首根へと吸い込まれる。
しかし今度の攻撃も、致命傷を与えるには至らなかった。
わずかに刃先がずれて、皮鎧の首周りを切り裂くだけに留まる。
鎧の下から現れたキッシェの鱗肌には、赤く一筋が浮かぶのみだった。
これだけ攻撃が当たらないのは、途轍もない幸運と言えるかもしれないが、僕はその外れっぷりについ最近の出来事を重ねていた。
矢がほとんど当たらなかったモンスターの姿と、金色蛙の目玉を熱心に眺めたり壁の呪紋を懸命に書き写していた少女の姿を。
「もしかして……さっき、モルムが掛けていたのは……」
どよめきの声に僕は慌てて、視線をフィールドに戻した。
そこに見えたのは長盾を捨てて刺突片手剣を構える騎士と、血に塗れた短剣をぶら下げるキッシェの姿だった。
踏み出した騎士の剣先が、少女の胸へと突き出される。
辛うじて短剣で、その刃を弾くキッシェ。だが方向を変えた切っ先は、くるりと弧を描いて少女の手首を切り裂いた。
そのまま速度を上げた剣は、一方的にキッシェの体を傷つけていく。
とは言っても致命傷に至らぬところを見ると、やはり剣の狙いを逸らす何かしらの力が働いているようだった。
それと同時に騎士の剣の速度が、少しずつ落ち始めていた。
赤く染まった刀身を、重々しく振り回す騎士。
肩で息をしながらも、キッシェはその攻撃を捌いていく。
やがてべっとりと血糊がまとわりついた剣を、騎士は支えきれずに地面へと向けた。
それは降参の合図のようにも思えた。
息を切らしていたキッシェが、剣を持ちあげられず俯く騎士の側面に回りこみ、その首裏に終止符を打ちこむ。
最後の騎士が膝を突き、フィールド上を動けるものが居なくなった瞬間、決着の銅鑼が重々しく打ち鳴らされた。
足払い―戦士の両手斧初級技能。転倒による行動阻害の派生効果あり
明白の刺突片手剣―第四階梯真言『他覚』が授与されており、他人の動きが感知できて命中率が非常に高い剣
悪魔の指―低級悪魔の赤い小指。これで描かれた呪紋は驚異の成功率を誇る




