新奉闘技祭その3
等間隔に並んだ鉄鎧姿の四人が、ほぼ同期したタイミングで矢を放つ。
男たちは技能を使う素振りもなく、淡々と機械のように射撃を繰り返していた。
次々と放物線を描く矢が、フィールドの反対側で身を寄せ合う少女たちに容赦なく降り注いでいく。
彼女たちが矢の豪雨に対抗するすべは、先頭に立つ赤毛の少女が掲げる盾のみ。
だが盾の加護をもってしても、守れる範囲は盾の大きさしかない。
防ぎきれなかった矢が、少女たちを仕留めるのは時間の問題だった。
開始地点に釘付けにされた少女たちの絶望的な状況に、観客席からは失望と悲嘆の声が溢れだす。
始まってわずか数分のうちに、勝負は決してしまったかのように思えた。
しかし落胆の空気に包まれていた観客たちが、段々とざわめき始める。
「…………あれは何だ?」
「煙か?」
「どうなってるんだ?」
口々に声を上げる観客らをよそに、僕はフィールドへと目を凝らす。
少女たちの周辺には、明らかな変化が起きていた。
煙ではなくモヤという感じの薄さだが、白く湧き上がる霞がキッシェたちを取り囲んでいく。
それは徐々に濃くなっていき、瞬く間に少女たちを覆い隠してしまった。
本当に何が起こっているのか分からないが、とにかく異常な状況であるのは見て取れる。
モヤはなぜか少女たちの周囲を漂ったまま、散らばりもせず留まっていた。
ただその色合いは次第に白さを増していき、内部の輪郭がじわじわとぼやけていく。
うっすらと影のみが見える状態になったキッシェたちは、そのままフィールドを移動し始めた。
当然のようにモヤは、それに付いて回る。
その異様な有り様に、観客席にどよめきが走った。
目標がモヤに遮られても動じる素振りを見せなかった鉄鎧組だが、その辺りで流石に一糸が乱れてちぐはぐな攻撃に転じる。
散漫な矢の攻撃をものともせず、白いモヤの固まりはフィールドを突き進んでいく。
だが少女たちの反撃は、そこまでであった。
突如、闘技場に甲高い笛の音が鳴り響く。
その瞬間、フィールドのみならず観客席全体が、一瞬だけ動きを止めた。
同時に白黒の縦縞の服を着た人たちが、フィールドに駆け込んでくる。
理解できない変化の連続に戸惑っていた僕の耳に、リリさんの呟きが飛び込んできた。
「……やはり、物言いがつきましたね」
「物言い? 何ですか、それ?」
「規約違反の疑いがあったと思われたら、審判に依頼して試合を一時中断出来るんですよ」
なぜかひそひそ声で、リリさんが答えてくれる。
「規約違反って、あの子たちが何かやらかしたってことですか?!」
思わず小声で意気込んでしまう。
そんな慌てる僕をなだめるように、リリさんの優しい声が耳元で囁かれる。
「それを今から調査するんです。怪しい行為が見つかれば、反則負けになっちゃいます」
「見つからなかったら……?」
「その場合は、十五秒の自由時間を貰えますね。それと物言いは一試合に一回しか使えませんので、これ以上は相手側も抗議できません」
「分かりやすい説明をありがとうございます」
受付嬢らしいテキパキした口調で教えてくれたリリさんにお礼を言いながら、すっかりモヤが消えてしまったフィールドに視線を戻す。
審判団と何やら会話していたキッシェたちだが、伝言が伝わったのか水筒を抱えた一人が駆け寄っていくのが見えた。
どうするかと見守っていたら、キッシェは受け取った水筒を逆さまにして中身を地面へぶちまけた。
そのまま足元に出来た水溜りへ手をかざす。
見る見るうちに地面と少女の手の間に、細い水の柱が出来上がっていく。
そして吹き上がった水は細かい飛沫に分かれて、空気中へと消える。
そこに手を伸ばしたのは、なぜか狐耳の少女だった。
ミミ子の差し出した手の辺りの空気が歪み、飛沫が白い煙状へと変化していく。
溢れだした煙は二人の周囲に溢れだし、その足元にわだかまり始めた。
「あれは、霧のようだな」
「そうみたいですね。あんなことが出来たのか……」
キッシェが水を操って細かい粒子に分散させ、ミミ子が周囲の熱を奪うことで人工的に霧を作り出していたのか。
ただそれだけだと、霧はあっという間に散ってしまうはずだ。
「そうか、そこにイリージュさんの風陣があれば――」
風陣による空気の固定化があれば、霧を逃さず封じ込めることが出来る。
そうすれば持ち込んだ水筒の水分だけで、身を隠すだけの霧を作るのも可能というわけか。
見た目は怪しさ満点だが、遠隔武器の対処としても満点の方法だった。
「審判方も納得されたみたいですね。これは一気に有利になりましたよ、リンちゃんたち」
「あの霧防御ってかなり有効だと思うんですが、今まで誰も使ったことなかったんですか?」
疑問に感じた僕の問い掛けに、リリさんは目を大きく見開き、ニニさんは呆れた顔になる。
「主殿、精霊使いが三人もいる小隊が、そこら中に転がっているとでも?」
「…………すみませんでした」
すんなりと試合再開かと思ったが、まだ何やら揉めているようだ。
キッシェが水筒を指差しながら、審判の一人に詰めよっている。
そりゃ折角作った霧を台無しにされたのだ。これは抗議も許されてしかるべきだと思える。
だが審判は頑なに、首を横に振り続けていた。
「どういうことなんです? リリさん」
「多分、消耗品の途中持ち込みは禁止されてますから、それでしょうね。相手側もそれを狙った物言いかもしれません」
「もしかしてあの鎧組って、かなりの曲者なんですか? 物言いって外部からでしたよね」
僕の質問にまたも少しだけ驚いた顔をしたリリさんは、そっと手招きしてくる。
頬を寄せるほどに近寄った僕に、リリさんは小さな声で解説してくれた。
「あの人たちは世襲組ですよ」
「世襲組?」
「この迷宮都市も、今やかなり歴史がありますからね」
この地の迷宮が見い出され、その周囲に街が作られるようになってから、すでに三桁を超える年月が経過している。
当然、初期に集まった探求者はすでに死に絶えているが、その子孫たちの一部は立派に生き延びていた。
親から引き継いだ装備やノウハウを利用して、安全迅速に高レベルに駆け上がった彼らはその地位を存分に活用する。
深層の高級素材で財を築いたり、組合に喰い込んで基盤を固めたりと。
そして子供たちにも、幼い頃より英才教育を施し一流の探求者へと育て上げる。
そうやって出来上がったのが、金板の半分を占める世襲探求者の層である。
ということはつまりこの特等席を占めている方々の半分が、今フィールドで闘っている鎧組の関係者にあたるわけで。
リリさんが内緒話モードになるのも頷ける。
早い話が彼らは、食い詰めてこの街に流れ込む与太者崩れの底辺探求者とは、比べ物にならないエリートだってことだ。
「どうりで弓の扱いが上手いと思いました」
「あの人たちの職業は、騎士ですから当然ですよ」
弓というのは、長距離から一方的に攻撃できる非常に優れた武器だ。
当然、全ての探求者が使ってもおかしくない武器なのだが、そうもいかない理由がある。
まず矢のコストがとてもきつい。
特に迷宮は矢が持ち込み禁止かつ、まとめ買いしても値引きなんかが全くない財布にとても厳しい場所だ。
そして最大の問題は、上達にそれなりの時間が掛かるという点だ。
実戦でまともに使えるようになるには、数ヵ月から下手すると年単位の時間を要する。
迷宮しか行き場のなかった貧乏人には、まず無理な話だ。
射手は強力な攻撃手だが、迷宮で一から始めるには不向きであり、ゆえに実はやる人が少ない職業でもある。
先輩射手であるセルドナさんも、実は良いところの坊ちゃんらしいとソニッドさんから聞いていた。
幼少時代に狩りとか行っちゃうような御家柄だそうで。
ちなみに僕の場合は、傭兵時代に前線に出るのを嫌がったら、仕方なしに弓を持たされた経緯があった。
話が少しそれたが、鉄鎧組の射撃はその点を踏まえれば納得がいく。
闘技場のフィールドの端から端までだと約150歩近い。
当たり前のように鉄鎧組は矢を射ってきてたが、迷宮内ではそんな曲射の技術は全く必要ない。
彼らが幼少時から、戦場に対応した訓練を受けてきたと考えると筋が通る。
強固な鎧と盾で身を守り騎馬、弓術、さらに槍と片手剣を使いこなす。
モンスター相手から対人戦までこなす戦闘のスペシャリスト、それが騎士という職業だ。
迷宮内の狭い場所で闘うことに特化した盾持では、太刀打ちできない汎用性を誇っている。
もっとも射撃に関する技能は使えないなど、器用貧乏な面を持ち合わせてはいるが、迷宮ではかなりの花形職業であった。
「そんな面倒な相手だったんですか……」
「色々と面子がありますからね。あの人たちも」
普通に考えれば物言いなんて勝負に水を差す行為は、使いたがる人も少ないはずだ。
だがさっきのタイミングは、浮き足立っていた鉄鎧組を静めるにはピッタリだったし、霧を晴らした点も絶妙な妨害といえる。
悔しさよりも、つい対戦相手の妙手に感心してしまう。
視線をフィールドに戻すと、キッシェの抗議が無駄に終わったらしく、審判たちがちょうど引き上げていくところだった。
霧の援護がもうないことは残念だが、モルムが砂時計をさりげなくひっくり返していたのが気になった。
どうやら彼女たちは、まだ全く諦めてはいないようだ。
抑止の警笛―笛の音を聞くと、一瞬だけ体が強張る性能を持つ古代工芸品
騎士―多数の武器や騎乗の訓練を受けたジョブ。盾持の上位職にあたる




