新奉闘技祭その1
たっぷりの朝ごはんを食べ終わった僕たちは、本日のメインイベントを観戦するために闘技場へと向かった。
僕たちといってもキッシェら年少組は先に出発しており、徹夜明けのメイハさんはちびっ子たちとの留守番を選んだので、ニニさんとサリーちゃんの二人しかいないが。
イナイとナイナの双子も一緒に来たがったが、お土産を買ってくるからと言い聞かせておいた。
死人が出ないとはいえガチの殺し合いに近い試合風景を、子供に見せる気にはなれない。
新年の大通りは人影もまばらだったが、街の中央に近づくにつれて次第に通行人の数が増え、闘技場前の中央大広場に着く頃には大混雑に変わっていた。
はぐれないようにサリーちゃんを真ん中に手を繋いで人ごみを抜けていると、耳慣れた声がどこからか聞こえてくる。
目を上げると一段高くなっている闘技場の入り口脇で、可愛く手を振っている受付嬢のリリさんの姿が見えた。
いつもの硬い印象のある紺の制服ではないせいか、白いチェスターコートの格好がとても新鮮に思える。
そういえば本日のニニさんは、足首まで届きそうな青の長上着に白狼の毛皮を羽織っていて、こちらもよく似合っていた。
サリーちゃんのほうは、体にピッタリとフィットする黒革のドレスに細い銀の鎖が巻き付く、ちょっと悩ましい格好だ。
「新年、おめでとうございます。皆様」
「今年もよろしくお願いいたしますね、リリさん」
「なんだかそのお姿、親子のようですね」
くすくすと笑いながら、リリさんが指摘してくる。
言われてみれば、お母さんのニニさんとお父さんの僕、真ん中に子供のサリーちゃんか。
子供扱いされたサリーちゃんはむくれるかと思ったが、人の多さに興奮しててそれどころではないようだ。
辺りをキョロキョロと楽しそうに見回しながら、時折僕の手を強く握ってくる。
「今日は一段と混雑してますからね。リリさんもお手をどうぞ」
「あら。それではエスコートお願いしますね」
差し出された真っ白な手は、かなり冷えきっていた。
随分と待たせてしまったようだ。
「それでは席に行きましょうか。ニニさんお願いします」
「ああ、確かこっちだ」
こういう時には、金板がかなり羨ましくもなる。
専用通路にフリーパスで入れた僕たちは、そのままフィールドが良く見える中央の特等席へ案内して貰った。
周りの席の人たちは、なんだか随分着飾った方や只ならぬ気配をお持ちの方ばかりで、普段着の僕はかなり気後れしてしまう。
雰囲気に押されながら席の上で縮こまっていると、隣に座るリリさんが僕の耳に小さく囁いてきた。
「私、こんないい席は初めてなんです。落ち着くまでこのまま手を繋いでもらってても良いですか?」
「はい、僕もちょっと落ち着かなくて」
にっこりと笑みを浮かべたリリさんは、僕の指の間に指を絡めてぎゅっと握ってくる。
甘い香りと手の柔らかな感触に少しだけ浮かれていると、反対の手が急速に冷たくなってきた。
「……サリーちゃん、もうお腹すいたの?」
僕の手から生気を吸い上げる蘇りし者の少女に問いかけると、あっさりと首を横に振られた。
「お主が浮気しそうになったら、余ってる生気を吸い取れと頼まれておるのじゃ」
「えっ? いや浮気じゃないよ。誤解だよ。というか誰に頼まれたの?」
「みんなじゃ」
「えっ?」
慌てて視線をサリーちゃんの横に座るニニさんへ向けると、あからさまに目をそらされた。
じっと見つめるがその横顔は微動だにせず、フィールドに向けられたままだ。
名残惜しいが腕を枯れ木にされても困るので、リリさんの手をそっと放す。
リリさんはなぜか嬉しそうな笑みを浮かべつつ、手荷物の紙袋を僕へ差し出してきた。
「これ迷宮堂の新年限定シュークリームです。どうぞみなさんで召し上がってください」
「すみません、色々と気を使って頂いて」
「うむ。リリは可愛い上によく気が利くのう」
さっそく紙袋を開けて、シュークリームにかぶりつくサリーちゃん。
その幸福に満ち溢れた顔を見ていると、何も言えなくなってしまう。
まあいいかと思いつつ、視線を前に戻すとちょうど開会の挨拶が始まるところだった。
高らかにラッパが鳴り響き、左右の出入り口から白衣の治癒士さんに先導されて選手たちが入場してくる。
出場者たちは綺麗に足並みを揃えながらフィールドをぐるりと廻り、最後はこっちに向いて整列する。
それと同時に拡声機能がついた巻貝を手にした女性が、観客席に設えてあった壇の上に現れた。
カリナ・セントリーニ司教は、ざわめく観客席を見渡しながら悠然と口を開く。
「新しき年と大いなる創り手の再臨を、皆様とともに迎えられた喜びに感謝の念を。そしてあまたの願いと祈りを叶えるべく、この地に再び神々が参られた奇跡に心からの喜びを!」
そこで一旦、言葉を止めて、カリナ司教は観衆の喧噪が収まったのを確認する。
「今年も当闘技場にお越し頂き、誠にありがとうございます。我々は日々、安穏と暮らすあまり、時に生の有り難みを失念してしまい勝ちです。与えられた仕事をこなし、おざなりな感謝で食事を済ませ、明日の金勘定を心配しながら寝台に横たわる。それは決して悪いことではございません。何事にも慣れてしまうのが、常世の定めでございますゆえに。ただ平々たる生き方が、穏便に毎日を過ごすことが当たり前になってはいませんか?」
朗々たるカリナ司教の声が、静まり返った闘技場の隅々に響き渡っていく。
「この闘技場は、そんな皆様方に生の喜びをより強く実感して頂くための場所なのです。生まれてきたこと、そしていま生かされていること。それらをより深く味わい理解していただくのが、この修練の場の存在意義であります。本日は日々、迷宮の試練を耐えぬいてきた強者たちが、己の武技を尽くして闘います。彼らの闘いを通じて、この晴朗なる空の下、新たな日々の始まりと生の素晴らしさを存分に感じ取って下さいませ」
天に向けて真っ直ぐに片手を持ち上げたまま、カリナ司教は締め括りの言葉を発した。
「ここに新奉闘技祭の開催を宣言いたします!」
一呼吸遅れて場外から花火が打ち上がり、大きくどよめく観客席からは万雷の拍手が沸き起こった。
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新奉祭とは新年の朔から三日間に渡って開かれるお祭りをさす。
普通は大聖堂で司教様の有り難い聖句を頂いたり、護法僧院にお参りして説法を聞いたあとで、家内安全や無病息災を祈願しつつ出店を回って帰るのが馴染みの楽しみ方である。
ただ場所によっては聖歌コンクールや演武会、他にも町が主催するパレードなんかもあったりする。
そしてこの迷宮都市での新奉祭といえば、闘技場で繰り広げられる勝ち抜きトーナメント大会、新奉闘技祭が有名であった。
初日はレベル3までの探求者が出場資格を持つ下位の部が、二日目はレベル6までの上位の部が開催される。
さらに三日目には、迷宮外には滅多に姿を見せないレベル7以上の虹色が集まり、賞典(通称:お年玉)を巡って熾烈な争いが繰り広げられる。
「お断りしたんですか?」
「はい。うちの上位は僕を含めて四人しかいませんし」
「そうですか。少し勿体ないですね」
「まあちょっとした話題作りの数合わせでしょうし、不利な条件で無理に出場するのもどうかと思いまして」
この上位の部に出場してくれと、メイハさんの母親で闘技場運営部を取り仕切るカリナさんに頼まれたのだ。
で断ったら、年末の治療院のお手伝いさんを土壇場で減らす地味な仕返しをされたという訳だ。
力の誇示なら去年のニニさんとの闘いで十分果たせたと思っているし、その後に群がってきた連中のことを考えるとあんなのは一度きりで十分だった。
それでもカリナさんがどうしてもとお願いしてきたので、仕方なく下位の部へキッシェたちが出場する代案を出したのだ。
出したというか、正確にはカリナさんの困った顔を見るに見かねて、キッシェたちが名乗りを上げてくれたのだが。
そんな事情のあとに、あの嫌がらせをしれっとしてくるカリナさんは相当なものだとは思う。
「ニニさんのとこも出るんですよね?」
「ああ、鬼人会からも一組出てるな」
「途中で当たるかもしれませんね」
「できれば決勝で、当たってほしいものだな。準優勝までなら賞金が出る」
「それはちょっと厳しいです。ニニさんのとこなら行けるかもしれませんが、うちは流石によくて三回戦止まりですよ」
女の子たちに飛び抜けた実力はあるとは思うが、頭数を揃えるために実戦経験の殆どないイリージュさんが入ってるし、モルムもまだレベル2だ。
それに装備の差で勝負が決まらないように、持ち込める魔法具は小隊に一つまでと決まっており、通常の装備も闘技場側が準備したものとなっている。
魔法具や下層のハイレベルな装備に頼った戦闘方法をこなしてきた僕の小隊では、明らかに不利な条件だ。
と考えての発言だったが、なぜかニニさんに鼻で笑われた。
リリさんも僕を凄く憐れむような目で見てくる。なぜだ?
「そろそろ始まるようじゃぞ」
サリーちゃんの言葉に、視線をフィールドに戻す。
どうやら知らない小隊同士が、一回戦を開始するようだ。
あまり興味はないが普段は来れないような席に座れたことだし、折角だから楽しませてもらおう。
「サリーちゃん、僕にもシュークリームひとつ下さいな」
「もうないのじゃ」
「えっ?」




