反乱
天皇が幕府を倒して、自ら政治をとり始めてから、一年も経たない内に、人々の間には不満が広がり始めていた。それは人民の間でも公家の間でもそうであったが、殊に武士達の間で顕著であった。
尊氏は言った。
「我が君、武士達の中には、主上のやり方に不満を持っている者が少なくありません。彼らは、自らの働きに見あった恩賞が与えられていないと思っているのです」
主上は言った。
「私だって、恩賞をやりたくない訳ではないが、皆を満足させられるだけのものがないのだ。致し方あるまい」
「しかし、公家方には恩賞にありついている方々もおられます。それにしたって、皆が満足行くようなやり方ではありませんが」
「それは当然だろう。我らはこのような世の中を作るために、戦ってきたのだからな。お前だって、そう思うからこそ、我らと共に戦ったのであろうが。
武士であるなら、朝廷のために戦うのが当然のこと。彼らは本来の務めを果たしたに過ぎない」
「そうは言われましても、武士だって霞を食って生きているわけではありません。武士が戦うのは、恩賞を得て、家を栄えさせたいからなのです。
彼らの不満をこのままにしておけば、いずれ問題を起こすのではないかと、私は恐れております」
「くどいぞ、尊氏。武士どもが問題を起こすというなら、それを取り締まるのがお前の役目であろうが。だいたい、今まで武士どもは出しゃばりが過ぎたのだ。ここらで本来の立場に戻ってもらわねばならぬ。
人々が各々、その在るべきところを得てこそ、世の中はうまく回るのだ。私がそのために努めているのが、わからぬか」
京で強盗を働き、公家を斬った武士がいた。武士が捕らえられて引き出されて来ると、尊氏は言った。
「お前が人を斬ったのは間違いないか?」
「ああ、間違いない」
武士はふてぶてしく言った。
「なぜそんなことをした?」
「金に困っていたからさ。俺は私財をなげうって幕府と戦ったのに、何の恩賞ももらえなかったからな」
そう言うと武士は肌脱ぎになって、まだ新しい傷を見せて、言った。
「この傷を見てくれ。これは俺が幕府軍と戦った時のものだ。だがこれだけではない。あの時は何度も死線をさまよったものだ。
だが、俺が不満なのはそのことじゃない。戦うのは武士の務めだからな。俺が許せないのは、俺が命懸けで勝ち取ったものを、手痛い戦のひとつもしなかった公家方が、横から掠め取ってしまったことなのだ。俺が公家を襲ったのはそのためだ。
さあ、俺が人を斬ったのは間違いない。俺を斬るのか?斬りたければ斬るがいい」
尊氏は言った。
「理由はどうあれ、罪は罪だ。斬らないわけにはいくまい」
武士は刑場に引き出されて首を斬られた。斬られる前に、武士は周りを蔑んだような目で見回して、言った。
「ああ、俺も愚かなことをしたものだ。仕える甲斐のない君に仕えて、我が身を滅ぼすことになったとはな。こんなことなら、俺も幕府軍に加わって戦っておれば良かったわ」
そう言って武士は首を落とされた。尊氏には、その首が、平将門の首のように、今にも飛び立っていきそうに思えたものだった。
「お前達、本気で言っているのか!?」
尊氏は集まった者達に言った。鎌倉に寄った尊氏には、謀反の心ありとして、既に討伐軍が向けられていた。尊氏は出家して詫びようと思い、髻を落としたところだった。
「本気で、私に反乱を起こして、主上と戦えと言っているのか?」
「もちろん、本気です。どうして戯れでこんな事を言いましょうか」
「しかし、武士たるものは主君に忠義を尽くすのが務め。その上、私は主上からの恩賞もあつく、主上の諱から一字を貰って名乗っている身だ。その上反乱を起こしたりしたら、私はどうして逆臣のそしりを免れようか」
師直が言った。
「その事は、私達もよく存じております。普通なら、将軍の言われることが正しいでしょう。
しかしながら、あえて言わせてもらえば、そもそも初めに君臣の道を違えられたのは、他ならぬ主上のほうなのです。
いったい、主上のために命懸けで戦って、幕府を滅ぼしたのは誰だったのでしょうか。
また、もっと前に、蒙古がこの国を攻めた時、それを防ぎ止めたのは誰だったのでしょうか。
また、もっと前に、将門が反乱を起こした時に、それを鎮圧したのは誰だったのでしょうか。
それは皆、私達武士だったのではありませんか。それなのに、主上は我らをないがしろにして、使い捨てにしようとしておられます。
その上、私達にはすでに討伐軍が差し向けられています。たとえ将軍が出家して詫びたところで、いや、たとえ死んで詫びたところで、どうして許される保証があるでしょうか。また、もし将軍がいなくなってしまったら、我らはどうなるのでしょうか。
将軍、あなたは確かに人に仕える身ではありますが、また人に仕えられる身でもあります。あなたには、自らに従う者を安んずる務めがあるのです。
将軍、立って下さい。立って、我らのために戦って下さい。我らは皆、あなたに望みをかけているのです」
尊氏は言った。
「それでは、勝ち目はあると思うか?」
「もちろんですとも」
直義が言った。
「その上、私達だけではありません。今の世に不満を持っている者達は、武家のみならず公家の中にも多くいるのです。我らが立てば、彼らも共に戦ってくれるでしょう。
殊に、新院(上皇)はそうです。院は、主上のために位を追われて、辛酸を嘗められた方ですから、我らが立てば、きっと味方になってくれるでしょう。
院から院宣を頂ければ、官軍としての大義名分も立ちます。我らはどうして、賊軍として誅殺されるのに甘んじていられるでしょうか」
尊氏は言った。
「それでは、お前達、心は一つなのだな?最後まで、私と共に戦ってくれるのだな?」
「もちろんですとも」
「よし、それでは戦うぞ!まずは討伐軍を倒し、それから京を攻めとるのだ!」
「応!!」
さて、戦うことに決めたので、集まった者達は皆尊氏と共に髻を落とし、神社に矢を一本ずつ奉納して誓いを立て、裏切る者があれば災いが下れ、と誓ったのであった。
そうして、決戦を明日に控えた夜、尊氏はなかなか寝付かれずにいた。眠ったほうが良いとは思うのだが、やはり寝付けない。
仕方がないので、尊氏は独り起き出して月を眺めていた。
尊氏は刀を抜いて月にかざし、また鞘に収めてはため息をついて、ああ、なぜ天は我にこのような役割を与えたものか。と思っていると、そこにもう一人の人がやって来た。
「誰だ?」
「私ですよ。将軍」
「師直か…」
「将軍も眠れないのですか?」
「ああ、どうにもな」
そうして月を眺めていると、尊氏は言った。
「皆はああ言ってくれたが、本当に最後まで私に従ってくれるだろうか?
我らは言ってみれば、すでに裏切った者達の軍。こうした軍はえてして結束がもろいものだ。我らの旗色が悪くなれば、また敵方に寝返るのではなかろうか?」
「そんな事にはならないでしょう。ここに集まった者達は皆、主上のやり方をよくわかっていて、腹に据えかねている者達です。
鶏口となるとも牛後になるなかれ、と申します。我らはどうして、人の踏み台にされて黙っていられましょうか」
「そうは言うが、誰もが頭になりたがるとしたら、世の中はどうなるであろうか?勝つ者がいれば、そこには必ず負ける者もいるものだ」
尊氏はまた月を眺めて言った。
「人を治めるというのは、難しいものだな。まるで海の波のように、防いでも防いでも、新たな波がやって来る。いつかはこれも治まる時が来るのであろうか。
この世は夢のように儚いものだとはいうが、夢であるなら、早く覚めたい夢であることよ」