第八話
大陸中央、前線基地。
そこは魔族との戦いの最前線である。
両脇を高い山々や深い森林に囲まれたその立地により、ここを抜けなければ南部領土に攻め込む事はできない。
そのお陰で南部に出る魔族は限りなく少ない。
戦いの最中森林などに逃げ込み、たまたま南部に抜けてしまった者以外は辿り着けないからである。
長い戦争、その影響もあり、前線基地は多くの人と物が流通し、戦時中とはいえ大陸で最も賑わっている場所であった。
「ここが前線基地か…」
その圧倒的な存在感に、四人は立ち尽くしていた。
前線基地は、一つの城というよりも一つの黒い塊の様に見える。
大岩を繰り抜き、削ったらこの様な物になるのではないだろうか。
「ここを抜けて、南部に来ていた魔族の目的は結局分からなかったわね…」
前線基地に辿り着くまでの間も、幾度となく前線を抜けた魔族と戦い、その動向を探ったのだが、結局何も分かってはいなかった。
「むしろ何だ。 帰ることを想定していない斥候みたいな感じなんだよなぁ」
「でも死ぬ事が前提の斥候なんて、情報を持ち帰れないじゃないですか。 割に合わないと思うんですよね」
「一応、僕達が調べられるだけのことは、ガレス将軍に文を送った。 僕達は僕達がやるべき事に集中しよう」
四人が向かうは魔王城、目的は魔王討伐。
その第一歩ともいえる、前線基地の中に四人は入って行った。
厳しい検閲を受けることもなく、四人は前線基地の中に入ることができた。
どうやら国王から事前に通達が届いていたらしい。
「どうやって国王は俺達の居場所を確認してるんだ? 王都を出てからは見張りがついている感じもしなかったが…」
ルイナは下を向き少し考えると、顔を上げた。
「恐らく、各村に人を置いているんじゃないかしら? 私達も村を通らないわけにも行かないから、そうすることで必要な情報を送ることができる」
「でも王都近くならともかく、ここら辺から王都までとなると距離があると思いますが」
「それにも解決策があるわ。 まず各村に二人以上配置する。 そして一人は近隣の南の村に情報を届ける。 次はその村の人が南の村に届ける。 これを続ける事により、負担を分散して王都へ情報を届けれるわ」
三人は驚嘆の顔を浮かべたまま、肩にかかる黒髪を優雅に後ろへ流す彼女を見る。
確かにこの方法ならば、素早く情報が伝達できる。
「ですが、いい気分はしませんね。 わたし達がどこで死ぬかを待っているようですから…」
「それなんだけど、それについても一つ気づいた事があるわ」
「気づいた事?」
頷き、皆を見渡すルイナの顔は少し暗くなっていた。
そして一度息を大きく吸い、答えた。
「ウィーゼルが選ばれた理由よ。 恐らくたまたまではなく、色々な条件が重なったのよ」
「使い捨てできる貧民から選んだって事じゃなくてか?」
「確かにそれもあるでしょうね。 でもそれだけじゃないわ。 貧しく使い捨てが利き、ある程度の戦闘経験がある。 それにより、最低限の情報の収集を期待しているのよ。 町を出てすぐ死にましたじゃ話にならないからね」
確かにその通りだ。
まるで見込みのない者を人選しても、いつまで経っても情報は集まらないだろう。
だがルイナの顔はより暗くなっていく。
今以上に言いにくい事があるというのを、その顔が表していた。
「…何よりも、逃げる事が出来ないからよ」
「逃げる事が…?」
逃げる事ができない、その言葉がウィーゼルに重く圧しかかる。
確かに呪印の首飾りを着けられた以上、逃げる事は容易い事ではない。
だが彼女が言ってるのはそれだけではないだろう。
「恐らく…孤児院を人質にとってるのよ。 援助をしてやる、ただし逃げればどうなっても知らないぞってね」
「なんだよ、それ…」
二人は言葉を失った。
そして最も責任を感じていたであろうウィーゼルの方を向いてしまう。
彼は今、どんな顔をしているのだろうと。
だがウィーゼルの顔は、笑っていた。
「でもそれは、孤児院の皆は安全だって事だ。 僕達がやられない限り、利用するためには孤児院を守る必要があるからね」
まるで今は顔を見られたくないというように、ウィーゼルは三人から顔を背けるように後ろを向いた。
後ろを向いたまま、ウィーゼルは話を続ける。
「神託を受けたと聞いた時は、孤児院の皆も守れる。 多くの人を救い、世界を救う勇者になりたい、素直にそう思った。 でも真意を知ってしまってからは違う。 今の僕は…三人と、孤児院の皆さえ守れればそれでいい。 そんな小さな人間なんだよ」
振り向いたウィーゼルの顔に、迷いはなかった。
だがその横顔は、少しだけ人に絶望している。
そんな悲しい顔に見えた。
言葉を失った三人と、言葉を止めたウィーゼル。
その場には妙な緊張感を持った静寂が場を包んでいる。
静寂を最初に破ったのは、オーラスであった。
「…いいんじゃねぇか、それで」
「オーラス…」
「俺は、お前のそういう所が悪いとは思わねぇ。 ウィーゼルが助かる。 俺達も助かる。 孤児院も助けて、ついでに世界も救う。 いいじゃねぇか!」
二人もオーラスの台詞に、頷き笑う。
何度、彼の言葉に救われたのだろうか。
ウィーゼルは今、本当にこの三人と一緒に旅に出る事が出来て良かったと実感していた。
すると、レイシスが全員の前に拳を突きだした。
「わたし達はこの数か月色々なところを周りました。 強くなるために。 そして今日が、この旅の新たな第一歩です。 わたし達はここまで辿り着きました」
「ええ、ここから先は魔王軍の領土。 全てはここからよ」
ルイナも拳をレイシスに合わせるように突き出す。
コツンと、二人の拳が軽くぶつかり合う。
「あぁ、ここからだ。 俺達はここまで来て、そしてここからなんだ! やろうぜ!」
オーラスの強く硬い拳が、二人の拳に当たる。
三人は誰ともなく、ウィーゼルの方を向く。
次はお前だ。
共に行こうと、その目が強く語りかけている。
「…行こう。 僕達の未来のために…。 ついでに世界の平和のためにだ!」
今、四人の拳が揃う。
それは正に、彼ら四人の意思表明であった。
「行くぞ!!!」
「おう!!」
「えぇ!!」
「はい!!」
四人の気持ちは今、一つになった。
ここからが本番であると、これからの旅に色んな苦悩があると。
そんな全てを理解し、四人の乗り越えてみせると。
固く、その意志を確認しあったのだ。
四人はその後、前線基地の中枢である司令部に向かう。
司令部に着いた四人が通されたのは、司令部の総司令官の部屋であった。
ウィーゼルは扉を軽く叩くと、中からはすぐに返事がきた。
「失礼します」
中のデスクに座ってこちらを見ている壮年の男性。
体格は良く、顔には立派な髭を携え、その厳つい姿には歴戦の戦士の風格が漂っている。
司令官の名はギール、前線基地の総司令たるに相応しい空気を彼は醸し出していた。
「私の名はギール。 この前線基地の司令官をしている」
「はい、僕は…」
「自己紹介は結構、話は聞いている」
部屋の空気が重い、いや痛い。
明らかに歓迎されていないことが分かる。
ある程度、そういう可能性もあるとルイナが推測していたことから、四人は覚悟はしていた。
だがそれ以上の重圧を彼からは感じる。
「国王から連絡が届いている。 勇者一行に協力をするようにとな。 全面的に協力させてもらおう。 君たちがここにいる間の立場は遊撃部隊とさせてもらう。 情報などについても聞いてくれれば答えさせてもらう。 寝所も用意させてもらった。 他に何か質問はあるかね」
「いえ、十分です。 お心遣い感謝します」
彼の態度は明らかだった。
協力はする、だが深く関わる気はない。
今までにもあったことだと、四人は部屋を後にしようとする。
だが、そこで彼らを呼びとめたのはギールだった。
「…何も聞かないのかね」
「聞かない、とは?」
「私のこの態度だ。 国王から頼まれてるにも関わらず、世界を救おうとする勇者に対する態度ではないと、自分でも自覚している」
「いえ、大丈夫です。 慣れています」
その言葉に司令官はひどく驚いたようだった。
だが実際四人はこの様な態度で接されることはよくあることだった。
村に立ち寄れば余所者と警戒される。
魔物の討伐依頼を受ければ、その村の傭兵に嫌な顔をされる。
討伐が成功すれば村の人達には歓迎を受ける
しかしそれは傭兵たちの面子を潰していたのだろう、結局は好かれはしない。
村に長く居座れば、魔物を討伐した実力から、村を乗っ取ろうとしてるのではないかと疑われる。
貧しい村で魔物討伐をしたときは、お礼にと女の子を渡されそうになったこともある。
話を聞くと、その女の子は村の孤児だった。
それが孤児であろうとそうでなかろうと、当然受け取る気はなかった。
ただオーラスの悲しそうな顔だけが、三人の心に残り続けた。
世界を救うなどと大言壮語を吹かして、旅をしたわけではない。
だがそれでも戦時中の今、自分の生活で誰もが精一杯なのだ。
「慣れている…か。 君たちも苦労をしているのだろうな」
「いえ、戦争の要となっている前線基地の総司令官に比べれば…」
ギールはその言葉に苦笑いをする。
「はっきり言っておこう。 私は、神託の勇者を信じていない」
「ええ、僕も信じていません」
「…信じていない、か。 君たちの実力は聞き及んでいる。 誰も倒すことができなかった紫蠍を倒したくらいだからな。 だが、それでも信じることはできないのだ」
当然のことだろうと、ウィーゼルは頷く。
ウィーゼルの気持ちを代弁するように、ルイナが話し出した。
「司令の気持ちは当然かと。 大陸でもっとも激しい戦乱地である前線基地を守っておられる矜持もあると思います。 私達もその通りだと思っております」
「そうではない、そうではないのだよ。 君たちを信じ、祭り上げれば前線の士気はあがるだろう。 だが君たちにもし何かあったとしたらどうなる? 恐らく、この基地の士気は下がり瓦解するだろう。 ここは人類守護の要なのだ。 例えどんなことが合っても、守り切らなくてはいけないんだ。 どの様な物ごとにも左右されず、どんなことが合っても守らなくてはいけないのだ」
一息に、その気持ちを曝け出すギールの姿。
彼だからこそこの前線は護られているのだろう。
信じるに足る十分な人物だった。
「それでいいんです。 僕達は僕達のやるべきことをやっているだけです。 司令は間違っていません」
「君は強いな…。 流石勇者に選ばれただけのことはある」
その言葉に、暗く悲しい顔をウィーゼルはしていた。
だがギールはそれには気づかなかった。
話はそれで打ちきられ、四人はギールの部下により寝所に案内され、今後の予定を立てると、眠ることにした。




