第三話
扉の前で、ウィーゼルは立ち尽くしていた。
きっと中では、心配をしている家族達が自分の事を待っているだろう。
だが…彼は後ろに振り向き、歩き出す。
一人で考える時間がどうしても必要だった。
空は恐ろしく、星は鈍く光り、町は冷たい。
昨日までは違った、空は黒くても恐ろしくはなかった。
星はとても綺麗に光り輝いていた。
町はには人が住んでいるという暖かさを感じられた。
だが今は違う。
彼にとって世界は自分を拒絶しているかの様に、厳しく辛いもととなっている。
歩く…色々と考えている様で、何も考えられていない様なまま歩き続けた。
そうして、彼は心を決めた。
「言えない…」
顔は青ざめ苦悩の色が見てとれる、それ程までに追いつめられていながら、彼の決断は家族に何も伝えない事だった。
辛かった、苦しかった、助けを乞いたかった、恨み言を言いたかった、誰かに吐き出してしまいたい、その思いをぶつけてしまいたかった。
だがその全てを、ウィーゼルは自分の中に納めた。
強かった訳ではない、とても弱く、身を切られる様なこの思いに耐える事などできない。
だが、それでも…彼は誰よりも優しかった。
孤児院に戻り、少しでも笑顔で皆に会おうと、頬を両手で引っ張り笑い顔を作る。
大丈夫だ、自分は笑う事が出来ると自分に言い聞かせる様に…。
「ただいまー!」
「おかえり」
間髪入れずに返事が返って来た事に、体がビクッとする。
暗がりの中、玄関の前に座って待っていたのはルイナだった。
「ま、待っていてくれたのか。 でもそんな所に座って待たなくても…驚かそうとしたのかい?」
「心配だったからね、ご飯はどうする?」
「あぁ食事は大丈夫、お腹一杯で何も入らないよ」
何も食べてはいない、お腹は減っている、だが何も食べれそうには無かった。
食べなければ心配をかけると思った、ウィーゼルの精一杯の強がりだった。
「それじゃあ、僕は疲れたし部屋で休む事にさ」
「着いてきて」
言葉は遮られ、反論は許さないと言わんばかりにルイナは言葉を告げる。
「い、いや少し僕も疲れてい」
「早く」
ルイナはウィーゼルの手をとり連れて行く。
それ以上の押し問答は無駄だと、その行動が示していた。
着いたのはルイナの部屋、正確にはルイナとレイシスの二人部屋だ。
部屋の中に明かりは点いていない、レイシスは部屋にはいないのだろう。
「座って」
掴んだ手がウィーゼルを引っ張り、ベッドの上に座らせる。
「それで何があったの」
心配してくれていたのだろう、ルイナの顔は少し悲痛な顔になっていた。
「…実はね、国で孤児院の援助をしてくれるらしいんだ。 それに伴って僕に仕事を手伝って欲しいらしくてね、その話をされたよ。 でも本当に良かった、これでもう皆が苦しむ事はない、たくさんご飯だって食べれる様になるし、薬だって買ってあげれるんだ!」
ルイナは何も言わずに、座っているウィーゼルの頭を自分の胸元に引き入れ、抱きしめた。
「…そんな顔をして強がらないでウィーゼル、大丈夫よ。 私はあなたの敵じゃないわ、味方よ」
「強がってなんて…」
「嘘、それなら貴方はそんな引き攣った笑顔をしない。 無理をして辛そうな顔はしないわ」
抱えられた頭を抱きしめる力が強くなる。
大丈夫だと、優しく強く抱きしめられている。
耐えようと思った、全て自分が抱えて生き、そして死のうと。
そんな考えは、暖かなルイナの手で抱きしめられる事で、折られてしまっていた。
味方だと、何よりも大切な家族の一人である彼女は彼にそう伝えた。
世界に拒絶されたとまで思っていた彼にとって、それは唯一の救いだった。
涙が止まらなかった、だがそれでも泣き声は出さない様にした。
他の人にその声が聞こえてしまえば、心配をかけてしまう。
だがそれでも、涙を止める事はできず、ルイナに縋り付いてしまう。
ルイナに強く抱きしめられ、ルイナを強く抱きしめ泣く事だけが、彼の心を少しだけ和らげてくれていた。
レイシスは孤児院の暗い廊下を、小さく軋んだ音を建てながら歩き、ウィーゼル達のいる部屋に向かっていた。
理由は聞くまでもない、ウィーゼルの事が心配だったからだ。
そして部屋の前に着いた所で気づく、部屋の前に何か黒い影が蹲っている。
「…オーラスくん? わたしの部屋の前で何してるの?」
「うぉっ!? レイシス!? こんな時間にお前何してんだよ」
「それはこっちの台詞何だけど…って聞くまでもないよね、毛布まで抱えてるんだから」
「ぐっ…」
ウィーゼルの事を心配していたのだろう、当たり前だ。
オーラスもレイシスもウィーゼルの事を心配している、今はルイナに任せているだけで放って置く事なんてできないのだ。
「…帰ってきたウィーゼルの顔をちらっと見た」
「うん…」
「俺はあいつにあんな顔をさせた奴を許さない。 ウィーゼルは俺の家族で、兄弟で、親友だ! あんな顔をさせたんだ、絶対に許さない!」
オーラスは憤っている、顔にこそ出さないがレイシスも同じ気持ちだった。
荒くれ者だったオーラスを見捨てずにいつも一緒にいてくれたのはウィーゼルだった。
気が弱く泣き虫だったレイシスを支えてくれたのもウィーゼルだった。
つっけんどんで、思った事をそのまま口に出すルイナに、優しくしてくれたのもウィーゼルだった。
三人にはウィーゼルのために怒る、十分な強い想いがあった。
「うん、許せない。 だってウィーゼルくんが泣いているんだよ? わたしだって怒ってる」
廊下には、微かにウィーゼルの泣き声が聞こえていた。
誰にも聞かれたくはなかったであろうその悲痛で小さな叫びは、オーラスとレイシスの胸を打つのに十分過ぎる理由だった。
「とりあえずレイシスは俺達の部屋で寝ろよ、風邪ひくぞ」
「オーラスくんが部屋に戻るなら考えてあげるよ」
彼女は天使のような笑顔でそう言った。
それ以上言うのは無駄だと思ったのか、同じ気持ちだと分かっているからか、オーラスもそれ以上は何も言わずに、ただその場でウィーゼルが出て来るのを待つ事にした。
少し経ち、落ち着いたのかウィーゼルは今日の出来事をルイナに打ち明けていた。
「ありがとうルイナ、さっきまでは潰れてしまいそうだった、でももう大丈夫だ。 僕は明日用意を済ませて旅立つ、君は僕がどう思っていたのかを知ってくれている、それだけで十分だ」
「えぇそうね、今日はもう寝ましょう。 明日は用意で忙しくなりそうだし」
「ああ、本当にありがとうルイナ。 この事は他の皆には内緒にしておいて欲しいんだが…」
「えぇ、それじゃあ話も終わったんだから早く部屋に帰って、こんな時間に部屋に男を連れ込んでるなんて思われたくないから」
先程までの優しさは何だったのか、と言いたい気持ちにはなったが、いつも通りの態度で接してくれるルイナに、ウィーゼルは少しだけ笑顔を見せた。
「それじゃあ、おやすみルイナ」
「おやすみなさい、ウィーゼル」
部屋を出たウィーゼルが最初に目にしたのは、部屋を穴が開く程に見ているオーラスとレイシスだった。
「二人とも…ごめん、心配をかけたよね」
「ウィーゼルくん、大丈夫ですか!?」
「おい! 誰にやられた! 王様か! 俺がぶっとばしてやる!」
「ふ、二人共、落ち着いて。 もう夜も遅いんだから」
その時、ウィーゼルの後ろからルイナが出てくる。
「三人共うるさい、早く部屋に帰って寝て」
そう言うと、ルイナは扉を静かに閉めた。
「る、ルイナ? わたしの部屋はここだよ!?」
レイシスは扉の前で右往左往している、どうやら鍵を閉められたのだろう。
「と、とりあえず俺達も部屋に戻るか」
「う、うん」
「わたしを置いて戻らないでー!」
結果、そのままだとうるさいと判断したルイナがレイシスを部屋に入れ、ウィーゼルとオーラスも自分達の部屋に戻っていった。
部屋に戻ると、二人はベッドにそのまま倒れ込んだ。
真っ暗な部屋の中、オーラスが声をかける。
「で、何があったんだよ」
「…大した事じゃないよ」
長い付き合いだ、何かあった事はオーラスにも気づかれていただろう。
だが、彼はそれ以上何も聞かなかった。
「分かった、それなら良い、俺はお前を信じる。 夜も遅いしな、おやすみ」
「おやすみ、オーラス…」
何も聞かないでくれたオーラスに感謝をした。
そしてこれからの自分の事を考え、布団を頭まで被ったウィーゼルは、少しだけ泣いた。
「おらああああああ! 朝だぞウィーゼル!」
「う、うわあ!? 何するんだよ!」
気づいたら寝ていた様だが、ほとんど寝る事はできず、疲れは全然とれてはいなかった。
だが、その事を気づかれれば心配をかけるだけだと、ウィーゼルは無理やりに体を起き上がらせた。
「もう皆、朝飯は終わってるぞ。 後はお前だけだ」
「あぁ、うん、急いで行くよ。 それと僕は今日から鉄工所の方には行けないんだ」
ふっと気づく、何でこんな時間にオーラスがまだ部屋にいるのかと。
「その事ならルイナから聞いてる、分かったらさっさと飯を食え!」
がっはっはと豪快に笑い立ち去って行く。
どうやらルイナがうまい事、他の人にも話してくれたのだろうと、ウィーゼルは安堵していた。
食事を手早く済ませ、買い物に出る身支度を整える。
旅の準備をしなければならない。
予算は潤沢にもらっているので問題はないだろうが、やはり出来るだけいい装備を安く整えておきたい、時間はいくらあっても足りないはずだ。
玄関を出ると、そこには三人が立っていた。
オーラス、ルイナ、レイシスの三人だ。
「三人共、こんな所で何をしているんだい?」
「何って…ウィーゼルお前まだ寝ぼけてるのか? 旅支度だろ、たーびーじーたーく!」
「そうですよ、勇者様の仲間ですよ! 魔王を倒す旅に、わたしの回復呪文無しでどうするんですか!」
二人はそれが当然だと言わんばかりに笑っている。
だがこの話をした相手はルイナだけ、慌てて彼女の方を振り返る。
彼女はそんな事は意にも介さずに、こう告げた。
「あ、私も当然行くから」
「話さないでくれと頼んだはずだ!」
ウィーゼルは語気を荒げルイナに食ってかかった。
その様子を見ても、オーラスとレイシスは何も慌ててはいなかった。
「話さないでくれと頼まれた。 でも承諾はしなかった、だから話した」
「それは屁理屈だ!」
「そう、なら一人で旅に出るの?」
「当たり前だ!」
怒りで言葉が止まらない、際限なくウィーゼルは彼らを責め立てた。
「魔王討伐だぞ!? 死ぬかもしれないんだ! そんな旅に三人が付き合う理由なんて何一つないんだ!!」
「じゃあ、俺達の誰かが勇者に選ばれてたら、お前は着いてこないんだな?」
オーラスの言葉に、ウィーゼルの言葉が止まった。
周りを眺めると、ルイナは溜息をつき、レイシスは穏やかな顔でこちらを眺め、オーラスは笑っている。
「俺はこの四人の誰が勇者でも着いていくぞ。 お前は違うのかウィーゼル?」
「違わ…ない」
「なら決定ですね、わたし達は勇者様ご一行です!」
「でも、僕が犠牲になれば…」
「犠牲に何てしない」
そんな事はできない、とは言えなかった。
犠牲に何てしない、そう言い切ったルイナの目には有無を言わさぬ強い意志があった。
「でも、どうやって…」
「ウィーゼルは難しく考え過ぎよ、単純にいきましょう」
「単純に?」
そんな単純な問題には思えない、だがルイナは話を続ける。
「魔王を倒す、呪印を解呪する、帰り道に刺客でも来たら全部返り討ちにする。 後は堂々と王都に帰還よ、王都に戻れば英雄である勇者様ご一行に簡単に手を出す事はできない。 二人も私の意見に賛成してくれた」
無い胸を張り、ルイナは言い放った。
そんなルイナを見て、二人も笑っている。
「だが、王都に戻った後の僕達は邪魔者だ、何としても排除しようとしてくるはずだ。 言いがかりをつけてきて、謂れのない罪を被せる可能性だってある」
「なら皆で逃げちゃいましょう!」
「そうそう、俺達は勇者様ご一行だぜ? 他国に逃げて匿ってもらう事だってできるし、それでも駄目ならどっか森の中にでも家を建てて、孤児院の皆で過ごせばいいじゃねーか」
「だから、そこまで追ってくる可能性だってあると僕は言ってんじゃないか!」
「…そうしたら死ぬだけよ」
平然と…死ぬだけ、そうルイナは言った。
そこでやっとウィーゼルは気づく、彼らはそんな事は百も承知なのだ。
死ぬ可能性がある事も、うまくいっても永遠に追われ続ける可能性がある事も、そんな全てを理解した上で、着いて来てくれると言っているのだ。
「それじゃあ話も纏まった事だし、買い物に向かうか!」
「わたし、旅に出るの初めてです!」
「私はレイシスと違って、色々知っているけど」
「そりゃ本で得た知識だけだろうが!」
平然と、いつもと同じ様に三人は歩き出す。
いや違う、彼らにとってはいつもと同じなのだ。
そんな彼らにウィーゼルは感謝する。
「ウィーゼルくーん! 何してるんですか、早く行きますよー」
「遅いと、お前の武器は木剣にするからな!」
「ならゴリラは素手でいいわね」
「誰がゴリラだ、ちびっこ!」
「…殺す」
二人の喧嘩が始まっている、早く行って仲裁しなければ本当に買い物をする時間はないだろう。
ウィーゼルは走る、これから苦難を共にするであろう、大切な家族の元にだ。
不安も、苦しみも、怒りも、悲しみも、全てを分かち合う。
これから四人の旅が始まるのだ。
ふと見上げた空は、雲一つない晴天だった。




