第二十二話
ガレスの旅路は困難を極めていた。
魔族に見つからぬよう森林を抜け、丘陵では身を隠せる場所を探しながら進む。
その道程は険しく、ゆっくりと確実に一歩ずつ前に進んで行く。
聳え立つ高い山岳地帯を越えたところで、視界が開ける。
そこから見えるのは、懐かしきアインツ城であった。
今は遠目にも変わってしまったことが分かるその佇まいは、郷愁の思いと悲痛な思いをガレスに混じらせる。
10年ぶりに見るその城に人はなく、魔族が跋扈する場所となっている。
それでも、なおそれでも、ガレスの胸を打つその思いに変わりはなかった。
その日、ガレスは見渡せるその場所で休むことにする。
明朝ガレスが向かったのは城ではなく、その西にある森林の中にある湖だった。
距離的には城にも近く魔族に襲われる危険性もあったが、運が良いことにそこに魔族の影は無かった。
湖に近づき、ガレスは詠唱する。
『水よ、泡となれ』
ガレスの体をうっすらと青白く光った水泡が包み込む。
これにより、長時間は無理でも短時間なら湖の中の移動が可能になる。
この湖は、城へと繋がる水道となっている。
当然生身では抜けれる場所ではないが、魔法の補助があれば通ることは可能だった。
湖の中に体を沈み込ませ、ガレスは水道の中を城へと向かって進んだ。
途中、何度か休憩をとり呪文を掛け直す。
この水道はいざという時に、王族を連れて逃げだせるようにとガレスが調べ出していた道の一つだった。
そのため、要所要所に休憩ができるポイントを調べてあった。
水泡に守られているため寒さなどはあまり感じないはずだが、それでも暗い水の中は心を押しつぶすようで、とても冷たかった。
少しだけ明るい開けた場所に抜け出る。
そこは城内地下に存在する噴水であった。
ガレスは慎重に辺りを見回すが、物影はない。
この地下の噴水は王族が儀式を行う神聖な場所となっており、あまり人が寄りつくような場所ではなかったことが幸いしたのかもしれない。
勿論そのことは魔族には関係ないが、やはり何かしら近付きにくい雰囲気というものは魔族も同じであるのかもしれない。
本当ならば、ここでガレスの仕事は終わりであった。
このまま引き返せばいいのだ。
だがガレスにはどうしても確認しなければならないことがあった。
四天王の黒怨とは?
知識に残るのは、剣に優れる黒き雷の使い手。
今まで四天王という存在は確認されていない。
勿論、温存していた可能性もあるだろう。
だがガレスは、そこにどうしようもない引っかかりを感じていた。
城を取り戻す上で最大の障害に成り得るその魔族を、調べないわけにはいかなかった。
意を決したガレスは慎重に城内を進む。
しかし、城内にはほとんど魔族の気配がなかった。
窓から城外を見渡すと、溢れんばかりの魔族達が城下町にいることが分かる。
最大の要所である城の守りが手薄な理由は分からなかった。
そして辿り着いたは王の間。
ここに四天王の誰かがいる可能性は高い。
そこから溢れ出ている強い魔力がそれを表していた。
接触をするべきではない。
一度身を隠そう。
ガレスの本能は警告を発する。
しかし、周囲から魔族の強い気配を感じる。
囲まれている。
気づくのが遅れたガレスの逃げ場は王の間しかなかった。
他に選択肢がなかったとはいえ、その体は吸い込まれるように王の間の中に入っていった。
王の間の中にいたのは一人。
継承された知識にある黒き存在。
黒怨だった。
「…侵入者か」
黒怨の言葉に、ガレスは無言で返す。
そしてそのすぐ後に扉を開き入ってくる者が三人。
四天王の黒壁、黒闇、黒天の三人であった。
「なるほど、うまいことここに追い込まれたようですな」
四天王に囲まれたガレスは察した。
恐らく水道からの侵入は気づかれてはいなかっただろう。
だが、城内を移動しているときに動きを誘導されているように感じている時があった。
恐らくこの三人に王の間へ辿り着くように動かされていたのだろう。
ガレスは剣を抜く。
後方の三人が身構えるのが分かる。
しかし、その動きを制したのは黒怨だった。
「やめろ。 こいつは見逃す」
黒怨の言葉に戸惑った後、三人はガレスに道を開けた。
「ふむ。 どういうおつもりですかな? ここで私を見逃すメリットがあるとは思えませんが?」
「一度だけだ。 気が変わらないうちに失せろ」
一度だけ見逃してもいい理由がある。
ガレスにはそれが分からなかった。
だが心が訴えかけていた。
ここで引いてはいけないと。
普通に考えれば引くことが正しい、ここで戦うことは愚の骨頂だ。
にも関わらず、戦わなければいけないと、ここで知らなければいけないことがあると胸が疼く。
ガレスは悩んだ結果、その直感に従うことにした。
「黒怨。 あなたに一騎打ちを挑みます」
「…正気か?」
黒怨の言葉にガレスは頷く。
「見逃すのは一度だけと言った。 やるというのなら相手になろう」
黒怨はその漆黒の剣を抜いた。
ガレスも黒怨に向け剣を構え直す。
そして後ろの三人を一瞥する。
「心配するな。 一騎打ちだ」
その言葉にガレスは黒怨に集中する。
敵の言葉を信じるなぞ言語道断であるが、それ以上に武人としての何かをガレスは黒怨から感じた。
無言のまま剣を強く握り直し、ガレスは黒怨に集中する。
それに対し黒怨は、緩やかに自然体に構えている。
黒怨の体が、一瞬揺らぐ。
その瞬間、ガレスの前で剣を振り下ろす黒怨の姿が現れた。
一瞬で間合いを詰めてきたのだ。
だがその攻撃にガレスは対応し受け止める。
しかし受け止めた瞬間、黒怨は横からの斬撃を放つ。
その圧倒的な速さを活かした高速戦闘だった。
ガレスはそれについていくことで精一杯だろう、このまま黒怨がガレスを押し切ることは目に見えていた。
数合、十数合と切り結んだところで黒怨は気づく。
その攻撃が一撃もガレスに届いていないことにだ。
近づけば弾かれ距離をとられる。
距離を詰めてまた斬りあうが、流され距離がまた離れる。
離れる距離は僅かだが、その僅かを超えることができない。
ガレスの剣技は優れている、だがそれ以上に卓越していたのは間合いの取り方だった。
黒怨は自分のペースを握ることはできず、斬り合い離れまた斬り合う。
その僅かを超えられない。
「…ッ!」
黒怨は声なき焦りを生じさせていた。
だが、それ以上にガレスは焦っていた。
何とか凌いではいるが、隙もなく攻勢に転じることができないからだ。
ガレスは己を過信していない。
体力も衰えた自分がこのまま戦い続ければ負ける。
それでもその焦りを見せずに無理な攻めを行わない。
ただ、じっと耐え続ける。
このまま体力が尽きるのではないか。
チャンスは必ず来るはずだ。
あらゆるジレンマを抑えガレスは凌ぎ続ける。
その焦りを抑え黒怨は攻め続ける。
二人の戦いは互角であり互角ではない、そんな戦いだった。
何合斬り合ったのだろう。
ガレスが受け流し距離を僅かに開いたとき、その間合いに違和感を感じとる。
間合いが遠い。
『黒雷よ、堕ちろ』
その違和感を感じ取れたことは、歴戦の経験だったとしか言いようがないだろう。
呪文が放たれるよりも早く、ガレスは回避に移っていた。
黒き雷はガレスの体に触れることなく地を穿った。
そしてこの回避行動の隙を、黒怨は狙っていた。
咄嗟の回避行動によって体勢が崩れたガレスに、黒き猛獣が牙を剥くかの如く襲い掛かる。
ガレスはそれを無理な体勢のまま必死に防ぎ続ける。
ここで決めるとばかりに黒怨は猛攻を続ける。
ガレスは避け、流し、防ぎ…凌いだ。
攻めきれないと判断した黒怨が距離をとる。
だがその効果は十分であった。
ガレスの体力は削り取られ、荒い息を整えることもできない。
「ここまでのようだな」
「はぁ…はぁ…」
黒怨に答える時間すらも、ガレスは己の息を整えることに使う。
ガレスはこの絶望的な状況で、一筋の光明を見つけた気がしていた。




