第二話
馬車の中は無言のまま進み、気づけば城門を抜け王城へ辿り着いていた。
乗る時と同じく、彼らに恭しく扉を開かれ馬車を降りた。
「こちらへどうぞ、陛下の元へご案内致します」
王城を遠くから眺める事はあっても、こんな近くまで来た事のないウィーゼルは圧倒されていた。
だがそんな時間も許されず、彼ら言われた通りに着いて行く。
城の中はとても広く薄暗く、そして冷たかった。
これだけの広さの場所にほとんど人がいる感じがしない、いつも狭い中に人が溢れている孤児院とは大きく違っていた。
廊下を進み、階段を登り、また廊下を進む。
すると二人の衛兵が立っている大きな門の前に辿り着いた。
恐らくここに陛下がいるのだろう、来た事もないが雰囲気から察する事ができた。
自分を案内してくれていた人が、衛兵に話しかける。
「ウィーゼル様をお連れしました」
「はっ、しばしお待ちを」
衛兵の片方が門を少し開き、中に入る。
すぐに戻って来ると、ウィーゼルの方を見て声をかけてくる。
「ウィーゼル様どうぞ中へ、御一人で中に入るようにとの事です」
ウィーゼルの顔は薄暗いお陰で分からないが、青ざめていた。
急に迎えが来て、理由も分からず陛下の前に通される。
普通に考えれば当然の事だろう。
だがその場に立ち続ける訳にも、踵を返して帰る訳にも行かず、ゆっくりと彼は扉を潜り抜けた。
中に入ると、眩しいくらいの明かりに目が眩む。
すぐに目が慣れてきて周りを見渡すと、かなり広い事が分かる。
そしてそこにいるのは、数人の衛兵、凱旋の時に見かけた事がある将軍達、大臣と第二王子、そして国王が彼を待っていた。
その場に完全に呑まれてしまった彼は、扉の前から一歩も動く事ができず、立ち尽くしてしまった。
それに気付いたのか、国王が口を開く。
「よく来てくれたウィーゼルよ、私の前に進みたまえ」
「失礼いたします陛下」
おどおどと前に進む、その姿は歩みの遅い牛の様だった。
王の前に辿り着いた物の、目を合わす事もできず、下を見たままウィーゼルは固まっていた。
「国王陛下の前だぞ! 膝を着かんか平民が!」
第二王子クレイルの言葉に、慌てて膝を着く。
だが国王はそれを諌めた。
「良いのだクレイル。 顔を上げてくれるかウィーゼル、お主に神託が下ったため私は君をここに呼んだのだ」
「し、神託ですか…?」
レイシスが教会のシスターである事から、その言葉はウィーゼルも知っていた。
人は神託により神の意を知り、行動をする。
津波が来るという神託を受け、避難をした話などがいくつか歴史にも残っている。
「うむ、その内容だが…汝ウィーゼルは神託によると、魔王を討伐し世界を救う勇者であるということだ」
勇者? 勇者というと、物語によくあるあれの事だろう。
自分が魔王を討伐する?
ウィーゼルの混乱は最高潮に達していた、言葉の意味は分かるが何を言っているのかが分からない。
正にその様な状態であった。
ただ彼にも一つだけ分かった事がある、第二王子クレイルはそれが気に食わないらしく、鬼のような形相でこちらを見ているという事だ。
「お、恐れながら陛下、自分はただの平民であり、その様な大それた事は…」
「ふむ、動揺する気持ちは良く分かる。 だが神託が合った以上、私はそれに従いたいと思っている」
そう言うと陛下は玉座を降り、自分の前に進み出し、彼の目の前で片膝を着いたのだ。
「ウィーゼル…いや勇者ウィーゼルよ。 どうか神託を信じ世界を救って頂けないだろうか」
遠くから見た事はある、だが近づいた事などない絶対の存在、貧民の自分達にとっては神の様な存在である国王が、膝を着き自分に頼んでいる。
周りの者達もその姿に感動をしている者もいれば、王が膝を着いた事が許せないのだろう、厳しい目つきでウィーゼルを見る者もいる。
…この状況で断る事などは、彼には到底できなかった。
「陛下、どうか御立ち下さい!」
だがやはり怖い、彼には立ってもらえるよう伝えるので精一杯だった。
多少剣や魔法が使えるとはいえ、戦いに赴くということが、旅に出る事が、町を離れる事が、孤児院の皆と会えなくなる事がだ。
答えを出せずに迷っているウィーゼルに、大臣は後押しのようにこう告げた。
「ウィーゼルよ、恐らく孤児院の事を心配しているのだろう。 だがその事は心配しないでいい、陛下は汝が後顧の憂いなく神託を遂げれるようにと、国の方で全面的に孤児院を援助する事を決定した」
「そ、それでは自分が魔王討伐の任に着けば、孤児院の子達は貧しい思いをしなくて済むという事ですか!?」
「いいやそれは違う。 元々私は貧民への援助を行おうと思っていた、例えウィーゼルが勇者で無かったとしても、援助は行う予定だったのだ」
王は膝を着いたまま自分に答えてくれた。
その慈愛に満ちた笑顔は、彼に決断をさせるのに十分だった。
「…国王陛下、自分は神託に従い魔王討伐の旅に出ようと思います」
「おお…、良く決意してくれたウィーゼルよ! その勇気に私は敬意を表そう、汝は正に勇気ある者、勇者であると!」
陛下のその言葉を切っ掛けに、広間の中は歓声に包まれた。
口々に勇者の旅立ちを祝ってくれ、その旅路を心配してくれている。
その場にいる皆の歓声、その歓声はまるで世界が、自分を祝福しているかの様にウィーゼルには感じた。
その後の話は早かった。
旅の助けにと魔除けの青い宝石のついた首飾りをもらった。
更に旅のための資金を用意してもらい、旅の用意などもあるだろうと一日の余裕を持って、旅立ちの日を二日後に決められた。
ウィーゼルの胸に心配な事は何もなく、孤児院の皆が幸せになる事も踏まえ、誇りと勇気に満ち溢れたまま王の間を後にした。
王城の前まで衛兵達に案内される間も、皆からの祝福の言葉は絶えなかった。
ふと、そこでウィーゼルは気づいた。
旅の資金を受け取り忘れてここまで来てしまった事だ。
浮かれ過ぎていたなと、反省をする。
今後は魔物と戦う危険な旅に出るというのに、いきなりこの様な体たらくでは情けない。
彼は慌てて王の間へと、来た道を戻って行った。
先程こちらに来た時と違い軽快な足取りで進む彼は、王の間まですぐ戻って来る事が出来た。
しかしさっきまでとは違い、扉の前に衛兵がいない。
もしかして陛下は部屋にお戻りになってしまったのかと、困っていると中から声が聞こえる事に気付いた。
この声は陛下と大臣、それにクレイル王子う。
まだ中に誰かいると分かり、扉に近づくと…クレイル王子の罵声が聞こえてきた。
「父上! 何故あの様な下賤の者に魔王討伐を命じられたのですか! 魔王討伐でしたら、この国最強である私こそが相応しいはずです! 勇者に相応しいのも私ではないのですか!? 神託がそこまで大事だと申されるのですか!」
クレイルの言葉を聞き、ウィーゼルは扉を開く事ができなかった。
確かに彼の言う通りである、実力を考えれば間違いなく彼が魔王討伐に向かうべきであろう…。
だがそれに対して王は笑ってこう告げた。
「あれは捨て駒だ、クレイルよ」
「捨て駒…ですか?」
「その通りです王子、神託などはございません」
神託はない? 捨て駒? 一体どういう事だ?
ウィーゼルは自分の先程までの熱が急激に冷めていくのを感じた。
「あの愚民に渡した青い首飾り、あれには継承の呪印が入っている」
「継承の呪印? それは一体なんですか?」
陛下の笑いは止まっていない、さぞそれが面白い事であるかと言わんばかりに笑っている。
「あの首飾りは外す事ができん。 外す事が出来るのは王族である者、後は本人が死んだ時に外れるだけだ」
慌てて青の首飾りを外そうとする、だが外れない。
ただの鎖に見える部分まで傷一つつかない、何か魔術的な強化が施されているのだろう。
「本人が死んだ時、その知識を記し、我が元に戻って来るようになっているのだ」
「知識を…? なるほど、そういうことですか。 つまりあの者に魔王討伐のための情報集めをさせるということですな」
「ふふっ、その通りだ。 勿論行うのはあいつだけではない、あいつが死ねば次、次が死ねばその次、必要な情報が集まるまで続ける」
慈愛の満ちた顔をしていた国王などはいなかったと言わんばかりに、醜く歪んだ顔をして笑っていた。
「そして全てが出揃ったら…クレイル王子。 あなたの出番というわけです」
「なるほど! なるほどな! ふははは、つまり私が旅立つ時は魔王討伐が確実に行える状態が整っているわけだ! なるほど確かに理に適っている! …いやだが待て、もし魔王討伐を成功させてしまったらどうするつもりなのだ?」
国王と大臣は目を合わせ、笑う。
「魔王討伐を成功させたら? 良いではないか、お主が戦う手間が省けるというものだ。 帰り道の途中に魔族に殺された事にすればいい、後は残った魔族をお前が殲滅しろ。 それでお前は救世の英雄というわけだ」
「し、しかし魔王討伐を成功させる程の実力を持ってしまっているとしたら、こちら側にも被害が…」
「そこも抜かりはない。 あれには着けている者の命を奪う事も出来る。 …それで終わりだ」
全ての合点がいったのか、第二王子クレイルは笑う。
その醜く歪んだ顔は、父親である国王の顔と同じであった。
ウィーゼルは見つかる前にそこを離れなければいけないと、その場を後にした。
だがその足に力はなく、ふらふらと城の中を歩き…そして壁に手を着き、涙を零した。
自分は捨て駒だった、だがもう逃げる事もできない、自分は何をやっても|死ぬ≪・・≫だけなのだ。
金のためでもなく、名誉のためでもなく、ただ死に、手柄を奪われ、朽ちるだけの存在。
彼の嗚咽は誰にも届かず、止まる事もなかった。
と、その時、前から足音が近づいてくる。
彼にはその足音に反応する気力はもう残っていなかった。
「ウィーゼル殿! 良かったそこにおられましたか、探しましたぞ」
近づいて来るその姿は先程、王の間にいた将軍の一人ガレスであった。
そしてもう一人、小さな少女が一緒にいる。
見覚えのあるその顔、綺麗な緑色の髪、確か第一王女のシルベアだ。
だが、そんな事はウィーゼルにはもうどうでも良い事だった。
「旅の支度金を忘れて帰られたとの事で、慌てて後を追いました結果、城内に戻る姿を見たと聞き探しておりました。 その…探している途中にシルベア様と出会いまして、どうしても勇者様にお会いしたいと申されまして、お連れして今に至りました」
老将の後ろに隠れ、おずおずとこちらを見ている。
だがウィーゼルの様子がおかしい事に気付いたのか、ゆっくりと近づいてきた。
「勇者様…? どこか痛いの?」
泣いている姿を見て、心配してくれているのだろう。
その姿は孤児院の子供たちを彷彿とさせるものだった。
子供の前で泣いてはいけない、強がりでも笑顔を見せなければ。
それはウィーゼルの最後の意地のようなものであった。
「大丈夫…大丈夫だよ、何ともないんだ。 僕の心配をしてくれてありがとう」
その言葉を聞き笑顔の彼を見ると、シルベアも安心したのか笑顔を見せてくれた。
「…その身にかかる重圧、ただ事ではないと思います。 ですが私はウィーゼル殿の無事を祈らせて頂きます。 あなたの決断は、その強き意思は、勇者足る者だと私は疑っておりません」
ガレス将軍と目を合わす。
その目が雄弁に語っている、彼は嘘をついていないのだと、本気でウィーゼルの事を勇者とし信じてくれているのだと。
そして次にシルベアを見る。
幼い彼女の瞳にあるのも同じだ、勇者を信じる目、期待と希望に満ちた目だ。
彼らは知っているのだろうか、王達の企みを。
彼らも知っていながらも、この様な目をして自分を見ているのだろうか?
ぶつけてしまいたい、このドス黒い感情を。
それを必死に耐えていると、シルベアがこちらの目をしっかりと見ていた。
「勇者様は何か辛い事があるんだよね? …私のこのお守りをあげるよ! 死んだお母様がくれた大事な大事な指輪なんだよ! これがきっと勇者様を守ってくれるから!」
シルベアがそっと差し出した銀の指輪には、まだ彼女の温もりが残っていた。
とても大切にしていたのだろう、渡す時に目には涙が零れんばかりに溜まっていた。
慌てて返そうとしたが、ガレス将軍が割り込んできた。
「ふむ、でしたら私も何か勇者ウィーゼル殿のために何か使えそうな物を…、おおこれがちょうどいい!」
ガレス将軍が差し出したのは短剣だった。
「これは護りの短剣と呼ばれる物でしてな、そこまで強くはありませんが本人の意思に応え、魔法への耐性を上げてくれます。 お役に立てばと思います」
「い、いえこの様に色々と僕が頂くわけには…」
そう自分は死ぬ人間だ、そんな人間がこの様に貰う訳にはいかない。
だが二人はそんな事は知らない、そして心の底から彼を心配し何かをしてあげたいと、そう願い渡してきた。
結局その願いを無碍にする事もできず、指輪と短刀はウィーゼルに託された。
二人に見送られ、王城を後にする。
行きと同じ様に馬車に乗せられ、茫然自失のまま、孤児院へとウィーゼルは戻ってきていた。