鬼に金棒
兵士達は疲弊していた。
援軍は来ない、退くことは許されない。
それでも兵たちは戦い続けなければならなかった。
主君のため、己自身の誇りのために――
つまりは何を言いたいのかといえば、今日も今日とて悪鬼は荒れ狂っていた。
「邪魔しないでよ、もうっ!」
悪鬼に蹴り飛ばされた兵士が、セイラムの髪を掠めて冗談のように吹っ飛んで行った。
「だああっ、シャレにならねぇっ!」
「攻撃の手を休めるな! とにかくこの場で押し留めるんだ!」
次々に後方に弾き飛ばされる仲間を目で追って泣き言を吐くリドリーを、ベルナートが怒鳴りつけてけしかける。
兵士達は入れ換わり立ち換わり波状攻撃を繰り返す。一対多数、悪鬼は手を休める暇がないが、一つ一つの攻撃をいなしながら確実に反撃を加えてくる。魔術と体術を巧みに使い分けてくるので悪鬼の攻撃パターンは非常に読みづらい。鋼鉄の兵士はじわじわと包囲陣を削られ、戦闘不能者を増やしていった。
早急に決定打を与えなければ突破されてしまうのは時間の問題だ。誰もがそう考えながらも行動に移す隙を見出せずにいた時、ついに兵士の一人が悪鬼に飛び掛った。
「うおおッ!」
「きゃあッ!」
仲間の攻撃を掻い潜っての、低い姿勢での体当たり。不意を突かれた悪鬼はその勢いに耐え切ることが出来ず、腰をホールドされた状態でバランスを崩した。背後には扉。施錠が充分にされていなかったのか、体当たりの勢いで扉を弾き飛ばし、二人はそのまま部屋の中に滑り込んでいった。
「まずい! そこは――!」
何かに気付いたベルナートが叫ぶが、扉の向こうに姿を消した兵士から反応が返ってくることはなかった。
「ふふ……こんな所にあったのね」
部屋の中から再び姿を現したのは、悪鬼一人だけであった。不敵な笑みを浮かべ、先程までは持っていなかったはずの剣を一振り携えている。
「くそ、しまった! 奴に近付くな、距離を取れ!」
剣を見た瞬間、ベルナートのみならず他の兵士達も急に狼狽し始めた。
「何ですか、あの剣は?」
セイラムだけが状況を把握出来ずにいたが、それがただの剣ではないことだけは一目瞭然だった。悪鬼の持つ剣は、不気味な青白い光を纏っていたのである。
「あれは魔族の生命力を奪う剣だ。近付き過ぎるなよ、斬られなくても光に触れれば身動きが取れなくなる」
ベルナートはじりじりと後退しながら、新人で剣の特性を知らぬセイラムに説明をした。この剣は元々、悪鬼が魔王城を襲撃した際に装備していた物だ。セイラムの位置からは確認出来ないが、先程体当たりをした兵士は既に剣の力によって行動不能にさせられてしまっているのだろう。悪鬼が押し込まれた部屋は兵士達にとっては運の悪いことに、剣の保管場所であったようである。
「だーもうっ! 誰だよ道具管理してた奴?! もっと厳重にしまっとけってのー!!」
「ど、どうするんですか?」
「はっきり言って、あの剣を持ち出されては我々には対抗する手立てがない……」
リドリーが泣き言を吐くが、それを注意するだけの余裕はベルナートにはもう残っていない。
「あれに対抗出来るのは命を持たないアンデッドだけだ。しかし、それを操る死霊使いが我々の救援要請に応じてくれるかどうか……」
かつて人間のみならず同族をも恐怖に震撼させたアンデッドの軍勢。それを率いていたのが『染血の死霊使い』の二つ名を持つ魔族の男である。悪鬼による魔王城襲撃の折、事件の収束には死霊使いの活躍があった。しかしその時男は既に死霊使いの二つ名を捨てており、事件の際は説得により緊急出動させたという話だ。男が名を捨てるに至った詳しい経緯はセイラムの知るところではないが、その男が現在は宮廷医として勤めていることは承知していた。
「緊急事態です、考えている暇はありません! とにかく、自分が行って出動を要請してみます――ぶッ!」
勢いよく振り返って走り出したと同時に、セイラムの鼻先に何かがぶつかった。どうやら背後に立っていた人物の肩口に顔を突っ込んでしまったようだ。鼻を押さえて一歩後退し、ぶつかった人物の顔を見上げて驚愕した。
「おお、すまぬ。鼻は潰れておらぬかね?」
土に汚れたブーツ、色の抜けたオーバーオール、首に巻かれた手ぬぐい。農夫以外の何者でもない格好であるが、格好に不釣合いな尊大な口調。その人物は紛れもなく――
「グライヴ様!?」
現魔王の父にして現役時代は『略奪の魔王』と呼ばれ恐れられた先代魔王、グライヴその人であった。
「えッ! グライヴ様!?」
セイラムの声に反応した兵士達が振り返り、しかし正面の悪鬼の存在から目を離す訳にもいかず、おろおろと首を前後に回した。
「な、何故このような場所にいらっしゃるのですか……?」
グライヴは退位した後、王族としての権限を全て放棄して城下郊外で農耕を営む隠居生活を送っている。時折自作の農作物を届けに荷台を引いて城門までやって来ることはあったが、城内の、しかも罪人を収監している地下牢の付近に現れることは至極稀であった。
セイラムの疑問にグライヴはのんびりと答える。
「いやなに、今日は書庫の一般解放日であろう? 近頃新しい種類の作物を育て始めたのだが、なかなか上手く育ってくれぬでな。何かよい知恵はないかと書物を頼りに来た次第だ」
魔王城の書庫は週に一度、一般市民の利用を許可して解放される。全権を放棄しているとはいえグライヴが元魔王であることには違いない。城内をうろついていたところでそれを咎めようという者はいないが、むしろ一般市民としてルールを守ってやって来ていることの方が驚きであった。
「また農地を拡大しようとしているのか、このお方は……」
リドリーが前を向いたまま呆れたように呟いた。
「やって来てみればどうにも城内が慌しい。悪いとは思うたが勝手知ったる元我が住処、騒ぎの元を辿ってみれば……何やら面白いことになっておるではないか」
人垣の向こう側に視線を飛ばし、にやりと口元を歪めた。
「あれは先頃王城を襲撃したという人間であるな? 随分と扱いに梃子摺っておるようではないか。どれ、余が手を貸してやろう」
「いえ、それはなりません!」
戦上手と謳われ戦場では一騎当千の実力を誇った略奪の魔王の助太刀とは実に頼もしいことであるが、ベルナートはその申し出をぴしゃりと断った。少なからず畏縮してしまってはいるが、精一杯気丈に振る舞い、かつての主に意見する。
「大変失礼ながら、今の貴方様は一般市民と変わらぬ身分です。市民を守るのが我ら鋼鉄の義務。一般市民を危険に晒す事は、我らの沽券に係わります」
「ふむ、その言い分は尤もであるな」
納得したような物言いとは裏腹に、グライヴは制止を聞かず前に進み出た。
「だがしかし――今現在の余が何者であろうと、そなたらがどう思おうと、この城も兵も、かつては全て余のものであったのだ。ほんの一刻でも余が所有していたものを、余所者の好きにさせておくのは気に食わぬ……奪い取るは余の十八番。その余が、例え砂の一粒であったとしても奪い取られる訳にはいかぬでなぁ」
尊大でなんとも自己中心的な物言い。だが、それこそが『略奪の魔王』と呼ばれた男の本来の姿であった。
「グライヴ様……!」
「なぁに、余が手を貸したことなど、皆で口を閉ざせば誰にも判らぬさ。それでももし煩く言う輩がおれば、しがないただのおっさんではあるが、余が全ての責任を負うくらいのことはしてやろうぞ」
なんでもないことのようにそう言って、グライヴは呵呵と笑う。
それ以上、兵士達にはこの男を制止しておくことは出来なかった。頷き合って道を空けると、グライヴは更に前へと進み出た。悪鬼と対峙する。
「ごちゃごちゃ相談するの終わった? 誰だか知らないけれど、もういいかしら。まとめてやっちゃうから」
「おお、終わるのを待っていてくれたのであるか。なかなかに心優しいお嬢さんではないか。どれ、ついでに余の頼みを聞いてはくれぬか?」
「なによ?」
「こやつらに手を出すのは少しばかり待って欲しい。まずは、おっさんと二人で遊んでみようではないか」
「それって口説いてるの? 私、本命に一途なタイプなんだけど……まぁいいわ。どうせ全員相手にするつもりだもの、順番なんてどうでもいいわ」
軽い口調でお互いに冗談を言い合うが、二人の間に流れる空気は張り詰めている。兵士達はその雰囲気に呑まれ、誰一人として「そいつ『お嬢さん』じゃないです」とは言い出せずにいた。
「グライヴ様、お気を付け下さい。あの剣は――……」
「うむ。心得ておるとも」
グライヴは首に巻いていた手ぬぐいを外すと、オーバーオールに付いたベルトループに押し込んで腰に引っ掛けた。ベルナートが自らの剣を差し出していたが、グライヴはそれを受け取らず、代わりに手ぬぐいを通したのとは反対側のループに手を伸ばした。
「余の獲物はこれで充分だ」
そう言って皮のホルダーから引き抜き、構えられたのはよく手入れのされた草刈り鎌だった。鋭い刃は付いているが、対人用の武器ではなくあくまでも農具の一つである。
「バカにして……! 一瞬で終わらせてやるわ!」
「た、退避ーーッ!!」
悪鬼の感情の昂り呼応したのか、青い光が強さを増した。剣の効力に対して抵抗する術を持たない兵士達は、向かってくる悪鬼の攻撃射程から逃れるくらいしかもはや努力の仕様がない。兵士達と立ち位置を交代するように、ただ一人グライヴだけが一歩前進した。
「たァッ!!」
悪鬼は突出した標的に向かって迷わず距離を詰め、兜割りに剣を振り下ろす。直線的で大振りな動き、それは反撃にも二手目にも備える必要はないと、絶対の自信を持っての攻めであった。しかし――
「受け止めた!?」
リドリーが声を上げ、安全圏から状況を見守っていた兵士達からもどよめきが起こる。グライヴはただの草刈り鎌で青く光る剣を受け止めていた。剣を振り下ろした悪鬼の表情にも動揺が走る。
「ふむ。人間と我らの時の進みは違うと言うが、随分と長い『一瞬』であるな」
片手で鎌を支えるグライヴは、余裕綽々と挑発めいた皮肉を口にした。
「この……ッ!」
剣を絡め取られそうになり、悪鬼は咄嗟に鎌の刃の反りに自らの刃を滑らせた。相手の獲物を滑走路にして飛び出した剣の軌道を修正し、二撃目を振り下ろす。しかしそれは予定していなかった動きであったがために体重が乗らず、あっさりと弾かれてしまう。態勢を立て直すべく、それ以上は攻め込まずに飛び退いて一旦距離を取った。
「どういうこと? 魔族がこの剣を受け止められるなんて……しばらく使っていない間に壊れちゃった?」
試しに軽く剣を振ってみるが、青い光は健在である。
兵士達も悪鬼と同様の疑問を抱いていた。剣が纏う光に触れれば魔族は生命力を奪われ行動不能になる。本来ならば剣を受け止めることすらも不可能であるはずなのに、グライヴは二度も斬撃を防ぎ、尚も悠然と佇んでいた。
「なに、その剣が余を喰らう前に『餌』を与えてやっただけのことよ」
グライヴはそう言うと、自らの魔力を一時的に視覚化させて見せた。赤い湯気のようなものがグライヴの身体を包み込み、その一部が細い糸のようになって悪鬼の剣に流れていた。
「魔力は生命力に変換出来る。こうやって魔力で身体を包んでやると、剣は余の身体に届く前に、その周りの生命力を優先的に喰らおうとするのだよ」
魔力の生命力への変換が可能なことはセイラムも知っていた。実際、その方法で寿命以上の生を得ている者もいると聞く。しかしこの局面で、戦闘に応用するなどという発想は思い付きもしなかった。
(すごい……これが略奪の魔王の実力!)
初めて目の前にした戦闘の実力に、セイラムは尊敬と、わずかな畏怖の念を抱いた。
「知らなかったわ、そんな攻略方法があったなんて……」
「若い人間――いや、魔族でも、若い者は知らぬであろうなぁ。余が若い頃、人間が決戦兵器として心血を注ぎ数本のみ精製したと言われる物だ。しかしその剣を用いたところで勝敗は決することなく、余が全て叩き折ってくれたと思うておったが……まだ残っておったとは驚きだ。いや、中々に懐かしい物を見た」
思い出話でもするように語る態度に苦い顔になる悪鬼。
「しかし余はそう器用ではないのでな、これをやっておる間は他の魔術を使うことは出来ぬ。その間、余は刃で打ち合うしか能がなくなる訳だが……お嬢さんを堕とすには足りるであろう」
掛かって来いと手招きをするように、くい、と鎌を捻った。
実力差は歴然。これまで散々に鋼鉄の兵士を苦しめてきた悪鬼であったが、グライヴの実力はそれを更に上回っている。悪鬼自身もそれを痛感しているらしく、いつもの烈火の如き猪突猛進さはなりを潜め、慎重になっているのが見て取れた。
「……強い男って好きよ。うっかりおじさまに心移りしちゃいそうだわ」
悪鬼の握る剣から青い光が消えた。剣は生命力吸収のための媒介でしかなく、それを実行しているのはあくまで所有者の魔力と意思である。これ以上効果のない攻撃を続けていても無駄だと、そのために力を削ぐ余裕はないと判断したのだろう。
「だけどここで折れるわけにはいかないわ……私の前に立ちはだかると言うのなら、障害として打ち倒すのみよ」
剣に魔力が集中する。不気味な青白い光ではなく、烈火の如き気迫。防御は考えない、攻撃に全てを注ぐ。
上段に剣を構える。二手目のことは考えない、考えるだけの余裕はない。しくじれば次はない、一撃必殺の構え。
「全ては、愛しい魔王様の下へ辿り着くために!」
決意の叫びと共にサーシャは床を蹴り、全身全霊を込めた剣を振り下ろした――
「む? なんだ、余の息子の許へ行くのが目的であったのか?」
のんびりとした呟きが耳に届き、サーシャは重みの乗った剣の動きを急停止させた。グライヴの鼻先で剣はぴたりと動きを止め、サーシャ自身も固まったように動きを止めた。剣に集中した魔力と共に、全身に纏っていたヒリつく様な空気が拡散する。
「え……息子って……ちょっと待って、そういえばこのヒトなんて呼ばれてた……? グライヴ? ……グライヴってまさか、略奪の……」
固まったまま自問自答を繰り返し、結論に辿り着く。
「魔王様のお父様ぁ!?」
「うむ、如何にも」
目の前に剣を突きつけられているにも拘らず、グライヴは慌てる素振りも見せず会話をしている。むしろ剣を突きつけている側の方が慌てた様子である。
倒すべき障害だと思っていた者の正体が想い人の父親だと気付き、サーシャは大慌てで剣から手を離した、と言うより放り投げた。物騒な物が飛んできて、兵士達の間にも会話の流れには全く関係のない小さなパニックが起きる。
「ど、どうしよう、私ったらお父様になんてことを!」
「いやいや、余もそんな事情とは露知らず、すまぬことをした。そうかそうか、お嬢さんは脱獄の危険を冒してでも息子に逢いに行こうとしておったのだな」
グライヴの眼からも魔王らしい獰猛な光は消え失せ、構えていた草刈り鎌を腰のホルダーに仕舞った。
妙な流れになってきた。グライヴが悪鬼を制圧してくれることを期待していた鋼鉄の面々は、この流れに嫌な予感を感じていた。
「こんなにも情熱的で可愛らしい、しかも異種族の娘を虜にしようとは、初心だと思うておったが、我が息子も隅に置けぬなぁ」
「やだお父様ってば、可愛いだなんて……」
照れたように身体をくねらせるサーシャ。父親に取り入って外堀を固めようとしているのが見え見えだ。
グライヴは絶大な誤解をしている。その間違い早いところ指摘すべきなのだが、恐れ多くて誰も口火を切ることが出来ず「お前が言え」「いやお前が」と兵士達は役割を押し付けあっている。
「ヒトの恋路を邪魔する輩は馬に蹴られてなんとやら。恋する乙女の路を阻む訳にはいくまい」
「恐れながら申し上げます!!」
「おお、ベルさんが行った!」
誤解をされたまま取り返しが付かなくなる前に、ベルナートが覚悟を決めて一歩踏み出した。
「む、どうした?」
「そ、その者はお嬢さんでも娘でも乙女でもありません! その者は……そんななりをしていますが、正真正銘の男です!」
「だったらなんだってのよ!」
サーシャもといアレックスに鋭い視線を送られベルナートを含む兵士達は射竦められたが、伝えるべき最重要事項は確かに伝わった。
「なんと! 男とな?」
グライヴは目を丸くして改めて『お嬢さん』の姿を見た。本来の性別らしからぬ顔立ちから、ミニスカートから伸びるほっそりとした脚までを見下ろして、頷いた。
「ふむ。まぁ良いのではないか?」
魔王の父親はあっけらかんと言い放った。
「グライヴ様!? それは男ですよ?!」
「うむ。だが見てくれは女とそう変わらぬではないか」
「見てくれは良くても男です!」
「長い人生だ、そういう者に好かれることもたまにはあろう」
「ですが男です!」
ベルナートは説得し続けるが、あまりのことに同じことしか言えなくなっている。
「まぁ何事も経験よ。試してみるのもそう悪くはないさ。流石は我が息子、血は争えぬなぁ。あっはっはっはっ!」
「さすがお父様! 理解があるわ!」
豪快に笑う元魔王に対し「試した事あるのですか」とは誰もが思い、しかし恐れ多くて誰もが尋ねることが出来なかった。
こうして想い人の父親から公認を受けた悪鬼のアプローチは勢いを増し、悪鬼の行く路を阻む兵士たちの苦悩と被害が以前よりも増したのであった。
ついでに、想いを寄せられている魔王当人の苦悩と被害も増したのは言うまでもないことである。