能ある鷹は爪を隠す
「近頃城内に出るらしいぞ、セイラムくん」
城内の見回り中、比較的暇で平和な時間を過ごしていると、先輩兵士のリドリーが唐突にそんなことを口にした。
「悪鬼がですか?」
本日も午前中にその悪鬼ことアレックスと一戦交えてきたところである。何を今更、という具合にセイラムは首を傾げて見せた。
「それはいつも出てるだろ。違う、コレだコレ」
そう言って両手を顔の前でだらんと垂らした。このジェスチャーから思い当たるものは一つしかない。
「幽霊ですか」
「そ。フードを被った子供の幽霊。ちらほらと目撃証言が挙がってるんだが、女の子だったとか男の子だったとかその辺の証言は一致してないな。共通してるのは姿を見かけて追い掛けてみても、途中でぱったりと気配が途切れて見失っちまうってことだ」
「はぁ」
懇切丁寧に説明されたが、どういった反応をすればよいのか解らず、思わずやる気のない返事をしてしまった。
「興味なさそうだな。霊とか信じないタイプ?」
「否定派というわけでもないのですが……自分は死んだヒトよりも生きたヒトが死ぬことの方が怖いと思っていましたので、昔から幽霊と言われてもいまいちピンとこなくて」
「ああ、なるほどなぁ」
セイラムは前線に近い国境の村の出身だ。現実にヒトの死が間近に見える環境であったため、見えないものにまで恐怖を感じる余裕を持つことなく育ったのだろう。
「それに、現実に悪鬼という恐ろしいものがいるのに、いるのかいないのか分からない幽霊を恐れている場合ではないかと……」
「嫌な説得力だな」
目下、セイラムたちの所属する鋼鉄の兵士たちにとっての最大の脅威は獄中の悪鬼ことアレックスの存在である。本日も既に一戦交え、多大な被害を被ったばかりである。被害を受ける当事者の一人であるリドリーは他人事として笑い飛ばすことも出来ずげんなりとした表情になった。
「リドリーさんは、そういうの好きそうですね」
悪気はなかったのだが話題を逸らす形になってしまったことに気付き、セイラムは慌てて自分のことからリドリーのことに焦点を切り替えて話を戻した。
「まーな。七不思議とまではいかないが、この城にもその手の噂話はいくつかあるぞ」
リドリーの場合は怪談話というよりは話すことそのものが好きなのだ。話のタネになりさえすれば、ゴシップにでもなんでも首をつっこむ性質である。
「夜中に見回りをしているとついて来る足音だとか、血の涙を流す肖像画だとか、閲覧制限書庫から妙な声が聴こえるだとか」
「どこにでもありますね、その手の話って」
「あとは、不老不死の王の懐刀だとか」
「不老不死?」
それこそ訓練兵時代に士官学校で流行った七不思議に似たり寄ったりの話ばかりだったが、最後の話は初めて耳にする内容だった。
「俺らのことを不老不死だって言う人間もいるらしいが、それどころじゃない。俺らの目から見てもあまりにも永すぎる寿命を持ってるって噂だ」
魔族の五分の一程度の寿命しか持たない人間の目から見ると、成長速度の緩やかな魔族はほとんど歳を取っていないように見える。稀に平均を超えた寿命を持つ同族がいることはセイラムも知っていたが、不老不死などという存在はにわかに信じがたかった。
「ま、さすがに不死ってのは言い過ぎだと思うけどな。歴代の王の傍にずっと似たような人物がいるんで、それが同一人物だって思われてるだけだろう」
「歴代のということは、その人は実在する人物なのですか?」
「お前も多分見たことあると思うぞ。ほら、髪と目が同じ色の、派手に綺麗な宰相殿がいただろ」
その言い回しは如何なものかと思ったが、人物を特定するには解りやすい説明ではあった。透き通るような空色の髪と瞳が目を惹く、美男と言っても遜色のない容姿の宰相が王の傍に控えているのをセイラムも何度か見た覚えがあった。
「ああ、あの空色の……」
「それは、私のことでしょうか?」
聞き慣れない声に割り込まれ、二人は同時に声のした方を振り返った。
「楽しそうですね」
透き通るような空色。件の宰相が気配を感じさせることなく、いつの間にかすぐ傍に佇んでいた。
「さ、宰相殿?! しっ、失礼をいたしました!」
話を聞かれていたことに気付き、リドリーは慌てて姿勢を正し謝罪の言葉を口にした。
「いえ。雑談をしている余裕があるということは平和で良いことです。お勤めご苦労様です」
特に気に障った様子もなく――と言うよりは無表情で何を思っているのか解らないが、労いの言葉を掛けて宰相はそのまま通路を歩いて行った。
「や、やばい……どこから聞いてたんだ、あのヒト……?」
「怒っているようには見えませんでしたけど……」
「軍事関係の実権握ってる人だしなぁ……減給されたらどうしよう……」
宰相が去っていった方向に背を向けて、二人は小声で状況を確認し合った。相手を中傷するような内容ではなかったが、噂話の材料にされたというだけで不快に思う者もいるだろう。
「ああ、それと」
「うわっっはいッッ!?」
立ち去ったと思われた宰相に再び声を掛けられ、リドリーは飛び上がった。
「ななななんでしょうか?!」
「いえ、個人的なお願いで大したことではないのですが……」
動揺を隠せないリドリーに対して、宰相はあくまで冷静で落ち着いた態度を崩すことはない。
「幽霊、見かけたら私にも教えて下さいね」
それだけ言って、宰相は今度こそこの場を離れていった。
「……本当に、どこから聞いてたんだ? あのヒト……」
「意外とそういう話が好きなヒトなんでしょうか……?」
底知れない人物であるのは間違いなさそうだが、受ける印象よりは親しみやすい人物なのかもしれないとセイラムは思った。
「ここにいたのかリドリー。すまないが、こっちを手伝ってくれ」
宰相の背中を見送ったすぐ後、リドリーだけがベルナートに呼び出されて別の場所に回ることになった。
「了解。セイラムくん、あと頼むな」
「はい」
そう請け負って、セイラムは一人でこの場所の見回りを再開した。
大切な仕事であることには変わりないと理解していながらも、最も過酷な悪鬼捕獲の仕事と比べると、単なる見回りの仕事は楽でどうしても気が抜けてしまう。少し油断した気持ちのまま通路の角を曲がったところで、見かけない人物と出くわした。
「あ……っ」
鉢合わせになった人物は、セイラムの鎧を見て驚いたような反応を見せた。
兵士や給仕の類、城の中での仕事に携わっている者ではないことは一目で解った。出くわした相手は子供だった。室内であるというのに、顔を隠すかのようにフードを目深に被っている。
フードを被った子供。先程リドリーから聞いた話に出てきた幽霊の特徴と一致している。
「幽霊? ……と言うよりは……」
「え……ええと……」
幽霊は困惑気味に呟くと、すり足で一歩距離を取った。そのまま二歩、三歩と距離を取っていく。
「どう考えても不審者じゃないか!」
「わ、わああっ!」
背を向けて走り出した子供を、セイラムは全力で追いかけた。
「待て! 止まれ!」
「無理ですごめんなさい!」
元より素直に聞き入れられると期待はしていなかったが、静止を訴えかけても止まる様子はない。
胸当てと膝当て、手甲だけの軽装備とはいえ鎧を着込んでいる大人の足では、子供の軽快な足にはついて行けない。徐々に距離が開き、通路の角を曲がって中庭に出たところで姿を見失った。
気配は感じられない。
セイラムは辺りを見回し、思考する。中庭を通る渡り廊下の先の建物には巡回中の別の兵士がいる。騒ぎになっている様子はないのでそちらに渡った可能性は薄い。四方を建物に囲まれているため直接城外へ逃亡を図ることは不可能――となると、城の外へ逃げるためにはどうしても一度建物の中へ入る必要がある。
他の入口の位置を確認し、次いで植え込みの陰に身を隠しながらそこに到達することの出来るルートを割り出した。
「そこだ!」
わざと大きな声を出して、当たりを付けた位置に向かって駆けた。
「うわあっ!」
予想していた位置とはわずかに外れていたが、動揺した子供は茂みから飛び出しセイラムの前に姿を現した。魔術の扱いを得意とする者であれば、姿の見えない敵の位置を魔力の流れで割り出すということが可能だ。しかし、魔術の扱いがさほど得意ではないセイラムにはそのような芸当は出来ない。正確な位置を割り出すことは不可能だが、この場合は再び姿を見つけ出すことが狙いであった。
セイラムは魔術の扱いを得意とはしていない。得意ではないが、使えないわけではない。
対象を追うセイラムの走る速度が瞬間的に増した。身体能力を魔術で向上させたことによっての加速――悪鬼が得意としている体術と魔術の併せ技だ。セイラムの能力では大した持続力はないが、数歩分の距離を詰めるには充分であった。
「うあッ!」
「よし、捕まえたぞ!」
体当たりを食らわせて転倒したところをすかさず馬乗りになり、組み伏せる。そして不法侵入者の正体を確かめるべく顔を隠していたフードを剥ぎ取り、セイラムは思わず息を飲んだ。
「女の子……?」
フードの下に隠されていたのは息を飲むほどに整った顔だった。幼さ故に美しさよりもまだ可愛さが引き立っているが、成長と共に絶世の美女へと変貌するであろうことを予想させる顔立ちの美少女だ。
「あ、いえ、その…………付いてます」
「つい……っ?!」
美少女改め美少年の口から飛び出した下品な言い回しに、今度は思わず言葉を失った。セイラムのその反応に気付いたのか、少年は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい。僕、よく女の子に間違われるんでどうしたらいいか相談したら、こう言えばいいって言われて……やっぱり下品でしたよね……」
セイラムはこの少年にそんなことを吹き込んだ相手に小一時間説教をしたい気分になったが、まず説教をする必要がある人物がいるとすればそれはこの少年自身であると思い直した。
「とりあえず詰所に来てもらうよ。色々と話を聞きたいし、親御さんにも連絡を――」
「お、親?! そ、それは困ります!」
組み敷かれているという状況の割に落ち着いていた少年であったが、急に思い出したように慌て始めた。
「困るって言われても……魔王城に侵入って結構重罪だよ? 目的や事情にもよるけど、保護者呼び出しで済むならまだマシな方だと――……」
そこまで言って少年の姿を見下ろし、セイラムはふと奇妙な既視感に襲われた。
(あれ? この子どこかで見たような……?)
思考が現実から逸れた一瞬、その瞬間にセイラムは自分の身体がふわりと浮く感覚を覚えた。
「え?」
突如視界が青い色に染まる。何が起きたのか、瞬時に理解することは出来なかった。
すとん、と背中が地面に降りてようやく、身体を反転させられ仰向けに押し倒されたのだと気が付いた。体術と魔術の併せ技――加えて、落下の衝撃を和らげるために重力も魔術で操作したのだろう。
空と、申し訳なさそうな空色の瞳がセイラムを見下ろしていた。
「すみません、親に知られてしまうのはちょっとまずいので……」
体勢を立て直そうとしたが、四肢が動かなかった。身体が不可視の鎖で拘束されている。これも先程の魔術とほぼ同時に施されたのであろうが、セイラムにはその瞬間がいつであったのか全く見当が付かなかった。
複数の魔術の併用、これは修練を積んだ魔術師でもそう簡単に出来ることではない。しかしこの少年はそれをいとも簡単に、しかも相手を気遣って手加減までしてみせた。先程の落ち着きは、この実力を以ってしての余裕であったのかと気付きセイラムは戦慄した。
「君は一体……俺をどうする気だ!?」
「ええと……ちょっとだけ記憶を改ざんさせてもらいます」
少年はあどけない顔でさらりと恐ろしいことを言ってのけた。
「大丈夫です、痛くありませんから! 少しぶわーってするだけですから」
「ぶわーって何?!」
子供らしく擬音を使った曖昧な表現であったが、今はその曖昧さは恐怖にしか繋がらない。
「それじゃいきますね。動かないでくださいねー」
「動きたくても動けません!!」
そう叫んだのを最後に、セイラムの視界は青から白に染まった。
「――セイラム、おい、しっかりしろセイラム!」
目を開けたセイラムの視界に入ったのは、青い空と――よく見知った強面だった。
「……ベルナートさん……?」
自分が仰向けに倒れていることに気付き、ゆっくりと身を起こした。鎧が太陽の光を吸収して少し熱を持っている、どうやら中庭の真ん中でしばらく意識を失っていたようだ。
セイラムが自力で起き上がったことを確認して、ベルナートは安堵の息を洩らした。
「身体に異常はないか? どうした、一体何があった?」
「ええと……幽霊がぶわーっと……」
「幽霊?」
「……あ、いえ、なんでもありません。大丈夫です」
何故自分の口からそんな言葉が出てきたのかと、自分自身が首を捻った。つい先程リドリーから聞かされた話と混濁してしまっているようだ。
「貧血――……を起こすほどやわではないな? 悪鬼に不意打ちでも食らったか?」
近くに潜んでいる可能性を危惧して、ベルナートは周囲を見回した。意識は霧が掛かったようにぼんやりとしているが、その可能性はないとセイラムには何故か確信できた。しかし『悪鬼』という存在については何か引っ掛かるものがあった。
「悪鬼……悪鬼って……」
見た目だけは完璧な美少女だと言えるその可憐な容姿。その姿を思い出し、セイラムは呟く。
「……付いてるんですよね……」
「今更どうした?!」
真面目な後輩兵士の口から飛び出した下品な言い回しに、ベルナートはぎょっとして勢いよく振り返った。
結局、その日セイラムの身に何が起きたのかは不明のままであったが、彼の頭の中には何とも言えない残念な気分だけが残っていたのであった。