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医者の不養生

「ボク、お見合いすることになりそうなんだよねぇ」


 今日も今日とて魔王城の医務室は負傷した鋼鉄の兵士たちでごった返していた。

 毎日のように世話になっているのでここで働く医者や看護師ともすっかり顔なじみだ。王城勤務の鋼鉄の兵士の中ではまだ新人に当たるセイラムも、手当てを受けている間、世間話程度の会話をすることは珍しくはなくなった。

 そして先程の台詞は、セイラムの傷の処置をしていた医者がいつものような世間話の中で発した言葉だった。

 鳶色の瞳に眼鏡を掛けた、少し間延びした口調で話すのが特徴の男だ。


「親がねぇ、孫の顔を見たいとうるさいのだよ」

「どこの家も同じですね」

 セイラム自身はまだ身を固めるには早いと思っているが、毎月実家から届く手紙には時折見合いの釣り書きが同封されている。もっとも、セイラムの家庭の場合ではそれは親ではなく祖母の仕業であるのだが。

 医者の方はと言うと、結婚していてもおかしくはない歳に見えるが、見合いを勧められるくらいなのだから未だ独身のようである。

「するんですか、お見合い」

「う~ん……少し迷っているんだよねぇ」

「何か問題が?」

「問題と言うか、ボクにはすでに愛するヒトがいるのだよ」

 処置の手を休めることなく、医者はそう言った。決まった相手がいるというのなら、どこに悩む理由があるのだろうかとセイラムは疑問に思った。

「その方と結婚する気はないのですか?」

「ボクはそれでもいいと思っているのだけれどね……それでは両親の願いを叶えてやることは出来なくなるなぁ、とも考えてしまってね」


(もしかして、相手の女性(ヒト)は……)


 例え互いに愛し合い婚姻の契りを交わしたとしても、必ずしもその愛が結晶として実るわけではない。身体的な理由で子供を授かれない夫婦は世の中に大勢いる。

 医者が少し悲しそうに笑ったのを見て、セイラムは触れてはいけない部分に触れてしまったのを感じた。


「はい、終わったよぉ」

「あ……」

 何を言うべきかと言葉に詰まっている間に手当てが終わった。

 次の患者の元へと移動すべく立ち上がった医者に何か声を掛けなければ、と顔を見上げたが、彼の表情は普段の穏やかな微笑みに変わっていた。

「……ありがとうございました」

 結局は気の利いた言葉を掛けることも出来ず、セイラムは礼だけを言って兵士の詰所へと戻って行った。





「怪我の方は大事無かったか、セイラム」


 詰所に入ると、先に休養を取っていたベルナートが怪我を気遣って声を掛けてきた。こういう時、真っ先に声を掛けてくるのは決まってベルナートだ。面倒見がいいと言うか、父親気質である。

「はい、大したことはありません。次の見回りには問題なく就けます――あ、ありがとうございます」

 テーブルの空いた席に着くと同時にリドリーが茶を出してくれた。

「礼はいい、話題を提供しろ」

「はい?」

 リドリーは自分の分の茶を手に席に着きながら、いつになく真剣な口調でそんなことを言った。何の話題を提供しろと言うのか意味を汲みかねて、セイラムは訊き返す。

「ゴシップでも恋バナでも何でもいい。何か面白い話を! 最近目新しいことが何もなくて俺飢えてるの! わああ!」

 叫んでテーブルの上に突っ伏した。

「気にするな、連日の勤務で疲れが溜まっているだけだ」

 対応に困ってベルナートの方へと視線を向けると、そう応えが返ってきた。動じると言うよりは呆れた顔をしている辺り、リドリーの暴発は時折起こることのようだ。口から先に産まれたような男なので、きっと新しい情報が断たれて話すネタがなくなるとストレスで死んでしまうのだろう。


 今はこのような状態だが、セイラムはリドリーのことも良い先輩だと認識している。軽くて調子のいいところもあるが、相手が後輩でも構わず茶を入れてくれるような意外と気が回る性格なのだ――今はこのような状態であるが。


「ベルさんは奥さん一筋で面白い話期待出来ないしなー」

「結婚したら妻だけを愛するのは当たり前のことだろう。何ならノロケてやろうか?」

「いや、いい」

 ドロドロとした愛憎劇が繰り広げられるのならばベルナートの話も喜んで聴くのだろうが、冗談めかした申し出はあっさりと拒否された。リドリーは幸せな家庭の奥さん自慢にはあまり興味がないらしいが、セイラムは少し興味があった。

「結婚ってやっぱりいいものですか?」

「ああ、いいぞ。自分の家庭を持つと家族のためにどんな辛いことにも耐えられるようになる。父親になれば尚のことだな」

 離れて暮らしてはいるが、ベルナートが常に家族を想い、それを支えにしていることはセイラムも知るところだった。

「ベルさんって、娘が将来嫁に行く時大変そうだよな」

「当然だ。そう簡単に可愛い娘を嫁にやるものか」

「うわあ、すっごい親バカ発言」

 まだテーブルに張り付いたままではあるが、興味ないと言いつつ会話にはしっかり参加している。

「……で、セイラムくんは何か浮いた話とかないのか?」

「はぁ、自分には特にそういう話は」

 テーブルに伏せたまま顔だけを上げて視線を送られたが、生憎リドリーが望んでいるような話は持ち合わせていなかった。セイラム自身には浮いた話はないが、一つ思い当たる節があった。

「そういえば、宮廷医の先生がお見合いをするかもしれないと言っていましたよ。ほら、あの、眼鏡を掛けた――」


「「えっ」」


 リドリーが勢いよく身体を起こしたのはまだ解るのだが、なぜかベルナートまでもが驚いた反応を寄越してきた。

「まさか、またどこかで戦争が起きるのか?」

「いや、魔王様は戦争しないって言ってるんだし、もうちょっと平和的なヤツだろ。墓場とか」

「?」

 見合いだと言ったにも拘らず、何事か議論を始めた二人の口からは不穏な単語が飛び交った。

「相手はどこの誰だか聞いたか?」

「いえ、そこまでは……実際にお見合いするかは迷っているとは言ってましたが」

「ん、迷ってる? もしかして本気で結婚するかしないかって話なのか? てことは普通に女のヒトとの見合いか」

 他にどんな見合いがあると言うのだろうか。セイラムが一人話について行けずにいると、詰所の扉を叩く音が聴こえた。


「こんにちわー。ベルおじさんいますかー?」


 扉の隙間から顔を覗かせたのは小さな女の子だった。

「あれ? 珍しいなメリエルちゃん。こんな所に来るなんて」

 メリエルはとある事情で魔族と共に王城で暮らしている人間の少女だ。鋼鉄の兵士達とは友好的な関係ではあるが、リドリーの指摘通り詰所までやって来るのは珍しいことだった。

「あのね、ベルおじさんにえほんをかえしにきたの」

「娘のために買っていた本だが、しばらく帰れそうにないのでな。読んでもらって先に感想を聞いておこうと思ったんだ」

 椅子に座ったまま前屈みになり、子供の視線に高さを合わせてから差し出された本を受け取った。

「どうだった、面白かったかい?」

「うん、まおーさんによんでもらったの。リスさんがね、すごくこわがりだけどがんばっててね、おもしろかったよ」

「それはよかった。メリエルちゃんがそう言うなら、きっと娘も喜んで読んでくれるよ」


 礼を言ったベルナートから茶請けの菓子を受け取ると、メリエルは来た時と同じように元気に挨拶をして詰所から出て行った。


「メリエルちゃんも、いずれはお嫁に行っちゃうのかね」

 親子のような二人のやり取りを見ていたリドリーがぽつりと呟いた。

「あの子は人間ですから、あっという間でしょうね」

 長命の魔族の目から見れば人間の成長は驚く程に早い。捕虜のような立場のメリエルがどこかに嫁いでいくのを見届けることが出来るかどうか疑問ではあったが、否定はしなかった。

「その場合、誰が『娘はやらん』って父親の役割をやるんだろうな。魔王様か?」

「ははっ、まさか……」

 セイラムが苦笑を洩らすと、対面からめき、と何かが折れる音が響いた。


「俺が許さん」


 ベルナートがただでさえ強面の顔を思い切り強張らせて、地の底から響くような声を発した。

「落ち着けベルさん、メリエルちゃんはアンタの娘じゃない。あと、本の表紙折れてるから」

「次の休みには絶対に娘さんの所に帰れるように、自分たちも頑張りますから……」

 リドリーとセイラムの二人は、娘にプレゼントする絵本をへし折るベルナートをやんわりと宥めた。ベルナートも他人のことは言えず、相当に疲れが溜まっているようである。



 先程メリエルが出て行ってから数分後、再びノックの音が聴こえた。


「どぉも、失礼するよぉ」

「先生?」


 メリエルが忘れ物でもして戻ってきたのだろうか思ったが、詰所に入ってきたのは件の医者だった。

「うっかりしていたよぉ、君に薬を渡すのを忘れていた。これ、化膿止めね。毎食後に水で飲んでねぇ」

「あ、わざわざすみません」

 そう言って片手でセイラムに小さな紙袋を差し出した。もう片方の手には、大事そうに白い壷が抱えられているのが目に留まった。

「その壷、何ですか?」

「これ? 骨壷だよ。ボクの愛するヒトが入っているんだ」

「骨……」

 壷を抱えた本人は何でもないことのように反応したが、セイラムはその反応に少なからず衝撃を受けた。

「レノン先生ー、見合いするかもってマジですか?」

 セイラムが紙袋を受け取ったまま固まっていると、リドリーが横から医者に声を掛けた。

「ああ、うん。本当にするかはまだ決めてないけど、マジだよぉ」

「……『レノン』?」

 聞き覚えのある名前で『先生』のことを呼んだことに気付いて、セイラムはリドリーの方を見た。

「あれ、先生の名前知らなかったのか?レノン先生はあの有名な死霊つか――……って、何泣いてんだセイラムくん」

 リドリーはセイラムがぼろぼろと目から涙を零しているのを見てぎょっとした。



 セイラムは医務室で医者から聞いた話を思い出し、その話の真の意味を理解して涙した。

 いくら愛していたとしても、相手がすでに小さな壷に納まってしまっていては二人の間に子を残すことは叶わない。

 それでもこの先生は壷の中の恋人に愛を誓い続けているのかと思うと、涙が止まらなかった。



「すみません……こういう話に弱くて……」

「なんっか、勘違いしてないか?」

 リドリーの呟きは耳に入らず、セイラムは洟を啜り上げるとレノンの手を取りしっかりと握り締めた。

「先生、自分は先生を応援します! 親御さんには申し訳ないかもしれませんが、愛しているヒトがいるのであれば、その愛を貫くべきだと思います!」

 レノンはセイラムの真剣な様子に少し驚いた顔をしたが、それはすぐに穏やかな微笑みに変わった。

「そうかい? ……そうだねぇ、そう言ってくれて嬉しいよ。自分の意思を大切にしないとねぇ」

「はいっ!」


 熱く盛り上がる後輩兵士の姿を横目に、リドリーは呆れた顔になった。

「『死霊使い』のこと、ちゃんと教えてやるべきか……?」

「セイラムも少し疲れが溜まっているようだ。もう少し待ってやれ」



 セイラムが『レノン』の名をどこで聞いたのか思い出したのは翌日の朝礼でのことだった。

 ついでにリドリーの話でレノンがかの有名な『死霊使い』であることを知ったのだが――


「先生が死霊使い?! ……そうか、きっと色々と思うところがあったんでしょうね……!」


 話を聴いたセイラムの頭の中で新たなドラマが展開されたのはまた別の話である。




 *




「見合い? アンタ見合いすんの?」


 レノンと連れ立って廊下を歩いていた訛り口調の魔女は、彼の話を聴いて驚いた反応をした。

「そういう話があったのだけどねぇ、やめることにしたよ。兵士さんの一人に愛を貫けと諭されてしまってねぇ」

 そう言うレノンの機嫌はすこぶる良さそうだ。その手には、しっかりと骨壷が抱えられている。

「……つーか、アンタ生きてる女に興味あるん?」

「もちろんだとも。同じ種の異性に惹かれるのは生物の本能だよ。過去にはちゃんとお付き合いしていた経験もあるし、良いヒトがいれば喜んで結婚だってするさぁ」

「ふーん……」

 魔女は、胡散臭そうな目付きで隣を歩く男とその手の骨壷を見比べた。


「ただ、今は彼女『たち』以上の魅力を持ったヒトに出会えていないだけなのだよ!」


「……んなことやろうと思うたわ」

 うっとりと骨壷に頬擦りするレノンから目を逸らし、とてもついて行けないという風に嘆息した。

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