親の七光り
拠点の警護を主体としている『鋼鉄』の兵士の仕事に昼も夜もありはしない。
ここ魔王城での勤務も例に漏れず、一日の間に城内で見回りの兵士の姿を見ない時間帯はない。鋼鉄の兵士に『休業』の文字は存在しないのである。
とはいえそれは鋼鉄の兵士全体を見ての話であり、各個には当然ながら休息の時間というものが設けられている。
休める時にしっかりと身体を休めておくというのも、仕事の一環だと言えよう。
休憩中の行動は特に制限されてはいないが、不測の事態に備えほとんどの者は兵士詰所でその時間を過ごす。
「お二人さん、茶ァ入れるけど飲むかーい?」
詰所で休憩中の兵士リドリーは茶筒を軽く掲げ、同じく休憩中の兵士に声を掛けた。堅苦しく重い鎧を脱ぎ、勤務中は一つに束ねている長い金髪は下ろされていた。
「あ、はい。頂きます」
同じく休憩中で鎧を脱ぎ、椅子に座って寛いでいた後輩兵士のセイラムが答える。
「俺も頂こう――そういえば菓子があるんだが、食べるか?」
テーブルを挟んで対面に座っていたベルナートは、そう言って椅子の背にかけていたベルトポーチの中を探った。これは兵士が応急処置用の包帯や傷薬を入れて普段身に着けている物だ。そこからカラフルな紙に包まれた菓子を取り出してテーブルの上に置いた。
「持ち歩いてるんですか……?」
「メリエルちゃん用だよなー?」
強面の先輩兵士の鞄から妙に可愛らしい物が出てきたぞとセイラムは訝しがったが、カップを用意しながら会話に参加したリドリーの言葉ですぐに納得した。
メリエルは魔族の王の居城である魔王城内に存在している二人の人間の内の一人の名前である。魔族の脅威となり得る『聖女』として捕らえられた身であるが、現在はその幼さと人見知りをしない明るい性格から城内のアイドル的存在になっている。特に、ベルナートのように家庭を持ってはいるが滅多に家には帰れず、父性を持て余しているお父さん方に人気だ。勤務の合間にメリエルの姿を見付け、菓子を与えている兵士の姿はここではそう珍しい光景ではない。
リドリーの指摘に、ベルナートは恥ずかしさを誤魔化すように一つ咳払いをした。
その間にもリドリーは茶を入れる用意を着々と整えている。湯を沸かし、カップを揃え、ティーポットの蓋を開け、茶筒の蓋を開ける。
「あ」
リドリーが何かに気付いたように声を発した。
何事かあったのだろうかとセイラムが尋ねようとした瞬間、詰所の扉が勢いよく開かれると共に切羽詰った声が飛び込んできた。
「大変だ! 手を貸してくれ!」
「「アレックスか!?」」
詰所の三人は声を揃えて城内に存在する二人目の人間の名前を叫んでいた。ほとんど反射的に、である。
「い、いや、今回はそうじゃないんだ」
それなりに平和な魔王城内において、起こり得る最大にしてほぼ唯一と言える事件は地下牢に捕らえられたアレックス――鋼鉄内では『悪鬼』の名が定着している――の脱獄である。そうではないと知り、三人は安堵の息を吐いた。しかしそうではないにしても、飛び込んできた兵士は異様に慌てていた。
「何があった?」
立ち上がり、すぐに動けるよう準備をしながらベルナートが尋ねる。
「それが、城門に突然グライヴ様がいらっしゃって――……」
「グライヴ様が?!」
魔王城に転属されてから日が浅くまだ判らないでいることも多いセイラムだが、さすがにこの名前には即座に反応を示した。否、兵士でなくとも、この名に反応を示さない魔族はいないだろう。
先代魔王、グライヴ。
暴虐の限りを尽くし『略奪の魔王』として人間からも同族からも畏怖された魔王の中の魔王。
息子へと王位を譲った後、王城の外で隠居生活を送っているという話は耳にしていた。
「視察でしょうか……?」
「しかしグライヴ様は退位された後、全ての権限を放棄されたと聞くが……」
つまり見に来たところで政に口を出す権利は持っていないということだ。しかし相手はかつて略奪の魔王として恐れられた人物。どんな無理を押し通してくるか判ったものではない。
「元々政治に口を出すような方ではないし、ああいう性格の御方だ。心配するようなことはないだろうけど、急にここに来るってのは一体……?」
このような事態は初めてのことであるらしく、ベルナートもリドリーも困惑している様子だ。
「盛り上がってるところ悪いが、そういった用事ではなさそうだぞ」
扉を押し開いた体勢のままの兵士が、すまなさそうに口を挟む。
「すまない、余計な推測で腰を折ってしまったな。報告の続きを頼む」
「ああ、それが――」
ベルナートに促され、兵士は報告の続きを口にする。
「お裾分けに来たらしいんだ」
「「……は?」」
またしても、三人の声が揃った。
略奪の魔王のお裾分け。なにやら、略奪品の分配を連想させるフレーズである。
不穏な想像を余所に略奪の魔王のお裾分けは、そのまま一般的に想像されるお裾分けの内容であった。
「うっかり調子に乗って作り過ぎてしまってな。お裾分けに来た次第だ。皆で食すがよいぞ!」
元魔王は、お決まりとも言える文句を尊大な口調でのたもうた。
グライヴが持ち込んだ物の多くは、自身が畑で育てたという野菜だった。
お裾分けの品としてはごく普通だ。しかし、その量はお裾分けというには膨大であった。荷車一杯に木箱が積まれている。お裾分けと言うよりはセイラム達が応援に呼ばれた理由も納得の、出荷レベルの物量だ。
本来は牛やロバに引かせる荷車であるはずだが、それを引いてきた動物の姿は見当たらない。門番の兵士曰く、これはグライヴ本人が一人で引いてきた物であるらしい。しかも片手で。
そのことにも驚かされたが、それよりもセイラムが驚いたのはグライヴの格好だった。麦藁帽子に手ぬぐい、農作業用の手袋とブーツ、色の抜けたオーバーオール。およそ元魔王に相応しい格好であるとは思えなかったが、城に飾ってある肖像画で顔を見知っていたため顔を見てグライヴその人であると判断することが出来た。恐れ多くて口には出せないが、遠目に見て顔を判断出来るまでは完全に行商に来た農家のおじさんだと思っていた。
「とりあえず、葉物の野菜は厨房へ運んでくれ。保存の利く物は貯蔵庫に頼む」
応援を要請してきた兵士に指示されて、三人は荷車の上の荷物に取り付いた。
「にしても、すごい量ですね。さすがに作り過ぎじゃないですか?」
リドリーが荷物とグライヴの姿を見比べてそう言ったのを聴いて、セイラムはぎょっとした。いくら見た目は農家のおっさんでも、かつては略奪の魔王と呼ばれていた人物だ。そんなに気安く話しかけて話し掛けて無事に済むのだろうか。
セイラムの心配は、豪快な笑い声に掻き消された。
「あっはっは! 何分精力だけは有り余っておるものでな、趣味であれもこれもと手を出しておったら気付けばこの様よ」
現役時代、侵攻を繰り返し領地拡大し続けていたグライヴは、引退後は農地を拡大させているようだ。
「ということはもしや、こちらの加工品もご自身で?」
仕分けのために木箱の中身を検めていたベルナートが尋ねる。木箱には瓶詰めのピクルスとベーコンやソーセージといった食肉加工品が詰められていた。
「うむ、最近ハーブの栽培にもこだわり始めてな。そのソーセージなんぞはハーブの配合にこだわった自信作であるぞ。余のソーセージを味わうがよい」
略奪の魔王のこだわりソーセージ。ハーブの配合よりも何の肉が使われているのかが気になってしまうのは考え過ぎだろうか。
「……ふむ、余のソーセージを食らえというのは何やら卑猥な言い回しであったな。はっはっは」
それについても少し考えたが、突っ込むべきか迷う前にグライヴ自身が自らネタにしたので少し助かった。代わりに元魔王の口から飛び出した下品な冗談を笑うべきかを迷う羽目になってしまったのだが、結局は口を開くことなく木箱を抱え上げた。
「む? そこな若者は初めて見る顔であるな」
ふいにそう言ったグライヴの視線が自分の方に向いていることに気付いて、セイラムは木箱を抱えたまま慌てて背筋を伸ばして向き直った。
「は、はい! 今期転属されてきたばかりであります!」
「ふむ、そう畏まる必要はないぞ? 今の余は、大層な肩書きなぞ何も持たぬただのおっさんぞ」
「そ、そのように申されましても……」
反応に困る。まさか本当におっさん呼ばわりする訳にもいくまい。
「まあ、真面目で元気が良いのは好いことだ。慣れぬことも多かろうが、我が息子のためにどうか力を貸してやってくれ」
そう言って農夫にしか見えない自称おっさんの元魔王は、幼子を愛でるような表情で笑って見せた。
「――なんだか、凄い御方でしたね」
詰所に戻ったセイラムは、初めて直に略奪の魔王の姿を目にした感想を述べた。
「もっと、近寄り難くて恐ろしい方だと思っていました」
「人間から見れば恐ろしいことには違いないが、思っていたより豪快で気さくな人だったろ?」
薬缶の湯を沸かし直しながらリドリーが言った。その言葉に同意する。
「はい。しかも、自分のような一兵士にまで気を配ってくださって…思っていたよりも、ずっと大きな御方でした」
「あの方は国民の総てを自分の子のように思っておられるからな。総ての父と母の、そのまた親のような存在だ」
一児の父であるベルナートがそう言うと、益々大きなものに感じられる。
「しっかし、オーバーオールに麦藁帽子ってのはイメージ変わり過ぎだったけどなー」
さすがに現役時代からあの格好をしていた訳ではなかったらしい。ベルナートも同意している。違和感を持っていたのは自分だけではなかったと知ってセイラムは少し安心した。
「あの方はどこへ向かおうとしているのだろうか……?」
「国内の食料自給率を一人で賄おうとしてるのかもな」
「あの方ならやり兼ねんな……」
「……ですね」
スケールの大き過ぎる話であるが、グライヴならばリドリーの冗談を真実にしてしまうくらい造作もないことのように思えた。
「ま、それならそれで俺らもその恩恵に与かろうや」
そう言ってリドリーは湯気の立つカップをセイラムとベルナートに配った。若葉の香るグリーンティーだ。
「いい香りですね、これ」
「ああ、それもグライヴ様のお手製」
丁度茶葉を切らしていたので、これ幸いと木箱からくすねてきたらしい。
「茶畑まで作ってるんですか…」
「本気で農業大国を作ろうとしているのだろうか…」
ともあれ元魔王の作ったお茶は、ベルナートがくれた甘い菓子によく合ったのだった。