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季下の冠

 その日、セイラムの心中は穏やかだった。


 セイラムは、地下牢から比較的離れた場所を巡回していた。

 城内の見回りは鋼鉄の兵士にとって基本的な仕事なのだが、各場所の巡回担当は負担を分散させるためにローテーションでシフトを組まれている。

 城内で担当者の負担が最も大きい場所が地下牢付近。ここは戦場であれば最前線の激戦区と言える。

 地下牢から玉座の間、あるいは魔王の執務室へと繋がる道筋も危険である。激戦区への援軍を要請されることはしばしばであり、時には奇襲を仕掛けられる場合もある。

 それらの場所と比較して、この日セイラムが巡回する場所は安全地帯であった。もちろん予想外に戦域が拡大した場合は戦いを避けることは出来ないが、激戦区からの要請がここまで届いてくることはそう滅多にない。


 セイラムは、束の間の平和を堪能していた。

 掃除のためにメイドたちが開け放った窓からは、心地よい風と鳥の鳴き声が流れ込んでくる。足を止めて外へと目をやると、二匹の蝶が戯れるように舞っているのが見えた。


(平和だ……)


 見回り場所が替わるだけで、この城はこんなにも平和になるのかと感動すら覚える。

 思わず欠伸が出そうになって、仕事中であったことを思い出しそれを噛み殺した。城内をただぶらぶらと歩き回ることが仕事ではない。異常がないかを見回り、有事に備えることが兵士の仕事なのだ。

 セイラムは自分に気合を入れ直すと、周囲の様子に気を配りながら巡回を再開した。


「ひゃんっ!」

「わっ?」


 角を曲がろうとした瞬間、腰の辺りに何かがぶつかってきた。

 驚いて視線を落とすと、小さな女の子が床に尻餅をついて倒れ込んでいた。

(子供? なんでこんな所に……)

 王城は一般の子供が好き勝手に歩き回っていいような場所ではない。当然の疑問がセイラムの頭をよぎったが、そんなことよりもまず気にしなければならない事柄に気付き、慌てて身を屈めた。

「ご、ごめん。大丈夫?」

 女の子の手を引いて立ち上がらせると、ワンピースの裾に付いた埃を手で払ってやった。

「うん、だいじょーぶだよ。メリエルもごめんなさい。はしってて、まえをちゃんとみてなかったの」

 女の子は素直に自分の非を認めて謝った。小さいのによく出来た子だ、とセイラムは感心した。

「危ないからあんまり走っちゃダメだよ。あと、角を曲がる時は特に気を付けないと」

「うん、きをつけるね。ありがと、おにーさん」

 にっこりと笑って、女の子はあまりスピードを出さず小走りでセイラムの横を通り過ぎて行った。その進行方向に、先輩兵士であるリドリーの姿を見付けた。

「よっ、メリエルちゃんおでかけ?」

「うん、まおーさんのとこにいくの」

 慣れた様子で手を振り合って、リドリーと女の子がすれ違う。

(まおーさんって……魔王さん? いや、まさかな……)

 魔王との謁見が気軽に叶う人物というのはそうそういるものではない。よほど魔王に近しい者なのだとして――魔王の子供か? と思ったが、セイラムは即座に首を横に振った。確か新しい魔王は独身であったはずだ。隠し子の可能性も考えたが、新王絡みのスキャンダラスな噂の類は耳にしたことがなかった。


(それ以前に、あの子……)


「あの、リドリーさん」

「ん、どうした?」

 姿が見えなくなるまで手をひらひらと振り続けていたリドリーは、セイラムに呼びかけられてそちらの方に向き直った。

「今の子……人間ですよね? 何故、人間の女の子が城の中を自由に歩き回っているのですか?」 

 色々と気になることは多かったが、目下一番の疑問はそれであった。現在魔王軍は人間領への侵攻を停止しているが、それで永きに渡って刻み続けられてきた種族間の溝を修復できた訳ではない。魔族を統べる魔王の居城を人間の子供が一人で歩き回り、周囲がそれを許容しているというのは、セイラムにしてみれば異様な光景であった。

「へぇ、すごいな。よくあの子が人間だって判ったな」

 魔族と人間の見た目にはほとんど差異がない。判別するには、一般的に魔力の質の違いを感じ取る必要があるとされている。それも万人に出来ることではなく、魔術の才がなければ難しいことだ。初対面であるはずの子供の種族を見極めたセイラムに、リドリーは素直に感心していた。

「魔力の質とか、そういうのはよく判らないんですが、なんとなく判るんです……――いえ、自分のことはいいんです。それより……」

「ああ、メリエルちゃんのことな。あの子はいいんだよ。魔王様直々のお達しで、自由にさせていいことになってる」

 セイラムはリドリーが質問の答えをはぐらかそうとしているのではないかと一瞬思ったが、そんなことはなかったようだ。

「一体、あの子は何者なんですか?」

「ん? 魔王様を滅ぼす運命を持つと予言された聖女様だよ」

 さらりととんでもないことを言われ、セイラムはあんぐりと口を開けた。

「も、ものすごい重要人物じゃないですか! それになんですか、その予言って?!」

「大きい声出すなって。……そっか、セイラムくんはここに来たばかりだから予言のことも知らないのか」


 『聖女と崇められし少女は神の子を孕む。神の加護を受けし聖女の第一子により、黒き魔王は滅ぼされるだろう』


 新王即位の日に詠まれた滅びの予言。この予言を回避するべく魔族は先手を打って聖女を攫い、身柄を確保することに成功した。

 当初聖女の存在は人質として利用される予定であったが実現されることはなく、誘拐の事実どころか聖女の存在そのものが秘匿された。城内にいる者たちにとっては周知の事実であるが、城の外では知られていたとしても精々信憑性のない風の噂程度にしか伝わっていない。


「なんでも魔王様が戦争しないって言い出したのも、あの聖女様が関係してるって話だ」

 リドリーはセイラムに聖女と予言について簡単に説明すると、そう締めくくった。

 セイラムの顔が、少し険しいものになる。

「それは、魔王様が聖女に懐柔されたとは考えられないのですか? だとすれば尚のこと、あの子を自由にさせておくのは問題があると思うのですが……」

「さぁなー。俺たち下っ端には詳しい話は伝わってきてないからな、何があったかまでは判らないさ。……けどセイラムくん、お前にはあの子がそんなに危険に見えたか?」

「……いえ」

 正直なところ、セイラムの目には聖女の姿は普通の人間の子供にしか見えなかった。それどころか人間だと気付くまでは魔族の子供となんら変わりない――ただの『子供』にしか見えなかった。

「俺にはあの子は普通の女の子にしか見えないが、重要人物だってのは確かだ。人間だと気付いた時点でいきなり斬りかかるようなことをしなかったのは正解だったな。んなことしてたら首が飛んでたぞ」

「そ、そんなことしません! 相手は子供ですよ!?」

 いくら相手が人間であったとしても、相手は年端も行かない子供である。無抵抗な者に斬りかかるなどという行為はヒトとして、誇りある鋼鉄の兵士としてするはずがなかった。

「ま、その反応が正解か」

 セイラムの必死な様子を見て、リドリーは締まりのない顔で笑った。

「ですが、ただの子供でも人間を善く思わない者もいるのでは? やはり自由にさせておくことには問題があると思います……」

 聖女が魔族に害を与えることはなくとも、魔族が聖女に害を為す可能性が残る。

「心配するな、あの子にはちゃんと護衛が付いてる」

「護衛って」

 先程聖女とすれ違った際、そんなものの姿は見当たらなかった。詳しく尋ねようとした瞬間、リドリーはセイラムの首の後ろに腕を回してきた。周りを憚るように上体を屈め、声を潜める。

「それに、メリエルちゃんは結構人気者だぞ? ここだけの話、一部では性の捌け口になってるくらいだ」

「せ、性?!」

 思わず大きな声を出してしまい、慌てて声のボリュームを落とした。

「あ、相手はまだ子供ですよ?」

「バカだな、まだ子供だからイイって奴もいるんだよ」

 リドリーがにやりと笑う。聖女が魔族に受け入れられていることは良いことなのかもしれないが、それはそれで大問題である。

 しばらくぐるぐると思考を回していたセイラムであるが、ふとリドリーが静かになったことに気付き、すぐ横の顔に視線を向けた。


「!?」


 リドリーは引き攣った顔で固まっていた。そしてその喉元からは銀色の刃が伸び、その切っ先はセイラムに向いていた。

 何者かが背後からリドリーの喉元に刃物を押し付けていた。

「や、やだなぁ……冗談ですよ、冗談……」

「そういう冗談は後輩よりも先に、まず自分の首を飛ばすことになるぞ?」

 なんとか声を絞り出したリドリーに、女性の声が返す。どうやら先程からの二人の会話の内容を伺っていたようだが、会話中に通路に人影は見当たらなかった。気配を感じさせることなく様子を伺い、接近されていた事実にセイラムは冷や汗を流した。

「ふん、まぁいいだろう」

 喉元から完全に刃物が離されたのを確認してから、二人はゆっくりと上体を起こし、振り返った。

 そこに立っていたのは若草色の髪を短く切りそろえた女性だった。褐色の肌が印象的だが、セイラムは大きく開かれた衣服から覗く胸よりも、それを包む深緑の装束に目を奪われていた。

「た、玉鋼(たまはがね)…!?」

 それは特殊隠密部隊『玉鋼』のシノビが纏う、独特の衣服だった。玉鋼のシノビは滅多に人前に姿を現すことのない、文字通り『特殊』な部隊の兵士だ。同じ兵士でありながら、セイラムはその姿を実際に目にするのは初めてであった。

「あー、セイラムくん、このおねーさんがさっき言ってた聖女様の護衛な」

「貴様のようなでかい男におねーさんなどと呼ばれる謂れはない!」

 リドリーは先程の発言を誤魔化すように女性をそう紹介したが、シノビの女性はそれを突っぱねた。セイラムの目から見てリドリーは『でかい』と言うほど大柄という風には見えなかった。女性の方はというと、特別小さいという訳でもない。もちろん男と女では体格に差が生じるが、この女性は体格差に対して何かコンプレックスでも抱いているのだろうか。

「今日のところは不問にしておいてやるが、今後軽率な言動は慎むことだな。私には不穏分子を抹殺するくらいの権限は与えられている……覚悟をしておけ」

 そう言うと女性は、瞬きをする間に姿を消していた。

 緊張状態が解かれ、リドリーは大きく息を吐く。

「あーびっくりしたー……まさか聞かれてたとはなぁ」

「あの……さっきの話って、本当に冗談なんですよね?」

 話が真実であるとすれば、リドリーはともかく聖女に手を出した人物はただでは済まないだろう。先程の女性の剣幕からすれば、確実に抹殺される。

 リドリーは降参だとでも言うように両手を挙げた。

「それ以上は訊くな。俺も命が惜しいんでな」

「え、ちょ……リドリーさん?」

 ただ一言『冗談』だと言ってくれれば事は済んだのだが、リドリーは逃げるようにその場を去っていった。

 残されたセイラムは、不安に駆られてまたぐるぐると思考を回すことになった。





 初めて聖女に出会ってから数日、それからは至る所でその姿を見かけるようになった。

 中庭を駆け回ったり、メイドたちにお菓子を貰ったりしている姿をよく見かけた。さすがに城の外に出ようとしていたのは止められていたようだが、人間の少女と城の中の魔族たちの関係は良好のようだ。

(なんかいいな、こういうの)

 セイラムはその光景を遠巻きに眺めながら、過去に想いを馳せた。



 セイラムは、国境となる森の近くにある小さな農村で生まれ育った。

 大人たちは子供が森に入ることを禁じていたが、森は子供たちにとって天然の遊び場だった。セイラムは大人たちの目を盗み、よく森の中に遊びに行っていた。そしてそこで別の村の出身だという子供たちに出会い、一緒に遊ぶようになった。その時は気付くことがなかったが、その子供たちは人間だった。

 国境近くの村だということもあり、その後も人間の姿を見かけることは間々あった。セイラムが魔族と人間を見分けることが出来るようになったのは、そんな生活環境で自然と身に付いた特技であった。


 大人になり、セイラムは兵士になった。


 ヒトを守ることの出来る職に就きたくて選んだ道であったが、その中で人間と刃を交えることは避けられなかった。顔見知りが、人間に殺されたこともあった。

 しかしセイラムには、人間を憎しみの対象として見ることは出来なかった。

 過去の思い出を忘れることが出来なかった。

 一緒に遊んでいる相手が人間であると知らなかった子供の頃は、魔族だとか人間だとか、そんなものは関係がなかった――いや、本当は薄々気付いてはいた。相手もそうだったかもしれない。けれどやはり、種族なんて関係はなかった。



(あの頃の関係を、もう一度築けることが出来たら―――)

 聖女だという人間の女の子の姿を見て、セイラムはそんなことを思う。

(もしかしたら魔王様も、同じようなことを考えたのかもしれない)

 王の考える事を一介の兵士が推し量ろうなどと、おこがましい話かもしれない。けれどそうだったらどんなにいいだろうと、セイラムは薄く笑みを零した。


「ん?」


 現実に意識を戻すと、見慣れた姿が聖女の傍にあった。がたいの良い身体を小さく折り畳んで子供の視線に高さを合わせ、強面の顔を柔和に緩ませた見知った先輩兵士。

「ベルナートさん?」

 セイラムが声を掛けると、ベルナートは慌てた様子で立ち上がり、ピンと背筋を伸ばした。

「あ、いや、これはその」

 後輩に締りのない姿を見られたことが恥ずかしいのかしどろもどろになるその足元で、聖女はにこにこと顔を綻ばせていた。ベルナートは誤魔化すように、ゴホンと一つ咳払いをした。

「……娘が、丁度このくらいなんだ……」

「はぁ」

 いまいち言い訳にもなっていないような言い訳をして、ベルナートはそそくさと持ち場に戻ろうとした。

「おしごとがんばってねー」

 聖女がその後姿に声を掛け、ベルナートは少しだけ振り返って手を振った。

 ベルナートに娘がいるという話は聞いていたが、いかつい見た目に似合わず結構子供好きなようだ。実際に子供と接している姿を目にしてセイラムは微笑ましい気持ちになり、次いであることに気付いた。

「あ」

 一声発して視線を落とすと、聖女の南海の色の瞳と目が合った。


 兵士の中にはベルナートのように家族と離れて暮らし、何ヶ月も家に帰れないでいる者も多い。



 ――『性』の捌け口って、『父性』の捌け口か。



 小さな聖女様の存在は、兵士たちのやり場のない父性の行き着く先になっているようだった。

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