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九死に一生

 ある魔族は言う、それは持って生まれた己の力であると。

 ある人間は言う、それは神から貸し与えられた神秘の力であると。

 

 双方の言い分のどちらが正しいかなど誰にも判りはしない。ただ言えるのは、それは魔族にも人間にも等しく与えられた力であるということ。

 『魔術』それはヒトが潜在的に持つ力――魔力を糧として発動する超自然的な能力のこと。個人の魔力の保有量や扱いの得手不得手はあるが、魔族と人間の種族間での能力の隔たりはほとんどないと言っていい。

 地を揺らし、火を灯し、水を湧かせ、風を吹かせる。ヒトたちは与えられた力を、古くから等しく戦いの手段として使ってきた。


 しかし魔術は破壊の力だけが能ではない。医療の現場にもその力は用いられる。

 人体の組織を活性化させることで通常ならば完治に数週間の時を要す傷でも、ものの数分で治癒させることが出来る。

 しかし、多少の怪我や病気であれば安易に魔術に頼ろうなどと思う者はそう滅多にいない。一部、治癒術の使用を禁じている地域もある。


 例えば、骨が折れたとする。骨が折れる瞬間は一瞬だ。骨が折れれば当然ながら痛い。

 では、折れた骨が一瞬で治癒された場合はどうなるだろうか――




「んぎゃあああああああああああッッ!!」


 鋼鉄の兵士の一人であるリドリーは、大の男にあるまじき叫び声を上げた後、脱力してベッドへと身を沈めた。

「おやぁ、気絶しちゃったねぇ」

 仕事中に足の骨を折ったリドリーが後輩のセイラムの肩を借りて医務室を訪れたのがほんの数分前。ほんの数分で、リドリーの足は完全に治癒していた。

 リドリーが叫び声を上げたのは骨折の痛みが原因ではない。原因は魔術を使った治癒の苦痛によるものである。治癒の魔術は便利なように思えるが、断ち切られた骨や筋繊維が強引に繋がれていく痛みや痒み、あるいは皮膚の下で組織が己の意思とは関係なく蠢く不快感は尋常のものではない。加えて、本来ならば時間を掛けて自然治癒させるものを短期間で強引に治癒させているのだ、体力と気力の消耗も激しい。魔術での治療が推奨されない理由は、この辺りにある。

「うわぁ……」

 幸いなことに未だ治癒術の世話にはなったことのないセイラムは、先輩兵士の苦痛に悶える姿を目の当たりにして身震いをした。

 職業柄怪我の多い兵士たちは、治癒術の世話になることも多い。擦り傷、打ち身程度ならば自然治癒に頼るが、完治に数週間も掛かるような怪我の場合はそうはいかない。怪我をした本人たちとしては自然治癒に頼りたいところであるが、それを許してしまえばあっという間に兵員が足りなくなる。兵士たちには、多少無理をしてもらってでも即日復帰が望まれるのである。そのため兵士たちの間には『治癒(ヒーリング)されたくなければ怪我をするな』という格言が古くから伝わっている。


「とりあえず、彼は体力が戻るまで三日は安静にしておかないとねぇ。動けるようになるまで、ここで面倒見させてもらうよぉ」

「はい、よろしくお願いします、先生」

 セイラムはリドリーに治癒術を施した医者の男に頭を下げた。結局のところリドリーの足の怪我は一瞬で完治したが、三日間の絶対安静を余儀なくされた。魔術というものは、決して万能ではないということだ。

「それにしても、今日は満員御礼だねぇ」

 医務室の中は、負傷兵で満杯になっていた。リドリーの他にも、数名の兵士がベッドの上で再起不能になっている。

「獄中の悪鬼が荒れ狂っていたもので」

 ここ数日、鋼鉄の兵士たちはなんとかアレックス――通称は『サーシャ』というらしいが兵士たちは精神衛生を保つためにそう呼んでいる――の脱獄を阻止していた。兵士たちの善戦にアレックスは相当に苛立ち、日に日に攻防は激しさを増していた。それを聞いて、医者はのんびりとした口調で応える。

「ふーん、死人が出ないのが不思議だねぇ」

「ええ、まったくです……」

 本日二度目となる激闘を予期し、セイラムはげんなりとした表情でそう言った。




「リドリーの容態はどうだった?」

 医務室を出て一旦詰所に戻ると、強面の兵士がセイラムに声を掛けてきた。

「三日は動くことが出来ないそうです」

「そうか。では、奴が抜けた分は俺が牢の警備に回ろう」

「それはありがたいのですが……ベルナートさん、徹夜続きでお疲れなのでは?」

 ベルナートはセイラムが転属されてきた初日に、初めに声を掛けてきた兵士だ。初めは無愛想で厳しい人物だという印象を受けたが、今では面倒見が良く頼れる先輩だと認識を改めている。

「まぁ、少しは疲れているがな。今度の休みに、久しぶりに家に帰れることになった。家族のことを想えば、少しくらいの無理は利くさ」

 後輩の気遣いに、ベルナートは笑って応えて見せた。

「そうですか……そういえばベルナートさん、娘さんがいらっしゃるんですよね?」

「ああ、今が可愛い盛りだ。次に帰る時には目一杯遊んでやると約束していてな……俺、この連勤が終わったら娘と遊ぶんだ……」

「ベルナートさん……それ多分、口に出して言っちゃいけないヤツです……」

 所謂『(フラグ)が立つ』というものにならないことをセイラムは祈った。




 その日の午後、やはり二度目の牢破りは起きた。

 そしてやはり、悪鬼は荒れ狂っていた。


 地下牢を突破され、兵士たちは王城の通路でその進路を塞いでいた。

「正面からでは無理だ! お前たち、別のルートから背後に回れ! しばらくはここで俺が食い止める!」

 ベルナートの指示を受け、数名の兵士が脱獄犯に背を向けて走った。

「自分も残ります!」

 手薄になった正面を突破されてしまっては元も子もない。セイラムはベルナートの隣に立ち、剣を構えた。

「こちらからは手を出すな。なるべく時間を稼ぐんだ」

 ベルナートも剣を構え、残った兵士に指示を出す。しかしそんな都合は脱獄犯であるアレックスにとっては関係がない。アレックスは目の前の障害に向けて一気に踏み込む。

「はあッ!!」

「ぐう……ッ!!」

 振り下ろされた手刀を、ベルナートは剣で受け止めた。アレックスは素手であるにも拘わらず、魔力の刃を纏った腕は剣とぶつかり合い硬質な音を響かせた。

 アレックスは弾かれた腕を二度、三度と振るい、ベルナートはそれを受け流していく。

 ベルナート以外の兵士たちは動けないでいた。『手を出すな』という指示があったからだけではない、行動の幅が制限された通路で繰り広げられる激しい攻防に手を出す隙を見出せないでいるのだ。

 ベルナートの剣が大きく弾かれる。構え直そうと素早く振るった剣の切っ先が、壁に引っ掛かった。

「しま……っ!」

 ベルナートの動きが、一瞬遅れた。アレックスの勢いは止まらない。



 ――俺、この連勤が終わったら娘と遊ぶんだ……



 考えるより先に、セイラムは飛び出していた。

 攻防を続けていた二人の間に割り入り、ベルナートの身体を押しのける。

 横薙ぎに迫ってきた手刀が、鎧を突き抜けセイラムの横腹に衝撃を与える。


 骨が折れる嫌な音が聞こえたのと、セイラムの視界が暗転したのはほとんど同時だった。






「……ぁ……ぐ……」


 呻き声が聞こえて、セイラムは目を覚ました。

(あぁ、自分の声か……)

 目を覚ましてすぐ、呻き声は自分の喉から発せられ鼓膜に響いたものであったと認識した。そして、自分の身に何があったかを思い出す。

(そうだ、俺はベルナートさんを庇って……)

 寝起きの割に意識は冴えているが、視界はまだぼやけている。視界の端に金色のものが映り、セイラムはゆっくりと首を回した。それだけの動きをするのに、思うように身体が動かなかった。

(長い髪の……女のヒト……?)

 セイラムのすぐ隣に誰かが寝ていた。


「よ、目ぇ覚ましたかセイラムくん」

「ふおぁッ!?」


 隣に寝ていたのは金色の長い髪を下ろしたリドリーだった。

 反射的に身を起こそうとしたが、やはり身体が動かなかった。

「な……なんで一緒に寝てるんですか……?」

 想像力が妙な方向に働いてしまい身の危険を感じたが、動けないので抵抗のしようがない。背中が嫌な汗で湿る。

「別に俺も好きで添い寝してるワケじゃないっての。ベッドが全部埋まってるし、俺も動けないんだから仕方ないだろ」

 セイラムの動揺を察したのか、リドリーは呆れ顔でそう言った。

「そ、そうでしたか……すみません。ところで『俺も』ってことは、もしかして自分も……」

「ああ、(あばら)が折れてたらしいんで、魔術で治療してたぞ。よかったな、気失ってて」

 セイラムは先程から感じていた疲労感の理由に納得した。知らないうちに治療術を施され、体力を消耗していたらしい。既に気絶していたため、治癒の苦痛を味わわずに済んだようだ。


 二人の話し声に気付いたのか、仕切りに使われているカーテンを覗き込む者がいた。

「あぁ、目を覚ましたようだねぇ」

「先生」

 顔を覗かせたのは、眼鏡と白衣を身に着けた、のんびりとした口調で話す医者だった。

「ごめんねぇ、相ベッドで。空きが出来たらすぐ移動させてあげるからねぇ。身体に痛みは残ってないかい?」

 相席ならぬ相ベッドとは初めて聞く言葉である。

「はい、多分大丈夫です……身体が動かないのでよく判りませんが……」

「う~ん……じゃあ多分大丈夫なんだろうねぇ。君の怪我、ちょっと危なかったんだよぉ?もう少しで骨が内臓に刺さって死ぬところだったんだから……惜しかったねぇ」

 そう言って医者は他の患者の診察へと向かっていった。言い回しに違和感を持ったが、おそらく気のせいだろう。やはりまだ少し意識もはっきりしていないようだとセイラムは思った。


「そういえば、先生の顔を見て思い出したんですけど……気を失っている間、夢を見ていた気がします」

「夢? どんな?」

 寝てばかりで退屈だったのか、リドリーはすぐにセイラムの話に興味を持った。

「はっきりとは憶えてないんですが……自分は川沿いを歩いていて、向こう岸には綺麗な花畑が広がっていて……」

「それって、夢というより臨死体験というヤツじゃないのか? 対岸で死んだおばあちゃんが手招きでもしてたか?」

 先程の医者が言っていた通り、かなり危ない状態であったらしい。

「ウチのおばあちゃんまだ元気ですよ。いや、そうじゃなくて――……」

 確かに対岸にヒトがいることはいたんですけど、と前置きしてセイラムは話を続けた。

「そのヒトっていうのが、さっきの先生だった気がするんですよね。両手を広げて『おいでー』って感じで……」

 身振り手振りが出来ないので言葉だけでなんとか状況を説明した。

「…………」

 セイラムの話を聞いて、リドリーは黙ってしまった。

「あれ、どういう意味だったんでしょうか?」

「…………まぁ、行かなくて正解だったんじゃないか?」

 そこに生者がいた以上、対岸が死後の世界であったとはセイラムには思えなかったが、リドリーは意味深な答えを返してきた。

 そういえば午前中にあの先生と死人がどうのといった話をしたなということを思い出し、奇妙な夢を見たのはそれが原因であるとセイラムは結論付けた。



「二人とも、具合はどうだ?」

 しばらくして、今度はベルナートがカーテンから強面を覗かせた。

「一段落ついたんでな、見舞いと――それから、謝罪に来た」

「謝罪?」

 リドリーが首を傾げる。身体が思うように動かないので、実際には傾げた『つもり』である。

「セイラムの怪我は俺の所為だ。俺に責任がある。本当にすまなかった」

 深々と頭を下げるベルナートの姿に、セイラムは慌てふためく。

「ちょ……っ、やめてくださいベルナートさん! あれは俺がよく考えもせずに行動した結果の、自業自得の怪我です! ベルナートさんの責任ではありません!」

 強引にでも頭を上げさせてやりたいが、動かない身体ではそうすることも叶わない。

「いや、しかし……」

「別に、どっちもそう気にすることじゃないんじゃないか?」

 尚も謝罪の言葉を口にしようとするベルナートに被せて、リドリーが横から口を挟んだ。

「リドリーさん?」

「リドリー?」

 セイラムは首を回し、ベルナートは頭を上げてリドリーを見た。

「俺たち兵士は傷付いてなんぼの商売だ。怪我のひとつやふたつはして当然。ましてそれが誰かを守って付いた傷なら、誇ることが出来る。傷は男の勲章、ってヤツさ……まぁ、痕は残ってないけどな」

 確かに、治癒術のお陰でその傷痕は残ってはいない。けれど誰かを守ったことも、誰かに守られたこともお互いに憶えていた。

 リドリーの言葉を聞いて、ベルナートの表情が和らいだ。

「リドリーの言う通りかもしれんな……恩人の誇りを、助けられた俺が穢すわけにはいかない――ありがとう、セイラム。感謝している」

「いえ……光栄です!」

 二人は、お互いに感謝の言葉を口にした。




「それで、あの後警備の方はどうなりました?」

 途中で気を失ってしまったセイラムは、その後無事に事態を収拾することが出来たかどうかが気に掛かっていた。椅子に腰掛けたベルナートに尋ねる。

「ああ、なんとか奴を取り押さえることは出来た。だが、被害も大きく出てしまった」

「そういやセイラムくんが運び込まれた後、叫び声がうるさかったな」

 つまり、魔術での治療が必要なほどの重傷者が多く出たということだ。

「動ける兵が減ってしまったからな、しばらくは残った者たちで踏ん張らねばならん」

「え……っ、ということは、娘さんとの約束は……」

 ベルナートから聞いた話を思い出し、嫌な予感がした。

「そうだな……しばらくは、家に帰れそうにないな」

 ベルナートは、遠い目で宙を仰いだ。


「す……すみません……」

「なんか……悪い」


 動けない兵士その一、その二のセイラムとリドリーは、思わず謝罪の言葉を口にした。

「いや、平気だ……家族のことを想えば……大丈夫、大丈夫だ……」

 自分に言い聞かせるように呟き続けるベルナートの姿は、とても大丈夫そうには見えなかった。



 結果、セイラムはベルナートの命を守ることは出来たが、その休日を守ることは出来なかった。


 ベルナートの旗は、命ではなく休日を賭けたものだったようだ。

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