根も葉もない
先日、王城を警備する鋼鉄の兵士達は大きな変化を目の当たりにした。
王城の地下牢に囚われた人間アレクサンドル、通称アレックス、本人曰くサーシャ。性別としては間違いなく『男性』である人物でだが、その顔立ちは愛らしく女性と見紛うほどである。そして当人もそれを自覚しているらしく、外見的にも内面的にも『女性』として振舞っていた。
しかし女性的な面を持ちながらも性格は直情径行で猪突猛進。戦闘能力はまさに一騎当千であり、その獰猛さから鋼鉄の兵士の間では『悪鬼』――以下、当人物の名称を便宜上統一させてもらう――との呼び名が定着していた。『愛する者に逢いたい』とただその一心で脱獄を繰り返しては、地下牢ならびに王城全体の警備している兵士達は多大な被害を被っていた。
変化というのは、その悪鬼に係わることである。
突然、悪鬼は長かった髪をばさりと切り落とし、本来の性別に相応しい格好と振る舞いをするようになったのだ。
しかし悪鬼の外見の変化が周囲に影響を及ぼしたかと問えば、答えは否である。性別を見直したからといって、行動理念までも見直そうという気はなかったらしい。
もっとも、全く影響がなかったのかと言うと、それもまた正確ではない。悪鬼が男らしい服装を――ズボンを着用することにより、今までワンピースの短い裾に気を取られていた兵士たちの集中力が上がった。そしてその分、悪鬼も恥らう必要性がなくなったため動きに制限がなくなり、機動力が上がった。
つまりは互いの戦力差は以前と比較して、差し引き無しでとんとん。よって兵士たちの災難な日々は変わりなく続いている。
しかし鋼鉄の兵士以外にも災難に巻き込まれている人物がいるということを忘れてはならない。
悪鬼に想いを寄せられている、最大の被害者とも言える人物が――
「陛下、ご無事ですか?!」
入室の許可を得る間もなく、ベルナートは玉座の間の扉を開け放った。しかしそこに主の姿はなく、大理石の床の上で小さな女の子と世話役の少年が積み木遊びをしているだけだった。
「まおーさんいないよー」
「陛下でしたら、先ほど飛び出して行かれました」
少女の身長ほどの高さに積み上げられた積み木の塔を支えながら、二人は血相を変えた兵士達に驚いた様子もなく応対した。
ベルナート達が走ってきた方向とは反対側からばたばたと慌しい足音が近付いてきて、玉座の間の前で合流した。
「執務室にも見当たりませんでした!」
別行動を取っていたセイラムが簡潔に状況を報告すると、リドリーはほっと安堵の息を吐いた。
「無事に逃げおおせたってことか?」
「いや、逃げた先で捕まっているかも知れん……とにかく一刻も早く奴を取り押さえる必要がある。それから、陛下の身柄は発見次第保護するように。各自、捜索に掛かれ!」
ベルナートは状況を楽観視することなく指示を飛ばし、それを受けた兵士達は来た時と同じように慌しく散っていった。
「がんばってねー」
「お疲れ様です」
そんな兵士達に少女はぱたぱたと手を振り、少年は丁寧にお辞儀をした。
「ここにもいないか…」
行方知れずの魔王及び悪鬼の捜索に向かったセイラムは、ドアを開けては閉めるという作業を繰り返していた。王城は広く、普段は使われていない部屋も多い。ずらりと並んだ客室のドアを開け、中にヒトがいないかを確認して回る。捕獲対象は常に騒がしいので接近すれば存在に気付くことが出来るが、息を潜めて隠れているだろう主君を探し出すには地道な捜索が必要であった。
(かくれんぼをしている気分だ)
とはいえ『鬼』は別にいるのだが。
いくつ目かのドアに手を掛けようとした時、直感的にそれまでとは異なる雰囲気を感じた。
慎重にドアを押し開き、トーンを落として声を掛ける。
「陛下、いらっしゃいますか?」
「…………鋼鉄の者か?」
少し探るような間があって、ベッドの方から声が返ってきた。
廊下の様子を確認してから静かにドアを閉めると、客用のベッドの下から黒いものが這い出してきた。
「ご無事でしたか、陛下」
ベッドの下から現れたもの、それこそまさしく件の探し人、漆黒の魔王レイヴァーンであった。漆黒の名の通り、暗闇色の髪に衣服。しかし隙間から這い出るその姿は魔王と言うよりはさながら油虫のようである。しかし虫のように機敏に、ともいかず這い出るのに苦労しているようだったので、セイラムは手を貸して主君をベッドの下から引っ張り出した。
「ありがとう……すまない、手間を掛けさせてしまったな」
ベッドからの救出のことを言っているのか、地道な捜索のことを言っているのか、おそらくは両方なのだろう。
「いえ、陛下がご無事でなにより――」
「シッ!」
レイヴァーンは人差し指を立て、唐突に言葉を遮った。人差し指を立てたまま視線をドアに向け、つられてセイラムもドアを見る。
「魔王ーさまーぁ!」
ドア越しに廊下の向こうから近付いてくる不吉な声が聴こえた。
「悪鬼……!」
「行ってはダメだ!」
反射的に飛び出そうとしたセイラムの腕を、レイヴァーンが掴んで止めた。悪鬼のいる廊下に洩れないよう、声のボリュームを落とす。
「君一人では――俺と二人掛りでも、ヤツには敵わない。今飛び出して行っても返り討ちに遭うだけだ。ここは、息を潜めてやり過ごすべきだ」
諭すような口調。流石は悪鬼の最大の被害者だ、言葉の重みと説得力が違う。
レイヴァーンは手を離すと、床に腹這いになりベッドの陰に隠れた。ベッドの下に隠れていたのもそうだが、危機から逃れる為にこの王は形振りというものを構わない。こんなかくれんぼのような方法でやり過ごせるものなのか不安はあったが、主君よりも頭を高くしている訳にもいかず、セイラムも彼に倣ってベッドの陰に身を隠した。
しばし、二人して息を潜める。
ドアを開閉する音と甲高い声が徐々に近付いてくる。先程セイラムがしていたように一つ一つ客室を確認しているようだ。
そしてついに、二人が隠れている部屋のドアが開かれる。
「まおーさまーぁ?」
ドア越しではなく直接響いてきた声に心臓が跳ねる。もはやかくれんぼというよりは、ミステリー小説に出てくる殺人鬼に追われるヒロインになった気分である。
悪鬼は入口から部屋の中をざっと見回しただけで、すぐに首を傾げながら部屋から出て行った。
三枚、四枚とドアを開閉する音が遠ざかり、ようやく二人は溜めていた息を大きく吐いた。
「捜索が大雑把で助かりましたね……」
「焦って苛立ってくると雑になってくるんだ。細かい所までは調べないよ」
経験者は語る。追い詰められての苦肉の策かと思ったが、どうやら確信があっての行動だったようだ。
「しかし魔力探知能力の高い悪鬼が、こんなに近くにいて存在に気付かないものなのでしょうか?」
「ああ、魔力の位置を探るのは得意だが、同じ性質の魔力から特に『濃い』部分を捜し出すというのは苦手なようなんだ。だから、ここに来るまでに逃げ回りながらあちこちに俺の魔力を拡散させておいた。通った道筋はバレてしまうから完全に逃げ切ることは出来ないが、攪乱と時間稼ぎにはなるよ」
常日頃、悪鬼に押し倒されたり跨られたりしている場面を救出に向かうことが多い所為で、正直なところセイラムはこの若き王に頼りない印象を抱いていた。しかし今、代々圧倒的な力により国を統治し続けてきた魔王の血族として才能の片鱗を覗かせたように思えた。
「荒事には苦手だからもっぱら逃げ隠れしてばかりだけど、やれば出来る子だってよく言われるんだよ」
頼りないという評価は魔王自身も自覚しているようで、自慢とは言えない自虐の笑顔を見せた。
一国の主と一兵士という立場の違い上当然のことではあるが、セイラムはこうしてレイヴァーンと一対一で言葉を交わすのは初めてだった。改めて抱いた感情は尊敬、畏怖とは程遠いものであったが、セイラムはこの親しみやすさに好感を持った。
臣下に「守ってやらねばならない」と思わせるのも、王としての一つの素質なのかもしれない。
「また戻ってくるかも判らない。しばらくはここで身を隠していた方がいいかもしれないな」
「そうですね。自分もここに残り、微力ながら護衛させていただきます」
本来ならば早急に応援を呼び悪鬼の徘徊するエリアから脱出すべきだが、ドアを開けたところで悪鬼に出くわしてしまっては目も当てられない。なるべく早く、他の兵士にこの場所を見つけてもらうことを祈るしかなかった。
しばらくこの場で篭城することになりそうなので、ひとまず二人は身体を起こす。レイヴァーンはベッドを背もたれにしてそのまま床の上で膝を抱えた。仮にも王たる身、座るのであればせめて椅子あるいはベッドの上にでも腰掛けて欲しいものだが、膝を抱えたその姿が妙に似合って見えるのは何故だろうか。
セイラムは部屋の外の様子に気を配れるようドアの傍に立った。
(……とはいえ、少し気まずい)
警備、護衛の仕事は慣れたものであるが、魔王と二人きりという状況は特殊だ。今更ながら緊張し始めた。
「すまない、俺の所為でいつも君達には迷惑を掛けているな」
何か気の利いた話題でも振るべきだろうかと考えていると、レイヴァーンの方が先に口を開いた。
「いえ、貴方様の責任ではございません。それに、陛下の御身が第一ですから」
「しかしこう毎日続くと、流石に申し訳なくなってくる。もういっそ、潔く身を捧げてしまった方がいいのではないかと思えてくる程に……」
「そ、それはちょっと……」
本音で語るわけにもいかないセイラムは形式通りの当たり障りのない受け答えで済ませるつもりだったが、これには思わず素の反応が出てしまった。英雄色を好むと言うが、そちらの色に走ってしまうのも自ら捧げてしまうのも如何なものかと思う。
「すまない、気の迷いだ。『もういっそのこと一度想いを遂げさせて差し上げれば大人しくなるのでは?』なんて無責任なことを言うヤツがいるものだから、つい……今のは忘れてくれ」
セイラムが砦を守るために矢面に立つ兵士であるとするならば、レイヴァーンは砦そのものだ。もし砦に心があったならば、いつ攻め落とされてしまうのかと精神をすり減らし、前線の兵士以上に疲弊していてもおかしくはない。疲労のあまり、正常な判断を見失いかけているようだ。それにしても魔王に対してそんな口を利く人物は一体誰なんだ、とその無遠慮さに少し呆れた。
「皆に苦労を掛けているのは解っている。解ってはいるが……それでも俺は普通に女の子が好きなんだ……!」
「ええと……自分も女の子の方が好きです」
自分自身に強く言い聞かせるようなレイヴァーンと、それをフォローするようなセイラムのカミングアウト。しかし内容は至極まっとうである。
「……あの……陛下、質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」
身分の違いはあるが、二人は心身の成熟度が近い。それ故か、互いに話しやすさを感じていた。緊張の解れてきたセイラムは、多少の無礼は承知で主君の内情に探りを入れてみた。
「何故、あの罪人を処刑するでもなく、国外に追放するでもなく自由にさせているのですか?」
「自由にさせているつもりはないんだけどなぁ」
「あ……も、申し訳ありません!」
悪鬼が城内を歩き回っているのは、見張りの兵士の不甲斐なさによるところである。決して城主の意向によるものではない。意図せず嫌味に嫌味で返されるような形になったが、レイヴァーンにもそのつもりはなかったらしく、特に気分を害した様子もなくセイラムの質問に答えた。
「既に伝わっていると思うけれど、俺は魔族と人間との争いを終わらせるつもりでいる。だけど具体的に何をどうすればいいか、まだ方法は思い付いていない。だからせこい話、人間であるアレックスの存在をその足掛かりに出来ればと思って傍に置いているんだよ」
「陛下の理想の為に必要と……? ですが、あの者は紛れもなく罪人であり、今も尚、陛下に害を為している存在です。それなのに――」
悪鬼は元々魔族に敵意を抱き、王城に襲撃を仕掛けてきた。その頃セイラムはまだ王城勤務ではなかったため、当時の様子を直接は知らない。しかし襲撃時の被害の凄まじさは同僚から伝え聞いている。
「――だけど、魔族である俺に好意を持ってくれている。……まぁ、好意の種類はもっと違ったものであって欲しかったけどね」
それだけ。たったそれだけの理由だ。
それだけの希望とその先の可能性を信じて疑いもせずに、己の理想への糧にしようとしている。
(なんて、甘い)
しかし、その甘さが心地良かった。
「――それに、国外に追放なんてしたら、今度こそ本気で城を攻め落としに掛かると思う……」
「それは……困りますね」
出来ることならば、セイラムも城攻めの恐怖の再現を体験したくはない。外から本気で攻められるよりは内部で『軽く』暴れられている現状の方がまだマシだということか。
「陛下」
「!?」
前触れもなくドア越しに聴こえた声に、セイラムは身を硬くした。
会話しながらも外の様子に気を配っていたつもりであったが、声を掛けられるまで気配に全く気付けなかった。悪鬼とも兵士とも違う、落ち着いた声。
「本日中に処理して頂きたい書類が執務室に山積みになっています。そのような場所でお楽しみなのは判りますが、早急に職務にお戻りになって下さい。」
声の主は部屋の中に誰が居るのかも確認していないというのに、まるで中の様子を見透かしたかのようにレイヴァーンに話し掛けていた。どういうことかとセイラムがベッドの方を振り返った瞬間、レイヴァーンが雄叫びのような声を上げて飛び出してきた。
「テューロぉぉぉぉお!!」
その剣幕に思わず圧倒される。目を丸くしたセイラムの横を通り過ぎ、レイヴァーンは勢いよくドアを開けた。
「誰がお楽しみ中だ! 誤解を招くようなことを言うな!」
「おや、もうよろしいので? しかしもう少し時と場所を考えなければ、妙な噂が立ちますよ?」
「だから楽しんでない! 万が一妙な噂が立ったらそれは間違いなくお前の所為だ!」
噛み付くような勢いのレイヴァーンに対し、ドアの前に立っていた空色の髪と瞳を持つ宰相は落ち着いた態度を崩さない。
(宰相殿は陛下のかくれんぼを楽しんでやっているものだと思っているのだろうか?)
レイヴァーンとしては貞操を賭けてのことなので必死になるのは解るが、それにしてもここまで憤慨する程の勘違いだろうか、とセイラムは首を傾げる。
宰相は尚も喚き散らす主君から目を離し、セイラムの方を向いた。
「ああ、そういえば先程鋼鉄が彼を取り押さえたようですよ。貴方も通常の職務に戻って貰って結構です。ご苦労様でした」
労いの言葉を掛けて、宰相は踵を返す。
「待て、まだ言いたいことはある! ――……ああ、すまなかったな、ありがとう助かったよ、お疲れ!」
謝罪と礼と労いを一息に済ませて、レイヴァーンは宰相の背中を追った。静々と歩く宰相を猛然と追いかけるその姿を、セイラムはぽかんとした顔で見送った。
(お忙しい方だ……)
嵐の後の静寂。先程まで王と二人きりで言葉を交わしていたのは夢の出来事だったのではないかと錯覚してしまう。けれど間違いなく、セイラムはほんの少しではあるが王の心に触れていた。
(出来ることなら、もっとゆっくりと話を聞いてみたかった)
王と一介の兵士の間柄でそのような機会が訪れることはないと解りきっていた。しかし、今日のような嵐の中であれば、また話せる機会もあるかもしれない。
これからも嵐が続くことが前提の、不謹慎なささやかな願い。
きっと願うだけなら罰は当たらないだろうと、次の機会を想いながらセイラムは仕事に戻った。
「近頃、悪鬼がお前を集中的に攻撃しているように思えるのだが……何かしたのか、セイラム?」
「身に覚えがありません!」
「なんかさー、最近鋼鉄内に上流階級のお偉いさんの愛人がいるって噂が流れてるんだけど、お前じゃないよな?セイラムくん」
「身に覚えがありません!!」
ささやかに願うことも許されはしないのか、セイラムはそれからしばらく全く身に覚えのない罰を受ける羽目になっていた。
望む望まないに係わらず、嵐のような日々はまだもうしばらく変わらずに続くのであった。




